2022/11/20
メモ
仏陀(ゴータマ)と、その魂のグループの存在たちのメッセージ (仏陀が生きていた時の10名のお弟子さんたちの意識)
テーマ:本当の「悟り」と、ズレた悟りの違い
『 悟りという言葉は一つだが、その意味は現在はいくつも存在している。
本来、悟りとは境地なのだ。
悟りによって得られる物質的な現象は、ただの宇宙の原理が働いているに過ぎない。
あなた方が得たいのは、物質なのか、境地なのか。
優先しているものによって、悟りとは非なるものとなる。』
悟りとは意識の境地。
自分の内側が広がっていく、宇宙そのものになっていく、真実の私に戻っていく、この内側が自由そのものになっていく、
この境地に達していくということが、自分にとって本当の意味で大切にしたいものなのであれば、それは「悟り」に向かっていますよと言える。
悟りとは境地なので、ここを理解していかないと、「悟り」と言ったときの道が斜めになっていく、目醒めの道が斜めになっていくんですね。
物質ではない。
一度、ハートに手を当てて「私は何を求めているのか」、自由な意識、内側の境地を求めているのか。
orそれによって間接的にもたらされる物質の方を本当は求めているのか。
何のために、自分は目醒めや悟りということを、この地球でやりに来たのか。
あなたの魂が望んでいる経験や体験というのは、この境地を大切にしていく、そこに向かって行くことなのか、
orそれによってもたらされる物質の方を求めていくのか。
結局、自分の内側の境地が悟りへと向かって行くことによって、もちろん現実レベルは整っては行くんですけど。
自分が求めているものが境地なのであれば、境地にまっすぐ進むし。
境地によってもたらされる現実なのであれば、ギューンとこっち(斜め)に行くよね。
自分の悟りや目醒めへのスタンス、優先順位。
では、「行動」って何のためにあるんだろう?
今まで眠ってきた僕たちの行動は、現実を良くする、人に理解してもらう、人を説得する、うまくやろうとする、現実をよくするために、物質のために、行動している部分てあった。
『 この地球で様々な悟り方のルートがあります。
例えば瞑想だけではないのですよ。音楽を通して悟りの境地に達したいという魂がいたり、スポーツを通して悟りの境地へ、家事を通して、ビジネスを通して、ボランティア活動を通して、いろんな形で悟りの境地へと達していくことができますね 』と。
『「悟り」とひとえに言っても、いろんな魂がいろんな経験の仕方をしたいと地球に来ているので、いろんなルートがそれぞれにある。
「行動」というのは自分の「悟り場所」に移動して行っているということ』なんですって。
例えば、「音楽を通して自分の悟りの境地への道を進んで行きたい」と思うのであれば、自分にとって音楽ができる場所へ行動していく必要がある。そこで自分と向き合って、出てきたものを手放して、様々な形で目醒め、悟りへと行きますよね。
行動しなければ、この「魂の望む音楽の道を通して私は悟りへと向かって行きたいんだ」という思いを叶えることができませんよね。
スポーツを通して悟りたい魂もいる、スポーツのできる環境へ。
『 いろいろある中で自分がマッチした環境へ、自分に一致した行動をする。
それは自分の悟りたい道、フィールド、環境に、この物質的な自分の身を置くために行動がありますね、それは一つ行動の大きな意味です』と。
行動一つとっても、物質レベルが目的であれば、物質を求めた行動になる。
現実のために就活したり、現実(優勝する)のためにスポーツの練習をしていたのと一緒で、行動の一つ一つが外向きになっていくんですね。
自分の悟る道、悟っていくフィールドに自分が向かうため、
実際にそこに自分が立って人生を経験する中で、いろいろ気づいたり、いろいろ手放したりする、この内側を悟りの境地に進めていく場所を選ぶ、そのために行動する。
…と考えると、行動の一つ一つが自分の内側に向きますよね。
外をよくするための行動じゃなくて、自分の悟りのための行動になっていくんです。
もちろん行動というのは、何かを表現したり、人の前でも自分自身であり続けるということも行動で、どこかの環境に移動することだけが行動ではなくて、いろんな行動の仕方がある。
大切なのは、悟りとは境地だよということ。
境地によってもたらされる物質的なことろへ重きが行っているときは、斜めになっているよという話。
行動は、自分が悟る場所を選んでいる。悟る環境に自分を移動させるために、行動というものがありますよと。
もちろんそれだけではありませんが、一つそういう意味がありますよと話していました。
行動一つとっても、自分の内側のために、自分の内側を変容させるための行動。
だから人に何かわかってもらうために話す必要はないんですね。
僕にとって、素晴らしいなとか、しっくりくるなということを、「自分という宇宙に向けて表現している」というのが、僕にとって一番大事にしている考え方で。僕の宇宙という中にみなさんがいて、外にいる誰かに話しているというより、僕の内なる宇宙にいる「あなた」という存在に話しているというか。結局、自分に話している、そういう感覚で日々YouTubeとかワークショップをやっている。
人にわかってもらうために、人に理解されるために頑張るのではなく、言葉を使うのではなく、
自分がしっくりきていることを、自分に一致するために、自分が自分であるために、言ったりやったりするだけ。
外を変えるため、人を変えるためではなく、自分が自分であるために表現しているだけなので。
話していることが人に「わかってもらえなかった」とか…それでも本当はいい。
「あなたがあなたである」という、その選択をできたのであれば、一億満点位、自分にあげていい。
その結果「うまく行かなかった」とか、そこではない。
もちろん自分に一致することに慣れてくれば、自分のしたことがすごく前向きな形で現実に現れるという風にだんだんなってはいくんだけど。
それはただの宇宙の法則。「自分が発したエネルギーが現実に現れる」というのは、ただの宇宙の法則でしょ。
悟りというのはこの境地に達することだよという話でした。
向上心がたくさんあるというのは、その人のハイヤーセルフの性質。
ハイヤーセルフの僕たちは向上心の塊だから、向上心、チャレンジ精神がすごくたくさんある。それが現れて、魂の向上心を地球で表現している。
魂の向上心が、悟りや目醒めに向いている。
それが斜めに向いていたらもったいない。結局、物質(境地ではなく)に向かっていた、気づいたら。気づいたらズレた悟りだった…もったいないじゃないですか。
しっかりと自分のスタンス、優先順位を丁寧に確認できて、その向上心とエネルギーを真っ直ぐと、悟り、目醒め、ハイヤーセルフ、宇宙意識に向けていけたら、すごく楽しくないですか?
僕たちの持つ輝きや向上心を、本当に進みたい方向に使っていくために。