「こうだったらいいな」→「こうだったかもしれない」→
「こうだったはずだ」→「いや、こうだったに違いない」→
「絶対こうだったのだ」
このような流れにて、歴史認識を持っていたり、多くの物事の
起源が語られているようですね。^^;
それと、論理的な考え方をしないせいか、自分の思いとは違う
意見は、受け付けない人がいます。
歴史物のドラマでは、そのほとんどが想像上の、それも願望や
妄想の世界なのだそうです。きらびやかな衣装を身にまとっては
いますが、染料を作ったり染めたりする技術もなかったためか、
布の色は白色しかなかったそう(宗主国の中国が、着用を許さな
かったとの説も)なので、歴史ドラマの映像ような色とりどりで
はなかったそうです。大半の建物も藁引き屋根の平屋作りだった
そうです。
日本でも、TVの「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」とかの時代劇
も時代考証が怪しいところがありますが、それを見ている人は、
「これが歴史だ」と思う人はいません。
日本に対して「歴史を忘れた国民に未来はない」と、時折非難
しているようですが、歴史を忘れているのは、いったい、どちら
なのでしょうか?あ、忘れているのではなく、そもそもは正しい
歴史が教育がなされていないので、きちんと認識されてはいない
ようですね。^^;
漢字が読めないので、自国の歴史書を読むことができないこと
も一因かもしれません。やはり、漢字を復活させたほうが良い、
と思いますがね。