日本柔道下降線 (その2) ー世界から遠のく日本柔道ー
9月の世界柔道大会での日本柔道の不振、特に男子柔道の不振の背景は、日本側からすると審判の判定の問題にある。確かに、日本側が技を掛け、外国人選手がしりもちを付いたにも拘わらず、その状態で外国人選手が技を掛け、日本人選手が引き倒され、ポイントを取られるなどして敗退した。外国人選手がしりもちを付いた時点で、日本側にポイントが入っていて良い。また、伝統的な日本柔道では、相手がしりもちを付いた段階で技が掛かっているわけで、更に追い討ちを掛けるようなことには若干躊躇がある。抗議しても審判は聞かない。
要するに、競技方法はレスリングに近くなっており、ポイント・ルールも、よりレスリングに近くなっている。それが世界柔道の流れであり、世界基準になりつつある。重量制などが導入されたのも、レスリングの影響であるが、今は誰も不思議とは思わない。
国際柔道連盟にきちんと抗議し、伝統的な柔道精神に則った柔道を確立するよう申し入れるべきではないか。と思ったら、国際柔道連盟(IJF)から日本の理事が居なくなっている。
9月10日に行われた同連盟の一部理事の改選で、金メダリストの山下泰裕さん(前理事)がアルジェリアの委員に大差で敗れ、これで同連盟に日本人理事は1人も居なくなったって。(_ _)ウッソ~と思うでしょう!? もともと日本の柔道でしょう。日本が1952年にIJFへ加盟してから初めてのことらしい。
会長選挙で山下前理事がアジアの一員として韓国出身の朴会長の再任を押していたそうなのだが、ビーゼル副会長(欧州連盟会長)と対立していた上、朴会長の本国での金銭上の疑惑などもあり、辞任し、ビーゼル氏が全会一致で会長となった。それでビーゼル氏が押していたアルジェリアの委員が理事になり、山下前理事は負けたのだそうだ。
とばっちりと言えばとばっちりかも知れないが、もし世界の柔道が日本の柔道を必要としているのならば、それでも日本は理事として残っていたのかも知れない。
いろいろな理由があり、分析する必要はある。しかし、外国人選手の試合の進め方や技などを見ると、柔道はレスリングに近い国際「スポーツ」に進化しており、審判も同様だ。もう日本やアジアだけのスポーツではない。日本がその国際化したスポーツに十分対応出来てないのではないのか。これに対し、柔道は単なる格闘技やスポーツではなく、本来日本の武道であり、技や強さだけでなく、精神を伴った武道であり、それを世界に伝えて行くべきではないかという伝統論や精神論がある。国際化論を言うと、「自虐的日本観や歴史観は取らない」などと言う人もいるが、「過去や伝統の合理化」に傾斜する日本的「ネオコン」の考え方であり、戦前、戦中の権力側に立った歴史観とも言えよう。若い人達の間でも、「欧米か!?」と言われて頭をどつかれそうだ。^^
谷亮子選手は、日本の柔道のすばらしい技を基礎として、国際化したスポーツとしての柔道を見事にこなしている。相手が膝を付こうが、尻もちを付こうが、間髪入れず技を掛け続け、相手の背中がマットに付くまで緩めない。国際柔道の変化を熟知し、日本柔道の技を習得している亮子ママは強い。
そこを日本がもっと学ぶべきではないのか。
また、国際場裡では、意見を表現し、コミュニケートする能力が大切だ。語学は上手である必要はないが、意見が表現出来なければ評価はされない。柔道界も国際場裡で通用する人材を育成して行かなくてはならないのだろう。これは、スポーツに限らない。政界にしても、学術界や国際機関などでもそうだ。「日本語を世界に普及させろ」、「自虐的な国家観や歴史観はとらない」などと言って偏狭な国家観のみを主張していても、世界の潮流から外れれば衰退して行くのが歴史の現実でもある。風や潮流を読めなければ流れには乗れない。
亮子ママを国際柔道連盟の次の理事候補にしたらどうだろうか。^^
最近、日本の相撲界でも、横綱朝青龍のバッシング問題や時津風部屋の若い力士の死亡事件など、いろいろな問題が出ている。「伝統」にも「悪しき伝統」もあるので、時代の流れとともに再点検し、また、柔道の国際的な潮流などからも学ぶことが多いのではなかろうか。
9月の世界柔道大会での日本柔道の不振、特に男子柔道の不振の背景は、日本側からすると審判の判定の問題にある。確かに、日本側が技を掛け、外国人選手がしりもちを付いたにも拘わらず、その状態で外国人選手が技を掛け、日本人選手が引き倒され、ポイントを取られるなどして敗退した。外国人選手がしりもちを付いた時点で、日本側にポイントが入っていて良い。また、伝統的な日本柔道では、相手がしりもちを付いた段階で技が掛かっているわけで、更に追い討ちを掛けるようなことには若干躊躇がある。抗議しても審判は聞かない。
要するに、競技方法はレスリングに近くなっており、ポイント・ルールも、よりレスリングに近くなっている。それが世界柔道の流れであり、世界基準になりつつある。重量制などが導入されたのも、レスリングの影響であるが、今は誰も不思議とは思わない。
国際柔道連盟にきちんと抗議し、伝統的な柔道精神に則った柔道を確立するよう申し入れるべきではないか。と思ったら、国際柔道連盟(IJF)から日本の理事が居なくなっている。
9月10日に行われた同連盟の一部理事の改選で、金メダリストの山下泰裕さん(前理事)がアルジェリアの委員に大差で敗れ、これで同連盟に日本人理事は1人も居なくなったって。(_ _)ウッソ~と思うでしょう!? もともと日本の柔道でしょう。日本が1952年にIJFへ加盟してから初めてのことらしい。
会長選挙で山下前理事がアジアの一員として韓国出身の朴会長の再任を押していたそうなのだが、ビーゼル副会長(欧州連盟会長)と対立していた上、朴会長の本国での金銭上の疑惑などもあり、辞任し、ビーゼル氏が全会一致で会長となった。それでビーゼル氏が押していたアルジェリアの委員が理事になり、山下前理事は負けたのだそうだ。
とばっちりと言えばとばっちりかも知れないが、もし世界の柔道が日本の柔道を必要としているのならば、それでも日本は理事として残っていたのかも知れない。
いろいろな理由があり、分析する必要はある。しかし、外国人選手の試合の進め方や技などを見ると、柔道はレスリングに近い国際「スポーツ」に進化しており、審判も同様だ。もう日本やアジアだけのスポーツではない。日本がその国際化したスポーツに十分対応出来てないのではないのか。これに対し、柔道は単なる格闘技やスポーツではなく、本来日本の武道であり、技や強さだけでなく、精神を伴った武道であり、それを世界に伝えて行くべきではないかという伝統論や精神論がある。国際化論を言うと、「自虐的日本観や歴史観は取らない」などと言う人もいるが、「過去や伝統の合理化」に傾斜する日本的「ネオコン」の考え方であり、戦前、戦中の権力側に立った歴史観とも言えよう。若い人達の間でも、「欧米か!?」と言われて頭をどつかれそうだ。^^
谷亮子選手は、日本の柔道のすばらしい技を基礎として、国際化したスポーツとしての柔道を見事にこなしている。相手が膝を付こうが、尻もちを付こうが、間髪入れず技を掛け続け、相手の背中がマットに付くまで緩めない。国際柔道の変化を熟知し、日本柔道の技を習得している亮子ママは強い。
そこを日本がもっと学ぶべきではないのか。
また、国際場裡では、意見を表現し、コミュニケートする能力が大切だ。語学は上手である必要はないが、意見が表現出来なければ評価はされない。柔道界も国際場裡で通用する人材を育成して行かなくてはならないのだろう。これは、スポーツに限らない。政界にしても、学術界や国際機関などでもそうだ。「日本語を世界に普及させろ」、「自虐的な国家観や歴史観はとらない」などと言って偏狭な国家観のみを主張していても、世界の潮流から外れれば衰退して行くのが歴史の現実でもある。風や潮流を読めなければ流れには乗れない。
亮子ママを国際柔道連盟の次の理事候補にしたらどうだろうか。^^
最近、日本の相撲界でも、横綱朝青龍のバッシング問題や時津風部屋の若い力士の死亡事件など、いろいろな問題が出ている。「伝統」にも「悪しき伝統」もあるので、時代の流れとともに再点検し、また、柔道の国際的な潮流などからも学ぶことが多いのではなかろうか。