シリーズ平成の「変」ー2重3重に本人確認を求める銀行
2007年1月から、銀行のATMから「現金で10万円以上」を振り込むことが出来なくなった。国際的な要請に基づき、マネー・ロンダーリングやテロ資金供与防止のための「本人確認手続きに関する法令」の改正に伴う措置のようだ。
ATMからの現金振込みの制限については、早朝、夜間や祝祭日には無防備状態になるので、そもそも多額の現金を取引するためのものではなく、便宜を図るため小口現金の取引を時間を問わず行える施設であるので、理解は出来る。しかし、マネー・ロンダーリングやテロ資金供与を意図する者であれば、何十回に分けても必死に実施するであろうから、「現金10万円以上の振り込み」規制は、実体上ほとんど意味をなさず、建前上の規制、責任逃れの規制の類に近い。
しかし問題は、金融機関の窓口で現金10万円以上を振り込もうとする場合、可能ではあるが、運転免許証や健康保険証などの「本人確認」が行われ、「確認」だけでなく、「コピー」の作成、保管まで求められる。所属する組織の「身分証明書」などではダメである。写真入でも断られる。百歩譲って「本人確認」に応じるとしても、何故「コピー」の作成、保管まで強要するのだろうか。「確認作業」にはコピーは不要であろうし、個人情報保護の上で、むやみに個人の重要文書等のコピーを作成すべきではないのだろう。利用者側への配慮に欠けている。これも問題があった場合の責任逃れでしかないように見える。現実問題として、金融機関や証券、保険会社、また公的機関等の関係者による情報漏えいは絶えない。個人はいろいろの形での情報漏えい、従って、おれおれ詐欺などの犯罪の標的になり易い状況になっている。顧客軽視である。
更に、ガスや電気などの公共料金の支払いや健康保健組合などの印刷された所定の振込用紙で、それぞれの企業、団体の指定銀行口座への振込みについても同様の手続きを求められる。自行の取引先の口座への振込みであり、自行の取引先をチェックすれば足りることではなかろうか。それともこれらの公共的企業や団体もマネー・ロンダーリングやテロ、麻薬取引などに関与していると考えているのだろうか。支払おうとしている現金は、日本国造幣局発行の真正な紙幣をもってしてもである。典型的な「一律・横並び」の過剰反応である。
利用者側の便宜や心情を全く考慮しない。国民や顧客を信用しない過剰反応である。それで、国民に銀行を信用して下さいと言えるのであろうか。藤原紀香さんのあるCMで、「あんたの疑い深い目エが、好っき~!」というのがあった。なんともユーモラスだった。しかし、銀行や役所の職員の過剰な程の疑い深い目は、好感は持たれないだろう。
日本の銀行など、規制の強い産業は顧客サービス面で世界に大きく遅れをとっている。銀行の預金通帳で資金の出し入れをする場合、通帳を提示し、所定の用紙に「署名」した上、「押印」をする。その上で、高額の取引の場合、更に「本人確認」を求められることがある。銀行取引で、署名に加え印鑑を持ち歩かなくてはならないのは、先進工業国では日本くらいであろう。その上「本人確認」を求め、コピーまで取る。過剰だ。自分の預金口座から一定額を定期預金にする申し込みをしたら、「本人確認」を求められた。過剰だ。
かつて日本の美徳とされていた高い貯蓄率は、最近において3.3%にまで低下し、比較可能な先進工業17か国の内、韓国と共に最下位になっている。日本の貯蓄率が低いのは、長期の景気低迷による所得水準の低迷が背景にあるが、実質ゼロ金利の長期化と高い「各種手数料」の継続による実質的なマイナス金利の中で、過度の「本人確認」を含むサービスの低下があると言えよう。
ところが年金不安や将来不安から、若い世代を含め、貯蓄意識は強い。しかし銀行に預けると長時間待たされ、手間ばかり掛かり、使い勝手が悪く、金利メリットは無いに等しい。そうであれば、安全性を犠牲にしても他の方法で保管することになる。制度、手続きなどが、顧客の利益、利便性に立っていないからだ。
同様のことが、行政の電子政府化にも言える。普及率は2、3%前後でしかない。それに多額の予算と時間を使っており、予算の非効率が目立つ。認証を得るまで犯罪者扱いのような過剰な「本人確認」を求められ、実際の手続きも煩雑で分り難く、過剰である。行政の都合が優先し、国民、利用者の利便性を考慮していないからであろう。(09.04.)(All Rights Reserved.)
2007年1月から、銀行のATMから「現金で10万円以上」を振り込むことが出来なくなった。国際的な要請に基づき、マネー・ロンダーリングやテロ資金供与防止のための「本人確認手続きに関する法令」の改正に伴う措置のようだ。
ATMからの現金振込みの制限については、早朝、夜間や祝祭日には無防備状態になるので、そもそも多額の現金を取引するためのものではなく、便宜を図るため小口現金の取引を時間を問わず行える施設であるので、理解は出来る。しかし、マネー・ロンダーリングやテロ資金供与を意図する者であれば、何十回に分けても必死に実施するであろうから、「現金10万円以上の振り込み」規制は、実体上ほとんど意味をなさず、建前上の規制、責任逃れの規制の類に近い。
しかし問題は、金融機関の窓口で現金10万円以上を振り込もうとする場合、可能ではあるが、運転免許証や健康保険証などの「本人確認」が行われ、「確認」だけでなく、「コピー」の作成、保管まで求められる。所属する組織の「身分証明書」などではダメである。写真入でも断られる。百歩譲って「本人確認」に応じるとしても、何故「コピー」の作成、保管まで強要するのだろうか。「確認作業」にはコピーは不要であろうし、個人情報保護の上で、むやみに個人の重要文書等のコピーを作成すべきではないのだろう。利用者側への配慮に欠けている。これも問題があった場合の責任逃れでしかないように見える。現実問題として、金融機関や証券、保険会社、また公的機関等の関係者による情報漏えいは絶えない。個人はいろいろの形での情報漏えい、従って、おれおれ詐欺などの犯罪の標的になり易い状況になっている。顧客軽視である。
更に、ガスや電気などの公共料金の支払いや健康保健組合などの印刷された所定の振込用紙で、それぞれの企業、団体の指定銀行口座への振込みについても同様の手続きを求められる。自行の取引先の口座への振込みであり、自行の取引先をチェックすれば足りることではなかろうか。それともこれらの公共的企業や団体もマネー・ロンダーリングやテロ、麻薬取引などに関与していると考えているのだろうか。支払おうとしている現金は、日本国造幣局発行の真正な紙幣をもってしてもである。典型的な「一律・横並び」の過剰反応である。
利用者側の便宜や心情を全く考慮しない。国民や顧客を信用しない過剰反応である。それで、国民に銀行を信用して下さいと言えるのであろうか。藤原紀香さんのあるCMで、「あんたの疑い深い目エが、好っき~!」というのがあった。なんともユーモラスだった。しかし、銀行や役所の職員の過剰な程の疑い深い目は、好感は持たれないだろう。
日本の銀行など、規制の強い産業は顧客サービス面で世界に大きく遅れをとっている。銀行の預金通帳で資金の出し入れをする場合、通帳を提示し、所定の用紙に「署名」した上、「押印」をする。その上で、高額の取引の場合、更に「本人確認」を求められることがある。銀行取引で、署名に加え印鑑を持ち歩かなくてはならないのは、先進工業国では日本くらいであろう。その上「本人確認」を求め、コピーまで取る。過剰だ。自分の預金口座から一定額を定期預金にする申し込みをしたら、「本人確認」を求められた。過剰だ。
かつて日本の美徳とされていた高い貯蓄率は、最近において3.3%にまで低下し、比較可能な先進工業17か国の内、韓国と共に最下位になっている。日本の貯蓄率が低いのは、長期の景気低迷による所得水準の低迷が背景にあるが、実質ゼロ金利の長期化と高い「各種手数料」の継続による実質的なマイナス金利の中で、過度の「本人確認」を含むサービスの低下があると言えよう。
ところが年金不安や将来不安から、若い世代を含め、貯蓄意識は強い。しかし銀行に預けると長時間待たされ、手間ばかり掛かり、使い勝手が悪く、金利メリットは無いに等しい。そうであれば、安全性を犠牲にしても他の方法で保管することになる。制度、手続きなどが、顧客の利益、利便性に立っていないからだ。
同様のことが、行政の電子政府化にも言える。普及率は2、3%前後でしかない。それに多額の予算と時間を使っており、予算の非効率が目立つ。認証を得るまで犯罪者扱いのような過剰な「本人確認」を求められ、実際の手続きも煩雑で分り難く、過剰である。行政の都合が優先し、国民、利用者の利便性を考慮していないからであろう。(09.04.)(All Rights Reserved.)