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シリーズ平成の本音 笑えない便乗節電!

2011-04-30 | Weblog
シリーズ平成の本音 笑えない便乗節電!
 4月中旬、千代田区四番町で夜に無人の有料駐車場に車を止めた人の話だが、午後10時頃帰ろうとして支払いをしようとしたら、暗くて支払機の指示が読めなくて立ち往生した話を聞いた。
生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音 笑えない便乗節電!

2011-04-30 | Weblog
シリーズ平成の本音 笑えない便乗節電!
 4月中旬、千代田区四番町で夜に無人の有料駐車場に車を止めた人の話だが、午後10時頃帰ろうとして支払いをしようとしたら、暗くて支払機の指示が読めなくて立ち往生した話を聞いた。
生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
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生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
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生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
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 4月中旬、千代田区四番町で夜に無人の有料駐車場に車を止めた人の話だが、午後10時頃帰ろうとして支払いをしようとしたら、暗くて支払機の指示が読めなくて立ち往生した話を聞いた。
生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
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生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
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生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音 笑えない便乗節電!

2011-04-30 | Weblog
シリーズ平成の本音 笑えない便乗節電!
 4月中旬、千代田区四番町で夜に無人の有料駐車場に車を止めた人の話だが、午後10時頃帰ろうとして支払いをしようとしたら、暗くて支払機の指示が読めなくて立ち往生した話を聞いた。
生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音 笑えない便乗節電!

2011-04-30 | Weblog
シリーズ平成の本音 笑えない便乗節電!
 4月中旬、千代田区四番町で夜に無人の有料駐車場に車を止めた人の話だが、午後10時頃帰ろうとして支払いをしようとしたら、暗くて支払機の指示が読めなくて立ち往生した話を聞いた。
生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
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 4月中旬、千代田区四番町で夜に無人の有料駐車場に車を止めた人の話だが、午後10時頃帰ろうとして支払いをしようとしたら、暗くて支払機の指示が読めなくて立ち往生した話を聞いた。
生憎雨の寒い日で、支払機の上に蛍光灯があるのを見つけ、スイッチを探し回っていたら、支払機の外側に「節電のため電気は消してあります、ご理解下さい」との趣旨が貼り出してあったらしい。え~、嘘だろう!?電気消したら支払いの手順が読めないでしょう。だからこそ支払機の上に蛍光灯が取り付けてあるのでしょう。それを「「節電のため消す」の?!え~っ、嘘でしょう!
知人は、寒空の下で30分ほど色々試している内に目が慣れて支払いが出来たそうだが、
お客に迷惑を掛けるような電気の消し方は、いわば単なる経費節減のための「便乗節電」としか言いようがない。と言うより、「節電」の趣旨を理解しないとしか言いようがない。「節電」に協力するというのなら、客迷惑の節電より、夜無料にして駐車場を開放したらよいのではないだろうか。
 どうも最近の「企業の論理」が少し歪んで来ているような気がする。市場経済での経営学の基本中の基本は、「消費者は王様」と言われている。しかし最近では、企業側の保身意識、企業論理が強くなり、消費者の便宜やニーズが後回しとなり、企業の論理、行政側の都合が優先している面がある。業種によっても違うが、保護、規制の強い大手都市銀行の仕事振りがその最たるものだろう。
 また中央、地方を問わず、行政も行政側のご都合が優先され、消費者である国民の都合やニーズは余り重視されない傾向が強い。例えば別の関係者によると、2車線の脇道から目黒通りに出るところに信号が無く、自動車で都心に向かおうとしても右折出来ず、いわば出口が塞がれている一方、都心に向かうには通学路にもなっている細くて危険な細い裏道しかなく、また道路の向かい側にバス停があり、そこに行くには200m程先の信号まで下って反対側の道路を上がらないとバス停に辿りつかない状態で、老齢者や子供連れにとっては不便であり、また朝の通勤時には信号のないところを渡る人もいるので、「信号」をつけて欲しいと当局に要請すると、しばらくするとその付近の大通りに「横断禁止」のたて看板がべたべたと立てられたという。その脇道には学校もあり、投票所、緊急時の避難所にもなっている重要な生活道路であり、その生活道路をいわば塞いでしまうことが住民のニーズとも思われない。信号の無い大通りを渡ることは危険という警察当局の都合には沿っているのだろうが、そもそも不便で危険だから「信号」をつけて欲しいという住民の要請には逆行する措置である。信号の無い大通りを渡ってはいけないことは知っており、税金を使って禁止看板をべたべたと立てるのは無駄な行為とも言える。もし危険な細い裏道で重大な人身事故などが起これば行政の責任と言えよう。短期的措置であれば良いが、国民、住民のニーズに応える措置が真剣に検討、実施されないようでは行政をしているとは言えない。
 福島原発から20キロ圏内を退避から警戒地区として立ち入りが禁止されたが、放射能や疫病などの危険性があり立ち入りを禁止すること自体は仕方ないことであろう。しかし住民の退避後の圧倒的希望は、まず不明者の救済・捜索、次いで家に戻り少なくて必要なものを持って帰ることであろう。放射能防護などを施して住民を自宅に戻し、重用品や必需品を取りに行ける措置を施さなければ住民のニーズには合致しない。
警戒地区に指定された後、警察当局が立ち入り不明者の捜索に着手し、担当の方々にはご苦労と言いたい。しかし今更「家族の気持ちを考えると全員発見する気持ちで捜索」と言われても、被災後既に1ヶ月半も経っており、今まで住民の希望やニーズは後回しにされた上、警戒地区とされ自分たちの居住地域へ立ち入りに罰則が課され、その望みも閉ざされたということであろう。家畜も放置され、餓死を始めている。恐らくペットなども同じような運命なのかもしれない。住民が苛立つのは自然だ。
一般論として一定期間の措置として禁止や規制をすることは止むを得ない場合があるが、その間に国民、住民のニーズに沿った措置が検討、実施されることが望ましい。そうでなければ「行政」をしているとは言えない。
現在多くの国民が感じる閉塞感は、行政側の論理や企業側の論理が優先し、国民、消費者のニーズが後回しになっていることではないだろうか。自由市場経済において「消費者が王様」であり、民主主義において「国民が主役」であるような社会は何時来るのであろうか。現在は主客が逆転したままである。本来、政権交代でそこが変わるのではないかと期待されたが、1年弱で頓挫してしまったようだ。「便乗節電」などの「企業の論理」にしても、禁止、規制の「行政の論理」にしても、笑ってはいられない。(11.04.26)
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