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江戸城最古の石垣発掘、内外の人々に公開すべし

2022-04-24 | Weblog
江戸城最古の石垣発掘、内外の人々に公開すべし
 江戸城趾の1 部である東御苑に開設されている三の丸尚蔵館が2019年から拡張工事を行っているところ、2020年11月に「現存する最古とみられる江戸城の石垣」が発掘された。石垣は、同館の建て替え工事実施に伴い、江戸城趾が所在する東京都千代田区が必要な発掘調査を行ったところ発見されたもので、2021年4月13日なって公表された。
 石垣は、地下約7メートルから7段程度積まれており、高さ約4メートル、幅約16メートルのもので、江戸時代初期の1610~1620年ごろに築かれた堀の石垣と推定とすいていされている。石組みは粗く石と石の間に河原石がそのまま使われているなど、荒い作りとなっている。
 千代田区は、関係当局とも協議の上、積み方が弱く、くずれる危険性もあることなどから埋め戻すこととしている。
 1、折角の貴重な歴史的遺跡、展示する方法を検討すべし
 東御苑尚蔵館は、皇室が国に寄贈した美術品などを展示するために1992年(平成4年)9月に建設されたもので、石垣はその拡張工事に伴い発見された。ここは、現在東御苑とよばれているが、江戸城趾の中心部の1角の「3の丸」があった付近である。東御苑のある一帯には、嘗て江戸城の天守閣があり、将軍の居所であり、接見等の場所である本丸のほか、大奥や二の丸、三の丸があったところである。本丸は江戸初期に火災で焼失し、それとは別の二の丸のあった場所に建設され、その後拡張と焼失を繰り返しながら区画を移動した。従って、東御苑として公開されている区画は、江戸城の中心部に当たり、焼失毎に埋め立て、別の区画を拡張するなどを繰り返しているので、地下に貴重な遺跡が残っている可能性が高い。
 宮内庁は、尚蔵館が手狭になったことから新館の建設を提案したが、文化庁(宮田亮平文化庁長官当時)が反対し、立て替え拡張されることになった。幸いなことに、工事前に遺跡の有無の調査が行われ、江戸城最古とみられる石垣が発見されたものだ。
 今回発掘された石垣は、江戸初期のもので当時の情景を残す数少ない遺跡であり、その後の城内の変化発展している様子を見て取ることができるので、適切な防護、安全措置を執り、公開されるべきであろう。折角の貴重な遺跡を埋め戻してしまえば、国民の目に触れることなく、歴史を埋めることになるので適切でない。
 逆に、江戸城にはなじみのない現代の建物である尚蔵館の拡張工事のために、江戸城の最古の石垣を埋め戻すというチグハグさ、歴史的遺跡への過小評価に違和感をおぼえる。
 2、江戸城趾東御苑などの再発掘の良い機会
 今回尚蔵館の拡張工事に際し、発掘調査が行われ、‘たまたま’石垣が見つかったことは幸いであったと言えよう。ということは、少なくても江戸城三の丸周辺では十分な発掘調査が行われていなかったことを物語っている。
 三の丸のある東御苑には、江戸城天守閣をはじめ、本丸や大奥、二の丸、三の丸など、1603年から1868年までの江戸幕府の中枢部分があった歴史的にも文化的にも非常に興味ある遺構である。現在は、天守閣の石垣や二の丸庭園の一部があるのみで、三の丸の尚蔵館など新たに建てられた建物を除き、更地の庭園となっている。公開はされているが、江戸城の面影は天守閣の石垣や二の丸庭園を除き何もない。265年続いた歴代将軍の生活の痕跡がない。江戸城は、内戦を避け英仏列強の介入を避けるため歴史的な無血開城が行われ、第2次世界大戦での米国による直接の爆撃が避けられ、大手門を失っただけであるので、明治維新には、お堀周辺の石垣や門などだけでなく、東御苑となった場所にも歴史的な建物が存在したはずである。
 本丸や大奥、二の丸、三の丸などの建物は、江戸初期から何回も火事に遭い、本丸、二の丸、三の丸へと移動しながら再建、拡張を繰り返し、使われてきたものである。従って、地上にあった建物等が倒壊されたとしても、地下には江戸時代に焼けた建物の一部や土台、礎石、及び生活用具類等の一部がが残っている可能性がある。
 今回、三の丸尚蔵館拡張工事のため、周辺の発掘調査が行われ、予期していなかった江戸城最古の石垣が「たまたま」発見されたことは、これまで三の丸を含め東御苑等の発掘が十分に行われていなかったことを示している。
 江戸城が無血開城された後、明治維新となり明治政府が江戸城の一部を残しで倒壊したが、担当太政官と写真師内田九一が江戸城内を写真撮影し、また内田九一は自らも当時の映像を残している。その写真師内田丸一については、「内田九一の江戸城新発見写真」 展覧会が2020年3月上旬にお茶の水シェイクスピア・ギャラリーで開催されたようだが、コロナウイルス騒ぎの真っ最中であったこともあり、一部の通信社が伝えているのみで余り話題にならなかったようだ。内田丸一は宮内省御用掛の写真師となったが、32歳の若さで亡くなったこともあり、江戸城の写真はほとんど世に出ることはなかった。
 江戸265年の歴史は、庶民文化や商業主義や家内工業的な匠の技術を含む経済・社会が急速に発展し、地方と江戸との各種の交流等を促進させ、良きにつけ悪しきにつけ、多くの分野で今日の日本、そして将来の日本のルーツの1つになっている。因みに、各藩の藩主に江戸詰めを求めた参勤交代は、謀反を起こさせないための制度とか各藩を疲弊させるためのものとかと批判されることが多いが、その面だけで無く、地方と江戸との交流促進や交通通信制度の基礎となった面がある。歴史研究においても江戸城趾の発掘が進めば、多くのことを学ぶことが出来、また内外の人たちの観光資源となることが期待される。
 3、両国の片隅に立つ「江戸博物館」
 両国にある国技館の裏手に「江戸博物館」がある。展示物等に目を見張る物は少なく、下町の庶民生活の様子は暗く狭苦しい。人影もまばらなことが多い。
 江戸城趾の広大な敷地の中に江戸を伝える博物館や展示場は1つもない。江戸の歴史が消されているような印象を受ける。明治以降の治世は第2次世界大戦後、現行憲法の制定をもって終わっている。もはや江戸の歴史を埋める必要はないのではないだろうか。江戸城趾は全国民の、そして恐らく世界の多くの観光客を引きつける歴史的遺跡となろう。(2021.5.14.)
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森友学園公文書改ざん問題、安倍政権下の不正認める!

2022-04-24 | Weblog
森友学園公文書改ざん問題、安倍政権下の不正認める!
安倍政権下において、森友学園建設に際し国有地の破格の安値払い下げに関する決裁文書の改ざんに関与させられ、それを苦として近畿財務局の職員(赤木俊夫)が自殺した(2018年3月)。これに対し配偶者(赤木雅子さん)が、政府と財務省の佐川理財局長(当時)1.1億円余りの賠償を求め民事裁判(2021年3月)を起した。赤木さん側は、改ざんの経緯をまとめて職場に残されていた「赤木ファイル」などを示しつつ、「上層部より改ざんを執ように強要され、極めて強い心理的負担があった」として、政府(財務省)側の責任を追及し、政府側はこれまでこれを否定して来た。
ところが2021年12月15日の大阪高等裁判所における当事者間の協議で、国側は「赤木職員(当時)が強く反発した財務省理財局からの決裁文書改ざん指示への対応や森友学園案件に係わる情報公開請求への対応などにより、様々な業務に忙殺され、精神面と肉体面に過剰な負荷が継続したことにより、精神疾患を発症し自殺した」としつつ、一転して賠賠償責任を認め、赤木夫人に賠償金を支払うことにしたため、裁判は終了することになった。
 これに対し原告側は真実の追究を逃れようとしているとの趣旨で反発しているが、国側より賠償金が支払われることになったことは評価される。
 これにより国側は、財務本省(理財局)より決裁文書の改ざん指示が行われたことを認めると共に、この経緯や改ざんされた内容などを記した「赤木ファイル」の内容を事実上認めたこととなる。
 民事裁判は今後、改ざん指示を出したと見られている財務省佐川理財局長(当時)への賠償請求などに移ることになるので、その判断は裁判所に委ねられることになろう。他方、このような深刻な公文書の改ざんを強いられることになったそもそもの原因である国有地の安値払い下げや、改ざんの事実を伏せようとしたことなどを巡り直接間接に影響力を行使したと見られる安倍元首相や麻生前財務相等の政治責任が問われることになろう。
 1、国有地の安値払い下げと公文書改ざんの原因を作った道義的・政治的責任
 国有地の森友学園への安値払い下げについて、所管する財務省理財局が関連文書や記録の改ざんに動いた発端は、2013年2月の衆院予算委での安倍首相(当時)夫妻の関与についての質問において、安倍首相が‘自身、及び同夫人が関与していたということであれば、それは議員を辞職する’との趣旨述べたことによる。そんなことになると、折角同首相のもとで圧倒的多数を制した自・公両党による連立政権を危うくすることになり、それを回避したいという忖度と保身から、当該国有地の値引き売却に関係する文書から、安倍首相夫妻と森友学園との関係を示す部分を全て削除し、改めて文書を作成させたものと見られている。これは行政当局側が首相を擁護しようとの忖度から生じたものであり、文書改ざんについて首相側に直接責任があるわけではない。
 しかし文書を改ざんした事実と今回国側が改ざん指示を認めたことは、「赤木ファイル」の内容を認め、安倍首相(当時)夫妻と森友学園との関係が国有地の安値払い下げに影響があったことを認めたことに他ならない。直接の指示や示唆があったか否かは別として、首相側近が事務当局に検討状況を照会等することは指摘されていたところであり、事務方がそのように受け止め、破格の値引きをしたということであろう。
 法律違反や不適正な直接の圧力があったとは思えないが、公文書或いは公的記録の改ざんという非常に重大な不適正な行為を誘発し、政治・行政の法令遵守(コンプライアンス)や基本的な倫理規範に重大な悪影響を与えると共に、人1人が命を絶ち、また行政の動揺と劣化を招いたことに対する政治的、道義的責任は非常に重いと言えよう。
 何故安倍首相(当時)は、以前より夫妻とも知っており、森友学園の教育方針を評価し、個人的な支援を行っていた関係を隠そうとしたのだろうか。もし森友学園を夫妻で知っており、その教育方針を理解し、側面的に支援していることを肯定する一方、国有地の格安払い下げには関与していない旨説明していれば、恐らくあのような問題に発展していなかったと思われる。森友学園は、明治時代の天皇君主制の下で基礎教育での指針となる「教育勅語」を実践しており、生徒は礼儀正しく、安倍夫妻はこのような学校の普及を望んでいたとされている。それは1つの考え方であり、政治をする以上国民に立場を明らかにすることが望ましい。民間組織にも明治時代の天皇制にノスタルジーを感じ、そのような「美しい国、日本」を守ることを目的とする日本会議があり、一部保守政治家グループがこれを支援していることは知られている。
 この公文書改ざん事件の後、厚生労働省による残業時間の不正記録や現在問題になっている国土交通省による建設業の受注動向などを示す統計のデータの不正記録等々が起こっており、また桜を見る会に係わる各種の記録が1年間も経たない内にコンピューターに残された記録を含め完全消去されたとされるなど、政治、行政の間で‘無かったことにする’行為が頻発しており、その遠因は森友学園関連の公文書、公的記録の改ざんにあると言っても過言ではなさそうだ。これでは真面目に、誠実に行政に携わっている公務員が気の毒すぎる。それ以上に問題は、国民が内閣や行政、政権与党の言うことを信じられず、政治、行政不信に陥り、将来不安が募るようになることだろう。そうなると政府は、逆に規制、罰則等を強化し、警察権力や軍隊を強化し、力で押さえようとする方向に走り、恐怖政治や力の政治に向かう恐れが強くなる。メデイアや言論界等はこのような事実を公正に報じ、国民に知らせる役割があるのだろうが、最近これらが劣化して来ているようにも見える。
 また本来であれば、その責任者が誰であるにせよ、公職はもとより、公の立場、ポストを辞し、きちんと政治責任をとるよう促すべきではないだろうか。
 2、公文書改ざん等を擁護した財務相、内閣官房副長官(当時)の責任
公文書改ざんが行われ、それを擁護し続けた当時の財務相や内閣官房副長官の立場で首相の意向実現に努力し、擁護し、その後党や内閣で要職を得ている政治家も、やはり本来であれば、それぞれ公的なポストを辞し、政治責任を明らかにすべきであろう。(2021.12.17.)

なお、この問題の経緯等に関するこれまでの評論を参考までに再掲する。
<森友学園公文書改ざん問題、新証拠で再審査か!(再掲)>
 国有土地を常識外の低価格で売却しようとしていた森友学園問題で、公文書の改ざんを実際に行い、自殺した近畿財務局の職員(当時国有財産管理官)の「手記」が同職員妻により公開され、生々しい手記の内容と共に週刊誌が報じた。
遺族側は、改ざんを指示したとされる佐川理財局長(当時)と国(財務省)に対し民事訴訟を起している。民事訴訟に際し、同手記の公開に踏み切ったと思われる。
公務員は公務中の活動につき退職後その責任を問われないとしている。他方政府(財務相側)は、改ざんを強いられ自殺した職員が残した記録と政府の考えとは一致しているとして、再調査はしないとしているが、それは財務省(佐川元理財局長)が近畿財務局を介して同職員に改ざんを執拗に強いたことを認めたに等しいので、国家(財務省)責任は免れそうにない。
1、「新証拠」となる改ざん指示を受け自殺した職員の「手記」
同手記によると、森友学園側への超低価格での国有地売却に安倍首相夫人の影響が国会で問題になり、首相がそれを強く否定したことから、超低価格での国有地売却の経緯を記した公文書(本部財務省理財局への超低価格での売却に繋がる報告、申請書類などと思われる)を改ざんすることになった模様であるが、その指示は「すべて、佐川理財局長(当時)の指示」と明記され、また直属の上司である「近畿財務局長に報告したと承知」とも記されていると報じられている。近畿財務局への具体的な指示は本部理財局よりなされたものであろうが、指示は、「資料は最小限にする」、「できるだけ資料は示さない」など詳細で、関連文書の改ざんは佐川理財局長(当時)の指示により組織的に行われたとみられる。
 ‘死人に口なし’とは言われるが、上層部より指示を受け、既に決済された公文書を改ざんした職員が残した「手記」であれば、この事案の「新たな証拠」と言える。
森友学園問題で、不当に安い価格での国有地売却により国に損を掛けた背任の疑いや公文書改ざん、関係文書・資料の保存期限内廃棄等が疑われたが、当時この事件を担当した大阪地検特捜部の女性特捜部長が佐川元理財局長を不起訴としたが、その後間もなく函館地検に転勤となり、昨年末に大阪地検の次席検事に栄転しているようだ。本件は、検察審査会での再審要請についても不起訴とされている。
 改ざんした職員が残した「手記」という新たな証拠が明るみに出た今日、捜査のやり直しが検討されなくてはならない。

 2、財務省の再調査は不可避か!
 この「手記」に関し問われ麻生財務相は、2018年6月に財務省の調査は公表されており、「手記と調査報告書の内容に大きな乖離があると考えていない」と述べ、再調査は今考えていない旨明らかにしている。安倍首相も再調査は必要ないとしている。
 しかし「手記と(財務省)調査報告書の内容に大きな乖離がない」とすると、財務大臣は佐川元理財局長の指示で公文書を改ざんし、多量の関係文書を廃棄させていたことを知っていたことになり、事態は深刻だ。いずれにしても「手記」
が、佐川元理財局長の指示であったこと、及び、関連公文書を改ざんし、本来の文書類が廃棄されていることが明らかになった以上、再調査は不可避のように思われる。

3、公文書の廃棄、改ざんの前例としてはならない森友学園事件
この森友学園事件で公文書の保存期限内廃棄、国会や検察はもとより、マスメデイアやコメンテーター等が改ざんを見過ごしてきたことが、その後の防衛日報の隠蔽、加計学園問題など、更には「桜を見る会」での招待者リストの廃棄、データの破壊等を招いているのではないだろうか。
それをどこかで止めないと、善意の公務員が不正を強いられ、不幸の連鎖が起こることになると共に、公平、公正であるべき正義は守られず、国家機構や民主主義体制自体が劣化する恐れがある。(2020.3.25.)
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マイナンバー、官庁のためのユアーナンバーにしてはならない! (追補版)

2022-04-24 | Weblog
マイナンバー、官庁のためのユアーナンバーにしてはならない! (追補版)
 <はじめに>2021年11月10日、新内閣発足に伴い、与党自民党と公明党がマイナンバー普及のため、総額2万円のポイントをそれぞれの段階で付与することで基本合意した。マイナンバーカード実施から6年近くになるが、登録率は未だに40%程度でしかない。
 その普及のため、2万円のポイント付与をこの時点で行うことは、この制度自体への国民の理解が進んでおらず、広範囲の個人情報の国家把握、相続税を含む徴税強化、情報流出と悪用、及び煩雑な操作・行政事務などが危惧されていることを如実に示している。行政当局は、その普及のため更に税金を使うのでは無く、税申告に関係する所得や個人財産を含む広範囲な個人情報を包含するマイナンバーは、制度設計上の誤りであり、国民に理解されていないことをただちに認め、適用範囲を社会福祉関係に限定し、国民の理解を得やすいよう、簡素化することが望ましい。このまま税金を使って奨励・普及することは2重の不効率であると共に、何時起こるかも分からない大災害の時の安否確認や救済・支援には中途半端にしか役だたないこととなるので、早急な対応が必要となっている。大災害は待ってはくれない。
 
 コロナ禍対策のため実施された一律10万円給付が、4月30日の第1次補正予算成立を受けて実施に移されたが、一律給付が最も早く配賦できるとの触れ込みにも拘わらず、日時を費やし、7月になってようやく見通しがついた。この配賦の遅れの原因の1つとしてマイナンバーの普及率の低さ(約16%)に加え、申請システム設計の複雑性などが指摘された。そのため総務省を中心として、銀行口座登録の義務化や個々人の医療関係情報の記載などによる適用分野の拡大などが検討されている。
  1、一律10万円給付の遅れはマイナンバー制自体の問題ではない
マイナンバーの普及率は、実施から4年半以上経過しているのに16%程度の低率に止まっている。従って、仮にマイナンバーの利用により迅速に給付できたとしても、全体の16%程度しかカバーできなかったはずである。残りの84%が問題だったということになるが、実際はマイナンバーも機能しなかったことが、マイナンバーに労力が集中され、それが煩雑で機能しなかったため、郵便等への対応が遅れた事による。マイナンバーが複雑で国民に受け入れられていないことが明るみに出たと言えよう。
 米国は、大統領選挙の年でも有り、日本に先立ち一律給付を実施したが、ソシアルセキュリテイ・ナンバーに基づき、「小切手」が直接各個人に送られている。ソシアルセキュリテイ・ナンバーは、米国民や米国で働く者が誰でも加入できるもので、これがないと将来的な年金と公的機関からの社会保障が得られないのでほとんどの人が所持している。
 恐らく、日本も郵送等により実施していたら、もう少し円滑であった可能性がある。行政が普及率の低いマイナンバーに固執したことが一律給付を阻害した形となった。行政が、マイナンバーの普及率が16%でしかないことへの認識不足とこれに固執するミスジャッジを認識することが必要だろう。

2、国民のためではないマイナンバー!
 政府(総務省)は、一律給付金の配賦のもたつきへの反省から、銀行口座記載の義務化や、医療診療関係情報の記載などの分野の拡大などを検討している。同時に普及促進のため、新加入者がキャッシュレス決済のカード等を登録するとポイント付与(マイナポイント)とテレビなどでの普及を行っている。
 政府の認識が大分ずれているのではないだろうか。実施後4年半以上経って普及率が停滞しているのは、国民側が、メリットを余り感じない一方、機微な個人情報の流出や国家管理の強化を恐れているからであろう。政府側がまずこの点を理解しない限り、改善、改革などと行ってみても、国民の財産把握を含めて国家管理し易くする所詮政府寄りのもので、システムが複雑化し、関係官庁には好都合であろうが、国民にとってはほとんどメリットとはならないものになってしまう恐れがある。関係官庁はまず、国民が不安、不要と感じている諸点をそぎ落とし、国民に不安がないようにすることが求められる。
 マイナンバーには既に、住所や本籍、家族構成、年金、健康保険や一部銀行口座・カード情報、所得、税金関連情報等が入っている。これだけでも外部に流失し、犯罪グループの手に入ったら、大きな被害を受ける可能性がある。マイナンバーは法律上加入「任意」としているが、税の申告に当たっては記入事項とされ、また銀行口座や証券投資の際には執拗にマイナンバーを執拗に照会してくるので、登録した人は納税申告関係や銀行口座、不動産を含む資産情報など、個人にとっては大変重要な情報が記録されることになる。
 現状でも、マイナンバーを日常的な支払いやポイント記録などに使用すると、流失や紛失の恐れが高くなるので、持ち歩くことは大変危険であろう。
 更に総務省は、決済サービスのためキャッシュレス使用を登録するとポイントが付くマイナポイントが9月1日より実施されている。そのためにテレビ広告やポイント付与のため、税金を使うということであり、筋が違う。国民がマイナンバーに利点を感じれば加入するだろう。総務省がポイント付与をしてまで普及を図っている事実こそが、国民がマイナンバーに利点を感じていない証拠である。いずれにしても納税関系では、マイナンバー保持者が亡くなると、銀行口座、証券、不動産等があっというまに凍結され、残された者は一円も自由にならず、銀行口座については少額の引き出しは可能になったが、諸費用捻出に苦労することにもなる。
 また医療・診療情報も入れることが検討されているが、医療・診療情報は非常にプライベートなもので、他人に見られるのは気が進まない。ましてや政治家や入社試験、管理職候補などについては、医療・診療情報が万一にでも外部に流出すると昇格・昇進等にとって致命傷になる恐れがある。

 3、現在のカードは官庁のためのユアーナンバーでしかない!
しかし現在のマイナンバーは、税金関係の役割が強く、投網のごとく税申告者を把握し、確実に徴税するために好都合になっている。5年に1度、国勢調査が実施されているが、国勢調査で記載された個人情報は国税庁、警察・公安には明らかにされず、徴税や犯罪調査には利用されないことになっている。国民の協力を得やすくするためだ。
現在のマイナンバーは、国税庁(税金)を含め全ての行政分野が対象で、対象で所得、年金・医療保険、銀行口座、証券、不動産などが全ての個人情報が記載される。国民には年金掛け金納付、健康保険料納付や納税義務があることは分かっているが、このように網羅的に資産状況が国家に把握され、義務の履行が管理、監視されることになると、国民の国家管理の色彩が強くなる。その上情報流失の危険性がある。少なくても国勢調査同様のものとし、国民の生命、安全を守ること中心とする個人の存在基盤と福祉分野に目的を絞り、抜本的に簡素化することが望ましい。
また情報管理のため各種の防護措置が講じられてはいるが、それは逆に操作を複雑にしている。1つ入力を間違えると前に進められなくなり、複数回誤入力すると凍結されてしまい、解除に時間と労力が掛り、悩まされることになる。結局は、利用者の手間や負担を増やし、行政側を楽にするシステムでしかない。その意味でも現在のマイナンバーは、行政のためのユアーナンバーでしかない。
関係官庁の担当官や専門家が集まり、官庁側に必要な個人情報を網羅し、その上に本人確認やその他のなりすまし排除のための防護措置を掛けるのだから、普通人には理解困難な緻密で複雑な制度設計、システムとなる。それでなくても各種申請書は複雑で、馴れている人でもなければ記載に手間取る。それがインターネットとなると、各種のチェック措置が加わるので、一般人には操作が複雑で難しくなる。書類によるアナログ世代にとってはなおさらのことだ。

4、国民を守るためのマイナンバー制度に限定すべし
 国民の年金・医療保険などの厚生福祉、緊急時の安全確認など、国民の基本的な権利と行政手続きの簡素化など、国民の福利に絞ったナンバーであれば、国民もこぞって加入し易くなろう。それを支えるのが国や地方自治体の業務であり、義務ともなる。またカバーする分野を絞ることにより、利用者側は普段持ち歩く必要も、情報流失の際も影響が限定され、犯罪グループへの露出度を少なく出来る。それでも米国のソシアルセキュリテイ・ナンバーよりも複雑だが、国民の福利にとって心強いものとなる。そのような改革が望まれる。

5、行政のIT化促進は行政の更なる肥大化、複雑化の恐れ
 IT化は、情報を多量に処理できるので、仕事をどんどん増やし、行政の肥大化を呼ぶ恐れが強く、万能ではない。
(1) IT化とともに、旧来事務の廃止、整理を行うことが不可欠であろう。
同時に、制度設計の簡素化、単純化に常に留意しなくてはならない。
 デジタル化は、一見効率的に見えるが、そのためには膨大な情報入力作業に加え、情報の迅速な更新が必要であり、必ずしも省力化には繋がらない。情報が常に更新されないと適正な情報把握も対応も難しい。国民年金については、ペーパーからデジタルに移行が図られた際に膨大な記録ミスやご記載があり、多くの年金が消えた事例や、年金情報の漏出や犯罪への利用なども見られている。
 行政当局は、情報の入力、更新を直接できないので、外部委託し、その業者は国内外の会社に再委託するなどが通例となっている。そのためには追加的な予算が必要となり、国民の負担となる。
(2)ITにより一律のサービスを確保出来るが、プログラムから少しでも外れるとエラーとなり、凍結してしまうなど、融通が利かず、非常に硬直的、事務的となる。
(3)保秘やデジタル攻撃に留意する必要がある。そのためにパスワード等を加えると、更にシステムが複雑になる。セキュリテイを強化すればするほど、煩雑となり、エラー、凍結なども多くなり、利用者の負担が大きくなる。
(4)公文書、公的文書類の保存・管理の問題が深刻だ。森友学園問題での公文書改ざんや自衛隊の日報問題、或いは「桜を見る会」などでは、コンピューターに蓄積された記録でさえ廃棄されたと報告された。そのようなことはほぼあり得ないが、問題が生じた時にすべての関連コンピューターを押さえ、調査できるようにするなど、文書管理が非常に難しくなるので注意が必要だろう。重要な文書は、アナログの紙で保存する必要もあろう。 

6 、ITの脆弱性
 更にIT化により電気と電波への依存が大きくなり、電気や電波という生活インフラがダウンするとITは動かなくなる。大規模災害が起こり、基礎的生活インフラが破壊されると、麻痺状態になることはこれまでも経験している。またシステム管理・維持と共に、サイバーテロ等への備えも必要となり、それに問題が生じるとITは作用しなくなる。どんなにセキュリテイを強化しても、それはいずれ誰かに破られる。これらのITの脆弱性を認識する必要がありそうだ。
 従ってITへの過度の依存は国民生活全般を麻痺させる可能性を高めることを十分認識する必要がある。
 マイナンバーカードの安全と普及のためには、機能を国民の本籍と住所に基づく福利厚生に限定し、機能を分散することが不可欠だ。
 (2020.9.1.&9.19.及び2022.2.15.加筆)
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石油価格高騰、なぜ特別税率を停止しないのか?

2022-04-23 | Weblog
シリーズ本音トークー石油価格高騰、なぜ特別税率を停止しないのか?
 石油高騰により、レギュラーガソリンが170円/リッターに迫る中、政府(経産省)は、レギュラーガソリンが170円を超えた場合、卸売業者にリッター当たり5円の補助金を出す方針を明らかにしている。
 それにより少しでもガソリンが安くなれば多くの国民、運送業者、物流業者等にとって喜ばしい。しかし補助金分だけガソリン代が下がるとは限らない上、
補助金の財源は所詮国民の税金であるので、税を徴収して配るという施し政治、金権政治をまた行うことになる。所得960万円以下を対象にして、18才以下の子供に10万円給付という施し政治についても、その目的の不明朗さを含めて批判が多い。
 ガソリンには、消費税の他、いわゆるガソリン税が課されている。その1つが「特別税率」(道路財源確保のための旧暫定税率)で、ガソリン税の約半分の25.1円となっている。旧暫定税率は1970年代の高度成長期に、自動車の普及と共に国中で道路建設が行われていた時代の名残りで、「暫定」と言いながら2011年ころまで継続していたが、東日本大地震を契機に批判が高まり、民主党政権時代に一時廃止されたものの、福田(康)自民党政権で「特別税率」と看板を変えて復活された。財源確保のためでしかない。
「特別税率」については、トリガー条項があり、ガソリン価格が3カ月連続でリッター160円を超えた場合、上乗せ分25.1円の課税を停止することが出来る。
現在正にトリガー条項を適用すべき時期ではないだろうか。ところが松野官房長官は11月16日の記者会見で、財源確保の観点から否定的意見を表明した。
コロナ禍で経済が停滞する中で、一部野菜や小麦、牛肉などが値上がりし、カソリン代の高騰で多方面に亘り困っているのに、法律で決められていることを拒否する政府というのは一体どういう政府なのだろう。
もっとも日本の経済全体を見るべき日銀総裁が、ガソリンや一部価格の上昇の影響は、余り大きくないなどとしているのも違和感を覚える。
 明年夏の参議院選挙を前にして、補助金や給付金等の施し政治、金権政治を継続する空気が自・公政権内に強いことを受けてのことであろうが、何時までこんなことを続けているのだろうか。(2021.11.18.)
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金融財務行政の危うい異常な同質性! <再掲>

2022-04-23 | Weblog
平成の本音―金融財務行政の危うい異常な同質性! <再掲>
 7月10日(2018年)、麻生金融相(財務相)は、金融庁長官として遠藤俊英監督局長(旧大蔵省出身、東大法卒)を起用する人事を発表した。同時に企画市場局長として三井 秀範検査局長(旧大蔵省出身、同法学部卒)、総合政策局長に佐々木 清隆総括審議官(旧大蔵省出身、同法学部卒)などを発表した。
 一体何、この異常な同質性は!?金融庁長官を含め主要幹部が東大法卒で、旧大蔵省出身である。
 更に更に、中央銀行の黒田総裁も同じく法学部卒だ。また財務次官として星野次彦主税局長を昇格させたが、同人も同法学部卒である。
 日本経済の根幹となる金融財政行政のトップを含む主要幹部がすべて東大という特定の大学というだけでなく、日本の財政、金融政策を担当するにも拘わらず幹部が全て法学部卒という異常な同質性となっている。
 法学部卒だからどうだということを言うつもりは更々ない。現代社会においては法律、規則は不可欠であり、国家や行政各部にもそれをチェックする法律部や法律専門家は不可欠だ。金融・財政行政においても、国会で法律、規則を作り、それの基づき監督等することが必要であるので、法律専門部局や法律専門家は必要である。
 しかし金融・財政行政を進める上で、法律以前に必要な経済、金融実態や必要と思われる政策の効果や弊害を正しく理解することが必要である。
 なんでもかんでも法律、規則を作ればそれで良いということでもない。それは諸分野で自由な活動、自由な市場を規制し、自由が失われて行き、あたかも社会主義、共産主義のような中央統制国家となり、自由な経済活動や自由市場を制限、規制するという弊害をもたらす可能性が高い。
 また法律、規則は一度作って明文化してしまうと、文言が本来の意図を離れ独り歩きすることが多い。本来の趣旨を離れ、敢えて規制や罰則を科す必要がなくても、なんと説明しようと「規則ですから」ということになる。身近な例からすると、「放置自動車(自転車)」、自動車の路上「放置」だ。
 本来、閑散とした道路や山道などに放棄する目的で「放置」されていた自動車などを取り締まるために、駐車違反とは異なる「放置」を取り締まりの対象にしたものと見られる。広辞苑にも「放置」は、「かまわずに、そのままにして置くこと」と説明されており、それが常識的な認識だろう。しかし、「放置」自動車は、駐車禁止区域かどうかなどは別として、自動車を幹線道路から入った片道2車線の閑散とした道路に止めても、「車から離れ、直ちに運転できない状態」とされ、何らかの理由で1分でも自動車を離れると、何処からともなく現れる請負業者が「放置」の通告書を車に張っていく。理由や時間を問わない。熱中症予防にコンビニで飲料水を求めていたなどと説明しても「法律です」と言われ、状態により1分でも18,000円から15,000円罰金を支払わされる。
 直ちに戻って運転して移動することが前提であり、「かまわずに、そのままにして置くこと」ではないので、非常識な法律解釈であり、常識に外れた取り締まりと見える。もっとも実際に取り締まっているのは、駐車・駐輪違反同様、警察・公安当局から委託を受けた下請け業者であり、行政下請けビジネスとなっているので、取り締まりが多ければ儲かるシステムになっているようだ。
 その後の取り締まり強化と国民の理解で「放置自動車」は現在減少しており、放置取り締まり関連法はその本来の目的を達しているの、で業者による取り締まりを廃止しても良い時期であろう。しかし警察や公安当局の予算上は委託費が毎年ついているので、行政ビジネスを維持するためには、非常識でも取り締まりを強化するということになるのだろう。法律が、国民の行動を制約した上、非常識な罰金で国民に負担を掛けるという2重の弊害を出している例だ。
 金融・財政行政の法律専門家に異常に偏った人事構成は、金融経済の実態を理解せず実態に即した柔軟な政策を見誤る弊害と法律優先の管理経済、規制経済に走る2重の弊害となることが懸念される。同時に人事面での閉鎖性が不健全な人間関係、モラルやコンプライアンスの低下を引き起こす結果となっているのだろう。(2018.7.22.)
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世界の公的債務激増、世界経済への暗雲

2022-04-23 | Weblog
シリーズ本音トークー世界の公的債務激増、世界経済への暗雲
 世界通貨基金(IMF)の報告書によると、2020年の先進工業諸国(日米欧など27か国)の国民総生産(GDP)に対する政府の債務残高の比率が、前年よりも23.5ポイント上昇し、128.2%になるとしている。第2次世界大戦直後の1946年に記録した124.1%を上回る。
 同報告書によると、世界各国の武漢発コロナウイルス禍に対応する経済対策の総額は、少なくとも11兆ドル(約1,170兆円)に達する。財政出動(減税を含む)の対GDP比率では、米国が12.3%、次いで日本(11.3%)、ドイツ(9.4%)、豪州(8.8%)、ブラジル(6.5%)、英国(6.2%)の順となっている。
武漢型コロナウイルス禍は安全なワクチンや効果的な治療薬が実用化されるまでは継続すると見られ、米国初め多くの国が追加的経済対策を検討、実施する可能性が高いので、各国の公的債務残高は更に積み上がる可能性が高い。IMFは一方で未だ危機を脱したわけではなく財政措置は必要とし、感染拡大の収束が見通せるまでは景気下支え策が不可欠としているが、際限なく公的債務残高を増やすことは世界経済にとり危険であり、難しい舵取りが必要になっている。
 1、際限ない公的債務の積み上げは国民への負担への転嫁となり懸念大
 問題は、こうした政府支出が税収から賄われている限り問題はないが、国・
公債などによる政府の借金により捻出される場合が問題となる。
 日本の場合、公的債務総額は既に1,114兆円を超え、国民総生産の2.4年分を超える膨大な借金を抱えている。更に2020年度予算では、コロナ禍対策で2度の補正予算を組み、それだけで約25兆円規模の国債を発行し、本予算を含め何と約180兆円にも及ぶ戦後最大の国債を発行し、世界の借金大国の座を不動のものとしている。
 世論調査では、財界や自・公与党支持層を中心として、これまでの経済政策の継続を希望する向きが強いようだが、それは国民総生産の2年半分を超える政府の借金で賄われており、目先の支持は得られるだろうが、いずれ国民が税や高インフレなどにより負担を強いられるもことになる。国民はそれを十分認識する必要があろう。
 2010年1月にギリシャで従来よりの放漫財政が表面化し、債務残高も国内総生産の113%に達していることが明るみに出るなど、経済危機に陥り、EUから緊縮財政が求められた。結局、一番困るのは国民だ。武漢発のコロナの感染拡大後、既にレバノンやアルゼンチンが債務不履行に陥るなど、世界各国で財政危機に陥り始めている。財政の規律、財政の健全化に留意する必要がある。

 2、IMFが語っていない膨大な信用増発による世界インフレの危険
 更に、IMFの報告書に今回書かれていないことがある。それは中央銀行等による信用の増発だ。アベノミクスでは、中央銀行による「異次元の金融緩和」が行われ、下がり始めていた円安が更に円安となり、輸出やインバウンドの外国人観光客などで関連産業が潤い、株価も上昇し、一定の経済効果があったと言えよう。金融緩和は2008年のリーマンショック後、継続して取られてきた政策で、アベノミクスで金融が更に緩和され、7年8ヶ月に亘り一本調子で金融緩和が維持されてきた。金利もマイナス金利となったままだ。更に1月以来のコロナ禍対策の一環で金融緩和が一層強化され、もはやタガが外れ、無制限に膨大な信用供給が行われている。株価はコロナ禍以前の水準を取り戻し、一部の機関投資家や株屋、大株主などにだぶだぶと金が溜まっている。他方、実体経済は年率マイナス30%前後が予想され、財政支出と金融緩和の恩恵を受けている企業を除き、ほとんどの企業が大幅な赤字予想となっている。航空、観光、外食産業などは減収にあえいでいる。信用が増発されても金の行き場がないので株やゴールド、骨董などに流れるのも分からないではない。
そんなことが長続きする訳もないし、一部の機関投資家や株屋、大株主などにだぶだぶと金がため込まれているのも問題視されそうだ。またハイパーインフレの危険性もあり、銀行預金を含む金融資産は紙くず同然になる恐れがある。国債なども紙くず同然になろう。

 3、財政規律、金融規律の回復が不可欠
 本来であれば、安倍自・公連立政権の間に財政・金融規律を回復し、財政の健全化と金融の正常化が図られるべきであったのであろう。自・公連立政権は国会で圧倒的な多数を保ち、権力を維持してきたので、それが出来たはずだ。一般家庭でも、将来の困難に備え、貯蓄をし、節約をする。それを行っていた人はコロナ禍もなんとかしのげる。国家レベルでは全国民の生活のためであるので、財政・金融規律を回復し、財政の健全化と金融の正常化は不可欠であったのだろう。
 もっとも、国民が選んだ政権が行った政策とも言えるのだが、果たして国民に政策の意図や副作用の危険性、国民に戻ってくる負担などについて公正に伝えられていたか疑問である。
 最近のマスコミの報道や論評などはどうも政権への忖度が強く、企業利益優先で短絡的で無気力に響き、マスコミ力が低下しているように映る。知識人と言われる国・公立の教授等も所詮教職に従事する公務員であるので自然に政府寄りであり、また専門家やコメンテーターなども仕事優先で世論迎合型になるのも仕方が無いのかもしれない。情報番組にお笑い系のコメンテーターが多くなっているが、視聴率稼ぎでしかないのであろう。だが1局や2局であればまだしも、NHKを含むほとんど全局でお笑い系が登場しているので、笑えない。民間研究機関に至っては、ほとんど全てが企業利益優先で、公正な研究機関としての役割を果たしているとは思えない。従って、多くの国民は一定方向の情報や分析、政策の選択肢しか見聞きすることはない状態になっているのではないか。
 それぞれの報道機関が特定政権や政党を支持、擁護する形で報道することは企業体である以上仕方ないことであるが、論調を国民に押しつけるのではなく、対立する意見や選択肢を提示して、国民に選ばせる姿勢が欲しいものだ。それがマスコミ力というものであろう。マスコミ力の低下は、民主主義の発展を妨げる。(2020.9.10.)
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マイナス金利はアベノミクス失敗の証し!ー再掲

2022-04-23 | Weblog
シリーズ平成の本音―マイナス金利はアベノミクス失敗の証し!ー再掲
 <はじめに>米欧諸国は、コロナウイルス対策のための大幅な金融緩和策の副作用に加え、最近の石油の高騰から、急速なインフレが懸念されることから、段階的な金利の引き上げを含む金融の引き締めに転じている。日本については、これらに加え大幅な円安から輸入物価の上昇が懸念されて中で、日銀総裁は「良い円安」や「良いインフレ」があるなどとして、2013年から長期に実施されている「異次元の」金融緩和策を継続するとしている。家計所得が安倍政権時代に低下している中で「良い円安」や「良いインフレ」などがあるのだろうか。(2022年3月27日補足)

 2016年2月16日、日銀はマイナス金利を導入した。マイナス金利については、政府も住宅ローンの金利低下などによる効果に期待を表明しており、短期的には一定の刺激策になる。しかし他方で、低迷している銀行・金融業を更に圧迫すると共に、国民は預金金利のゼロ化に加え、手数料と物価上昇を加味すると実質マイナス金利が拡大し、負担が増える上行き場を失った金は停滞する経済には還流せず、たんす預金や海外逃避として市場から消える可能性が更に強まるなど、中長期的にはマイナス効果が大きくなろう。住宅ローンの金利低下についても、借り換え需要は増えても、建設費・新規物件が高騰しているなかでの大口支出となるので効果はそれ程期待出来なさそうだ。
 しかしマイナス金利政策の最大の問題は、通貨供給の大幅緩和、2%のインフレ目標によるデフレからの脱却、賃金・物価の好循環というアベノミクスの失敗を意味することだ。賃金・物価の好循環が実現すれば、需要は上がり、景気回復と共に預金金利も上昇して行かなくてはならない。2013年1月から異次元の金融緩和、円安誘導が実施され3年強、輸出産業を中心とする景気の回復、賃金・物価の好循環が期待されると言われて来たが、マイナス金利政策は、自・公連立政権が自らアベノミクスではこのようなシナリオを実現出来なかったことを宣言しているに等しい。
アベノミクスでは、異次元の金融緩和による円安と放漫な財政支出いう2つの矢は放たれたが、第3の矢として期待された規制緩和などの成長戦略については見るべき成果は無かった。2015年9月の改造内閣で表明された‘GDP600兆円達成’などの‘新3本の矢’も‘矢’では無く、目標としての‘的’でしかないと言われている。その上、一億総活躍社会を目指すとして補正予算で低所得老齢者に3万円給付(総額3,500億円内外、補正予算の約1割)を打ち出す一方、多数の待機児童問題を放置し、働く女性の活躍の機会を奪うなど、的を得ていない選挙目当ての政策に終始している。政権側は、中国など世界経済環境の厳しさを上げているが、アベノミクスとはその程度のものだったと言いたいのだろうか。
更に、自・公連立政権によって法律で定められた2017年4月からの10%への消費税再増税について延期が検討されている。もし消費税再増税が延期されるようなことになれば、自・公連立政権の読みの甘さ以上に、アベノミクスの失敗を自らが認めることを意味する。
個人消費の低迷は、8%への消費税のためではない。3%の増税分は、3~5%内外のポイント還元や割引で相殺されており基本的な影響は少ない。国民の消費節約はもっと根深く、インフレ容認による生活用品の実質的便乗的な値上げと年金の目減り、消費増税・復興税・マイナス金利などの負担増を含む家計所得の実質減、将来不安であろう。政府のインフレ容認により飲食料他の生活用品などは、価格が軒並み2~3割内外高騰しており、消費増税率を遥かに上回る。価格が据え置かれているように見える商品も、ボトルやサイズが縮小し、実質的な値上げをしている。好例はバターで、2014年10、11月頃より高騰している上、棚から商品が消えている。酪農など農業失政の一例と言えよう。
(2016.4.9.)(All Rights Reserved.)
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靖国参拝はどこの国でもあることなのか!?(改定版)

2022-04-23 | Weblog
 靖国参拝はどこの国でもあることなのか!?(改定版)
 2013年8月15日、第2次安倍内閣が発足した年の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を収めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
 これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。信条、宗教の自由があるので、個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
 しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解したことにはならない。
 それから6年後の2019年8月15日、安倍首相は稲田党総裁特別補佐を名代として玉串料を収めた。超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長 尾辻秀久元参院副議長)の約50人(主に自民党と維新の会など)が集団で参拝した。また小泉進次郎議員などが個別に参拝した。
 稲田党総裁特別補佐によると、首相の玉ぐし料は私費で、個人名でなされたとし、『わが国の平和と繁栄が、祖国のために命を捧げた英霊のおかげであるとの感謝と敬意を表する』との言葉を預かったと伝えられている。
 日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
 1、靖国神社による“A級戦犯の合祀”の意味するもの
 日本のメデイアでも、首相、閣僚の靖国神社参拝は中韓両国との外交関係への影響として報道されることが多いが、この問題は、第二次世界大戦で沖縄が本土決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化すなど、甚大な被害を与えたことを考えると、日本自体の問題として考える必要がある。
 靖国神社は軍人、国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための特殊な神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人も祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国の連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、他の一般戦没者と共に1978年10月に靖国神社に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
 日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”や『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。

 2、戦争遂行責任を曖昧にしたままでは歴史認識は定まらない
 極東国際軍事裁判の公平性については疑問視する者も少なくないが、多くの国民は、300万人を越える人命と多数の都市に甚大な損害を与えた政府、軍関係者の結果責任は重大であり、そのような責任者までに『感謝と敬意』を表明することに強い違和感を持ち不条理を感じるであろう。
第二次世界大戦で軍人だけでなく、多くの民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導し、310万人もの日本人を失わせた結果責任は政府、軍責任者にあり、また統帥権を持っていた天皇についても少なくても監督責任はある。
 またこの戦争において、中国、韓国を中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その精神的責任を問われても仕方がない。それが現在も韓国と中国の間で問題として戦後74年経っても尾を引いている。歴史認識の問題である。歴史的事実については、誇張や曲解がありその点は改善が必要であり、また日本国民としての信仰、信条の自由があることも理解して欲しいところではあるが、このような状況では真の相互理解は今後とも難しい。
 そうだとすると、日本国民も日本の将来を左右する深刻な問題として戦争責任の問題を捉え、勇気をもって判断しなくてはならなそうだ。(2013.8.15. 2019.8.15.改定)
 2013年8月15日、第2次安倍内閣が発足した年の終戦の日に、総務大臣と国家公安委員長・拉致担当相、及び行革担当相がそれぞれ閣僚として靖国神社を参拝し、安倍首相が党総裁補佐官を名代として総裁名で玉串料を収めた。また自民党、次世代の党など保守派議員や小泉進次郎復興担当政務官などが参拝した。
 これに対し、官房長官は記者会見での質問において、“国のために命を失った方々に尊崇の念をもって参拝するのである”としつつ、“これはどこの国でも行っていること”として肯定した。
一面その通りだ。信条、宗教の自由があるので、個人の自由であり、この点は中国、韓国も理解し、尊重して欲しいところである。
 しかし、“これはどこの国でも行っていること”ではない。靖国神社は2つの面で日本独特の特殊な神社であり、それを理解しないと靖国参拝問題を理解したことにはならない。
 それから6年後の2019年8月15日、安倍首相は稲田党総裁特別補佐を名代として玉串料を収めた。超党派の議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長 尾辻秀久元参院副議長)の約50人(主に自民党と維新の会など)が集団で参拝した。また小泉進次郎議員などが個別に参拝した。
 稲田党総裁特別補佐によると、首相の玉ぐし料は私費で、個人名でなされたとし、『わが国の平和と繁栄が、祖国のために命を捧げた英霊のおかげであるとの感謝と敬意を表する』との言葉を預かったと伝えられている。
 日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。
 1、靖国神社による“A級戦犯の合祀”の意味するもの
 日本のメデイアでも、首相、閣僚の靖国神社参拝は中韓両国との外交関係への影響として報道されることが多いが、この問題は、第二次世界大戦で沖縄が本土決戦地となり、広島、長崎が原爆投下被害に遭った他、東京ほか主要都市が集中的な空爆被害に遭い、南太平洋に展開されていた軍人の他、一般民間人を含め約310万人もの日本人が犠牲となり、都市が焦土と化すなど、甚大な被害を与えたことを考えると、日本自体の問題として考える必要がある。
 靖国神社は軍人、国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として明治時代に建立されたもので、軍関係者のための特殊な神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人も祀られている。しかし特殊であるのは、戦後に戦勝国の連合国が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われたが、最も重いA級戦犯と判決された政府及び軍の指導者が、他の一般戦没者と共に1978年10月に靖国神社に合祀されたことにある。A級戦犯として東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人が死刑判決を受け、これら7名ほか戦争遂行責任者が靖国神社に合祀されている。
 日本人の多くも、日本のために戦い命を落とした人たちの冥福を祈る気持ちには変りがないのだろう。しかし靖国神社には、戦争で命を落とした人達だけでなく、大東亜戦争を経て太平洋戦争を主導、遂行した軍、政府の責任者が祀られており、この人達に対し“感謝の気持ちと尊崇の念”や『感謝と敬意』を表すとは一体何なのであろうか。

 2、戦争遂行責任を曖昧にしたままでは歴史認識は定まらない
 極東国際軍事裁判の公平性については疑問視する者も少なくないが、多くの国民は、300万人を越える人命と多数の都市に甚大な損害を与えた政府、軍関係者の結果責任は重大であり、そのような責任者までに『感謝と敬意』を表明することに強い違和感を持ち不条理を感じるであろう。
第二次世界大戦で軍人だけでなく、多くの民間人を含め日本人が310万人ほど命を失っている。少なくてもこの戦争を主導し、310万人もの日本人を失わせた結果責任は政府、軍責任者にあり、また統帥権を持っていた天皇についても少なくても監督責任はある。
 またこの戦争において、中国、韓国を中心として多くの命や財産などを奪ったことも事実であり、その精神的責任を問われても仕方がない。それが現在も韓国と中国の間で問題として戦後74年経っても尾を引いている。歴史認識の問題である。歴史的事実については、誇張や曲解がありその点は改善が必要であり、また日本国民としての信仰、信条の自由があることも理解して欲しいところではあるが、このような状況では真の相互理解は今後とも難しい。
 そうだとすると、日本国民も日本の将来を左右する深刻な問題として戦争責任の問題を捉え、勇気をもって判断しなくてはならなそうだ。(2013.8.15. 2019.8.15.改定)
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靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)

2022-04-21 | Weblog
平成の本音―靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)
 衆議院選挙中の2017年10月17日、安倍自民党総裁は、靖国神社の秋季例大祭に際し、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して真榊の鉢植を奉納した。これに対し、野上官房副長官は記者会見において、‘総理が真榊を奉納したとの報道は承知しているが、私人としての行動に関するものであり、政府として見解を述べる事柄ではない’とし、‘靖国神社を参拝するか否かは総理が適切に判断される事柄’と述べた。靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか
 どうも官邸側の説明振りが、何時もの通りで、どうも正確を欠く。「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して奉納しているので、‘私人としての行動’とは言えない。誰の目から見ても、「内閣総理大臣 安倍晋三」の奉納物である。どうして国民をごまかすような説明をしなくてはならないのか。どうして国民に正面から正直に説明しないのか。
 どうしてマスコミやTVコメンテーターがこの点に疑問を呈さないのか、不思議だ。また一部マスコミは、参拝でなく、まさかきの奉納だから問題がないような印象を与えているが、参拝も奉納も、信仰という点では変わりはない。この点を指摘しないのも不思議であり、マスコミ力の低下なのだろうか。
 靖国神社は、他の神社とは異なり、政治的な色合いや政治姿勢に関係する。中国や韓国が歴史認識の上で問題視していることは別として、天皇を中心とする独裁的な政治体制とするか、軍事力を認め軍国主義的な国家体制とするかなど、基本的な政府の在り方や、憲法改正の方向性などにも関係する問題なのである。
 靖国神社は、明治時代に統帥権を持つ天皇の下で国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者も祀られている。しかし戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われ、東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人がA級戦犯として死刑と判決された。これら7名他の政府及び軍の戦争遂行責任者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀された。
 極東国際軍事裁判については、米英を中心とする戦勝国が主導したもので、日本国内には、特に新保守主義グループは裁判の公平性等に、異議を唱える者がいる。戦後、日本国内で天皇を含め時の政府の戦争責任が総括されたことはないので、戦争責任については曖昧なままになっているのが現実のようだ。
 しかし、東條英機首相などA級戦犯が1978年10月に靖国神社に合祀された後、終戦を宣言した昭和天皇を靖国を参拝しておらず、また現行天皇も参拝していない。
 首相や新保守主義と見られる議員等は、天皇が2代に亘って参拝しない靖国神社を何故参拝し、或いは榊を奉納するのだろうか。安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に際し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁しているが、真榊を首相名で奉納したことは、A級戦犯となった人々を含めて「尊崇の念を表し、ご冥福を祈った」のであろう。しかし、ここで誤った言葉の綾がある。「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」云々とあるが、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」は一般将兵であり、戦犯と呼ぶか否かは別として、東條英機首相はじめ時の政府及び軍の首脳部は、第2次世界大戦を決断し、主導した責任者であり、200万人余に及ぶ兵士、軍関係者を犠牲にし、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆投下を含めて100万人以上の一般市民を犠牲にした責任者であるので、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」としてひっくるめて表現するのは誤りではないだろうか。
天皇は昭和天皇も平成天皇も靖国参拝をしておらず、いわば天皇の意に反してこれら議員等は参拝し、榊を奉納していることになる。
 これら自民党グループは、憲法改正を唱えているようだが、基本的に天皇制を擁護し、‘日本は天皇を中心とする神の国’などとの考え方に立って、天皇を‘国家元首’として憲法に規定し、天皇制の恒久化を図り、また軍事力の保有を実質的に認め、保守政治を常に政治の中心に据えることを意図する一方、天皇を祭り上げて内閣が実権を握ることを意図しているように映る。いわば天皇を利用して保守政権の恒久化を図ろうとしているとも解釈出来そうだ。この信条は、森友学園の復古的教育方針に共鳴した安倍首相と同夫人の姿勢に通じる。
これら議員グループは、第2次世界大戦突入を決断し主導した天皇を含む時の政府、軍の首脳部の責任をどう考えているのだろうか。
因みに、自民党の‘選挙の顔’となっている小泉進次郎自民党候補も、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しており、同一の信仰や歴史認識を持っていると言えそうだ。耳障りの良い言葉や一部マスコミの報道振りなどに惑わされず、個々の言葉や行動から国民自身が判断することが必要のようだ。(2017.10.17.)
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靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)

2022-04-21 | Weblog
平成の本音―靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか (再掲)
 衆議院選挙中の2017年10月17日、安倍自民党総裁は、靖国神社の秋季例大祭に際し、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して真榊の鉢植を奉納した。これに対し、野上官房副長官は記者会見において、‘総理が真榊を奉納したとの報道は承知しているが、私人としての行動に関するものであり、政府として見解を述べる事柄ではない’とし、‘靖国神社を参拝するか否かは総理が適切に判断される事柄’と述べた。靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか
 どうも官邸側の説明振りが、何時もの通りで、どうも正確を欠く。「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して奉納しているので、‘私人としての行動’とは言えない。誰の目から見ても、「内閣総理大臣 安倍晋三」の奉納物である。どうして国民をごまかすような説明をしなくてはならないのか。どうして国民に正面から正直に説明しないのか。
 どうしてマスコミやTVコメンテーターがこの点に疑問を呈さないのか、不思議だ。また一部マスコミは、参拝でなく、まさかきの奉納だから問題がないような印象を与えているが、参拝も奉納も、信仰という点では変わりはない。この点を指摘しないのも不思議であり、マスコミ力の低下なのだろうか。
 靖国神社は、他の神社とは異なり、政治的な色合いや政治姿勢に関係する。中国や韓国が歴史認識の上で問題視していることは別として、天皇を中心とする独裁的な政治体制とするか、軍事力を認め軍国主義的な国家体制とするかなど、基本的な政府の在り方や、憲法改正の方向性などにも関係する問題なのである。
 靖国神社は、明治時代に統帥権を持つ天皇の下で国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者も祀られている。しかし戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われ、東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人がA級戦犯として死刑と判決された。これら7名他の政府及び軍の戦争遂行責任者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀された。
 極東国際軍事裁判については、米英を中心とする戦勝国が主導したもので、日本国内には、特に新保守主義グループは裁判の公平性等に、異議を唱える者がいる。戦後、日本国内で天皇を含め時の政府の戦争責任が総括されたことはないので、戦争責任については曖昧なままになっているのが現実のようだ。
 しかし、東條英機首相などA級戦犯が1978年10月に靖国神社に合祀された後、終戦を宣言した昭和天皇を靖国を参拝しておらず、また現行天皇も参拝していない。
 首相や新保守主義と見られる議員等は、天皇が2代に亘って参拝しない靖国神社を何故参拝し、或いは榊を奉納するのだろうか。安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に際し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁しているが、真榊を首相名で奉納したことは、A級戦犯となった人々を含めて「尊崇の念を表し、ご冥福を祈った」のであろう。しかし、ここで誤った言葉の綾がある。「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」云々とあるが、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」は一般将兵であり、戦犯と呼ぶか否かは別として、東條英機首相はじめ時の政府及び軍の首脳部は、第2次世界大戦を決断し、主導した責任者であり、200万人余に及ぶ兵士、軍関係者を犠牲にし、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆投下を含めて100万人以上の一般市民を犠牲にした責任者であるので、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」としてひっくるめて表現するのは誤りではないだろうか。
天皇は昭和天皇も平成天皇も靖国参拝をしておらず、いわば天皇の意に反してこれら議員等は参拝し、榊を奉納していることになる。
 これら自民党グループは、憲法改正を唱えているようだが、基本的に天皇制を擁護し、‘日本は天皇を中心とする神の国’などとの考え方に立って、天皇を‘国家元首’として憲法に規定し、天皇制の恒久化を図り、また軍事力の保有を実質的に認め、保守政治を常に政治の中心に据えることを意図する一方、天皇を祭り上げて内閣が実権を握ることを意図しているように映る。いわば天皇を利用して保守政権の恒久化を図ろうとしているとも解釈出来そうだ。この信条は、森友学園の復古的教育方針に共鳴した安倍首相と同夫人の姿勢に通じる。
これら議員グループは、第2次世界大戦突入を決断し主導した天皇を含む時の政府、軍の首脳部の責任をどう考えているのだろうか。
因みに、自民党の‘選挙の顔’となっている小泉進次郎自民党候補も、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しており、同一の信仰や歴史認識を持っていると言えそうだ。耳障りの良い言葉や一部マスコミの報道振りなどに惑わされず、個々の言葉や行動から国民自身が判断することが必要のようだ。(2017.10.17.)
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