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北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問!(その1)(再掲)

2023-04-27 | Weblog
北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問! (その1)(再掲)
<はじめに> 2022年に北朝鮮は短・中距離ミサイル訓練や訓練や長距離ミサイルの発射実験などを頻繁に実施している。国連決議違反であり北東アジアの平和と安全保障ヘの脅威として遺憾で短中距離ミサイルについては日本のEEZの外側に落下しており、長距離については対馬海峡の上空ではあるが大気圏外での通過であり日本を標的にしたものではない。南北朝鮮は休戦状態ではあるが、敵対関係は解消されておらず、韓国も米国との軍事訓練をほぼ定期的に実施しており、ミサイルの開発・実験も行っている。北朝鮮を巡る米・韓と日本とは置かれた立場が異なることを認識し、冷静且つ現実的な対応が望まれる。このような観点から本稿を再掲する。(2022/10/28)

 北朝鮮は、2017年8月29日早朝(5時58分頃)、日本の津軽海峡から北海道襟裳岬上空の大気圏外を飛翔する形で太平洋公海上に達する中距離ミサイルの発射実験(飛行距離約2,700㎞)を実施し、朝鮮半島を巡り米・韓両国と北朝鮮の緊張が高まっている。北朝鮮が核兵器とその運搬手段であるミサイル開発を加速させる一方、米国は韓国にミサイル迎撃のためのTHAAD配備し、また3月の米韓合同軍事演習‘首斬り作戦’を実施したのに続き、8月に合同軍事演習を実施する中で、これへの反発と見られている。
 更に北朝鮮は、このような国際的な批判の中で、9月3日、地下核実験(6回目)を実施した。水爆実験とされている。また北朝鮮は、核爆弾を大気圏外の宇宙空間で爆発させ、電磁パルスにより地上に広範囲な被害を与えることも示唆している。電磁パルス攻撃については、宇宙空間の平和的利用の趣旨に反する上、軍事政策的にも、倫理的にも、人道的にも常軌を逸した考えと言えよう。
 このような中で、国連安保理は、石油の部分的輸出制限を含むこれまでで最も厳しい制裁決議を全会一致で採択した。北朝鮮の非人道的で常軌を逸した考え方が明らかになった以上、強い対応が必要になっていることは明らかだ。
しかし北朝鮮のミサイル発射テストへの日本の対応については疑問を残した。
 1、正確を欠く発表と過剰な反応
 日本は、8月29日午前6時2分頃Jアラートで警報を鳴らし、北海道、北陸を中心に広範囲で避難を呼び掛け、同6時7分頃北海道襟裳岬の上空大気圏外を通過した。首相は、‘ミサイルの発射直後から、その動きについては完全に掌握していた’としている。しかし、もしそうであるなら領空を含む日本の領域にはミサイル本体は向かって来ず、大気圏外(最高550㎞上)を飛翔することも分かっていたはずであるのに、何故‘これまでにない深刻かつ重大な脅威’として脅威を強調し、いたずらにJアラートを出したのか。過剰反応として疑問視される向きもある。
発表の仕方も‘日本(又は北海道)の上空を通過’等としているが、‘上空’と言っても、大気圏県外を飛翔したものである。多くの国民は、航空機のように地表に近いところを飛翔したのではないかと恐怖心を抱いたのではないだろうか。
 上空ということであれば、北朝鮮の上空には、米国他の軍事、非軍事の衛星が多数飛翔している。
 更に、日本政府当局は、‘ミサイルの破壊措置はとらなかった’としているが、ミサイル本体については大気圏外を越えて行くのだから迎撃などあり得ない。そもそも届かない。各地に配備されている迎撃ミサイルPAC3は、射程15㎞から20㎞の範囲であるので、ミサイル本体が日本を直撃するのであれば迎撃自体は可能であろう。しかし今回のような発射実験であればよいとしても、万一核や化学兵器などの弾頭が付いていたら、破壊すれば周辺地域への被害は甚大となろうし、目標となっている地域にも大きな影響があろう。切り離したブースター部分その他のミサイルの破片などの落下物にしても、それを正確に探知し、迎撃するのは至難の業であろうし、その破片が広範囲に飛び散る危険性は残る。
 日本海上のイージス艦の迎撃ミサイルにしても、射程は150km前後であり、中・長距離ミサイルとなれば発射直後の数分の間でない限り届かないであろう。それ以上に、日本が直接の目標となっていない限り、太平洋方面に向かっている発射実験のミサイルを撃ち落とすことは過剰防衛となろう。
 いずれにしても、落下してくる破片の場合は別として、ミサイルの弾頭部分を含む本体については、‘国民の生命と財産の防護に万全を期す’というのであれば、日本海上で落とすことが必要と言えよう。他方、領土、領空上で本体を迎撃する場合、命中しても甚大な被害があることを想定しなくてはならないであろう。
 米国防省相は、この時点で‘北朝鮮のミサイルは米国の脅威にはならない’としている。それを日本が撃ち落とす必要があるのだろうか。北朝鮮から米国の方向となる太平洋に向けて実験発射されたミサイルを日本が撃ち落とす云々の議論は、過剰な反応であり必要とは思われない。日本側が日米同盟を引き合いに出し、良く言って米国への‘忖度’なのであろうか。それともへつらいか。
 今回の北朝鮮のミサイル発射実験について、マスコミの報道や軍事評論家、コメンテータ等の‘ミサイル、日本上空を通過’との発言を耳にした多くの国民は、恐らく北朝鮮が日本に向けミサイルを発射したと受け止めたのではないだろうか。

 2、Jアラートの在り方
 訓練のため必要としても、次のような問題点があり、課題が多い。
 ・弾頭をつけていない‘発射実験’の段階と、実際の攻撃の目標となっている場合との区別を明確にすること。そのため、正確な表現での情報発表が不可欠。そうでないと、狼男になる恐れがある。
 ・アラートがかなり広範囲に出され、不必要な不安感を与える。
 ・アラートからミサイルが到達するまでの時間が4~5分前後と短く、且つ郊外や地方には‘強固な建物’が近隣にない場合が多いとの感想がほとんどだ。
 ・迎撃ミサイルPAC3については、事前の北朝鮮側の情報が‘山陰、四国の上空を超え、グアム近海に向けて’ということであったため、PAC3を沖縄のほか、島根、高知などに展開していたが、実際は‘北海道上空(大気圏外)’であったため、迎撃態勢が飛翔地域においては手薄になる結果となった。北の情報にかく乱された形となったが、実践においては更に巧妙な情報かく乱や無警告の攻撃も想定されるので、防御態勢において抜本的な課題を残したと言えよう。
北朝鮮等の攻撃は、基本的には日本海方面からと考えると、日本海側に防御網を設けて行く必要があろう。
 そのために自衛隊員と防御兵器を増やし続けることは困難なことは明らかであるので、新たに隊員数や兵器の増加を図るのではなく、隊員総数や予算の増加を最小限に留め、既存の隊員や武器の抜本的な再配転を図るのど、効率的で効果的な防衛体制を整えていくことが望まれる。増員、増額であれば誰でも出来る上、日報問題で露呈した内部統制への不信の中で、利権が更に拡大し、管理、実施能力面での問題が高まる恐れがある。従って、無制限に防衛能力を拡大することは望ましくないのではなく、節度ある予算が必要だろう。

 3、北朝鮮側に日本へ一定の考慮が (その2に掲載)

  この問題は、これまで以上に機微で厳しい警戒が必要になっているが、いたずらに脅威を強調することなく、総合的な熟慮としたたかな対応が必要になっていると言えよう。
(2017.9.10.)(Copy Rights Reserved.)
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日本は安全保障音痴か? (再掲)

2023-04-27 | Weblog
日本は安全保障音痴か? (再掲)
<はじめに> 現在臨時国会での2次補正予算の審議と並行して、2023年度予算の政府原案の詰めが行われている。その中で政権与党から声高に要請されているのが、北朝鮮の核・ミサイル開発など北東アジアの緊張が高まっていることを背景として、「反撃能力」の保持とミサイル増強を含め、5年間で安全保障関連費をNATO水準のGDP2%(現行防衛予算の2倍)達成目標だ。現下の情勢を考慮すると防衛力強化は必要だろう。しかし、現在日本は何処の国とも武力紛争はもとより軍事的敵対関係にはない。またNATO(米国、欧州諸国の対ロシア軍事同盟)は欧州や世界の安全保障に一定の役割を果たしているが、日本はNATOの同盟国ではなく、NATO基準に縛られる必要はない。NATOの急速な東方拡大と攻撃的、硬直的対ロ姿勢については直ちに賛同できるものでもない。
 更に現在日本は統一教会(国際平和統一家庭連合)が自民党に広範に浸透し、攻撃的な勝共思想など政策面でも影響を与えてきたと見られている。同教団は北朝鮮と軍事的に対決している韓国に本部があり、多くの日本国民に被害を与え、いわば日本国民の財産・精神・生活の安全保障上の現実的脅威となっている現実があるので、まず国内にある国民への脅威を除去する必要がある。 
 日本は日本として、国民の最大の将来不安である家計所得の安定的向上と年金の安定給付が最大の関心事であることを認識し、国民に負担や不安を掛けない健全な財政運営が望まれる。
 このような観点から、本稿を再掲する。(2022.11.29.追記)

 南北間の休戦協定を破棄した北朝鮮は、4月9日、韓国への攻撃もありうるとしてソウルに在住或いは滞在中の外国人に対し、退避準備をするよう呼び掛けるなど、威嚇姿勢を強めている。
 この中にあって、北朝鮮労働党の機関紙である労働新聞は、4月10日、日本に米軍基地があることを背景として、“東京、大阪、横浜、名古屋、京都”の5都市に人口が集中しているとしつつ、“日本は北朝鮮の近くに位置し、報復の対象から逃れることは出来ない”、“日本が戦争に火をつければ、日本全体が戦場と化す”などとして強く威嚇する記事を掲げた。
 何故だ。そもそも日本は朝鮮戦争に直接関与したことはなく、南北間の軍事衝突があっても直接に関係、介入することはない。ましてや“日本が戦争に火をつける”ことは現行憲法においては決してないであろう。それなのに何故このような威嚇を日本に向けるのだろうか。不可解であるし、大変迷惑だ。
 北朝鮮による国際世論に反する核、ミサイル開発には強く反対するところであり、また過剰に好戦的な姿勢に自制を求めるところではあるが、どうも日本側の姿勢が誘因になっている恐れがある。
 1、“日米韓が警戒を強める”って何のことか?
 4月10日付の本の保守系新聞は、“北ミサイル準備終了か 日米韓 警戒強める”と題し、日本地図を掲載して日本、韓国、米国のミサイルや艦船の配備状況を示して一面トップで報じている。日本国民としても気が高ぶる報道だ。
 休戦協定は南北朝鮮間の軍事衝突を避けるためのもので、それが破棄されて 北朝鮮のミサイル発射テストへの対応に疑問! (その2) (再掲)も南北朝鮮間の問題であるので、韓国とそれを支援する米国、及び休戦協定の監視を行う国連の問題であり、日本は直接関係はない。
 ミサイルの発射実験により、とばっちりが掛かる恐れがあるので、それへの対応は不可欠であるが、戦争状態に突入している韓国や米国と同列に扱うのは迷惑である。日韓には安保取り決めなどもない。
 どうも日本の保守層を中心とする安保族に日米同盟強化に対する思惑があるので、日本国内で十分議論が尽くされないままに、日米同盟強化、集団的安全保障論が前のめりに先行し、報道されているからではないか。
そのような姿勢が、10日付の労働新聞のような誤った威嚇につながっているのではなかろうか。配慮に欠ける。
 2、迎撃ミサイル(PAC3)の防衛省構内配備をプレイアップする愚
 11日のテレビ報道や新聞は、ミサイルが万一日本方向に飛来することに備え、
防衛省構内に迎撃ミサイルを2基配備していることなどを何度も報じている。日本の安全確保を強調するためであり、それは十分理解できる。
 しかし迎撃ミサイルの具体的な配備地点などの詳細を何故映像で映し、報じるのか。北朝鮮は戦争準備をしている時に、日本の対応を詳細、具体的に知らせることになるので、日本の安全保障には百害あって1益もない。
 極めつけは、防衛相が配備現場でミサイル担当の自衛官を激励する姿まで放映している。まるで戦争ごっこだ。
 日本国民への安全措置をアッピールするためのパーフォーマンスであろうが、相手を刺激し、威嚇の口実を与えるだけだ。
 北朝鮮は、南北休戦協定を破棄し、戦争状態に既に突入している。戦争ごっこでは適切ではないし、日本は紛争を好まないし、直接の紛争の当事者ではないことを念頭に置き、適切、適正な対応することを望みたい。(13.4.11.)(All Rights Reserved.)
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日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!(再掲)

2023-04-27 | Weblog
日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!(再掲)
 政府は、日本学術会議により推薦された会員候補105名の内、6名を拒否した。同会議は首相が所管する独立の諮問機関で、210名(任期6年)で構成され、3年ごとに半数が改選される。今回は、8月に安倍首相(当時)に推薦されていたが、同首相辞任表明のため、管新首相に引き継がれたものである。
 日本学術会議としては、6名の任命拒否の理由説明と任命要請を内閣府の事務局に提出しており、前例のないこと、学問の自由を制約するなど各方面で問題視されている。
 1、 日本学術会議会員の任命権は首相にある
日本学術会議会は同会議法に基づき設置されており、会員は「同会議の推薦により、首相が任命」と規定されているので、任命権は首相にあり、任命拒否は可能である。因みに、会員の任期は6年、70歳までとなっており、罷免については特段の規定はない。
 管首相も、法律に基づき判断したとしている。また前例がないとの指摘に対しては、研究者の世界は閉鎖的でメンバーシップが既得権化する面があり、前例を踏襲しないこともあっても良いのではないか等とし、「学問の自由」には関係が無いとしている。
  確かに、日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、手当も受けているので、政府の政策や立場に反対する者や野党支持をするなど政治信条の異なる者などを任命しないことはあり得るだろう。特に拒否された6名の内3名が国立大学の教授であり、もともと国家公務員であるので、政府の政策、立場に従うことは当然であり、国会その他の公の場や授業、或いは論文などにおいて政府の立場に反する立場を表明することは好ましくないと判断されるであろう。また拒否された6人とも、歴史や宗教、行政法、憲法など人文科学に属するグループであり、政府の政策や立場との関係が生じやすい。
  この点は、日本学術会議会に限らず、全ての政府の審議会、委員会の委員についても同様で、そもそも政府の政策や立場に反する者は委員に選ばれることはまず無く、また委員会などで反対の立場を述べる者は体良くお引き取り頂くことになり、再任されることはないようだ。

 2、日本学術会議のあり方が課題
  このような政府の解釈、対応となると、日本学術会議の今後のあり方自体が問題となり、岐路に立っていると言えよう。
 日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、政府の政策や立場に従うことが期待される。これが常態化すると、いわば政府の御用学者の様相を呈することになる。またその下部グループとして連携会員が多数存在するが、将来会員となりたい者は御用化すること傾向となろう。
 (1)日本学術会議は独立性を保てるのか、御用機関化するのか
 こうなるとやはり「学問の自由」にも影響を与える。会員は、3部構成となっており、1部が人文科学、2部、3部が生命科学、理学及び工学を中心とする科学となっているが、人文科学に属する会員、連携会員が影響を受けやすい。まさに人文科学に属する6人だけが任命を拒否されている。「学問の自由」は、信条の自由や表現の自由と表裏の関係があるが、国会で野党推薦の証人として、例えば安保法制や共謀罪関係法について政府と異なる立場は取り得なくなり、会員、連携会員である限り、自由な研究は抑制されると共に、授業や論文なども影響を受けることになる。政府側は学問の自由に影響はないとしているが、当事者である教授が影響ありとしているので、影響があると考えるべきであろう。会員から外されれば「学問の自由」は確保されるので、影響はないとする考え方もあろうが、それでは著名で業績のある210名の会員と多数の連携会員は「学問の自由」は現実的には制約されることになる。これでは少なくても人文科学の分野では、自由な研究が出来なくなるであろう。
 また政府は研究助成として約4兆円の研究助成を行っているが、助成を受けるためには政府の政策や立場を忖度しなくてはならないので、自由な研究を助成し、研究を活性化させるという趣旨が損なわれ、また助成を検討する日本学術会議も自由な研究を促進する機関ではなく、変質する可能性がある。
 本来であれば、政府機関であるとしても、政府は、憲法で保障される信条の自由、表現の自由、学問の自由を尊重すべきであり、それを任命権や政府権限で制約することには疑問が残る。自民党は、現行憲法は日本になじまない点があるとして、憲法改正を「党是」としており、国家権限の強化や一定の自由の制限などを改正案に入れているようであるが、それを憲法解釈で実態を確保することは適正ではないであろう。
 日本学術会議が、独立性、学問の自由を重視するのか、政府機関として残るため人文科学を切り離すかなど、選択を迫られているようだ。
 (2)国家公務員である国立大学の教授の今後
 国家公務員と言えば、国立大学の教授等は国家公務員である。従って日本学術会議会員以上に、研究費の助成や研究内容、論文、授業内容、国会など公の場での発言には政府の政策、立場に反しないことが求められるのであろう。今回の問題が表面化したことにより、国立大教授等も国家公務員として一層の自覚が求められそうだ。
 しかし、そのようなことでは学問の自由や自由な研究や教育は望めそうにない。特に人文科学の分野がそうであり、日本は経済大国や技術大国等と言われ久しいが、経済学、経済政策等などの人文科学分野で日本人はノーベル賞を受賞していない。こんなことでは、いつまで経っても日本の学問は政府依存になり、御用学問の府となる恐れがある。政府の立場や政策に縛られ、或いは忖度しているようでは真の学問の自由はないのではなかろうか。
 もともと国立大学は行政分野での人材を確保することを大きな目的の1つとしているが、現在、これ程多数の国立大学が必要とも思われない。学生への無利子の奨学金や家賃を含む修学支援を充実させれば、国立大学はもはや必要とせず、より自由に学問を追究できるように私学化する時代ではなかろうか。それは私学と国立の教育費の負担衡平にもなろう。

 3、前例、既得権打破とはそういうことだったのか
 管首相は、就任に際し、「縦割り、既得権、前例主義の打破」を表明し改革を進める仕事師内閣とすることを打ち出した。保守党政権としては今までに無い斬新な姿勢として、一本調子の政府支出・国の借金の拡大と規制・既得権益擁護の屋上屋が重ねられ、いわば閉塞状況の日本において各方面で期待されていた。
 ところが今回の日本学術会議の会員任命拒否問題で、自民党参議院議員が、前例にとらわれない姿勢で、これが正に管首相の姿勢だと擁護する始末だ。
 安倍前首相は、党是である憲法改正を推進しようとしたが、与党内でも公明党が慎重な上、野党はじめ憲法学者などがその内容に懐疑的で実現することは出来なかった。国民の多くは改正に理解を示しているが、問題は改正内容だ。安倍前首相は、本格的な防衛活動が出来るように9条を改正する他、自民党の改正案に沿って政府権限の強化、一定の自由の制限などを望んでいた。その思想的背後には、任意団体の‘日本会議’があり、旧帝国憲法に沿った天皇権能の明確化、政府権限の強化、「教育勅語」の復活を含む一定の自由の制限などを支持し、そのような体制の下での「美しい日本」の建設を標榜しており、多くの保守系議員が賛同している。安倍前首相時代の森友学園問題は、「教育勅語」を教育に取り入れ、規律正しい教育を目指した森友学園に安倍夫妻が共鳴し、学園建設の促進課程で生じた問題である。恐らく、教育方針に賛同したことをきちんと国民に説明し、理解を求めていたらあのような公文書の書き換えなど、戦後最悪の行政失態には発展しなかったであろう。
 このような思想を支持する国民も少なくないが、国民平等に基づく民主主義、自由という基本的な価値に立脚した現行憲法を支持する国民層も多く、旧帝国憲法への回帰、専制主義的な政府、自由の制限などを懸念されている。従って憲法改正は内容、方向性の問題でなかなか進まないため、安倍政権は憲法解釈の変更、手直しで安保法制などの実現を図ったのであろう。それは1つの選択肢である。
 現在、日本学術会議任命拒否問題については、内閣委等で閉会中審査が行われ、野党を中心に内閣府事務方の追求が行われているが、首相は出席しておらず、事務方が木で鼻をくくるような一辺倒の答弁をしているが、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。が、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。
 しかし本来、官邸主導、政治主導で進める施策を、官僚に代理戦争させるのは筋違いであり、首相他が国会の論戦に応じ、きちんと対応すべきではなかろうか。
今日、日本は将来を左右する岐路にあり、どのような選択肢を選ぶか、国民が決めなくてはならない。(2020/10/08)
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靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか(再掲)

2023-04-27 | Weblog
靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか(再掲)
 衆議院選挙中の2017年10月17日、安倍自民党総裁は、靖国神社の秋季例大祭に際し、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して真榊の鉢植を奉納した。これに対し、野上官房副長官は記者会見において、‘総理が真榊を奉納したとの報道は承知しているが、私人としての行動に関するものであり、政府として見解を述べる事柄ではない’とし、‘靖国神社を参拝するか否かは総理が適切に判断される事柄’と述べた。靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか
 どうも官邸側の説明振りが、何時もの通りで、どうも正確を欠く。「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して奉納しているので、‘私人としての行動’とは言えない。誰の目から見ても、「内閣総理大臣 安倍晋三」の奉納物である。どうして国民をごまかすような説明をしなくてはならないのか。どうして国民に正面から正直に説明しないのか。
 どうしてマスコミやTVコメンテーターがこの点に疑問を呈さないのか、不思議だ。また一部マスコミは、参拝でなく、まさかきの奉納だから問題がないような印象を与えているが、参拝も奉納も、信仰という点では変わりはない。この点を指摘しないのも不思議であり、マスコミ力の低下なのだろうか。
 靖国神社は、他の神社とは異なり、政治的な色合いや政治姿勢に関係する。中国や韓国が歴史認識の上で問題視していることは別として、天皇を中心とする独裁的な政治体制とするか、軍事力を認め軍国主義的な国家体制とするかなど、基本的な政府の在り方や、憲法改正の方向性などにも関係する問題なのである。
 靖国神社は、明治時代に統帥権を持つ天皇の下で国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者も祀られている。しかし戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われ、東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人がA級戦犯として死刑と判決された。これら7名他の政府及び軍の戦争遂行責任者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀された。
 極東国際軍事裁判については、米英を中心とする戦勝国が主導したもので、日本国内には、特に新保守主義グループは裁判の公平性等に、異議を唱える者がいる。戦後、日本国内で天皇を含め時の政府の戦争責任が総括されたことはないので、戦争責任については曖昧なままになっているのが現実のようだ。
 しかし、東條英機首相などA級戦犯が1978年10月に靖国神社に合祀された後、終戦を宣言した昭和天皇を靖国を参拝しておらず、また現行天皇も参拝していない。
 首相や新保守主義と見られる議員等は、天皇が2代に亘って参拝しない靖国神社を何故参拝し、或いは榊を奉納するのだろうか。安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に際し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁しているが、真榊を首相名で奉納したことは、A級戦犯となった人々を含めて「尊崇の念を表し、ご冥福を祈った」のであろう。しかし、ここで誤った言葉の綾がある。「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」云々とあるが、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」は一般将兵であり、戦犯と呼ぶか否かは別として、東條英機首相はじめ時の政府及び軍の首脳部は、第2次世界大戦を決断し、主導した責任者であり、200万人余に及ぶ兵士、軍関係者を犠牲にし、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆投下を含めて100万人以上の一般市民を犠牲にした責任者であるので、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」としてひっくるめて表現するのは誤りではないだろうか。
天皇は昭和天皇も平成天皇も靖国参拝をしておらず、いわば天皇の意に反してこれら議員等は参拝し、榊を奉納していることになる。
 これら自民党グループは、憲法改正を唱えているようだが、基本的に天皇制を擁護し、‘日本は天皇を中心とする神の国’などとの考え方に立って、天皇を‘国家元首’として憲法に規定し、天皇制の恒久化を図り、また軍事力の保有を実質的に認め、保守政治を常に政治の中心に据えることを意図する一方、天皇を祭り上げて内閣が実権を握ることを意図しているように映る。いわば天皇を利用して保守政権の恒久化を図ろうとしているとも解釈出来そうだ。この信条は、森友学園の復古的教育方針に共鳴した安倍首相と同夫人の姿勢に通じる。
これら議員グループは、第2次世界大戦突入を決断し主導した天皇を含む時の政府、軍の首脳部の責任をどう考えているのだろうか。
因みに、自民党の‘選挙の顔’となっている小泉進次郎自民党候補も、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しており、同一の信仰や歴史認識を持っていると言えそうだ。耳障りの良い言葉や一部マスコミの報道振りなどに惑わされず、個々の言葉や行動から国民自身が判断することが必要のようだ。(2017.10.17.)
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政党交付金を候補者個人への支援金とすべし!(一部改訂、再掲)

2023-04-25 | Weblog
政党交付金を候補者個人への支援金とすべし!(一部改訂、再掲)
 2019年7月の参院選挙で、広島選挙区(改選2議席)から当選した自民党公認の河井案里候補(現参院議員)に、選挙を前にして党本部が約1億5000万円提供したことが明るみに出た。同候補は、選挙カーの「うぐいす嬢」に規定(15,00円)の2倍を支払う選挙違反をしたのではないかとの疑いを掛けられている。
選挙違反問題は当局に委ねるとして、新人候補に自民党が1億5000万円相当提供した事実については驚きだ。
自民党には、1候補に1億5000万円も提供出来るほど潤沢な金があるのか!
新人候補が当選することは難しいとしても、当選するためにはこれほど金が掛かるのか!一般人にはとても立候補など雲の上の話だ。
選挙と金、選挙に金が掛かるという話は以前よりあり、1990年代に、選挙区を中選挙区から1人区とする他、選挙を公費(税金)で支援するために政党助成金を設け、党より候補者に資金的な援助をする制度などが導入された。
今回の事件は、このような措置が所期の目的通り適正に機能しておらず、弊害が多いことを如実に物語っている。
次の理由により、「政党助成金」を廃止して、選挙区ごとに投票総数と得票数に基づき一定の基準を設け、各候補者に選挙資金を一部補助する制度とするべきではないだろうか。現在の供託金制度は維持する。
1、政党助成金は党の恣意的な介入により、有権者の判断が反映されなくなる
同じ広島の選挙区で、参議院議員を5期努め、6選を目指していた同じく自民党公認の溝手顕正候補(元防災担当相)が落選した。同候補は自民党からの1,500万円しか提供されていなかった。選挙に際し公認候補は自民党より1,500万円前後の助成を受けるのが相場とされているようだ。党の裁量が強く働く。
これでは公費による選挙資金助成の意義は失われる。税金を負担している有権者の意思は何ら反映されないばかりか、党の裁量で歪められる可能性が強い。
更に政党助成金につては、党が各議員の選挙資金や活動費を握っているため、党議拘束が余りにも強くなり、議員の個性や個人の主張を失わせており、文字通り、党に‘金縛り’になっているに等しく、党独裁の色彩が強くなり、多様性を基本とする民主主義にも反する。
一定の基準を設け各候補者個人に選挙資金を補助する制度とするべきだ。
 2、最大の問題は政党助成金依存が強くなり、各政党の党員、党友が一向に増えないこと
 2020年8月28日、安倍首相が健康上の理由で辞任の意向を表明したのを受けて、自民党の新しい総裁が選出され、国会で新たな首班が指名される。安倍首相には健康回復をお祈りしたいが、9月中旬に自民党総裁選が行われる。しかし本来であれば、党の両院議員だけではなく、同数の党員の投票を含めた総裁選挙が行われるが、今回は、緊急を要する等として議員票を中心とした両院議員総会で決定される見通しだ。主要派閥が特定候補の支持を早々に表明し、党員に人気のある都合の悪い候補を排除するため、議員総会で決めようとしているなどと伝えられている。安倍首相は新総裁が決まるまで執務を行う見通しなので、「首相が欠けた場合」でも「緊急」でもない。となると派閥で決めるため、党員投票を外すということになる。国の政党助成金(税金)と企業献金があるので、党員会費などそれほど重要ではないということだろうか。自民党の党員でも110万人前後に止まっているが、政党助成金依存で党員を増やそうという熱意も薄れる。これでは党レベルでの民主主義は後退し、旧態依然の派閥中心、派閥人事となり、国民からますます遠くなってしまう。

3、政党には企業・団体より多額の政治献金が入っている
 政党助成金が導入された際、議員や党と企業・団体との癒着が問題視され、企業・団体献金に頼らない選挙とすることが考慮された。しかし政党助成金が導入された後も、企業・団体献金が復活し、横行している。
2018年の政党への献金総額は、約29億円、その内企業・業界団体献金が約25億円となっており、個人による献金は何と 1.2億円でしかない。企業・業界団体献金が、政治献金の86%強を占めており、企業・業界団体が突出しており、政治への金による影響力を強めている形だ。企業別では、2017年ではトヨタ、東レ、キヤノン、日産などが上位を占めている。
この企業献金については、経団連が一時控えていたが、現在では政党別の星取り表、序列を作成して企業・団体に政治献金を誘導している。
だからと言って政治と企業の癒着などとは言えないところではあるが、経団連の役員や献金の多い企業・団体のトップが政府の各種の委員会の座長や委員になっているなど、金の影響力は明らかだ。その委員を‘民間議員’などと誤解を生む怪しげな呼称をしているメデイアもある。
企業・団体の議員個人への献金は禁止されているので政党への献金となるが、個人からの献金が伸びていない。共産党は共産党組織、公明党は創価学会という下部組織が強固であるので個人献金等も多いが、自民党はじめほとんどの党は、党員や党友なども低迷しており、本来あるべき個人献金は伸びていない。最大与党の自民党でさえ、2012年12月の総選挙で勝利し、自・公連立政権の下で7年余、103万党員から120万党員を目標に党員増を図って来たが、それでもせいぜい108万にしか届いておらず、その後は低迷している。日本の有権者総数は1億658万人(2019年7月現在)で、自民党員はその1.0%にしか達していない。最大与党でも有権者の1%程度でしかなく、有権者を代表するとも言えない政党を何故税金で助成するのか。そもそも民意で作るべき民主主義の基本に反する上、共産党を除き、政党側の努力が足りない。税金で政党を助成している限り、政党は税金助成に依存し、自ら努力はせず、成長もしないであろう。
政党助成金や企業・団体献金があるので、個人献金を募るインセンテイブもないのだろうが、本来、議員や政党は有権者への政策説明や活動報告など日常的な活動を通じ支持を増やし、少額でも個人献金を増やしていくべきであろう。政党助成金は、そのような議員や政党の努力を阻んでいる。
いずれにしても政党は企業・団体や政治団体双方から献金を受けているので、国(税金)による助成は、政党ではなく、一定の基準に基づき候補者個人に配賦されるべきであろう。

 4、有権者のほぼ4割の無党派層にとっては「政党助成金」はありえない
 2019年7月の参院選挙で、選挙区の投票率が48.8%と低迷した。そもそも参議院の存在については、衆議院のコピー、クローンのようなもので、その存在意義が問われている。その上有権者の約40%が無党派層であるので、比例区では投票すべき政党もないので投票に行かない有権者も多く、また投票に行った人が、支持政党がないので白票で出し、無効票となった人も多く、無駄だった言う人もいる。いずれにしても、投票率が5割を割った中で当選しても国民の代表などと言えるのか疑問でもある。
 無党派層にとっては、支持する「政党」を書けと言われても無理な話だ。
「政党助成金」についても、無党派層にとっては支持もしていない政党に払った税金が使われるというのは合点がいかないであろう。
 更に選挙後に、特定政党が分裂し、新たな政党となった場合、政党助成金を分割して引き継いでいるが、そんな政党を選挙で支持したわけではないので疑問が残る。
 政党助成金や政党を選ばせるということは、有権者の意思を無視した、政党のご都合主義であり、候補者個人への資金支援、議員個人への投票という民主主義の基本に戻すべきであろう。
(2020.2.1.8.31.一部改訂)
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男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)

2023-04-25 | Weblog
男女平等を支持、だが個人の平等も未達成の日本!(再掲)
  2021年2月3日に開催されたJOC臨時評議会におけるオリンピック組織委森会長の発言が、女性蔑視的発言としてマスコミ等に報道されたことを端に発し、日本国内での批判が多方面に及んだため、森会長(当時)が釈明会見を行った。しかし謝罪はメモを読むような形で行われ、また記者との質疑応答も高圧的とも見られるやりとりがあったため、批判は更に広がった。国際オリンピック委員会(IOC)も、当初は「謝罪したからよい」との姿勢であったが、米国はじめ国際世論が厳しさを増したため、同会長の発言はオリンピック規定に沿わないとの見解が出されるに至り、辞任に追い込まれた。
 更にその後森会長側が特定者を後任候補に指名、推薦したことが報道され、不透明な指名等として批判されるに至り、2月12日、オリンピック・パラリンピック組織委・評議会合同会議が急遽開催され、森会長が正式に辞任を表明する一方、後任候補については検討委員会において行われることになった。
ここまでの経緯についても、同組織委の右往左往振りは拙劣であり、事務局の事務的トップであり、また森会長慰留に奔走した事務総長の責任が問われている。また同組織委についてが、事務局職員は月収20万程度から200万円となっているようだが、多数のボランテイアが無報酬或いは少額の手当で募集されているにも拘わらず、事務総長はトップとして月200万円、年額2,400円という高額の報酬を得ているのではないかとの疑問の中、事務局幹部の報酬も不公表となっている上、オリ・パラ大会が2020年7月から1年間延期されたにも拘わらず、その後も同じ報酬を得ているのではないかとの疑問も聞かれる。
 新会長については、政府、与党自民党幹部筋やから「女性か若い人」などとして具体的な名前が報道され、これがかえって女性や年長者に対する「逆差別」などとの批判が出るなど、迷走振りは日本だけでなく世界の目からも醜態と映っているようだ。
 1、男女平等が身についていない日本の社会
 このように男女平等への意識が低いという国際世論を背景として、新会長は女性からなどという意見が出ることは、一見理解ある対応と見えるが、要するに国際社会の目を配慮しての対応であり、それで男女平等が確保されるわけでもなく、そのような発想自体、男女平等意識が身についていないことを示している。また、もっと若い人をと言う発想も、新卒優先の定年制や制度を年齢で区別する行政や社会慣行をベースとした、過剰な年齢差別の意識と言えよう。80歳以上の年長者が時代遅れの不適切な発言をしたからと言って、「若い人」を会長とすれば問題が解決するわけでもない。
 他方、森会長(当時)の「女性理事が多いと会議の時間が掛る」との発言については、辞任するほどの発言ではないとの見方もある。しかし今回の批判は、その発言だけではなく、与党自民党の幹部を務め、党内最大の派閥を率い、自ら首相となり、安倍内閣を誕生させた有力な政治家ではあるが、政治活動の中での心ない言動やオリンピック・パラリンピック組織委の会長に就任してからも新国立競技場建設に当初予算の2倍以上の3,500億―5,000億円内外を掛けようとしたり、エンブレムでは盗作疑惑を掛けられたり、数々の不祥事起し、また小池東京都知事との確執など、とかくの風評があったから今回の問題に発展したとのであろう。国際的スポーツの祭典に国レベルにせよ世界レベルにせよ政治を持ち込むのはなじまないのかもしれない。
 その会長を武藤事務総長が組織のために慰留したとされ、事務総長自体も森発言の問題を理解していない。更に同事務総長は森会長が辞任した後も、新会長候補の指名に関与したり、新候補選びでは「候補者検討委員会」のメンバー選びが不明瞭な上、氏名を不公表とするなど、迷走に迷走を重ねている。同事務総長は、組織委の事務方トップとして森会長が引っ張った元財務官僚であり、組織委発足以来、上記の一連の不祥事を重ねて来ており、事務処理上も拙劣に映る。その事務総長が、「候補者検討委員会」の進行役を務めているようだが、一体この「候補者検討委員会」は何なのであろう。

 2、個人の平等も達成されていない日本
  男女平等は勿論支持するところだが、実は日本において国民の「個人の平等」が未だに実現されていないのが現状だ。
 民主主義の基本は、男女を含めて「個人の平等」であり、憲法にも規定されている。個人の平等を最も基本的に体現できるのは、国民の代表を国会に送る選挙であろう。しかし戦後国民1人1人の投票の重み、価値が1対1に近い形で平等な選挙が行われたことは1度もない。都道府県毎に選挙区が区割りされ、定数が割り振られているが、人口の少ない選挙区と多い選挙区では、1票の重みが衆議院では最大で3倍以上、参議院では5倍以上の状態が続き、選挙のたびに弁護士グループが憲法違反訴訟を提起して来ている。裁判においては、地裁レベルでは「憲法違反」とする場合もあったが、地裁レベルでも、最高裁においても「違憲状態」とされる場合が多く、国会の対応に委ねられて来た。しかし国会では時に微調整は行われたものの、長期に亘り抜本的な検討はなされなかった。そこで裁判所も国会へ対応を促すため、最近では衆議院で2倍以内、参議院で3倍以内なら違憲ではないと裁定するようになっている。それでも、都市圏の人口の多い選挙区では少ない県に比し、個々人の1票の価値は衆議院で2分の1以下、参議院で3分の1以下となっており、とても「平等」とは言えない状態が長期に続いている。男女平等どころではない。男女を問わず国民の平等は未だに確保されていない。
 最高裁の「平等」に関する考えは、「単なる1対1の関係が基準ではなく、地域など他の要素を考慮する」ということに尽きるようだ。この並びから言うと、男女平等も「単なる1対1の関係が基準ではなく、他の要素を考慮する」という解釈となり、女性への待遇等が男性の2分の1か3分の1以下でも許容されることになる。そうなのですよ。憲法の番人であるべき最高裁でさえも、建前では国民、男女の「平等」と言っていますが、「他の要素を考慮する」という恣意的な判断を加えることを容認しているということ。平等は原則1対1の関係という初歩的な算術も理解されていないようだ。これが現実なのでしょう。
 最高裁のこのような恣意的な「平等」が容認されると、男女平等についても、女性が男性の2分の1、3分の1でも容認されることになる。それが最高裁の本音なのかもしれないが、速やかな是正が望まし。
 最高裁の判事も、内閣により任命される公務員、時の内閣に不利になる判断を出せば、人事で不利にもなりかねないので、わきまえるしかないのは誰も同じと言えそうだ。しかし、そんなことでは3権分立の意味は薄れるばかりでなく、社会も、全体的な民主主義も進まない。
 国会は真に平等な国民の代表ではない。その国会で指名された首相も真の意味で国民の代表ではなく、その内閣に任命された裁判官も同様という負の連鎖が続いているように見える。これに意見が言えるのは、マスコミや学者を含む知識人なのであろう。
 しかし従来、マスコミや学者、有識者などもこの状況を許してきたと言える。マスコミやコメンテーター等もビジネスであるのでスポンサーや雇い主等を考慮しなくてはならないことは当然だろう。学者については、著名で国の各種委員会等で委員を務めている国立大学の多くの教授、研究者は国家公務員であり、言動には国家公務員としてわきまえなくてはならない。余計なことを言えば外される。全国には国立大学が86校(2020年4月現在)もあり、これ程多くの最高学府の学者、研究者が国家公務員であり、発言は自粛、制限される。自由な発信は望めない。いわば御用学者が多過ぎると言える。特に政治・社会・経済・歴史を含む人文科学、社会科学の分野では自由な発想、研究や表現は望めない。日本は、政治に縛られない生物化学、物理、及び文学の分野ではノーベル賞受賞者を出しており、喜ばしい限りだが、政治と密接に関係する社会科学の分野では1人も受賞していないことは、教育制度に国家色の強い偏りがあるからであろう。学問や表現の自由を確保する意味からも、国立大学の民営化と、学生の経済的負担を軽減し、平等の教育機会を与えるとの観点から、その予算を、将来負担を軽減した奨学金制度の拡充及び研究助成に振り向けることを検討すべき時期ではないだろうか。
 また最近情報系バラエテイ番組でお笑い系のタレントが重用されているが、お笑いの人からコメントなど聞きたくないという辛口の意見や、わきまえて話すお笑い芸人は面白くも可笑しくもないとの声がある。
 従って現実問題として、残念ながら日本は中から政治・社会・経済制度の改善、改革の動きは出にくく、今回のように国際社会からの批判や圧力、良く言われる「外圧」がないとなかなか動かないのかもしれない。それで良いわけがない。(2021.2.17.2021./2.20.一部加筆)
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平成の本音ー森友、加計疑獄に突き落とされた行政官僚!

2023-04-25 | Weblog
 平成の本音ー森友、加計疑獄に突き落とされた行政官僚!
 それは安倍政権から始まった。
 森友学園への国有地安値売却問題で、売却の経緯などを記載した決裁書が書き換えられていたことが明らかになった。決裁書には経緯として、首相夫人や複数名の国会議員の名が記載されていた一方、国会に提出されていた文書からは本件の‘特殊性’となる部分がすべて削除されていた。
 佐川前財務省理財局長の衆・参両院での証言(3月27日)においては、文書書き換え・改ざん(2017年2月から4月)に関して、当時担当局長であった佐川氏(前税務長官)が全責任を認めたが、改ざんの理由や削除に至った経緯の詳細については‘刑事訴訟の可能性がある’として説明を拒否した。そのため、何故大幅な値下げが行われたか、何故公文書の改ざん、変造という重大な犯罪的行為が行われたかなどの核心は今回の証言では明らかにされなかった。
 1、検察当局に委ねられた真相究明―2つの罪
 佐川前理財局長は、文書改ざんが‘国金局内’で行われた旨証言したことから、今後は、大阪地検特捜部によって同氏を中心とする理財局の捜査が行われることになろう。公文書改ざん、変造は、原本中の関連部分の大幅削除のほか、300か所余に及ぶと言われており、広範かつ綿密に行われたものと見られるので、事態は深刻だ。検察当局による詳細な調査に基づき起訴され、法令に基づき罰せられることになろう。
 その罪は2つある。一つは、決済後(有印)公文書の書き換え・変造であり、その責任は佐川前理財局長も認めている。
 もう一つは、森友学園への国有地払い下げについて、破格の値引きがなされ
たが、そもそも何故そのような‘特別な’値引きがなされたかであり、そしてそのような国有地の‘破格の値引き’は適正であったか否かである。国有地は、国庫、国民の財産であるので、財務省には公正、適正な管理義務があり、これに反する罪があったかなかったかである。この点は、その契約を許可した近畿財務局長と迫田元理財局長の下での理財局、財務省の問題となる。
 これらはいずれも犯罪にかかわることであるので、基本的には司直の手に委ねられるべきことであろう。
 2、財務省当局を不正処理に向かわせた政治的、道義的責任
 森友学園への国有地安値売却に関する本来の決裁書が公表され、佐川前理財局長の国会証言により、文書の書き換え・改ざんについては首相や官房長、秘書官などの指示はなく、第一義的には佐川局長(当時)の下で理財局内で行われたことがほぼ明らかになった。
また佐川氏は、国有地の安値売却の判断や経緯に関する事項、特に接触のあった首相夫人や保守系議員の名前を何故決裁文書から削除し・改ざんしたかなどについては、訴追の可能性を理由に証言を拒否しているので、真相は明らかになっていない。
財務省当局の本件の‘特殊性’への判断と文書書き換えの問題は、上記の通り司直の捜査を待ちたいが、破格の値引きの判断において首相夫人と複数の自民党議員が関係していることが本来の決裁文書から明らかになった。
 国会における質疑において、安倍首相は同夫人の‘いい土地だから進めてほしい’との発言については、籠池氏の発言を引用した‘伝聞’でしかなく、首相が夫人に確認したところ‘そのようなことは言っていない’旨反論している。しかし首相も夫人から聞いたこととして述べているだけで、首相の発言も‘伝聞’でしかなく、説得力に欠ける。
 しかし決裁された公文書に経緯として首相夫人や関係議員の財務当局側への接触や関心が記されているので、これが財務省当局の判断の根拠であったことは明らかであるので、首相夫人や保守系議員が接触し、関心を持っていたことが明確になったと言えよう。少なくても財務当局はそう認識していたということだ。
それは勝手に財務省担当部局が書いたもので事実に反し、虚偽であるなどという説明が通用するだろうか。そのようなことを言い始めたら、行政文書は信用できないと監督すべき首相や大臣が言うようなものである。首相夫人や一部保守系議員か関係していたことについてはそれで十分だ。
 森友学園への国有土地の破格の値引きについては、首相側は‘指示や関与’を否定しているが、首相夫人や関係議員が関係しており、それが公文書で決済された形となっているので、財務当局への影響は明らかである。
 そのこと自体には違法性はないが、そのような認識や印象を財務当局に与え、破格の値引きをさせた政治的、道義的責任は免れない。更にそのような事実や関系を首相が否定したことが事務当局の国会答弁の流れを作り、野党からの資料請求を前にして文書改ざんに追い込まれて行ったとみられるが、事務当局の公文書に掛かれているような認識とは異なる答弁に終始した首相サイドの言動にも政治的、道義的責任がある。
 首相だけでなく、財務相は2017年2月、3月以降の国会答弁において、‘売却は、法令に基づき適正に行われていた’と再三にわたり述べ、また佐川前理財局長の国税庁官任命についても‘適材適所’などと無責任な答弁に終始していたので、重大な管理、監督責任があると言えよう。
 また決裁済みの公文書の改ざん・変造については、指示や関与はなかったとしても、事柄が行政活動全体の信頼性に係ることであるので、首相及び関係閣僚の管理、監督責任は非常に重いと言えよう。
 籠池夫妻との関係、特に旧帝国憲法時代の‘教育勅語’を基本に据えた教育方針やそのような教育方針を持った学校の建設推進を、この段階で国民の目に晒したくないと気持ちが働いたのだろうか。
 3、官僚受難の季節
 決済後の公文書書き換え自体については、耳を疑う程の異常な行為であり、財務当局の責任であるので、最終的には司直の手により裁きを受けることになろう。
 そもそもその前に、森友学園への安値の国有地払い下げについて、改ざん前の決裁書に破格の値下げをする経緯(‘特殊性’の理由)に明確に記されているように、首相夫人や複数の保守系議員の関心案件であり、値下げの規模として、あたかも地下のゴミの除去費用に対応させて値引きを決定しなくてはならなかったのであろう。破格の値引きについては、近畿財務局のみでは決められず、本省理財局の決裁が必要なため、‘その特殊性’や経緯を記載した決裁書が必要であったと見られる。確かに‘特殊な’事例である。
 首相夫人が森友学園の教育方針に好意を持ち、学校建設のための国有地確保に好意的であったことなどは法に触れることでもなく、また指示していたというものでもない。しかし、それに関わり、関係していたことは公文書の記録から明らかだ。少なくても財務当局はそのような認識をしていたことは明らかだ。
 首相が、森友学園や籠池夫妻との関係ややりとりを否定し、事実に沿わない発言に終始したことから、森友学園への安値による国有地払い下げ問題は、財務省は公文書改ざん・変造という犯罪的行為に追い込まれ、直接の担当官がその重荷に耐え兼ねたのか既に2人も自殺に追い込まれ、当時理財局長であった佐川氏他が捜査対象になっている。
 理財局を中心とする財務省当局の責任は非常に重い。しかしそのような異常な結果に導いた政治的、道義的責任は更に重い。国会の場で事実とは異なる発言や説明をしていたことだけでレッド・カードに値する。当初から事実を話し、説明を尽くせば、政策的な異論は出ようが、‘政局’にはならなかったのであろう。
 現在、与党自民党や保守系新聞、一部保守系有識者等は、この問題を行政組織による文書管理の問題として関係省庁を批判、追及しているが、これは問題を官僚に擦り付け、問題を矮小化しようとするものではなかろうか。無論公文書管理の問題は深刻で、ましてや改ざんや事実に反することを誘導する類のことは、犯罪的行為であり関係当局はその責任を追及されなくてはならない。だがこれらの職員は、首相夫人や首相の関心に沿うようにと思って仕事をしたにも拘らず、一切の関与、指示を首相側に否定されたため、つじつまを合わせるために決済された公文書から関係の箇所を削除し、また膨大なゴミがあったかのように口裏を合わせようと動いたのであろう。
 官僚にとっては正に受難の季節となったが、政権交代の可能性が長期に薄れ、独裁的な政権となると常軌を逸した異常な行動を誘発するのであろうか。独裁的政権のおごり、恐ろしさが露呈したとも言える。やはり8年前後で政権が交代し、与・野党間でのチェック・アンド・バランス、政治と官僚組織とのチェック・アンド・バランスの機能が働くような制度設計とその具現が必要なのであろう。一見、民主主義の非効率にも見えるが、独裁政治による節度を越えた独善と暴走を防ぐためには仕方がない知恵なのであろう。
 組織のリーダーが真実を語らず、部下がそれに反しないよう嘘を繰り返し、証拠となる文書を改ざんまでしてリーダーを守る姿はおぞましく、無様であると同時に、気の毒だ。組織のリーダーたる者は、部下を叱咤激励して働かせるが、ひとたび問題が生じれば、リーダーが責任を取るものだ。にも拘らず、リーダーが真実を語らず、部下がそれに従って嘘をつき守る、しかし問題が発覚すると自分は知らない、‘部下が部下が’では組織は動かない。それ以上に、コンプライアンス(法蓮順守)は崩れ、内部統制は腐敗し崩壊して行く。
 一部保守紙等は、しきりに行政の文書管理問題、官僚の責任に問題をすり替えている。だが、そもそもの問題は首相が事実を隠そうとしたことから行政の体質が表面化しているものであるので、このような一部保守系メデイアの姿勢は国民の目を政権批判からそらし、矛先を行政組織に向けさせようとするものであり、国民の利益に反することを国民自身が認識することが望まれる。
 これが国家レベルで政府、行政組織で起こっているので、事態は非常に深刻だ。
 森友学園問題・財務省・官邸だけではなく、家計学園問題・文科省・官邸も類似の構図だ。更に、防衛省の南スーダン、イラクへ派遣された自衛隊の日報隠ぺい事件、厚生労働省の裁量残業不正統計事件など、官僚の資料工作、隠ぺい体質、虚偽説明が一気に表面化した形だ。これは戦後に積み上げられた官僚組織の体質が背景にあり、組織防衛のためには何でもするという強固な団結、組織の縛りが明らかになったもので、官僚組織の体質改善が急務だ。官僚の新卒優先採用と終身雇用制という排他的な制度が諸悪の根源とも言える。人材を公正、適正に入れ替える開かれた行政組織、制度設計が不可欠だ。
 本来それが出来るのがその管理監督にあたる閣僚、官邸であるが、それが事実を語らず、官僚に嘘をつかせる結果となっている。その意味で戦後最悪の政権であり行政組織であると言えるだろう。
 政権側の公正、誠実な政権運営と行政組織の適正、公正な行政、更に双方のコンプライアンス(法令順守)の重大な危機であり、国民はもっと真剣に政権選択や行政のチェックと向き合うことが必要になっているようだ。病巣は広く、深い。
(2018.4.12.)
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金融財務行政の危うい異常な同質性! <再掲>

2023-04-25 | Weblog
金融財務行政の危うい異常な同質性! <再掲>
 7月10日(2018年)、麻生金融相(財務相)は、金融庁長官として遠藤俊英監督局長(旧大蔵省出身、東大法卒)を起用する人事を発表した。同時に企画市場局長として三井 秀範検査局長(旧大蔵省出身、同法学部卒)、総合政策局長に佐々木 清隆総括審議官(旧大蔵省出身、同法学部卒)などを発表した。
 一体何、この異常な同質性は!?金融庁長官を含め主要幹部が東大法卒で、旧大蔵省出身である。
 更に更に、中央銀行の黒田総裁も同じく法学部卒だ。また財務次官として星野次彦主税局長を昇格させたが、同人も同法学部卒である。
 日本経済の根幹となる金融財政行政のトップを含む主要幹部がすべて東大という特定の大学というだけでなく、日本の財政、金融政策を担当するにも拘わらず幹部が全て法学部卒という異常な同質性となっている。
 法学部卒だからどうだということを言うつもりは更々ない。現代社会においては法律、規則は不可欠であり、国家や行政各部にもそれをチェックする法律部や法律専門家は不可欠だ。金融・財政行政においても、国会で法律、規則を作り、それの基づき監督等することが必要であるので、法律専門部局や法律専門家は必要である。
 しかし金融・財政行政を進める上で、法律以前に必要な経済、金融実態や必要と思われる政策の効果や弊害を正しく理解することが必要である。
 なんでもかんでも法律、規則を作ればそれで良いということでもない。それは諸分野で自由な活動、自由な市場を規制し、自由が失われて行き、あたかも社会主義、共産主義のような中央統制国家となり、自由な経済活動や自由市場を制限、規制するという弊害をもたらす可能性が高い。
 また法律、規則は一度作って明文化してしまうと、文言が本来の意図を離れ独り歩きすることが多い。本来の趣旨を離れ、敢えて規制や罰則を科す必要がなくても、なんと説明しようと「規則ですから」ということになる。身近な例からすると、「放置自動車(自転車)」、自動車の路上「放置」だ。
 本来、閑散とした道路や山道などに放棄する目的で「放置」されていた自動車などを取り締まるために、駐車違反とは異なる「放置」を取り締まりの対象にしたものと見られる。広辞苑にも「放置」は、「かまわずに、そのままにして置くこと」と説明されており、それが常識的な認識だろう。しかし、「放置」自動車は、駐車禁止区域かどうかなどは別として、自動車を幹線道路から入った片道2車線の閑散とした道路に止めても、「車から離れ、直ちに運転できない状態」とされ、何らかの理由で1分でも自動車を離れると、何処からともなく現れる請負業者が「放置」の通告書を車に張っていく。理由や時間を問わない。熱中症予防にコンビニで飲料水を求めていたなどと説明しても「法律です」と言われ、状態により1分でも18,000円から15,000円罰金を支払わされる。
 直ちに戻って運転して移動することが前提であり、「かまわずに、そのままにして置くこと」ではないので、非常識な法律解釈であり、常識に外れた取り締まりと見える。もっとも実際に取り締まっているのは、駐車・駐輪違反同様、警察・公安当局から委託を受けた下請け業者であり、行政下請けビジネスとなっているので、取り締まりが多ければ儲かるシステムになっているようだ。
 その後の取り締まり強化と国民の理解で「放置自動車」は現在減少しており、放置取り締まり関連法はその本来の目的を達しているの、で業者による取り締まりを廃止しても良い時期であろう。しかし警察や公安当局の予算上は委託費が毎年ついているので、行政ビジネスを維持するためには、非常識でも取り締まりを強化するということになるのだろう。法律が、国民の行動を制約した上、非常識な罰金で国民に負担を掛けるという2重の弊害を出している例だ。
 金融・財政行政の法律専門家に異常に偏った人事構成は、金融経済の実態を理解せず実態に即した柔軟な政策を見誤る弊害と法律優先の管理経済、規制経済に走る2重の弊害となることが懸念される。同時に人事面での閉鎖性が不健全な人間関係、モラルやコンプライアンスの低下を引き起こす結果となっているのだろう。(2018.7.22.)
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日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!(再掲)

2023-04-25 | Weblog
日本学術会議会員拒否、国のあり方に重大な問題提起!(再掲)
 政府は、日本学術会議により推薦された会員候補105名の内、6名を拒否した。同会議は首相が所管する独立の諮問機関で、210名(任期6年)で構成され、3年ごとに半数が改選される。今回は、8月に安倍首相(当時)に推薦されていたが、同首相辞任表明のため、管新首相に引き継がれたものである。
 日本学術会議としては、6名の任命拒否の理由説明と任命要請を内閣府の事務局に提出しており、前例のないこと、学問の自由を制約するなど各方面で問題視されている。
 1、 日本学術会議会員の任命権は首相にある
日本学術会議会は同会議法に基づき設置されており、会員は「同会議の推薦により、首相が任命」と規定されているので、任命権は首相にあり、任命拒否は可能である。因みに、会員の任期は6年、70歳までとなっており、罷免については特段の規定はない。
 管首相も、法律に基づき判断したとしている。また前例がないとの指摘に対しては、研究者の世界は閉鎖的でメンバーシップが既得権化する面があり、前例を踏襲しないこともあっても良いのではないか等とし、「学問の自由」には関係が無いとしている。
  確かに、日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、手当も受けているので、政府の政策や立場に反対する者や野党支持をするなど政治信条の異なる者などを任命しないことはあり得るだろう。特に拒否された6名の内3名が国立大学の教授であり、もともと国家公務員であるので、政府の政策、立場に従うことは当然であり、国会その他の公の場や授業、或いは論文などにおいて政府の立場に反する立場を表明することは好ましくないと判断されるであろう。また拒否された6人とも、歴史や宗教、行政法、憲法など人文科学に属するグループであり、政府の政策や立場との関係が生じやすい。
  この点は、日本学術会議会に限らず、全ての政府の審議会、委員会の委員についても同様で、そもそも政府の政策や立場に反する者は委員に選ばれることはまず無く、また委員会などで反対の立場を述べる者は体良くお引き取り頂くことになり、再任されることはないようだ。

 2、日本学術会議のあり方が課題
  このような政府の解釈、対応となると、日本学術会議の今後のあり方自体が問題となり、岐路に立っていると言えよう。
 日本学術会議の会員は特別職の国家公務員であり、政府の政策や立場に従うことが期待される。これが常態化すると、いわば政府の御用学者の様相を呈することになる。またその下部グループとして連携会員が多数存在するが、将来会員となりたい者は御用化すること傾向となろう。
 (1)日本学術会議は独立性を保てるのか、御用機関化するのか
 こうなるとやはり「学問の自由」にも影響を与える。会員は、3部構成となっており、1部が人文科学、2部、3部が生命科学、理学及び工学を中心とする科学となっているが、人文科学に属する会員、連携会員が影響を受けやすい。まさに人文科学に属する6人だけが任命を拒否されている。「学問の自由」は、信条の自由や表現の自由と表裏の関係があるが、国会で野党推薦の証人として、例えば安保法制や共謀罪関係法について政府と異なる立場は取り得なくなり、会員、連携会員である限り、自由な研究は抑制されると共に、授業や論文なども影響を受けることになる。政府側は学問の自由に影響はないとしているが、当事者である教授が影響ありとしているので、影響があると考えるべきであろう。会員から外されれば「学問の自由」は確保されるので、影響はないとする考え方もあろうが、それでは著名で業績のある210名の会員と多数の連携会員は「学問の自由」は現実的には制約されることになる。これでは少なくても人文科学の分野では、自由な研究が出来なくなるであろう。
 また政府は研究助成として約4兆円の研究助成を行っているが、助成を受けるためには政府の政策や立場を忖度しなくてはならないので、自由な研究を助成し、研究を活性化させるという趣旨が損なわれ、また助成を検討する日本学術会議も自由な研究を促進する機関ではなく、変質する可能性がある。
 本来であれば、政府機関であるとしても、政府は、憲法で保障される信条の自由、表現の自由、学問の自由を尊重すべきであり、それを任命権や政府権限で制約することには疑問が残る。自民党は、現行憲法は日本になじまない点があるとして、憲法改正を「党是」としており、国家権限の強化や一定の自由の制限などを改正案に入れているようであるが、それを憲法解釈で実態を確保することは適正ではないであろう。
 日本学術会議が、独立性、学問の自由を重視するのか、政府機関として残るため人文科学を切り離すかなど、選択を迫られているようだ。
 (2)国家公務員である国立大学の教授の今後
 国家公務員と言えば、国立大学の教授等は国家公務員である。従って日本学術会議会員以上に、研究費の助成や研究内容、論文、授業内容、国会など公の場での発言には政府の政策、立場に反しないことが求められるのであろう。今回の問題が表面化したことにより、国立大教授等も国家公務員として一層の自覚が求められそうだ。
 しかし、そのようなことでは学問の自由や自由な研究や教育は望めそうにない。特に人文科学の分野がそうであり、日本は経済大国や技術大国等と言われ久しいが、経済学、経済政策等などの人文科学分野で日本人はノーベル賞を受賞していない。こんなことでは、いつまで経っても日本の学問は政府依存になり、御用学問の府となる恐れがある。政府の立場や政策に縛られ、或いは忖度しているようでは真の学問の自由はないのではなかろうか。
 もともと国立大学は行政分野での人材を確保することを大きな目的の1つとしているが、現在、これ程多数の国立大学が必要とも思われない。学生への無利子の奨学金や家賃を含む修学支援を充実させれば、国立大学はもはや必要とせず、より自由に学問を追究できるように私学化する時代ではなかろうか。それは私学と国立の教育費の負担衡平にもなろう。

 3、前例、既得権打破とはそういうことだったのか
 管首相は、就任に際し、「縦割り、既得権、前例主義の打破」を表明し改革を進める仕事師内閣とすることを打ち出した。保守党政権としては今までに無い斬新な姿勢として、一本調子の政府支出・国の借金の拡大と規制・既得権益擁護の屋上屋が重ねられ、いわば閉塞状況の日本において各方面で期待されていた。
 ところが今回の日本学術会議の会員任命拒否問題で、自民党参議院議員が、前例にとらわれない姿勢で、これが正に管首相の姿勢だと擁護する始末だ。
 安倍前首相は、党是である憲法改正を推進しようとしたが、与党内でも公明党が慎重な上、野党はじめ憲法学者などがその内容に懐疑的で実現することは出来なかった。国民の多くは改正に理解を示しているが、問題は改正内容だ。安倍前首相は、本格的な防衛活動が出来るように9条を改正する他、自民党の改正案に沿って政府権限の強化、一定の自由の制限などを望んでいた。その思想的背後には、任意団体の‘日本会議’があり、旧帝国憲法に沿った天皇権能の明確化、政府権限の強化、「教育勅語」の復活を含む一定の自由の制限などを支持し、そのような体制の下での「美しい日本」の建設を標榜しており、多くの保守系議員が賛同している。安倍前首相時代の森友学園問題は、「教育勅語」を教育に取り入れ、規律正しい教育を目指した森友学園に安倍夫妻が共鳴し、学園建設の促進課程で生じた問題である。恐らく、教育方針に賛同したことをきちんと国民に説明し、理解を求めていたらあのような公文書の書き換えなど、戦後最悪の行政失態には発展しなかったであろう。
 このような思想を支持する国民も少なくないが、国民平等に基づく民主主義、自由という基本的な価値に立脚した現行憲法を支持する国民層も多く、旧帝国憲法への回帰、専制主義的な政府、自由の制限などを懸念されている。従って憲法改正は内容、方向性の問題でなかなか進まないため、安倍政権は憲法解釈の変更、手直しで安保法制などの実現を図ったのであろう。それは1つの選択肢である。
 現在、日本学術会議任命拒否問題については、内閣委等で閉会中審査が行われ、野党を中心に内閣府事務方の追求が行われているが、首相は出席しておらず、事務方が木で鼻をくくるような一辺倒の答弁をしているが、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。が、一向に政策的意図が国民には分からない。事務方は、官邸首脳の主導で行われ、「それに従わなければ配転等を強いられる」ことになるので、必死に忖度し防戦している。官僚も人事の強権で震え上がっているから仕方ないのであろうが、大変気の毒である。森友学園問題や「桜を見る会」などで、文書を書き換えやデータを廃棄したのも、このような人事強権の下で起こったのであろう。官僚にここまでさせるのか。強権人事は行きすぎると、権力の乱用、恐怖政治化、専制政治化するおそれがある。
 しかし本来、官邸主導、政治主導で進める施策を、官僚に代理戦争させるのは筋違いであり、首相他が国会の論戦に応じ、きちんと対応すべきではなかろうか。
今日、日本は将来を左右する岐路にあり、どのような選択肢を選ぶか、国民が決めなくてはならない。(2020/10/08)
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靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか(再掲)

2023-04-25 | Weblog
靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか(再掲)
 衆議院選挙中の2017年10月17日、安倍自民党総裁は、靖国神社の秋季例大祭に際し、「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して真榊の鉢植を奉納した。これに対し、野上官房副長官は記者会見において、‘総理が真榊を奉納したとの報道は承知しているが、私人としての行動に関するものであり、政府として見解を述べる事柄ではない’とし、‘靖国神社を参拝するか否かは総理が適切に判断される事柄’と述べた。靖国神社への首相による真榊(まさかき)奉納等を国民はどう判断するか
 どうも官邸側の説明振りが、何時もの通りで、どうも正確を欠く。「内閣総理大臣 安倍晋三」の名札を付して奉納しているので、‘私人としての行動’とは言えない。誰の目から見ても、「内閣総理大臣 安倍晋三」の奉納物である。どうして国民をごまかすような説明をしなくてはならないのか。どうして国民に正面から正直に説明しないのか。
 どうしてマスコミやTVコメンテーターがこの点に疑問を呈さないのか、不思議だ。また一部マスコミは、参拝でなく、まさかきの奉納だから問題がないような印象を与えているが、参拝も奉納も、信仰という点では変わりはない。この点を指摘しないのも不思議であり、マスコミ力の低下なのだろうか。
 靖国神社は、他の神社とは異なり、政治的な色合いや政治姿勢に関係する。中国や韓国が歴史認識の上で問題視していることは別として、天皇を中心とする独裁的な政治体制とするか、軍事力を認め軍国主義的な国家体制とするかなど、基本的な政府の在り方や、憲法改正の方向性などにも関係する問題なのである。
 靖国神社は、明治時代に統帥権を持つ天皇の下で国のために戦って命を落とした軍人を祀る神社として建立されたもので、軍関係者のための神社である。太平洋戦争で戦没した多くの職業軍人や軍関係者も祀られている。しかし戦後に米、英を中心とする戦勝国(連合国)が主導して、太平洋戦争を遂行した日本側の戦争責任者、指導者に対し極東国際軍事裁判(通称東京裁判)が行われ、東條英機首相、板垣陸相(いずれも当時)始め6人の軍人出身者、及び文人である広田弘毅首相の7人がA級戦犯として死刑と判決された。これら7名他の政府及び軍の戦争遂行責任者が、1978年10月に靖国神社に他の一般戦没者と共に合祀された。
 極東国際軍事裁判については、米英を中心とする戦勝国が主導したもので、日本国内には、特に新保守主義グループは裁判の公平性等に、異議を唱える者がいる。戦後、日本国内で天皇を含め時の政府の戦争責任が総括されたことはないので、戦争責任については曖昧なままになっているのが現実のようだ。
 しかし、東條英機首相などA級戦犯が1978年10月に靖国神社に合祀された後、終戦を宣言した昭和天皇を靖国を参拝しておらず、また現行天皇も参拝していない。
 首相や新保守主義と見られる議員等は、天皇が2代に亘って参拝しない靖国神社を何故参拝し、或いは榊を奉納するのだろうか。安倍首相は靖国神社参拝(2013年12月)に際し、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈るのは国のリーダーとして当然」と答弁しているが、真榊を首相名で奉納したことは、A級戦犯となった人々を含めて「尊崇の念を表し、ご冥福を祈った」のであろう。しかし、ここで誤った言葉の綾がある。「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達に尊崇の念を表し、ご冥福を祈る」云々とあるが、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」は一般将兵であり、戦犯と呼ぶか否かは別として、東條英機首相はじめ時の政府及び軍の首脳部は、第2次世界大戦を決断し、主導した責任者であり、200万人余に及ぶ兵士、軍関係者を犠牲にし、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎の原爆投下を含めて100万人以上の一般市民を犠牲にした責任者であるので、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方達」としてひっくるめて表現するのは誤りではないだろうか。
天皇は昭和天皇も平成天皇も靖国参拝をしておらず、いわば天皇の意に反してこれら議員等は参拝し、榊を奉納していることになる。
 これら自民党グループは、憲法改正を唱えているようだが、基本的に天皇制を擁護し、‘日本は天皇を中心とする神の国’などとの考え方に立って、天皇を‘国家元首’として憲法に規定し、天皇制の恒久化を図り、また軍事力の保有を実質的に認め、保守政治を常に政治の中心に据えることを意図する一方、天皇を祭り上げて内閣が実権を握ることを意図しているように映る。いわば天皇を利用して保守政権の恒久化を図ろうとしているとも解釈出来そうだ。この信条は、森友学園の復古的教育方針に共鳴した安倍首相と同夫人の姿勢に通じる。
これら議員グループは、第2次世界大戦突入を決断し主導した天皇を含む時の政府、軍の首脳部の責任をどう考えているのだろうか。
因みに、自民党の‘選挙の顔’となっている小泉進次郎自民党候補も、8月15日の終戦記念日に靖国神社を参拝しており、同一の信仰や歴史認識を持っていると言えそうだ。耳障りの良い言葉や一部マスコミの報道振りなどに惑わされず、個々の言葉や行動から国民自身が判断することが必要のようだ。(2017.10.17.)
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