皆さん、ごきげんやう〜❤️
ワタクシは《もう二度と故郷には戻るまい…》と
長いこと思っていました。
震え上がるほど憎んで、嫌いだったからです。
兄も、たぶん同じです。
ところがこのスットコどっこい、
現在、母と兄とワタクシの最強メンバー(?)で
楽しく地元で暮らしております╰(*´︶`*)╯♡
人生分からないものです。
故郷ばなしに関して印象にのこっていることを
ちょっと思い出しました。
30代でコピーライターをしていたある日、
一緒に仕事をしていた広告デザイナーのスレンダーなお姉さんと
お茶をしていた時のことです。
ワタクシはその時、どんだけ自分の故郷が嫌いか、
という事を力説していました。
つまり、自分が故郷を嫌いなだけでは飽き足らず
それを人様にまでPRせずにはおれなかったのです。
そんなんPRしてどうすんのか…って感じですけどね( ̄▽ ̄;)
広告デザイナーのスレンダーお姉さんは
ワタクシが息巻いて言うのを静かに聞いていましたが、
こうおっしゃりましたのです。
「ん〜〜、自分の故郷のことをあんまり悪く言わないほうがいいと思うよ」
純粋にハッとしました。
《そうかも…》と思ったのです。
これが結果的に、ハッとしてグッドでした。
あれ?どっかで聞いたような…(笑)
今は好きになれなくても、
故郷に対して対外的に悪く言うのはやめようと思いました。
これが、今からふた昔前ぐらいのことです。
自分に縁のある土地に対して感謝の念をいだかない人は
残念ながら、確実に運を落とします。
運を落としまくっていたワタクシだからこそ言えます。
土地には土地の神さまがいらっしゃるので(しかもネットワーク付きときたもんだ💧)
天に向かって唾をはくも同然、アタマを下げるのは当然。お、ゴロがいいね♪
若くておバカだったワタクシは、
目の前の自分の痛みだけにもがいていました。
いわば八つ当たり状態だったのでしょう。
こんな所にいては自分の未来は絶対に開けない!と思って
故郷を出たのが20代半ばでした。おそいのぉ〜💦
が、外に出たところで未来はぜんぜん開けず…(大爆)
何もかも上手くいかない…もうワタクシの人生、八方塞がりやん、
という状態が長いこと続きました。
故郷に帰って、職探しをしたのが40代です。
すっかり世間が苦手になっていたワタクシは
応募用紙をもらいにいった時だったか、手がブルブル震えていました。
人と関わったり働いたりする自信がなくてな。
家事が得意で子供好き〜みたいな性格でしたら
結婚ってテもあったのかもしれませんが…ううむ?
さて、そんなワタクシを10年近くも雇ってくれる職場に恵まれたのは
とりあえず運がよかったと思います。
その職種の資格をたまたま持っていて、
まさかここで役立とうとはな…って感じでした。
職場は近所でしたので、車を持たずに済み(ていうかペーパードライバー)、
何とか生きてこられました。
「いつでも雇い止めできるんだよ〜」的なことを暗黙のうちに
知らしめるためにあるような面接試験を毎年受けるのはストレスでしたが、
受け入れてくれる職場があるのは本当に有り難いことでした。
仕事内容は比較的自分に合っていると思われたので
ずっと勤めたいなーと思ったものです。
各種保険が付いて手取りは10万ぐらいでしたが、
この10万あるのとないのでは雲泥の差 です。
ついでばなしに。
東京で渋谷のNHKライブラリー(もう時効だからよかろうて、笑)に潜り込めたのは、
この資格があった(ほんとうに、あるだけ…💧)ってこともありそうです。
紙切れ一枚がプチ紋所(?)になり、
採用担当者の心象が良かったみたいです。
ここでもイロイロありましたが、数年は勤めました。
まあ、多少の不幸は創作にはよかったかもですが…
基本的にわたしゃ、不幸お断りです〜(笑)
今日の話しは、決してワタクシのブログ読者さんたちに
暗〜い気持ちになってもらうためではなくてだな、
故郷に感謝しませう💚 みたいな
かなり真っ当なことを言いたかったわけです(*´ω`*)
大事な運を落とさないためにも!
それではまた!ごきげんやう〜💕
ありがたう〜✨
ワタクシは《もう二度と故郷には戻るまい…》と
長いこと思っていました。
震え上がるほど憎んで、嫌いだったからです。
兄も、たぶん同じです。
ところがこのスットコどっこい、
現在、母と兄とワタクシの最強メンバー(?)で
楽しく地元で暮らしております╰(*´︶`*)╯♡
人生分からないものです。
故郷ばなしに関して印象にのこっていることを
ちょっと思い出しました。
30代でコピーライターをしていたある日、
一緒に仕事をしていた広告デザイナーのスレンダーなお姉さんと
お茶をしていた時のことです。
ワタクシはその時、どんだけ自分の故郷が嫌いか、
という事を力説していました。
つまり、自分が故郷を嫌いなだけでは飽き足らず
それを人様にまでPRせずにはおれなかったのです。
そんなんPRしてどうすんのか…って感じですけどね( ̄▽ ̄;)
広告デザイナーのスレンダーお姉さんは
ワタクシが息巻いて言うのを静かに聞いていましたが、
こうおっしゃりましたのです。
「ん〜〜、自分の故郷のことをあんまり悪く言わないほうがいいと思うよ」
純粋にハッとしました。
《そうかも…》と思ったのです。
これが結果的に、ハッとしてグッドでした。
あれ?どっかで聞いたような…(笑)
今は好きになれなくても、
故郷に対して対外的に悪く言うのはやめようと思いました。
これが、今からふた昔前ぐらいのことです。
自分に縁のある土地に対して感謝の念をいだかない人は
残念ながら、確実に運を落とします。
運を落としまくっていたワタクシだからこそ言えます。
土地には土地の神さまがいらっしゃるので(しかもネットワーク付きときたもんだ💧)
天に向かって唾をはくも同然、アタマを下げるのは当然。お、ゴロがいいね♪
若くておバカだったワタクシは、
目の前の自分の痛みだけにもがいていました。
いわば八つ当たり状態だったのでしょう。
こんな所にいては自分の未来は絶対に開けない!と思って
故郷を出たのが20代半ばでした。おそいのぉ〜💦
が、外に出たところで未来はぜんぜん開けず…(大爆)
何もかも上手くいかない…もうワタクシの人生、八方塞がりやん、
という状態が長いこと続きました。
故郷に帰って、職探しをしたのが40代です。
すっかり世間が苦手になっていたワタクシは
応募用紙をもらいにいった時だったか、手がブルブル震えていました。
人と関わったり働いたりする自信がなくてな。
家事が得意で子供好き〜みたいな性格でしたら
結婚ってテもあったのかもしれませんが…ううむ?
さて、そんなワタクシを10年近くも雇ってくれる職場に恵まれたのは
とりあえず運がよかったと思います。
その職種の資格をたまたま持っていて、
まさかここで役立とうとはな…って感じでした。
職場は近所でしたので、車を持たずに済み(ていうかペーパードライバー)、
何とか生きてこられました。
「いつでも雇い止めできるんだよ〜」的なことを暗黙のうちに
知らしめるためにあるような面接試験を毎年受けるのはストレスでしたが、
受け入れてくれる職場があるのは本当に有り難いことでした。
仕事内容は比較的自分に合っていると思われたので
ずっと勤めたいなーと思ったものです。
各種保険が付いて手取りは10万ぐらいでしたが、
この10万あるのとないのでは雲泥の差 です。
ついでばなしに。
東京で渋谷のNHKライブラリー(もう時効だからよかろうて、笑)に潜り込めたのは、
この資格があった(ほんとうに、あるだけ…💧)ってこともありそうです。
紙切れ一枚がプチ紋所(?)になり、
採用担当者の心象が良かったみたいです。
ここでもイロイロありましたが、数年は勤めました。
まあ、多少の不幸は創作にはよかったかもですが…
基本的にわたしゃ、不幸お断りです〜(笑)
今日の話しは、決してワタクシのブログ読者さんたちに
暗〜い気持ちになってもらうためではなくてだな、
故郷に感謝しませう💚 みたいな
かなり真っ当なことを言いたかったわけです(*´ω`*)
大事な運を落とさないためにも!
それではまた!ごきげんやう〜💕
ありがたう〜✨