舛添要一前厚労相が代表となった「新党改革」の支持率が低迷している。報道機関の世論調査で、舛添氏は「首相にふさわしい人」の1位なのに、このギャップは一体何なのか。永田町では「新党の参加メンバーが微妙すぎる」という見方が広まっている。
共同通信の世論調査(29日公表)。舛添氏は前月比4・1ポイント減だったが18・3%で「首相にふさわしい政治家」の首位をキープ。一方、新党改革は1・6%という低支持率だった。
そもそも、新党改革は、舛添氏が改革クラブに入党し、党名を変更したリフォーム新党。渡辺秀央最高顧問と荒井広幸幹事長、山内俊夫国対委員長が残留組で、自民党から矢野哲朗、小池正勝両参院議員が合流した。
旧改革クラブについて、政治ジャーナリストの角谷浩一氏は「永田町では『はぐれ鳥たちの政党助成金受け取りシステム』と揶揄する人もいた。政党要件を満たす5人をそろえることにきゅうきゅうとしていたイメージがある」と断じた。
振り返れば2008年8月、渡辺氏ら参院議員5人で結党予定だったが、「ぶって姫」の姫井由美子参院議員がドタキャン。残ったメンバーに「まぬけ4人衆」と捨てぜりふを残して去った。
その後も、欠員が出るたびに、無所属や自民党からメンバーを補って5人を確保してきた。
個人の経歴でも、舛添氏とは距離がありそう。
渡辺氏は、自民党衆院議員時代に郵政相を務めたが、1991年と96年の総選挙で落選して新進党に入党。その後、参院にくら替えし、自由党、民主党と籍を移った。民主党所属時の04年の参院選では、比例で最下位当選。07年ごろから「反小沢色」を強め、改革クラブを結党した。
「政界の一寸法師」といわれる荒井氏は自民党衆院議員を3期務め、04年に参院に。その後、郵政民営化に反対して離党し、田中康夫代表と新党日本を結党したが、また離党して改革クラブ入り。民主党関係者は「荒井氏は臆面もなく、その時の人気者に接近していく」とあきれる。
自民党から合流した矢野氏は、安倍改造内閣で「入閣濃厚」といわれ、議員会館にモーニングまで用意していたのに入閣できず、安倍氏本人に電話で問い合わせる姿をテレビで報じられている。
角谷氏は「舛添氏は国民的人気が高いが、それ以外は『愉快な仲間たち』といわれても仕方ないメンツだから」と、支持率低迷について語る。
ただ、現在人気上昇中のみんなの党も「結党時は、小泉チルドレンの異端児・広津素子氏を入れて5人。苦しい船出だったが、選挙を経て精鋭ぞろいになった」(渡辺喜美代表周辺)という。
新党改革も、いつか大化けするのか。
そりゃあ、無理って言うもんだよね
確か・・・
政党要件の〆切りって今日だったね