ラポーレの住民達

ラポーレの住民7人でブログを始める事にしました。
楽しいページにしたいと思っています。
ただし、のんびりぃと~

ばんざぁぁい♪良かったぁ☆

2010年10月13日 | Weblog

【コピアポ(チリ北部)=堀内隆】南米チリ・コピアポ郊外のサンホセ鉱山で起きた落盤事故で地下約700メートルに閉じこめられた作業員33人を引き上げる作業が12日午後11時(日本時間13日午前11時)すぎに始まり、13日午前9時半(日本時間同日午後9時半)までに11人が救出用カプセルで地上に戻った。8月5日の事故発生から70日目。同月22日に全員の生存が分かって以来、2カ月近くにわたって続いた救出作戦が、最終局面を迎えた。

 最初に救出されたのは、現場の副責任者フロレンシオ・アバロスさん(31)。33人のうち唯一のボリビア人だったカルロス・ママニさん(24)や最年少のジミー・サンチェスさん(19)、最年長のマリオ・ゴメスさん(63)らが次々と救出された。今のところ、生還者の健康に問題はない模様。救出順は健康度や鉱山での経験に応じて決められ、33人のリーダー格だったルイス・ウルスアさん(54)が最後になる予定だ。

 救出された作業員らはすぐそばでトリアージ(治療の緊急性の判断)を受けた後、現場の仮設診療所をへてヘリコプターでコピアポの病院に移送された。

 鉱山の救出専門家、マヌエル・ゴンサレス氏が12日午後11時20分ごろ、救出カプセル「フェニックス(不死鳥)」に乗り込んで縦穴を下り、16分後に地下の坑道に到達。作業員と抱き合い、握手を交わした。

 救出作業の手順の説明の後、アバロスさんを乗せたカプセルが午後11時55分、救出責任者の「引き上げを命じる」の指令とともに上昇を開始。カプセルの先端が地表に顔を出したのは約15分後の13日午前0時10分。ほぼ、事前の想定通りだった。その瞬間、作業員の家族たちが過ごすテントのそばで、チリ国旗をデザインした数十個の風船が宙を舞った。


天才☆

2010年10月13日 | Weblog

【ソウル12日聯合ニュース】北朝鮮当局が金正日(キム・ジョンイル)総書記の後継者に決まった三男の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長を美化するため、連日荒唐な内容の宣伝を行い、住民らの冷笑を買っているという。米政府系放送局のラジオ自由アジア(RFA)が12日、平安北道の情報筋の話を基に報じた。


 それによると、朝鮮労働党創立65年記念日の10日、当局は「不世出の領導者を迎えたわが民族の幸運」と題した「放送正論」を住民に聴取させた。この「放送正論」は、第3放送(各家庭のスピーカーで放送される有線ラジオ放送網)を指すと思われる。
 「放送正論」によると、正恩氏は政治、経済、文化だけではなく、歴史と軍事にも精通し、わずか2年の留学生活で英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語の4カ国語をマスターした天才だが、さらに7カ国語を完全に習得すると決心し、金総書記のそばで国家全般の事業を指導するかたわら、中国語、日本語、ロシア語を学んでいる。

正恩氏のこうした天才ぶりは幼くして表れたもので、3歳のときには祖父の故金日成(キム・イルソン)主席が略字で書いた漢詩「光明星賛歌」を正字で書き写し周囲を驚かせた。


 北朝鮮が核保有国になったのも正恩氏のおかげだとしている。海外留学で「米帝と帝国主義の列強」が起こした戦争を目撃し、「核を持った者には核で対抗すべきだ」という決意を固めたためだと紹介した。


 また、咸鏡北道延社郡の住民から伝え聞いたとして紹介された北朝鮮当局の「農民扇動資料」は、正恩氏の農業部門での業績を並べ記している。2008年12月に金総書記と黄海北道・沙里院の米穀協同農場を訪れた際、正恩氏は掲示されている標準肥料量表の間違いにその場で気付き、新たな形の微生物肥料を代案として提示した。これに従うと、翌年には1町歩(3000坪)当たり最高で15トンの稲が収穫できたとうたっている。


 この資料を見た協同農場の住民らは、「(全国の)農場を金正恩大将が訪れば、わが国の食糧問題は自然に解決されるだろう」とあきれているようすだという。

別の情報筋も、「金正恩を天才的人物に美化するため見え透いたうそを並べているが、あまりに荒唐無稽(むけい)な内容だ」と話している。