会見前、用意された四つの席のうち、谷さんを含む3席にそれぞれ名前を書いた紙が置かれた。「空白」だった残りの席に着いたのが、「長年のヤワラちゃんのファンの一人」と語った民主党の小沢一郎・元代表だった。「本人が熟慮した上での決断。この決断を尊重する」と話し、固く握手を交わした。
谷さんは前日、衆院議員会館の小沢氏の事務所を訪ね、引退の意向を伝え、小沢氏の会見への同席を懇願したという。谷さんは小沢氏を結婚式に招くなど以前から親交が深く、「政治の父」とも仰ぐだけに「小沢氏も断り切れなかったようだ」(側近議員)。
15歳で国際大会優勝というデビューを飾り、妻になっても、母親になっても、トップ選手として活躍してきた。しかし、2008年北京五輪の後は第2子の出産や公務のため大会に出場していない。全日本柔道連盟の対応は厳しかった。強化選手としてのランクを降格させ、11月20、21日の講道館杯全日本体重別選手権に出なければ、ロンドン五輪代表を目指すことは難しいとの見解を公表した。
08年北京五輪の前に谷さんは話していた。「環境さえ整えば、40歳になってもトップ選手として戦えると思う」。しかし、現実は厳しかった。合宿には息子を連れて参加し、練習の合間にホテルに戻って授乳した。付き添いや子どもの宿泊代は自費だった。
会見の場では声を強めて訴えた。「結婚や出産をしても競技を続け、子供を帯同できる国がたくさんある。それが日本ではクリアされていない」。そのまま政界転身の動機でもあった。
ただ、彼女が切り開いた道に続く選手は、まだ現れていない。柔道界では孤高の存在になっていった谷さんは、進むべき道を政界に求めた。最後に頼りにしたのが、小沢氏だった