セリカ魂

「初代セリカに乗りたい!」
ゆっくり旧車ライフの備忘録

面白いぞ!関ケ原ウォーランド

2019年04月07日 15時12分00秒 | 歴史

4月6日(土)
急に食べたくなって養老うまいもん広場へGO。
のんびり出掛けて12時過ぎに到着。
すぐに座れて今日もうな丼とステーキ丼をシェア。
安定の美味しさに大満足。

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養老からだと近いので関ケ原を訪れた。
ずっと気になっていた関ケ原ウォーランドを初訪問。
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入場料はJAF割引を使って¥450になった。
か、か、株式会社なんだココ。
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場内は桜の木も植えられていてお花見気分。
20190406_04桜が咲いてる.JPG
 
いきなり!島津の敵中突破でお出迎え。
馬上で揉み合うのは松井三郎兵衛と松平忠吉。
凄い迫力で見詰め合っている。
まるで「脱出」のアムロとシャア。
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ポケモン世界ではこれもスポットになっていた。
しかもタイトルがちょっとBL風味。
「会いたかったわ」って何なんだ?w
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中央辺りは乱戦模様。
井伊の抜け駆けや福島などドラマが渋滞していた。
そして、場内には合戦模様の解説ナレが流されていた。
20190406_07全体像.JPG
 
福島配下で「笹の才蔵」こと可児才蔵。
こんな感じに組み伏せて討ち取ったりしたのだろう。
襲われた相手が必死の抵抗をしていて生々しい。
取った首は目印の笹を付けてその場に捨て置いていたそうだ。
20190406_08可児才蔵.JPG
 

徳川四天王・本多忠勝も居た。
一瞬「関羽?」って思ったけれど。
戦後は娘が嫁いだ縁で真田父子の助命嘆願をした。

一番ガチで関ケ原に臨んだと云われる宇喜多隊。
何度も戦線を押し戻す奮戦を見せた。
父・直家は戦国三大梟雄の一人で斎藤道三や松永久秀と並び称された。つまり、親父さんはとてもえげつないことが出来たってこと。
その家臣団ならば百戦錬磨の手錬れに違いない。秀家を強力に補佐したことだろう。
プリンス=ひ弱と決めつけるのは早計なのだ。

20190406_10宇喜多.JPG
 
一番奥は石田隊の陣地なので笹尾山だな。
気丈に采配を振るってはいるが形勢は不利。
ファンキーな色使いの甲冑で乱髪兜でもなかった。
20190406_12石田隊.JPG
 
島左近も後藤又兵衛に討ちかかられて大ピンチ!
ここのセメント像は動きを見事に再現しているなぁ。
自由に歩き回れて色んな角度から合戦を眺められる。
「もし戦場に居たら?」を実現していて臨場感に溢れたバトルフィールドを体験出来た。
20190406_13島左近.JPG
 

なかなか態度をはっきりしない金吾へ問い鉄砲。
松尾山の小早川陣に向けて撃ちかけていた。
史実がどうかはさておき「映える」場面だ。

凛々しい若武者然とした小早川秀秋。
両陣営からのプレッシャーは相当なものだった?
まぁ松尾山に陣取った時点で、もう裏切っている。

金吾の目線で戦場を見渡せた。
少し木を伐採して視界を良くすればいいのに。
いや、木立の間に敵兵が見え隠れする方がよりリアル?

20190406_16小早川目線.JPG
 

こちらでは平塚為広が孤軍奮闘。
垂井城の城主なのでほぼ地元の武将。
左近みたいなピンチの姿じゃなくて良かった?

 名の為に捨つる命は惜しからじ
 遂にとまらぬ浮世と思えば

20190406_17平塚為広.JPG
 
大谷吉継が切腹なう。
「病で傷ついた首級を晒したくない」
忠臣・湯浅五助はその首を埋めて隠したが、攻め入ってきた藤堂高刑に見られてしまう。
五助は自分の首を差し出す代わりに主君の首を見逃して欲しいと懇願し、高刑はその願いを聴きいれて秘密を守った。
関ケ原ファンが最も感動するエピソードの一つだ。
20190406_18大谷.JPG
 
こちら南宮山の毛利・吉川の諸将。
吉川は腕組みをして眺めているだけ。
さすがに空弁当はやっていないか・・
向こうに見える安国寺はやる気満々。
彼らの足並みが揃っていなかったことを暗示していた。
20190406_19南宮山.JPG
 

小早川の裏切りで勝敗は決した。
島津隊は敵中突破で薩摩への帰還を目指す。
豊久は義弘を逃がす為に討ち死に。
異世界で活躍するのは別の話。

生き延びた義弘は戦後、井伊を頼った。
敵中突破を追撃したのが直政。
島津の銃弾が直政の足に命中して落馬。
その時の傷が元で亡くなることになるのに・・
大怪我させられた相手の頼みを聴きいれた。
島津の生き延びる為の嗅覚って凄いな!

島津以外にも毛利、長宗我部、そして真田も。
直政に救われた家は多い。

20190406_21島津.JPG
 

家康目線だとこんな感じ?
襲い掛かる島津兵に逃げ去る家臣たち。
自害癖のある家康さんは切腹しそう?
この画が迫れば少なからず気持ち分かるなぁ。

宮本武蔵も居た。
史実的には「九州の関ケ原」で黒田隊に?
子供の頃に読んだ「ムサシ」ではどうだっけ?
関ケ原に来ていた様な、乱戦の中で仲間が腕を斬り落とされたり、小池一夫の原作でドラマチックだったなぁ。

戦の後は論功行賞。
首実検に向う首級ってこんな感じで運んでいた?
かなり衝撃的な画で生々しいな・・

大谷吉継の代わりに湯浅五助が差し出した首。
「五助なら吉継の首の在処を知っていたのでは?」
「約束ゆえ、言えませぬ」
五助の忠義心と高刑の律儀さに免じて不問とした。
許すことで度量の広さを示した家康。
飴とムチを使い分けてこそのリーダーシップ。
大きな組織を束ねるには杓子定規なルール運用はNGだ。

もし西軍が勝利していたら?
三成なら事務的に進めて人情を挟む余地などない。
新たな火種を生んでいただろう。

20190406_25首実検.JPG
 

265年の長きに亘った徳川幕府。
鎖国的で平穏な日々は日本人を凝り性にした。
今ある物に工夫を重ねてより良くする。
そんなこだわりの国民性が育まれていった。
それこそが現代の技術立国の礎になった。

もし西軍が勝っていたら?

南宮山にはハンモック。
うなぎをエサに強制拉致られた息子が寝ていたw
彼は帰宅後、オアシス21のイベントに向かった。

20190406_26南宮山.JPG
 
信玄が関ケ原に居る?
時代背景はもうどうでもいいやw
どのセメント像もいい味で趣き深いものだった。
史跡に行ったら往時の戦をイメージする。
ここは目の前で戦が繰り広げられている。
しかも歩き回れば色んな角度から戦場を見渡せる。
きっと、VRなんかより全然凄い。
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こちらには「戦国ストラックアウト」
ポイントは石高?
立花宗茂は「後に」
真田は「父子で」w
小さな添え書きが可愛いかった。
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伊吹高原チーズケーキ関ケ原を購入。
これは間違いないね。
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