6月24日(土)
梅雨の一休み、オープンドライブで大正村。
明知城の付城みたいな砦?それとも明知城を睨む敵の陣地だった?仲深山(なかのみやま)砦跡を攻略にやって来た。
かえでホールを過ぎて更に進むと、登城口の案内板が見えて来た。
山腹に赤い鳥居が見えるが、そこはスルーで。
仲深山砦まで300m。
でも、山城の場合は距離よりも険しさが重要。
お墓?道祖神?を突っ切って登って行くのか・・
険しくなると、丸太の土留めの階段が登場。
ぜーぜー息を切らしながら登っていると、彼方にゴールらしき頂が見えて来た。
かなりキツい。すぐ上がゴールだろ?
ところが案内板には「←200m」って、今までの険しい階段道でやっと1/3なの?マジか・・
山頂を横目に、道は左へ迂回させるルート。
登り切ったら今度は下り。しかも整備されていないケモノ道。
本当にこの道で合ってる?不安になる。
再び丸太の階段が登場。あと90mか。でも急だな・・
ここは帯曲輪かな。横長の平坦地があった。
一段上に幟旗が見える。そこが主郭的な曲輪だな。
さて、どこから上がるんだ?
左を見ても、
右を見ても、
上り口がないので斜面をガシガシ登って上がることにした。
曲輪に到着。
SNSの情報通り、伐採して視界が開けていた。こういう整備はとても有難いな~。
東西二つの曲輪があって、ここは西の曲輪。
前年度に整備されたみたい。
それなりの広さを確保した西の曲輪。
伐採してくれた木の切り株がベンチ代わりに役立ってくれる。
曲輪の端まで行ってみる。
覗き込むと急峻な切岸だと分かる。
伐採した丸太が転がっていて、まだ整備の途中なのかな?
東の曲輪へ移動。
東西の曲輪の間には堀切。細かく手が入れられて堅固な陣地だったことが窺われる。
東の曲輪。そんなに広くはない。
明知城側に登城口はある?
広い林道が続いているのでこちらから降りてみようかな。
程なくT字路。右は登り。
左は下り。こっちに行ってみよう。
すぐに行き止まりになった。
方向転換して登りの林道へ。明らかに車が行き来している轍。
舗装路に出て来た。明知ガイシか~。
通って来たのは万ケ洞林道だった。
市街地へ戻ろう。
分岐点。
ナビがなかったら右へ行っていたかも。左が正解w
於牧の方墓所があった。
明智光秀の母・於牧の方は、丹波篠山城の攻略戦で人質になって殺されてしまった。
逆臣・光秀の母ということで、石碑には南無阿彌陀如来とだけ刻まれている。
明智が憚られて明知に変えていたと伝わる明智町。それでも光秀誕生の地として慕われていたのだと再認識した史跡だった。
仲深山砦は明知城の目と鼻の先。どちらの陣地だったのか、判明するのが楽しみだ。いや、どちら側だったか不明だからこそ面白いのかも?
着々と整備されていて、更に見易くなるだろう。明知城とセットで訪れたら一日楽しめる史跡だな。
昼食は庵道でハヤシライス(¥750)
旨味に溢れた濃厚なハヤシソースとトッピングの肉と野菜が絶妙のコラボ。この美味しさでこのお値段は破格!素晴らしい。
晴れ時々曇り。快晴なら険しい山城は無理。
明知城と仲深山砦なら市街地から近いので何とか行ける。
気軽に登れて本格的な遺構が望めるのが有難い。地元の皆さんが綺麗に整備してくれているお陰だな。
道の駅「どんぐりの里いなぶ」に到着。
風が涼やかで快適なオープンドライブが楽しめた。
今はスーパーのキャベツが高いのでこれは買い!
米粉入りの食パンも購入。柔らかい~。
武節城址の御城印に期間限定で?
「築山殿と信康の内通」バージョンだって!w