なにぶん、なりゆき なもんで
、・ 改め らくごしゃ の なりゆき(也がついたり、つかなかったり)
あの大学時代の、馬鹿なオレ。その7 【 ゆらい 】
オレが、
刹那(せつな)いた体育会は、
ワンダーフォーゲル部
だった。
ドイツ語で、Wandervogel、
直訳で「渡り鳥」のこと。
ワンダーフォーゲル、通称、ワンゲル。
ワンダーフォーゲルの誕生は、
19世紀後半のドイツにおいて、
急激な近代化に対する、
広い意味での自然主義の高揚を背景としている。
戦前期ドイツにおいて、
カール・フィッシャーらがはじめた
青少年による野外活動である。
また、それを元にする野外活動を
率先して行おうとする運動。
1896年にベルリン近郊(当時)の
シュテーグリッツ(ドイツ語版)のギムナジウム、
その学生だったカール・フィッシャーがはじめた。
はじめ、フィッシャーらは男子ばかり、
郊外の野原に、
でかけてギターを弾き、歌を唄った。
男子は半ズボン、
ニッカボッカのようなスタイルになり、
女子も参加するようになる。
1901年運動のメンバーの一人、
ヴォルフ・マイネンの運動の中心が、
歌を唄うことだった。
ワンダーフォーゲルには、
社会の固定された規範から
自由でありたいという
願いが込められている。
1910年代にはドイツ全土に広がるが、
時は第一次世界大戦に入り、
ワンダーフォーゲルは、
戦争忌避的な個人主義、
個人の享楽主義のようにとられ、
好ましくないとの批判が出てくるようになる。
関連の団体、グループ13団体が、
ホーエン・マイスナーに集合し、
「自由ドイツ青年」という団体を結成する。
戦争の進展と共に運動の一部はナチ化し、
のちヒトラーユーゲントに吸収されて、
その姿を消す。
(ウィキよりの抜粋ゆえ…)
残念なことに、
この国は、西洋の概念を、取り入れる際、
大きな間違いを犯すことが多い。
その国における、その国の根本を、その思想を、
よく理解をしないまま、
西洋、各国の、その時代の状況や、考え方も、
よく理解をしないまま、
このニッポン国の事情に、
無理やり、極端な話、うわべだけを、取り入れ、
着せ替えてしまう。
鹿鳴館で、西洋人に、日本人が笑いものにされたこと、
そこに、象徴される様に。
オレが、平民まで刹那いた、ワンゲルが、
ドイツのワンダーフォーゲルから、引き継いだものは、
(過酷な状況でも)、
歌を唄うことを忘れなかったこと。
楽しいギターの伴奏などはなく、
苦行の伴奏のアカペラだったけど。
そして、
ニッカボッカ(半ズボン)というスタイル
だった、と思う。
もうひとつ、
社会の固定化された規範から
自由でありたいという願い。
ある意味、社会の固定化された規範からは、
冗談みたいな狂気で、逸脱していたが、
ワンゲル部内の、固定化された規範からは、
全然、自由では、なかったような気がする。
あと、もうひとつ、
馬鹿なオレの頭をよぎるのが、
19世紀後半のドイツにおいて、
急激な近代化に対する、
広い意味での自然主義の高揚を背景
としている。
ここから、近代化に対する自然主義として、
枯れ木や、生木をナタで切り、
自然を破壊しながらの矛盾をはらみながらも、
固形燃料や、EPIガスなどの
近代化に、極力頼らず、
雨の日も、火を起こす、という
近代化への抵抗。
重い旧軍隊式のテントも、そのひとつだ。
どこか、滑稽な矛盾をしている。
これは、西洋から考え方を取り入れる際の、
日本のお家芸なのかもしれない。
その後の、ヒトラーユーゲントへの吸収と、ナチ化は、
四年生の神様の独裁に重なるように、
思われるかもしれないが、
この事に関しては、奴隷、平民のオレの立場からでも、
その学生の遊戯性からいっても、
まったく、違う、と言える。
先輩への挨拶は、
「ハイル・ヒトラー」ではなく。
「押忍(オッスッ)」であった。
つまり、「万歳、神様」と、あがめるわけでなく、
「お早うございます」、縮めて、「おす」だったから。
神様は、何かを、語ることで、
カリスマ性を、高める、のでなく、
何も、語らない、無言で、あることで、
カリスマ性を、担保した。
そこは、神様だから、貴族だから、平民だから、
と、それぞれに、特別な挨拶があるわけではなく、
すべて、「押忍(オッスッ)」であったことからも、
同じ大学生の体育会の人間として、
個人を崇(あが)める特別性や宗教性は
ないとうかがえる。
日本には第二次世界大戦前の
ドイツとの国家的友好関係とその影響の元に、
1933年(昭和8年)文部省内に
「奨健会ワンダーフォーゲル部」が設けられ、
国による健全な青少年運動
として宣伝と普及が開始された。
それらに触発され1935年(昭和10年)に発足した
立教大学ワンダーフォーゲル部が
日本での最初の学生団体である。
(ウィキよりの抜粋)
ドイツからの影響は、うかがえるが、
軍隊との関係性は、どうも、ないらしい。
(時代的に、関係性は、ある様に思えるんだけども…、
専門的には、各自で調べてみてください。)
ドイツの思想から、国際連盟を脱退した1933年、
当時、ニッポンの単独の正統性、健全性は、
奇形化した、日本独自の、伝統をたずさえて、
あるとしたら、軍隊のかおりを、
現在のワンゲルに、軍隊式のテントとして
戦争の臭いを、嗅ぐことが出来ることなのか。
閑話休題、
ヘタな拙(つたな)い蘊蓄(うんちく)と、
平民で、逃げ出したお前に、
なにが、わかり、なにを、語ってんだ、と、
伝統を、奴隷から神様まで4年間を守り続けた、
ホンモノの皆さん「ワンダラー」からは、
山の中、同様に、罵声を浴びせられ、
嘲笑されるかも、知れないけれども。
脇道にそれたが、この道は、
まだ、つづく、
初出 17/09/08 06:00 再掲載 一部改訂
あの大学時代の、馬鹿なオレ。その6 【 はっけん 】
食事が終わると、反省会。
暗いんだ、重いんだ、
背負うザック以上に、この反省会の儀式が、
下級生から、ひとりづつ。
当然、1年坊主、奴隷から始まる、
この儀式は、
懺悔、懺悔、懺悔、懺悔、
4年生の神様からの、お言葉は、なにもなく、無言…。
で、ある。
そこには、預言者も、牧師も、現れない。
当然、救世主なんて、どこを探しても、見当たらない。
宗教性のない、救いのない、神様たちだからね。
平民、貴族、から、ボコボコに、
鋭利な言葉で、厳しく責められる。
笑い声を出す機会なんて、
一切、与えてもらえず、だ。
どこを探しても、福音の、笑い声、というものは、
奴隷には見当たらない。
だ、か、ら、
宗教性のない、救いのない、神様たち、なんだって。
あれッ、一神教じゃないのが、問題なんですか ?
馬鹿が、こびり付いて来ている。
それから、
食後の片付け、食器「 バイル 」の洗い物となる。
基本的には、汚れ物には、お茶を注ぎ、
お茶を、バイルの中で、回して、
すすぎながら、飲むことで、
キレイにする。
これは、合理的だ。
合理的という言葉を、発見。
他のバイルは、
トイレットペーパー( ローペ )で、拭い、
火を焚くときに燃やす。
合理的 !
不合理な世界では、
「合理的」という言葉が、
発見しやすい事を
発見する。
生ゴミは、埋める。
山では、本来、いけないことだが、
こちら側からしたら、
発見しづらい合理的を優先するのだ。
北海道では、クマ対策で、
当然、生ゴミは、全部、お持ち帰り。
お腹に入れた分は減るけれど、
ザックが、なかなか軽くならない訳だ。
朝、奴隷は、先輩たちより1時間早く起きて、
暗い中、ヘッ電を装着。
火を起こし、朝食と、昼食の準備。
朝の決められた出発「 でっぱつ 」の時間に、
出掛ける準備が、間に合わないと、
靴ひもが、結ばれていない状態であろうが、
荷づくり「 パッキング 」が、出来ていなかろうが、
散らかっている荷物は、ゴミ袋にすべて放り込み、
両手に持って、10数分間、
全員で、無言の移動、行進をする。
この両手に、荷物( ゴミ袋 )を持って、
靴ひもを引きずった
重い哀しい沈黙の行進の儀式を、
専門用語で、「 両手に花 」という。
また、排泄は、基本的に、休憩時にする。
大に関しては、専門用語で、
男子は、「 雉( きじ )を撃ちに 」、
女子は、「 花を摘みに 」。
オレは、合宿中は、便秘が続く。
ザックも重いが、身も心も重さが、溜まり続ける。
簡単に言うと、合宿が終わるまで、
2泊3日だったり、3泊4日だったり、
車中泊の4泊5日だったり。
長い時で、1週間っというのもあった、
正部員の合宿だ。
合宿期間は、基本的に、
登り(縦走)、テントの設営、食事作り、食べ、
懺悔、食事の片付け、寝て、起き、食事を作り、食べ、
テントの撤収、出発(でっぱつ)、
両手に花があったりなかったり、縦走、
その間に、休憩、排便、唄、罵声、掛け声、叱責、
沈黙、黙祷、滑落があったりなかったり、便秘、
くだり(縦走)、帰途、
だいたい、この繰り返し。
山里の人家が、みえた瞬間に、
ザックを投げ出し、逃亡を企て、
奴隷から英雄を目指した逸材もいたという。
先輩に、
捕縛された奴隷も、逃げ切った英雄も、いたと聞く。
伝説なのか、事実なのか、
オレには、定かではないのだが。
終盤は、食糧も減り、奴隷から解放されて、
帰宅後の自分の部屋での安眠を思い浮かべ、
頬が、ほんの少しだけ、ほんの小さく緩む。
完璧に、飼い慣らされた、馬鹿である。
人間( ひと )は、一度、逃れることが出来ない、
その環境を受け入れてしまうと、
その状況に、疑問を持たないことで、平衡を保ち、
不可思議な、不条理な世界を、従順に受け入れ、
日々を過ごす事になる。
オレは、社会人になっても、
この習性から逃れられないコトになる。
あの社会人時代の、馬鹿なオレ。もうひとつのクリエイティブのほう、の。(そのもうひとつの5)
1年から2年の秋までに、
東京近郊、北海道、青森、四国、に行ったが、
景色の記憶がない。
なぜなら、オレの山での風景は、
通常モード、バテて、下を向き、目に入るのは、
足元の山道と藪だけだから。
ただ、ひとつ、青森で、
暴風雨の中、八甲田山に行ったのは、記憶にある。
あの死の彷徨の山だ。
この山には、ピストンをした。
ピストンとは、
山の下に重いザックを置いて、軽装で、
目的地の八甲田山に、向かい、
ザックのある出発地に戻って来ること、を云う。
昼食用の炊き込み入り飯盒と、
ポリタンの水、果物、包丁、
汁物を作る為に、EPIガス 、
バイルに、武器( 箸 )だけを持って、
合羽を着て、パーティは、山頂へ向かった。
この時だけは、オレは、身も軽く、心も軽かった。
頂上では、暴風雨に向かって、全身の体重を預けても、
合羽がその強い風を受け、倒れない。
少しだけ、足が宙に浮く、アメイジング !!
景色は、暴風雨で、ガスっていて、真っ白だったが、
オレには、初めての貴重な体験だった。
奴隷に、解放あれ。
思えば、
八甲田山は、暢気に楽しむような場所ではなく、
不謹慎な行為だったけど。
若気の至りってもんでしょう、
馬鹿は、どんどん、こじれて行く。
そして、
この道のりは、つづく、
初出 17/09/07 05:41 再掲載 一部改訂
あの大学時代の、馬鹿なオレ。その5 【 パーティ 】
宿泊地を
「 サイト地 」と言う。
と、言っても、
もちろん、温泉付きの宿泊施設がある訳はなく、
ただのテントが張れる平坦な地面が、あるだけだ。
その為に、旧軍隊の、くすんだ、わさび色のテントと、
鉄のポールを担いで来てるわけだから。
サイト地に着くと、
1年坊主、奴隷のオレたちは、
体を休む暇なく、6人用のテントが、12分、
4人用が、8分だったと記憶してるが、
この時間内に設営出来ないと、
撤収して、もう一度、やり直しだ。
不条理な伝統のルール。
テントの設営が終われば、
次は、すぐに、食事の仕度。
途中、陽が暮れて、
頭に、小型の懐中電灯、
ヘッドライト「 ヘッ電 」を、装着。
落ちてる枯木を拾い、
それがない場合は、生木をナタで切り、
ザックの背に仕込んだベニヤ板で、
あおいで、火を起こす。
生木は、燃えないよ、簡単には。
奴隷には、休む暇なんか、与えられない。
これは、雨の日も、この火起こしの作業はある。
当然、さらに、作業は、困難を極める。
不合理だって言ってんの、狂ってるんだよ。
土砂降りの朝だけは、時間が、貴重なので、
固形燃料で飯盒を炊き、
簡易型コンロ「 EPIガス 」で汁物を調理する。
合理的だね。
おっ、はじめて、合理的という言葉を、見つけた。
で、夕食となるんだが、
テントが、ふた張りあっても、
ひとつのテントの中で、
登山しているメンバー「 パーティ 」全員で食べる。
当然、「パーティ」とは、
楽しい会ではなく、
登山用語で、仲間(意味不明な定義!?)、一行。
この「一行」を、オレは選択したい。
パーティの構成、
神様が、おふた柱(はしら)神様、一神教ではない。
貴族が、3貴族さま、
平民が、3人、
奴隷が、たったの2奴隷で、
奴らのテントと、食糧を運び、設営して、
調理して、提供をする。
合計、10名のパーティだ。
気の重い、ザックの重い、楽しめない、パーティだ。
神様、貴族は、もうひとつの自分たち用のテントで、
喰ってくれていいんだけど、
ひとつのテントの中に、全員で集まってって、
一行は集まり、狭いンだよ。
1年坊主、奴隷は、当然、テントから、はみ出す訳だ。
寒い時期や、雨の日は、
テントの入口、ギリギリのところで、
体を小さく丸めての食事となる。
1日、働き続けて疲れた腰は、急に冷え、
じんじんと響いて来る痛みを覚える。
腰の痛みを、全員の前で、訴えでても、
みんな同じだよ、って、だけ、を、
貴族さま が、おっしゃるだけ、だ。
こいつら、やべぇ、ホンモノか、狂ってる。
狂気の中の、正気なのか、
正気の中の、狂気なのか、
危険な遊戯の中で、崩壊していく。
そして、
この道のりは、つづく、
初出 17/09/06 06:42 再掲載 一部改訂
あの大学時代の、馬鹿なオレ。その4 【 おね 】
頂上「ピーク」での
いっときの休憩も、
ザックに、腰掛け、
大きく肩を上下して呼吸を整え、水を飲み、
それで、オレの休憩時間は終了、
おしまい、ジ・エンド。
おい、
眺めのいい景色は、
いったい、何処に、あったんだよぉ。
山の稜線「 尾根 」
峰から峰に続く線を、歩いていくんだが、
寝不足と、疲れたオレの体は、
朦朧として、振らつき、バランスを崩し、
尾根から足を踏み外し、斜面を、落下して行く。
この状態を、専門用語で「 滑落 」と言う。
別に、改めて、
専門用語と言うまでもないんだけど。
尾根の上から、やさしい先輩たちが、
滑落したオレに、怒声を上げる。
「 ワザと落ちてんじゃねぇよぉ、
早く上がって来い !!」
心配は、しないわけね、滑落したオレを。
ザックが重いので、重力の自然の法則から、
ザックがオレの体の下となり、
ザックが、山の斜面を滑り落ちる。
ザックの上にあるオレの体は、
肩バンドで、ザックに固定されているので、
意外と、怪我はないんだが、
自分で背負うことが出来ないザックを、
滑落地点から尾根まで、
ふたたび、自分で引きずり上げるのが、
これまた、ひと苦労なんだよ、まったく。
馬鹿なオレによる、
馬鹿なオレの、
馬鹿なオレへの、
馬鹿な罰ゲーム。
それが「滑落」。
こんな思いまでして、
ワザと滑落するかよ、発想が、狂ってるな、奴らは。
以前に、自分で、ワザと滑落した、記憶が、
そう、叫ばすのか。
どちらにしても、ヤベェぞ、
馬鹿なオレを超えて、狂ってる。
そして、
この道のりは、つづく、
初出 17/09/05 05:55 再掲載 一部改訂
あの大学時代の、馬鹿なオレ。その3 【 イコマ 】
1年坊主、奴隷の
ザックには、
人参、玉ねぎ、じゃがいも、大根、キャベツ、
そして、りんご、オレンジなどの果物。
重い生(なま)のままの食糧に、
塩辛く炒めた豚のバラ肉をビニール袋に詰めたもの。
味噌、醤油、お酢、砂糖の調味料、瓶ごと。
インスタントコーヒーを瓶ごと。
非常用の燃料として、固形燃料にEPI ガスボンベ。
水道水を入れた2リットルの
ポリタンク「 ポリタン 」が、ふたつで4リットル。
衛生水として、自宅で10分以上煮沸して消毒した水、
ポリタンに2リットル、合わせて6リットルの水。
昼食用の炊込みご飯の詰まった飯盒( はんごう )。
背中に、鉄の使い込まれてへこんでいる、
マンホールの蓋くらいある大きさの鍋をくくり付け、
そして、旧軍隊のわさび色のテントに、鉄のポール。
加えて、
全員分のアルミの食器「 バイル 」と、
箸「 武器(ぶき) 」、
登山に立ち向かうための、
栄養補給の重要な道具で、箸を武器、と呼んだ、
そうだ。(当時、2年生の先輩に訊いても不明だった)
熊が出た時の武器としての鉈(なた)。
冗談です。木々や藪を切るためです。
ダンボールでサック状にカバーした包丁に、おたま、
千切り用にスライサー、たわし、ゴミ袋。
そして、
自分の着替えや、合羽、寝袋、
寝袋の下にひくウレタンマット、
ヘッドライト、チョコや飴などの非常食など。
忘れていけない地図とコンパス。
バテてほとんど見ない、けど。
人生の地図とコンパスは、
すでに、見失ってます。
これが、1年坊主、
奴隷の完全装備だ。
当然、ザックは、オレの体重より重くなり、
手で持ち上げても、背負うことは出来ない。
ザックを地面に寝かせ置き、肩ベルトに、腕を通して、
亀が裏返しに転(ころ)げた様子を
思い浮かべてください。
そこから、大きく足を振り上げ、振り子の勢いで、
降り降ろす力を利用して、オレは、起き上がる。
休憩の度に、毎回、
オレは、この亀の儀式を繰り返す。
道中は、ザックが重いため、腰を前傾姿勢に曲げ、
両腕を各々の腿(もも)で支えて、脚を前に出す。
周囲の景色を楽しむ余裕もなく、
オレの視線は、オレの汗で、
確実に、濡れて行くであろう、
その先の、山道を眺めているばかりだ。
苦行僧か!?
そう、苦行僧に、与えらた、もうひとつの試練は、
道中、歌を唄うことだ。
伝統はあっても、宗教性はない。
あるとしたら、
「不合理ゆえ我信ずる」という哲理だ。
楽しくないんだって、負担なんだって、
歌を唄う事なんて、そう、不合理なんだよ。
ピクニックじゃないんだから。
ハイキングじゃないんだから。
山を歩く行為は、同じかも知れないが、
ちゃんと、道ある道を歩くんじゃなくて、
藪を漕ぎ、
装備の荷物の重さが、全然、違うんだよ、
わかってんのか、「伝統という重み」さん、よ。
一歩、一歩、足を前に出すのが、
やっとなんだ。
自然の山の中、
アカペラで歌を唄う、似非(えせ)の歌手の役目は、
平民と奴隷です。
オレの十八番は、
憂歌団の『 イコマ 』
(女町エレジー)。
先輩たちは、オレが唄う事で、
初めて、知ったろ、この唄を、
切ない色街の女性の唄なんだよぉ。
とにかく、歌が、短いンだよ。
カタチは違えど、自分を投影しているんだよ。
急な坂道になり、唄う事が、キツイと、
「えっさぁ〜、こりゃさぁ〜」の掛け声に、
切り替わる。
どちらにしても、
声の発生作業は、休まない。
オレは、よく、息が上がり、疲労と反抗で、
ストライキ、だんまりを決め込み、
平民から、罵声を浴びられても、
それでも、沈黙を続ける、と、
奴らは、「 ちぇッ 」と、舌打ちして、
代わりに唄ってくれた。
優しいねぇ…、
神様、貴族の眼が、怖かったのか?
違った、耳が、怖かったのか。
そして、
この道のりは、つづく、
初出 17/09/04 05:44 再掲載 一部改訂
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