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砂川という名前が、今度は憲法の条理に沿った当然の判決という形で、最高裁にその名を刻みました。
戦前の国家神道が侵略戦争を招き、また多くの人の人権侵害に結びついた歴史的背景から、日本国憲法の政教分離は厳格でなければならないというのが学界の通説です。
最高裁は、以下に見るように、目的効果基準という危うい基準(藤田判事の補足意見参照 これからは事案に注意すべし)類似の新基準(なのかどうかを含め、学者の評価を待つべきで、勉強している人は要注意。かなりいい加減な基準です)を用いていますが、愛媛玉串料判決以降は、厳格分離で運用すると固まったわけです(かなりやっかいな構造の判決。憲法判断については、違憲13、合憲1ということになるはずだが、違憲9、判断せず4、合憲1という評価もありうる。4人の補足意見、今井判事の少数意見に、憲法訴訟上の民事訴訟法的な面白い問題提起あり。研究者の評釈に注目して待つべし)。
かつて、即位の礼・大嘗祭訴訟の弁護団で憲法20条関係を一生懸命勉強した私としては、やれやれ、という気分です。
政教分離訴訟合宿というのまであったからなあ。
あんときゃ、最高裁調査官との面接に三宅坂の最高裁まで行ったなあ。中がテロに備えて迷路になってて、迷子になりそうだった。
毎日新聞は「市有地に神社 最高裁の「違憲」は妥当だ」という社説を掲げていますが、産経新聞は「【主張】政教分離判決 「違憲」の独り歩き危ぶむ 」。
「憲法を厳格に解釈すれば、そうかもしれない。しかし、津地鎮祭訴訟の最高裁判決(昭和52年)は「目的が宗教的意義を持ち、効果が特定宗教を援助、助長あるいは他の宗教を圧迫するものでない限り、憲法違反とはいえない」(目的効果基準)との緩やかな解釈を示し、これが踏襲されてきた。今回の最高裁判決は、これをやや逸脱しているのではないか」
憲法は厳格に解釈しようよ。最高裁が最高裁判決を逸脱するってどういう意味?愛媛玉串料最高裁判決で目的効果基準の適用方法が変わったことは知らない??
あまりに勉強不足で、産経新聞の新聞社としての、格、を疑われそうです。
無理に無理を重ねても、最高裁で合憲説の少数意見もとうとう14人中の1人(堀判事の少数意見。なんちゅうかちょっとコメントしにくい。1人しかいないことを産経は無視して常識的と断定していますが)にまで減っていますし、もう無駄な抵抗なので、いい加減あきらめないと読者もついていけないと思うのですが。
北海道・砂川の神社住民訴訟:「違憲」判断 毎日新聞 1月21日
最高裁判決(要旨)
北海道砂川市が市有地を空知太(そらちぶと)神社の敷地として無償で使わせていることの是非が争われた訴訟で、違憲と判断した20日の最高裁大法廷判決の要旨は次の通り。
【多数意見】
国または地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地として供する行為は、一般的には、宗教的施設を設置する宗教団体などに対する便宜供与として、憲法89条との抵触が問題となる。信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて憲法89条に違反するか否かを判断するに当たっては宗教的施設の性格、土地が無償で施設の敷地として供されるに至った経緯、無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等、諸般の事情を考慮し社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解される。
現在、空知太神社の敷地となっている市有地上には、地域の集会場等である建物が建てられているが、その一角に同神社のほこらが設置され、建物の外壁には神社の表示が設けられ、鳥居が設置されている。これらの鳥居や、ほこらに至る各物件は一体として神道の神社施設に当たるものと見るほかはなく、行われている祭事等の諸行事も、宗教的行事ということができる。
砂川市は建物及び各物件の所有者である地元の連合町内会に対し市有地を無償で敷地としての利用に供しているが、諸行事を行っているのは連合町内会とは別の氏子集団で、市有地の利用提供行為はその直接の効果として宗教団体である氏子集団が神社を利用した宗教的活動を行うことを容易にしているということができる。一般から見て砂川市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ない。
以上の事情を考慮し、社会通念に照らし総合的に判断すると、市と神社ないし神道とのかかわり合いが社会的、文化的諸条件に照らし信教の自由の保障の確保との関係で相当とされる限度を超え、憲法89条の禁止する公の財産の利用提供に当たり憲法20条1項後段の禁止する宗教団体に対する特権付与にも該当し違憲と解される。
違憲状態を解消するためには、住民らが求めている神社施設の撤去及び土地明け渡し請求以外にも、市有地の全部または一部を無償で譲与し、有償で譲渡したり、または、適正な時価で貸し付けるなどの方法があり得る。市長には相当と認められる方法を選択する裁量権がある。また、直ちに神社施設を撤去させるべきだとすることは連合町内会の信頼を害するのみならず、住民らによる宗教的活動を著しく困難にし、氏子集団の構成員の信教の自由に重大な不利益を及ぼす。2審が違憲性を解消するため他の合理的で現実的な手段が存在するか否かについて審理判断しなかったことは違法。違憲性解消の他の手段の存否等について審理を尽くさせる必要があるから差し戻すのが相当である。
【補足意見】
◇藤田宙靖裁判官
(判例の)目的効果基準については、論理構造等に関し批判があることもあり、具体的な内容あるいは適用の在り方については慎重な配慮が必要。本件の神社施設は一義的な宗教施設で、地鎮祭訴訟など最高裁が目的効果基準を適用して合憲判断をした行為とは、状況が明らかに異なる。
◇田原睦夫裁判官
政教分離原則は厳格適用されてしかるべきだが国家等所有の土地や施設に歴史的な経緯等から道祖神、地蔵尊やほこら等があるのを除去しないというだけでは国家等と宗教との関係において、社会的に何らかの影響をもたらすとは認め難い。
◇近藤崇晴裁判官
空知太神社が信者に精神的、経済的な支配力の強い宗教であるとは到底評価し得ない。しかし憲法の趣旨が、国が特定の宗教を優遇することを一切禁止するものである以上、砂川市の行為は、憲法に抵触するものであると評価せざるを得ない。
【意見】
◇甲斐中辰夫、中川了滋、古田佑紀、竹内行夫の4裁判官
多数意見の判示する憲法判断には賛成するが、一面的な確定事実を基礎として違憲と判断しており総合的判断がされていない。ほこらが納められている建物は町内会館として新築され、氏子集団の実態や意識、住民の受け止めなど憲法判断に必要な事情について審理を尽くさせるため、2審に差し戻すべきだと考える。
【反対意見】
◇今井功裁判官
多数意見に全面的に賛成するが2審判決は正当で上告を棄却すべきだ。ある物件が市有地に存在することで違憲状態が現れている場合、解消には所有者に撤去請求することが通常考えられる適切かつ相当な手段というべきだ。
◇堀籠幸男裁判官
市の行為は憲法に違反しないと考える。神道は日本に住む人々が集団生活を営む中で生まれた密着した信仰。空知太神社は開拓のために渡った人々が心の安らぎのために建立し、生活の一部。創始者が存在し、確固たる教義や教典を持つ排他的な宗教と同列に論ずるのは相当ではない。
戦前の国家神道が侵略戦争を招き、また多くの人の人権侵害に結びついた歴史的背景から、日本国憲法の政教分離は厳格でなければならないというのが学界の通説です。
最高裁は、以下に見るように、目的効果基準という危うい基準(藤田判事の補足意見参照 これからは事案に注意すべし)類似の新基準(なのかどうかを含め、学者の評価を待つべきで、勉強している人は要注意。かなりいい加減な基準です)を用いていますが、愛媛玉串料判決以降は、厳格分離で運用すると固まったわけです(かなりやっかいな構造の判決。憲法判断については、違憲13、合憲1ということになるはずだが、違憲9、判断せず4、合憲1という評価もありうる。4人の補足意見、今井判事の少数意見に、憲法訴訟上の民事訴訟法的な面白い問題提起あり。研究者の評釈に注目して待つべし)。
かつて、即位の礼・大嘗祭訴訟の弁護団で憲法20条関係を一生懸命勉強した私としては、やれやれ、という気分です。
政教分離訴訟合宿というのまであったからなあ。
あんときゃ、最高裁調査官との面接に三宅坂の最高裁まで行ったなあ。中がテロに備えて迷路になってて、迷子になりそうだった。
毎日新聞は「市有地に神社 最高裁の「違憲」は妥当だ」という社説を掲げていますが、産経新聞は「【主張】政教分離判決 「違憲」の独り歩き危ぶむ 」。
「憲法を厳格に解釈すれば、そうかもしれない。しかし、津地鎮祭訴訟の最高裁判決(昭和52年)は「目的が宗教的意義を持ち、効果が特定宗教を援助、助長あるいは他の宗教を圧迫するものでない限り、憲法違反とはいえない」(目的効果基準)との緩やかな解釈を示し、これが踏襲されてきた。今回の最高裁判決は、これをやや逸脱しているのではないか」
憲法は厳格に解釈しようよ。最高裁が最高裁判決を逸脱するってどういう意味?愛媛玉串料最高裁判決で目的効果基準の適用方法が変わったことは知らない??
あまりに勉強不足で、産経新聞の新聞社としての、格、を疑われそうです。
無理に無理を重ねても、最高裁で合憲説の少数意見もとうとう14人中の1人(堀判事の少数意見。なんちゅうかちょっとコメントしにくい。1人しかいないことを産経は無視して常識的と断定していますが)にまで減っていますし、もう無駄な抵抗なので、いい加減あきらめないと読者もついていけないと思うのですが。
北海道・砂川の神社住民訴訟:「違憲」判断 毎日新聞 1月21日
最高裁判決(要旨)
北海道砂川市が市有地を空知太(そらちぶと)神社の敷地として無償で使わせていることの是非が争われた訴訟で、違憲と判断した20日の最高裁大法廷判決の要旨は次の通り。
【多数意見】
国または地方公共団体が国公有地を無償で宗教的施設の敷地として供する行為は、一般的には、宗教的施設を設置する宗教団体などに対する便宜供与として、憲法89条との抵触が問題となる。信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えて憲法89条に違反するか否かを判断するに当たっては宗教的施設の性格、土地が無償で施設の敷地として供されるに至った経緯、無償提供の態様、これらに対する一般人の評価等、諸般の事情を考慮し社会通念に照らして総合的に判断すべきものと解される。
現在、空知太神社の敷地となっている市有地上には、地域の集会場等である建物が建てられているが、その一角に同神社のほこらが設置され、建物の外壁には神社の表示が設けられ、鳥居が設置されている。これらの鳥居や、ほこらに至る各物件は一体として神道の神社施設に当たるものと見るほかはなく、行われている祭事等の諸行事も、宗教的行事ということができる。
砂川市は建物及び各物件の所有者である地元の連合町内会に対し市有地を無償で敷地としての利用に供しているが、諸行事を行っているのは連合町内会とは別の氏子集団で、市有地の利用提供行為はその直接の効果として宗教団体である氏子集団が神社を利用した宗教的活動を行うことを容易にしているということができる。一般から見て砂川市が特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されてもやむを得ない。
以上の事情を考慮し、社会通念に照らし総合的に判断すると、市と神社ないし神道とのかかわり合いが社会的、文化的諸条件に照らし信教の自由の保障の確保との関係で相当とされる限度を超え、憲法89条の禁止する公の財産の利用提供に当たり憲法20条1項後段の禁止する宗教団体に対する特権付与にも該当し違憲と解される。
違憲状態を解消するためには、住民らが求めている神社施設の撤去及び土地明け渡し請求以外にも、市有地の全部または一部を無償で譲与し、有償で譲渡したり、または、適正な時価で貸し付けるなどの方法があり得る。市長には相当と認められる方法を選択する裁量権がある。また、直ちに神社施設を撤去させるべきだとすることは連合町内会の信頼を害するのみならず、住民らによる宗教的活動を著しく困難にし、氏子集団の構成員の信教の自由に重大な不利益を及ぼす。2審が違憲性を解消するため他の合理的で現実的な手段が存在するか否かについて審理判断しなかったことは違法。違憲性解消の他の手段の存否等について審理を尽くさせる必要があるから差し戻すのが相当である。
【補足意見】
◇藤田宙靖裁判官
(判例の)目的効果基準については、論理構造等に関し批判があることもあり、具体的な内容あるいは適用の在り方については慎重な配慮が必要。本件の神社施設は一義的な宗教施設で、地鎮祭訴訟など最高裁が目的効果基準を適用して合憲判断をした行為とは、状況が明らかに異なる。
◇田原睦夫裁判官
政教分離原則は厳格適用されてしかるべきだが国家等所有の土地や施設に歴史的な経緯等から道祖神、地蔵尊やほこら等があるのを除去しないというだけでは国家等と宗教との関係において、社会的に何らかの影響をもたらすとは認め難い。
◇近藤崇晴裁判官
空知太神社が信者に精神的、経済的な支配力の強い宗教であるとは到底評価し得ない。しかし憲法の趣旨が、国が特定の宗教を優遇することを一切禁止するものである以上、砂川市の行為は、憲法に抵触するものであると評価せざるを得ない。
【意見】
◇甲斐中辰夫、中川了滋、古田佑紀、竹内行夫の4裁判官
多数意見の判示する憲法判断には賛成するが、一面的な確定事実を基礎として違憲と判断しており総合的判断がされていない。ほこらが納められている建物は町内会館として新築され、氏子集団の実態や意識、住民の受け止めなど憲法判断に必要な事情について審理を尽くさせるため、2審に差し戻すべきだと考える。
【反対意見】
◇今井功裁判官
多数意見に全面的に賛成するが2審判決は正当で上告を棄却すべきだ。ある物件が市有地に存在することで違憲状態が現れている場合、解消には所有者に撤去請求することが通常考えられる適切かつ相当な手段というべきだ。
◇堀籠幸男裁判官
市の行為は憲法に違反しないと考える。神道は日本に住む人々が集団生活を営む中で生まれた密着した信仰。空知太神社は開拓のために渡った人々が心の安らぎのために建立し、生活の一部。創始者が存在し、確固たる教義や教典を持つ排他的な宗教と同列に論ずるのは相当ではない。
空知太事件の方は形式的には12対2ですが、実際には「違憲:保留:合憲=9:4:1」という不思議な判決ですね。
本件における憲法判断の枠組み(以下、「新基準」という)についても、津地鎮祭事件や愛媛玉串料事件の「趣旨とするところから明らか」とするだけで、なぜ“明らか”なのかが不明ですね。
とはいえ、田原補足意見や今井反対意見を読む限り、憲法の重要判例というよりは民訴の重要判例という色彩が強い感じもします。
憲法判断の枠組みに関しては藤田補足意見が学者的な視点から書かれており、興味深かったです(さすが行政法学の大家です)。
問題はこの裁判が宗教紛争の性格を持っていることです。
原告がキリスト教徒であるように、「神道は悪だから駆逐せよ」という意図が裁判の裏に見え隠れします。
ほかの多くの宗教施設が公有地のうえに建っているのに、神社のみが裁判の標的とされているのが現状です。
原告たちは、信教の自由を守るのが目的でないことは明らかです。
国にとっては、原告たちの意図などどうでもよいのでしょうが。
富平判決も全文読んだんですか?そりゃすごい。写真を選ぶ時に旗出しの写真にしようと思っていたら、どうしても不当判決というのが入っていて、使えませんでした。(富平はしかたないのかなという印象を持っていますが・・・)
そう、憲法訴訟の民事訴訟法部分では注目の判例。実体法的には、規範を定立したというよりも一端ご破産にしてしまったともいえるので、困り者の判決です。
まさに、藤田判事、素晴らしいですね。行政法の基本書は櫻井先生たちの本が人気ですが、入門書は藤田先生のが最高だと思います。
香り引き立つ感じです。
日本の場合、戦前に国家神道があってそれが政教分離原則の制度趣旨になっていますし、現状でも、最高裁長官経験者が神道系の政治団体トップになるのがならわしになっていたり、政治家が大挙して靖国神社や各神宮にいったり(神宮が格上。伊勢神宮など)、天皇家が皇室祭祀を神道でやっていたりするので、政教分離という制度には神道という言葉が入っていないのですが、問題として具体的に取り上げるべき事案は神道関係が多くなります。
憲法訴訟で面白いことを一杯経験したのでローで憲法教えたりするんですね、私。
さて、その判例が、この砂川市空知太神社の証拠として、原告から提出されこれが支えになって、1審、2審勝訴となった経緯でした。
その上記、信州大学神社は、平成19年3月3日に上述した東京高裁の政教分離違憲判決に基づいて、本部キャンパス外へ収去され、跡地が更地化しました。
これは、行政実例の先例として、特にその神社社殿、その他の宗教構造物ないし工作物が、境内地から政教分離違憲判決に基づいて、収去されたから、本件砂川市空知太神社の札幌高裁差戻し審理、若しくは予定されている判決に、影響する可能性があります。
上記の信州大学構内神社を、国家賠償法第1条1項、民法第709条に基づいて、本人訴訟として提訴したのは、私でした。
最後の2行でのけぞりました。わざわざ書き込み頂きありがとうございました。
勿論、その地裁の訴状、控訴審の被控訴答弁書、上告審の答弁書など、公式の裁判文書にも、同じく高橋氏が訴訟の当事者である旨、正式に記載されている。その一審、二審、また上告審の最高栽判決にも、同様に当事者として高橋氏の名前が、載っているのです。
高橋氏は、今次大戦の戦時中に大東亜戦争へ徴兵され、中国大陸で転して敗戦のため、シベリアへ抑留されて、その後中国戦線に従事した戦犯として服役、合計14年間を大陸で過ごした後、故郷の北海道へ帰国したのでした。
その戦争と抑留、戦犯の中国刑務所服役は、天皇制・国家神道による大東亜戦争に徴兵された結果だ、再び戦火を交えることがないよう、公金の神社宗教施設支出を違憲として、市長による市有地の神社無償提供を特定の宗教に対する支持・支援として、住民監査請求し住民訴訟を提訴した経緯でした。
政教分離は、宗教のあり方の問題であると同時に、まず政治の宗教的中立性の問題ですから、なにか特定の信仰があるかないかにかかわらず、大きな影響を受けるのですよね。戦前の国家神道もそうでした。
たいへんよくわかりました。今後ともよろしくご指導ください。
上述のように、今次大戦の中国戦線で3年の間、戦闘に従軍し、シベリア抑留で4年間、その後中国の戦犯として6年間、合計14年間を大陸で過ごして、辛うじて日本に帰国できました。
帰国後に、もはや高橋さんの青春は過ぎ去って、敗戦国の兵士を処遇する仕事もなく、戦後の敗残兵に失業の宿命が待っていました。共産主義のソ連シベリア抑留と、同じく共産主義の中国刑務所で戦犯の受刑によって、共産国の本場で共産主義教育を徹底的に教育された経緯です。
戦前から戦後に至る歴史的体験の熾烈な経験に基づいて、人生を賭けて天皇制・国家神道の砂川政教分離違憲に対し、異議を申し立てた住民訴訟でした。
命がけで、政教分離を守る高橋会長が、もう一人の原告谷内さんと共に、人生かけた闘いの結果、遂に憲法政教分離の判断基準を確立できた成果でした。その趣旨を頭に入れて、もう一度この判決文を読んでみて下さい。