誤認逮捕から実に57年!
1966年に静岡県でみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌さんについて2023年3月13日、東京高裁は
「到底、犯人と認定することはできない」
と結論づける再審開始決定を出しました。
まず言いたいことは、あとで述べるように証拠捏造の疑いまで東京高裁が述べた検察側は絶対に最高裁に特別抗告せず、再審を受け入れるべきだということです。
再審において検察はまた有罪だという主張もできるのですし、齢87歳の袴田さんは半世紀以上、人生の大半を拘置所で過ごし、今回の再審請求からでも15年もの歳月が経過していてもう時間がありません。
検察はいたずらに時間を稼ぐのはやめるべきです。
袴田巌さんと姉のひで子さん。
再審請求審の最大の焦点は、逮捕の1年後、公判段階で「なぜか」見つかった、袴田さんが働いていたみそ工場のタンクにあった5点の衣類の証拠価値でした。
これまでの有罪認定は、これらが犯人の着衣で、袴田さんのものだったとの認定に支えられていました。
このみそタンクに入っていた衣類の血痕には血液っぽい赤みが残っていました。
弁護団は、衣類をみそに漬けた再現実験の報告書を新証拠として提出し、色の変化についての鑑定も行われたのですが、今回の東京高裁の決定は、衣類が1年以上みそ漬け状態だったならば血液の色は変色して黒くなるのが当然だとして、捜査機関が発見現場のみそタンクに入れた可能性が極めて高いと認定。
再審に必要な
「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」
だと判断し、
「証拠の捏造」
とした静岡地裁決定と同様の結論を導き出し、衣類以外に有罪の根拠とされていた証拠も合わせ、総合的に判断し直して再審決定を下しました。
袴田さんに対しては連日、長時間の取り調べが行われていたことも発覚していて、裁判に提出された自白調書45通のうち、44通が採用されなかったのです。
それでも最初の地裁、高裁の合議体は袴田さんに死刑判決を言い渡しました。
この、血痕の赤みがわかるカラー写真は再審請求審で裁判所の求めに応じて検察側が初めて提出したものです。
この新証拠が元の裁判に出ていれば有罪にはならなかったと東京高裁は指摘しました。
裁判では、犯人のものとされるズボンを袴田さんが実際に着用しようとしたが小さすぎて履けませんでした。
さらに、袴田さんが身柄拘束されてから見つかったこれらの衣類は
「捜査機関の者による可能性が極めて高い」
と、警察ないし検察が隠した可能性が高いと言及したわけです。
1975年の最高裁決定は「疑わしきは被告人の利益に」の刑事裁判の原則が再審にも適用されるとしましたが、もう30年以上死刑確定者に対する再審は行われてきていません。
再審開始までが長く、救済制度として機能しておらず、再審は「開かずの扉」に逆戻りしてしまっています。
2023年2月末に大阪高裁が再審開始を認めた日野町事件では、無期懲役刑が確定していた本人は最初の再審請求中の11年に死去されていて遺族による再審請求でした。
刑事訴訟法の再審についての規定は19条しかなく、日本弁護士連合会は裁判所の裁量が大きく、担当する裁判体による「再審格差」があるとしています。
袴田さん自身、再審請求を何度も退けられてきました。
そして、とくに急がねばならないのは、今回の袴田事件で不備が明らかになった再審手続きの証拠開示のルール作りです。
計約600点に及ぶ証拠が検察側から新たに開示され、2度の再審開始決定の原動力となりました。
裁判員制度の創設に伴い新しい証拠開示制度ができましたが、再審については証拠開示の規定がありません。
検察庁が手持ち証拠を開示せず、捜査機関が証拠をでっち上げることさえあることが明らかになった以上、再審こそ、弁護側の請求で原則的にすべての証拠を開示する義務を検察官に負わせるべきです。
法務省が再審請求中の死刑囚の死刑執行を強行する事案が増えています。
2021年には2人、2022年には1人に対して再審請求の最中に死刑が執行されています。
再審請求中であることは死刑の執行停止の理由には法律上なっておらず、仮に死刑を執行したのちに誤判だと分かっても、生命は戻らないのです。
そもそも、死刑冤罪が現に存在することが明らかになった以上、最低限、再審請求中・再審中の死刑執行を禁じるように法改正すべきです。
憲法36条は
死刑という、人の可能性をすべて奪う最も残虐な刑罰廃止すること自体が求められています。
袴田事件 これでも死刑なのか
今回の再審決定を出した東京高裁の合議体に、仲の良い同期の裁判官が入っていたは嬉しかったです。
歴史に名を残したね、青ちゃん!
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袴田事件、再審開始決定=証拠捏造に言及「犯人と言えず」―第2次請求差し戻し審・東京高裁
1966年に静岡県でみそ会社専務一家4人が殺害、放火された「袴田事件」で死刑が確定し、2014年の静岡地裁の再審開始決定で釈放された元従業員の袴田巌さん(87)の第2次再審請求差し戻し審で、東京高裁の大善文男裁判長は13日、再審開始を認める決定をした。
事件の約1年2カ月後に工場のみそタンクから見つかり、犯行着衣とされた「5点の衣類」について、「捜査機関による隠匿の可能性が極めて高い」とし、証拠が捏造(ねつぞう)された疑いに言及。「袴田さんを犯人と認定することは到底できない」として、検察側の主張を退けた。
最高裁が、地裁決定を覆して再審請求を棄却した東京高裁決定を取り消し、審理を差し戻していた。「5点の衣類」に付着した血痕の色調変化に争点が絞られた中、弁護側の主張が全面的に認められたことで、再審開始は決定的となった。
大善裁判長は決定で、弁護側が新証拠と主張したみそ漬け実験報告書に関し、「1年以上みそ漬けされた衣類の血痕の赤みが消失することは専門的知見によって化学的メカニズムとして合理的に推測することができる」と指摘。5点の衣類には血痕に赤みが残っていたことから、袴田さんの逮捕以前にみそ漬けされたとした確定判決は「合理的な疑いを生じさせ、犯行着衣であるという認定に重大な影響を及ぼすことは明らかだ」とした。
他の旧証拠についても検討し、「犯人性を推認させる力が限定的、または弱いものでしかなく、みそ漬け実験報告書の新証拠により証拠価値が失われるものもある」と判断。5点の衣類については「事件から相当期間経過した後に、袴田さん以外の第三者がタンク内に隠匿してみそ漬けにした可能性が否定できず、事実上、捜査機関の者による可能性が極めて高い」と言及した。
その上で「新証拠が確定審で提出されていれば有罪判断に達していなかった」とし、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認定した静岡地裁決定に誤りはないと結論付けた。袴田さんの死刑と拘置の執行停止についても、袴田さんの年齢や心身の状況などから支持できるとし、地裁決定を不服とした検察側の即時抗告を棄却した。
◇袴田事件を巡る動き
1966年 6月 みそ会社専務一家4人が刺殺、放火される
7月 静岡県警が工場兼従業員寮を捜索、袴田巌さんのパジャマ押収
8月 袴田さん逮捕。容疑を否認
9月 袴田さんがパジャマ姿で犯行に及んだと自白。強盗殺人罪などで起訴
11月 静岡地裁の初公判で無罪を主張
67年 8月 工場のタンクから「5点の衣類」。ズボンなどに多量の血痕
9月 袴田さんの実家からズボンの端布押収
検察側が犯行着衣をパジャマから「5点の衣類」に変更
68年 9月 地裁が袴田さんに死刑判決
80年11月 最高裁が上告棄却
12月 死刑確定
2008年 4月 みそ漬け実験とDNA鑑定を新証拠に第2次再審請求
14年 3月 静岡地裁が再審開始を決定、袴田さん釈放
18年 6月 東京高裁が再審認めず、地裁決定を取り消し請求棄却
20年12月 最高裁が高裁決定を取り消し、審理のやり直し命じる
23年 3月 高裁が再審開始を決定
◇決定骨子
一、検察側の即時抗告を棄却する
一、弁護側のみそ漬け実験報告書を「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」とした静岡地裁決定に誤りはない
一、1年以上みそ漬けされた衣類の血痕の赤みが消失することは合理的に推測できる
一、5点の衣類に赤みが残っていたことは、確定判決の認定事実に合理的な疑いを生じさせる
一、事件から相当期間経過した後に第三者がタンクに隠匿した可能性が否定できず、捜査機関の者による可能性が極めて高い
一、死刑と拘置の執行停止も年齢や心身の状況に照らし支持できる
[時事通信社]
追跡 記者のノートから「袴田事件」再審開始決定を出した元裁判長が語る「再審」
2023年3月13日NHK
1966年に静岡県で一家4人が殺害される事件が起きました。
犯人として逮捕・起訴されたのはプロボクサーだった袴田巌さん。
死刑が確定しましたが、その後も一貫して無実を訴え、40年以上にわたって「再審」=裁判のやり直しを求め続けています。
きょう(13日)東京高等裁判所は袴田さんの再審を認める決定をしました。
「袴田事件」と呼ばれるこの事件では、9年前にも再審を認め死刑囚を初めて拘置所から釈放するという前例のない決定が出されていました。
異例の判断の裏に何があったのか、当時の裁判長が取材に応じました。
袴田事件とは
1966年6月、いまの静岡市清水区でみそ製造会社の専務の家が全焼。
焼け跡から一家4人の遺体が見つかり、この会社の従業員で元プロボクサーの袴田巌さんが、強盗殺人などの疑いで逮捕されました。
袴田さんは当初、無実を訴えましたが、逮捕から19日後の取り調べで自白。しかし、裁判では再び無罪を主張しました。
事件発生から1年余り後、すでに裁判も始まっていた時期に、みそ製造会社にあったタンクから血の付いたシャツなど「5点の衣類」が見つかります。
犯人のものなのか、それとも“ねつ造”されたものなのか、現在に至るまで争われ続けている証拠です。
1968年、1審の静岡地裁は、45通の調書のうち44通は自白を捜査官に強要された疑いがあるとして証拠として認めませんでしたが、この「5点の衣類」が有罪の証拠だと認定し、袴田さんに死刑判決を言い渡しました。
2審の東京高裁と最高裁でも無罪の主張は退けられ、1980年に死刑が確定しました。
再審求め翻弄された40年
死刑が確定したよくとしの1981年、袴田さんの意を受けた弁護団は再審=裁判のやり直しを裁判所に求めますが、2008年、最高裁で再審を認めない判断が確定しました。申し立てから実に27年がたっていました。
2回目の再審の申し立ては異例の展開をたどります。
2014年、静岡地裁は再審開始を命じるとともに、袴田さんの死刑の執行を停止する決定を出します。
「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがある」と当時の捜査を厳しく批判し、拘置所にいた袴田さんの釈放までも認める前例のない判断でした。
しかし、検察が不服として即時抗告。東京高裁は地裁と逆の判断をして再審を認めず、最高裁は「審理が尽くされていない」として再び高裁で審理するよう命じました。最高裁では5人の裁判官の意見が3対2で分かれ、2人は「再審を認めるべきだ」と述べていました。
“僕は犯人ではありません”
袴田巌さんはいま、浜松市で暮らしています。
釈放されてからは、外を自由に歩きたかった日々を取り戻すかのように散歩が日課となり、毎日数時間、歩き続けていました。
一方で、死刑への恐怖から自分の世界に閉じこもるようになり、今も意思の疎通が難しい状態が続いています。
そんな袴田さんを事件発生から半世紀以上にわたって支え続けてきたのが、姉のひで子さん(90)です。
6人きょうだいの5番目と末っ子で年が近く、子どものころはよく2人で川遊びに出かけるなどいつも一緒にいたといいます。
ひで子さんは優しい弟が事件を起こすはずはないと信じ続けてきました。
家族のもとには、勾留中の袴田さんから毎日のように手紙が届きました。そこには、無実を訴える悲痛な声がつづられていました。
袴田巌さんの手紙
「僕は犯人ではありません。僕は毎日叫んでいます。此処静岡の風に乗って世間の人々の耳に届くことを、ただひたすらに祈って僕は叫ぶ」
「事件には真実関係ありません。私は白です」
ひで子さんは仕事のかたわら、可能な限りの時間とお金を弟のために費やしました。面会も重ね、袴田さんを励まし続けましたが、裁判では死刑が言い渡されます。周囲からの冷ややかな目に心身は傷つき、一時はお酒を飲まないと寝つけない状態にもなったといいます。
ひで子さん
「まさか巌がね、そんなことするわけないと思っていた。夜ふっと目を開くと巌のことを考えて眠れなくなって、お酒飲んで寝る。顔の肌なんか、粗壁を触っているようだった。それでも朝には化粧をして、仕事に行かなきゃいかんから行っていた。全部敵に見えたもん。弁護士でさえ敵に見えた。支援者でさえ敵に見えた。誰もわかってくれないし」
死刑が確定したあと、袴田さんの心は少しずつむしばまれていきました。
ひで子さんとの面会も拒否するようになり、3年7か月ぶりに対面を果たしたときは、みずからを「袴田巌ではない。神になった」と語り、会話は通じませんでした。
その後も面会拒否の期間が長く続きましたが、ひで子さんは諦めず、浜松市から月に1度、東京のに拘置所に通い続けました。
48年ぶりに家族のもとへ
ひで子さんの長年の活動が実を結び、袴田さんを支援する輪は徐々に拡大し、再審を求める運動も広がりました。
そして2014年3月、静岡地裁で再審開始が決定。
袴田さんは釈放され、48年ぶりにひで子さんのもとに帰ってきました。
(後略)
2014年3月に静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌元被告(87)に対し、地裁決定に続き再審開始を認めた13日の東京高裁差し戻し審決定は、弁護側の実験などの信用性を認め、最高裁から宿題として課された「科学論争」に答えを出した。一方、再び証拠の捏造(ねつぞう)を指摘された検察側は特別抗告する構えを崩さず、審理のさらなる長期化が懸念される。
科学論争 弁護側が「完勝」
「今回の高裁決定は相当踏み込んだ無罪判決に近い内容だ。検察には不服を申し立てる理由がないはずだ」。袴田さんの弁護団は高裁決定が出た約1時間後に東京高検に特別抗告を断念するよう要請した。高検は事務官とみられる職員が対応し「検事に伝えます」と話したという。
一方、裁判所から「証拠の捏造」を指摘されたことに法務・検察当局では衝撃が広がった。ある検察幹部は「これだけの事件で組織としての責任がある。特別抗告するかしないかはこれから熟慮を重ねるが、簡単に『そうですか』と納得するわけにはいかない」と話した。<picture></picture>
差し戻し審は確定判決が犯行時の着衣としたみそ漬けされた「5点の衣類」の血痕の色調変化に争点が絞られていた。最高裁が2020年12月の決定で、弁護側が再審請求の2本柱とした血痕に関する「みそ漬け実験」と「DNA型鑑定」のうちDNA型鑑定の信頼性を否定したためだ。刑事裁判は本来、有罪の立証責任は検察側にあるが、再審請求審は弁護側が無罪を立証する必要があり、新証拠がみそ漬け実験のみに限られたことで決定前には弁護側の苦戦を指摘する声も法曹界にはあった。
しかし、高裁決定は差し戻し審で弁護側が実施した実験や法医学者による鑑定の信頼性を全面的に認めて再審の扉を再び開いた。
高裁決定はまず、最高裁が差し戻し審で立証を求めたのは「1年以上みそ漬けされた衣類の血痕は赤みが消失することが化学的メカニズムとして合理的に推測できるか」だと指摘。確定判決が5点の衣類に赤みが残っていることを前提にしている以上、赤みが残らないとする弁護側の主張に合理性が認められれば、5点の衣類を有罪の最大の根拠とした確定判決は揺らぐとした。
その上で、血液を付着させた布をみそ漬けしたところ短期間で赤色が黒褐色に変わったとする弁護側の実験の信用性を検討。弁護側は差し戻し審で「みそ漬けされた血痕は赤血球の細胞膜が損傷して赤血球内のヘモグロビンが流出し、さまざまな物質に変性・分解して混じり合うことで、黒褐色化する」とした法医学者の鑑定書を提出しており、この見解に対し検察側は有効な反論ができていないと指摘した。実験と鑑定書が相互に支え合うことで弁護側は赤みが消失することのメカニズムを合理的に立証したと認定し、捜査機関による5点の衣類の捏造の可能性に踏み込んだ。
これに対し検察側は、血痕が付着した布をみそが入った袋に入れ1年2カ月間で色調がどう変化するのかを実験し「酸素濃度が低い環境では長期間みそ漬けされた血痕に赤みが残る」とする別の法医学者の意見を提出した。しかし、高裁決定は検察が提出した実験試料の写真は、より赤みが出やすい白熱電球を当て撮影されていたことを問題視。大善文男裁判長は実際に実験現場を視察しており「検察側の写真に基づいて赤みが残ったと認定するのは困難」と検察側実験の信用性を否定した。【志村一也、松尾知典、北村秀徳】
■元東京高裁部総括判事の門野博弁護士<picture></picture>
「5点の衣類」は確定審の1審・静岡地裁の公判中に見つかり、その結果、検察側が主張する犯行時の犯人の着衣が、当初のパジャマから途中で5点の衣類に切り替わった経緯がある。この審理経過がそもそも異常だった。みそ漬け実験の結果と専門家による化学的知見から、5点の衣類が1年以上もみそタンク内にあったとは到底考えられないとした今回の決定は、明快で妥当な判断だ。
確定審では、検察側が提出した自白調書45通のうち44通で任意性が否定され採用されなかった。また、再審請求審で検察側が開示した取り調べの録音テープからも、自白を迫る強引な取り調べがあったことは明らかだ。静岡地裁の再審開始決定から既に9年近く経過しており、今回の再審開始決定は遅きに失した感がある。正義を標ぼうする検察が特別抗告することは許されない。
袴田事件、再審開始決定 証拠捏造に言及「犯人と言えず」―第2次請求差し戻し審・東京高裁
衣類は、事件から約1年2カ月後の1967年8月、みそ工場のタンクで発見された。確定判決は、付着した血痕が被害者らと同じ血液型だったことなどから、袴田さんが犯行時に着用し、逮捕前に隠匿されたと判断していた。弁護側は約1年2カ月もみそに漬かると赤みが消失するため、赤みの残る衣類は「捏造された証拠だ」と主張した。
高裁は決定で、弁護側の実験結果を基に「1年以上みそ漬けした場合、血痕に赤みが残ることはない」と断定。実験は経験豊富で専門的知見を持った法医学の専門家らが実施し、手法や結果の評価に不合理な点はないとして信用性を認めた。
一方、検察側の主張は全面的に退けられた。検察側が証人請求した専門家について「争点に関する専門的な研究実績や知見が十分とは認められない」と指摘。弁護側の見解に対する反論も「実験結果や具体的な化学的論拠に基づくものではなく抽象的だ」と否定した。
検察側は、みそ漬けにした血液の色調変化に関する実験を行い、赤みが残ったと主張した。しかし高裁は、被写体の赤みが増すとされる白熱電球を照射して撮影された写真が提出されていたことから、赤みが残ったと認めるのは困難と判断。弁護側撮影の写真の方が信用できるとし、「むしろ赤みが残らないことが一層明らかになった」と指摘した。
確定判決の証拠に疑義を呈した高裁。衣類のうち、ズボンの損傷部分と袴田さんのすねの傷の位置が重なるとされた点について、「傷は逮捕後にできたもので、それに沿うように自白調書が作られ、傷に合わせてズボンの損傷が作出された疑いがある」と言及。その上で「衣類は事実上、捜査機関がタンク内に隠匿した可能性が極めて高いと思われる」とした。
これからもぜひ一日一回、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!!!
なんとも痛ましい冤罪事件だと思っています。
当時の警察の残酷な取り調べや被害者一家の内情は地元では知られていたことで、袴田さん犯人説は無理筋なことは誰もが感じていました。
刑務所から息子宛に出した「チャンは悪いことなどやっていない」という手紙は本当に切ないです。
お姉さんは90歳。よくがんばりましたが、これも弁護団の先生方のご努力があってのことだと思っています。小川弁護士には私自身も助言をいただいたこともあります。今回の再審開始の写真で久しぶりにお顔を拝見して、よく頑張ってこられたなと。それにしても本当にひどい事件でした。国から犯人にされたら個人なんかひとたまりもないことを痛感しました。
検察も裁判所も、決して個人の尊厳を尊重するために動きたがる機関ではない、寧ろ逆だと。
個人の尊厳よりも、組織の、あるいは国家の「面子」。そっちの方が余程大事なのです。
全体主義への回帰を後進性と定義してよいのであれば、裁判所と検察がその一翼を確実に担うでしょう。
それにしても、真実を追求するよりも面子の方が遥かに大事、というのはまさに、ヤクザの論理。
先進国だと思って来たが、実は裁判所も検察もヤクザだった、というのが日本という国なのでしょう。