オウム真理教の元幹部で、地下鉄サリン事件などにかかわった中川智正(ともまさ)死刑囚(51)が獄中で俳句を作り続けている。題材は、幼少期の回想から自らの死を見つめたものまで。裁判では罪を全面的に認め、涙を流した男の繊細さをうかがわせる作品もある。

 句を掲載しているのは非売品の同人誌「ジャム・セッション」。最新号には、1月に平田信(まこと)被告の公判に出廷して尋問を受けた際の作がある。「スーツを買うよう現金を差し入れて下さった方があった」との注を添え、こう詠む。

 《先知れぬ身なれど冬服買わんとす》

 山口県在住の俳人・江里(えざと)昭彦さん(64)が誘い、約2年前から2人で同人誌を始めた。江里さんは大学職員だった時、医学生で学園祭の実行委員長だった中川死刑囚と出会う。温厚な物腰が印象に残った。事件後、俳句への関心を知り、「考察と自己凝視」の場を与えたいと思った。

 20ページ前後で発行は年2回、各250部だけ。2人の俳句とエッセーがほとんどで、ほかにはゲストの俳句が載るくらいだ。これまでの5号で、中川死刑囚は計90句を発表している。

 オウム真理教から派生した団体は今も活発に動いており、社会の反発も根強い。江里さんも「オウムはまだ進行形の事件」と受け止め、表現活動の支援にジレンマがあると話す。そのため配布先は面識のある俳人や、脱会者を支援してきた団体などに絞っている。

 《金正日死すとのラジオ 身の整理》

 これは2011年冬の作。同人誌のエッセーによると、死刑確定者になることを拘置所内で言い渡された際、「腹に力を入れて」と告げられた。「言い渡しで失神したり取り乱したりする者もあったと聞いたことがあります。私は『大丈夫です』と答えました」。別の部屋に移されて荷物の整理をしていると、独裁者の死を伝える放送が流れた。

 内省的な句と対照的なのが、屈託のない少年時代を振り返ったものだ。

 《川遊び雑魚を手捕りの母と知る》

 《島の夜や 子(こ)河童(がっぱ)口あく大(おお)銀河》

 そんな少年はのちに医学生になると、障害者支援のボランティアをした。そのころを詠んだ句は、水路に落ちた螢(ほたる)に思わず手を差し伸べた様子を描いている。

 《流さるる螢掬(すく)えば掌(て)に光り》

 公判中に「生まれてこなければよかった」「私は人間失格。すべてを関係者におわびします」と述べた男はいま、自らの死をどう意識しているのだろうか。

 《消えて光る素粒子のごとくあればよし》(磯村健太郎)

■青少年期は澄み 事件後に硬さも

 俳人・金子兜太さんの話 「オウム」という先入観抜きで、これらの句を純粋に一人の人間の作品として読みました。青少年期を詠んだ句は澄み、柔軟な感性さえ感じます。「子河童口あく」なんて、なかなか書けません。螢を詠んだ句もプロに近い出来栄えです。それに比べ、事件後の自分を詠んだ句は硬い。動揺を見せまいとする覚悟のようなものが感じられますね。

 デリケートな感受性が何らかの入信のきっかけをつくった。だからこそ、入信後はかえって「強固な意志を持つ人格」になったのだろうか――。そんなことを句から読み取りました。

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 〈中川智正死刑囚〉 元医師。オウム真理教の元代表・松本智津夫麻原彰晃)死刑囚の元側近。大学卒業後、1988年に入信。89年の坂本堤弁護士一家殺害事件や95年の地下鉄サリン事件など11の事件に関与した。