ノルウェー連続テロ
2011年7月22日、ノルウェーの首都オスロ中心部と首都北西ウトヤ島の2カ所で発生、若者ら77人が殺された連続テロ。
「極右キリスト教徒」を名乗る犯人がオスロの政府庁舎を爆破で破壊後、与党・労働党の青年部集会が開かれていたウトヤ島へ移動、約1時間半、銃を乱射して投降した。裁判では「西欧をイスラム教徒から救いたかった」と犯行動機を説明し、犯行前、「テンプル騎士団」を自称して「殉死作戦」を訴え、犯行計画をネット上に公開していた。また、ネットに尊敬する人物として、プーチン露大統領や麻生元首相を上げていた。
ノルウェーで2011年7月、政府や与党関係者を狙ったテロで77人を殺害したとして、テロ罪などに問われた被告人(33)に対し、オスロの地方裁判所は2012年8月24日、禁錮21年の実刑判決を言い渡しました。ノルウェーには死刑や終身刑がなく、禁錮21年は最も重い(!)量刑です。ただ、再犯の恐れがある場合は無期限に延長できるますが、判決公判で裁判所は、定期的に被告を観察し、禁錮十年まで刑期を短縮する場合もある!としました。
公判では、検察側が「責任能力なし」として精神病院への強制入院を求める一方、弁護側は被告人の意向を受け刑事責任を認め刑務所に収容するよう主張するという、通常の裁判とは逆転した異例の展開となっていました。
検察側は6月の論告求刑公判で、被告人が犯行時に妄想型統合失調症を患っており、刑事責任能力がなかったとした2011年の鑑定結果を重視し、実刑ではなく、精神科施設への強制収容を求めていましたが、判決は、被告人がテロ計画を数年がかりで練り上げて実行に移した点などを重視し、責任能力を認めた再鑑定を採用し、被告人には責任能力があったと認定しました。
この公判で、被告人は犯行の動機について「欧州をイスラムから救うためだった」と説明し、無罪を主張しました。弁護側は被告人の行為を「正当防衛」と判断して無罪とすることを求め、それが認められないのなら、「政治的テロ」と認め、実刑に処するよう求めていたということです。なんたる弁護方針かと思いますが、こういうのを確信犯というのでしょうね。
望みとおり、政治テロとして有罪とされた被告人側は、これに満足して控訴しない方針を明らかにしました。
しかも、裁判長が主文を読み上げた瞬間、被告人はうっすら笑みを浮かべたそうです(私、淡々と書いてますが、はらわたは煮えくり返っています)。
なんとも、なんとも、やりきれない結末。
ところで、ノルウェーだけでなく、ご存知のように、今や世界では死刑廃止国がどんどん広がっており、完全に多数派になっています。
たとえば、EUはもちろん死刑廃止が加盟条件となっています。EUには加盟していませんが、ノルウェーも死刑、終身刑はありません(ただし、受刑者が刑期を終えても、「社会への危険」とみなされる場合、収監を延長できる制度はあります)。
そして、この被告人に、このテロ事件で何十人も殺された労働党青年部の代表は判決を傍聴して記者団に対し、
「遺族と犠牲者が望む判決だった」
と歓迎する考えを示しました。
かたや、日本では、二人の被害者を殺人すると死刑にする、という事実上の「法定刑相場」で刑事裁判制度が運用されており、しかも、もうそれが1人の犠牲者でも死刑判決が出されかねない瀬戸際まで来ています。
なんという、彼我の差でしょうか。
さて、去年のこの凶行の直後、全国民が悲しみに暮れる中、ノルウェーのイエンス・ストルテンベルグ首相は悲しみに暮れる国民に、こう宣言しました。
「悪は人を殺すことはできる。しかし、決して人々を征服することはできない」
「今回の犠牲者の多くは私の知り合いだ。失われた一つ一つの命が国家の悲劇だ。この危機に立ち向かい、互いを思いやる国民の姿を誇りに思う。私たちはまだ動揺の中にあるが、より民主的で開かれた社会のために諦めない」
「ひとりの男性がこれだけの憎悪を表すことができたのです。私たちが共にどれだけ大きな愛をみせることができるか考えてみてください」
ノルウェー連続テロ事件生存者「私たちが共にどれだけ大きな愛をみせることができるか考えてみてください」
さらに、事件から1年後の2012年7月22日、ストルテンベルグ首相は追悼式典で再びこう呼びかけました。
「爆弾と銃弾はノルウェーを変えるために使われた。だがノルウェー国民はノルウェーの価値観を尊重することで応じた。殺人者は失敗し、国民が勝利したのだ」
米銃乱射事件 ノルウェー無差別テロ事件から1年 首相「相手をもっと思いやることが暴力に対する答え」
ちなみに、国連加盟国は200前後ありますが、アムネスティによると、そのうち、いまや世界の3分の2を超える国が、法律上、または事実上死刑を廃止しているのです。
あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国は97か国。通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国は8か国。
形式的には死刑が刑罰として残っているが、もう死刑を執行していない事実上の死刑廃止国は36か国。つまり、これら、法律上または事実上の死刑廃止国の合計がは141か国で、7割に及び、なお増え続けています。
これに対して、日本のような死刑存置国は57か国です。
ちなみに、日本と同じ死刑存置国は、アフガニスタン、アンティグアバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、チャド、中国、コモロ、コンゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、ヨルダン、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、ナイジェリア、朝鮮民主主義人民共和国、オマーン、パキスタン、パレスチナ自治政府、カタール、セントキッツネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シンガポール、ソマリア、南スーダン、スーダン、シリア、台湾、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ベトナム、イエメン、ジンバブエ、です。
このうち、死刑の執行数が最も多いのは、全体主義国の中華人民共和国。それに次ぐのが専制国家の多い中東諸国です。
もちろん、死刑存置が正しいか間違いかは多数決では決まりません。また、死刑存置国に、いわゆる先進資本主義国は少なく、民主主義が発達しているとは呼ばれない国が多いことも、死刑肯定論者に言わせれば、だから、どうというということはないのでしょう。しかし、それらは無関係ではないでしょう。
少なくとも、現代社会の中で、日本と同じ方針の死刑肯定国はこういう国々なのだということは銘記しておいた方がいいと思います。ちなみに、EUでは死刑存置国とは貿易しないという案がかなり以前から何度も議論されています。
また、正式なデータによれば、死刑のないノルウエー国内の年間の死亡事件は、ノルウェーデータ 2012によると2010年で33名ですが、そのほとんどは過失致死で、故意の殺人は毎年ほぼ1名だそうです。
これに対して、日本は、平成23年度版犯罪白書で年間約1000名で毎年ほぼ横ばいです。
もちろん日本とノルウエーとでは分母が違い、ノルウエーの人口は約400万人で、国土面積がほぼ等しい日本のおよそ30分の1の人口ですが、それにしても殺人事件が年間1件とは、人口比で比較すると、死刑存置国の日本は廃止国のノルウエーの40倍の殺人発生率!ということになります。
やはり驚異的な治安の良さなのが、寛容の国ノルウェーなのです。
この事件の被告人は、移民を受け入れ融和を図るノルウェーに対して、排外主義を唱えて無差別テロを行いました。77人もの方々を死に至らしめ、そのご遺族、ご友人など国民全体を悲しみのどん底に突き落としながら、しかも上の写真のように、なお法廷で拳を掲げたのです。。。。
もし、精神鑑定通りに、この被告人に責任能力があるのであれば、これほど「人でなし」という言葉が当てはまる人間も少ないでしょう。
しかし、私には彼に対するなんともいえない感情以上に、これだけの大虐殺の犯人に、それでもなお寛容を持ってあたろうとするノルウェーという国が、目も眩むほど眩しく映るのです。
時あたかも、周辺諸国と諍いが生じ、ナショナリズムと外国人排斥主義が高揚しつつある日本。
「ひとりの男性がこれだけの憎悪を表すことができたのです。私たちが共にどれだけ大きな愛をみせることができるか考えてみてください」
暴力に対する愛と寛容を謳いあげる、この気高いノルウェーの高潔さに、我々が学ぶところは大であると思います。
かの国が凄すぎて、声もないというのが実感です。
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責任能力認め被告に実刑判決 ノルウェー連続テロ事件
朝日新聞 2012年8月24日20時27分
ノルウェーで昨年7月、政府や与党関係者を狙ったテロで77人を殺害したとして、テロ罪などに問われたアンネシュ・ブレイビク被告(33)に対し、オスロの地方裁判所は24日、最高刑にあたる禁錮21年の実刑判決を言い渡した。被告側は控訴しない方針を明らかにした。
判決は、被告がテロ計画を数年がかりで練り上げて実行に移した点などを重視し、被告には責任能力があったと認定した。裁判所が行った被告の犯行時の精神状態に関する再鑑定の結果が決め手となった。
裁判長が主文を読み上げた瞬間、被告はうっすら笑みを浮かべた。被告は公判で犯行の動機について「欧州をイスラムから救うためだった」と説明し、無罪を主張。弁護側は被告の行為を「正当防衛」と判断して無罪とするか、「政治的テロ」と認め、実刑に処するよう求めていた。
これに対し、検察側は6月の論告求刑公判で、被告が犯行時に妄想型統合失調症を患っており、刑事責任能力がなかったとした昨年の鑑定結果を重視し、実刑ではなく、精神科施設への強制収容を求めていた。
ノルウェーに死刑、終身刑はない。ただし、受刑者が刑期を終えても、「社会への危険」とみなされる場合、収監を延長できる制度がある。判決を傍聴した労働党青年部代表は記者団に対し、「遺族と犠牲者が望む判決だった」と歓迎する考えを示した。(ロンドン=稲田信司)
◇
〈ノルウェー連続テロ事件〉 昨年7月22日、首都オスロの政府庁舎前で自動車爆弾が爆発し、8人が死亡。約1時間半後、郊外ウトヤ島で与党労働党の青 年部の夏季キャンプに参加していた若者ら69人が射殺された。ブレイビク被告は、イスラムや多文化主義を敵視する大量の文書をネット上で事前に公開。ネッ トなどを介して過激思想に染まり、単独で凶悪なテロに走る「一匹おおかみ」の典型例として注目を集めている。
【ロンドン=有賀信彦】昨年七月、ノルウェーで七十七人の犠牲者を出した連続テロ事件で、テロと計画殺人の罪に問われたアンネシュ・ブレイビク被 告(33)の判決公判が二十四日、オスロの裁判所で開かれた。五人の裁判官全員一致で「十分に判断能力があった」として、最大の争点だった刑事責任能力を 認定、禁錮二十一年を言い渡した。弁護側は判決を受け入れるとみられる。
ノルウェーには死刑や終身刑がなく、禁錮二十一年は最も重い量刑。再犯の恐れがある場合は無期限に延長できるが、判決公判で裁判所は、定期的に被告を観察し、禁錮十年まで刑期を短縮する場合もあるとした。
被告は裁判官が判決理由を述べる中、うっすらと笑みを浮かべていた。
被告の責任能力をめぐっては正反対の鑑定が出ており、検察側は「精神障害」として、医療施設への収容を求刑。弁護側は被告が「イスラム系移民らか ら国を救うためだった」と無罪を主張する一方、正常な判断能力下での犯行と認められなければ「死よりも悪い結果だ」と述べていたことを受け、責任能力を認 めて、刑務所に収容するよう主張した。通常の公判とは逆転した展開となっていた。
毎日新聞 2012年08月24日 19時42分(最終更新 08月24日 23時03分)
【ロンドン小倉孝保】死者77人を出した昨年7月のノルウェー連 続テロ事件で、テロと殺人の罪に問われたアンネシュ・ブレイビク被告(33)の判決公判でオスロ地方裁判所は24日、被告の刑事責任能力を認め、最高刑の 禁錮21年を言い渡した。被告は上訴せず、判決を受け入れるとみられる。今回の判決は、禁錮10年で仮釈放の権利を与えており、最短10年で出所の可能性 もある。
判決によると、被告は昨年7月22日、オスロ中心部の首相府の入った政府庁舎ビル近くで自動車爆弾テロを実行して8人を死亡させた後、首都近郊のウトヤ島で開かれていた与党・労働党の青年部集会で銃を乱射し、69人を殺害した。
被告は今年4月の初公判以来、移民の受け入れを進めた労働党のブルントラント元首相の殺害を目的にウトヤ島に向かったと説明。両事件での犯行を認め「(増える)イスラム系移民から国を救うためであり、自衛のために実行した」と述べ、無罪を主張してきた。
焦点は責任能力の有無だった。昨年11月の精神鑑定は「被告が精神障害だった」としたが、公判開始直前に出された再鑑定は「責任能力あり」と認定した。本人は「精神障害の治療を受けるつもりはない」と話していた。
判決前、被告は精神障害とされた場合は上訴するが、責任能力を認めた判決なら受け入れると主張。ノルウェーの刑事裁判は参審制を採用しており、職業裁判官2人と一般から選ばれた裁判員3人が合議(多数決)で判決を出す。今回は5人全員が最高刑を支持した。ノルウェーの刑事裁判では最高刑は禁錮21年。しかし、禁錮刑を終えても被告が社会的危険人物と考えられた場合、刑期が延長される。
◇多文化主義の危機
【ロンドン小倉孝保】欧州に巣くう過激主義を印象付けたノルウェー連続テロ事件で司法は24日、一応の決着を付けた。しかし、第二次大戦以来、欧州が育んできた寛容な多文化主義が重大な試練に直面している現状に変わりはない。
戦後、欧州は平和主義や人権尊重、過激主義の抑制、人種差別との決別などの価値観を掲げてきた。ノルウェーをはじめ欧州諸国は70年代以降、労働力不足を補うため中東、南アジア、アフリカからイスラム系移民を受け入れ、その後、人権尊重の立場から多くの難民に門戸を開いてきた。
人を受け入れれば文化や習慣も移入される。キリスト教文化圏の欧州にイスラムの考えが入り込むことになった。異文化は大きくなり、一部の欧州市民は違和感を覚えるようになったようだ。08年以降の経済不況も手伝って移民に対する不寛容な空気が広まった。
こうした背景から欧州では最近、移民の増加に対する危機感をあおる右派、極右の政党が支持を集めている。メルケル独首相、キャメロン英首相ら欧州主要国の首脳でさえ「欧州の多文化主義は失敗した」と相次いで発言するまでになった。
人権意識が高く、寛容とされる北欧で自国民を狙ったテロが起きたことも事態の深刻さを印象付けた。債務危機に見舞われている欧州にあっても、北海油田を擁するノルウェーの経済は堅調で、今年の成長率は3%に上る。今回の事件は、たとえ経済が順調でも、過激な反移民感情を抱く層が存在することを示したといえる。
被告の弁護士の一人は「ノルウェーも(過激主義の)例外ではないことを示した。我々は国際社会の一員であり、ノルウェーだけでこの問題を解決することはできない」と語る。事件の背景に横たわる「多文化主義の危機」という課題には欧州全体が時間をかけて取り組むことになる。
ノルウェーはEU加盟国ではありません。
僕も思想的には死刑肯定からこの部分は保留をいうスタンスに変わりつつあります。
キーポイントは「多様な考えを認める大らかさ」がバックに
あると感じます。それと、「他者に対する信頼」というか、
「神への信頼」というか。
キリスト教の影響もあるのかもしれません。
先生のこの日記を読んだ多くの人たちはたぶんこう思うかもしれません。「でも悪いことしたんだし、死刑は当然では!?」
わたし達の社会は「深く考える」ことをニガテとしています。そして、「国」という概念が「自分」より先にあって、
「他者」に対する「寛容」という部分でも劣ります。
取り上げてくださりありがとうございます。
日本でしたら、トップが言うわけのない言葉の部類に入ってしまうであろう、という自国の状況に恥じ入る次第です。
2004年に、欧州へ、障害関係の福祉のお話を聞きにいきました。
障害者福祉を進めるにしても、国家としてはお金がかかるはずですし、私が行ったのはデンマークですが、消費税の高いこともビックリ。
大阪から行ったおばちゃん(わたくし)がちょっと、デンマークの行政官に質問してみました。
「障害者の福祉にこんなにお金をかけて、もったいないとは言われないんですか」(まったく、障害当事者のくせに大阪らしい損得勘定に汚れておりましたな)
すると、デンマークの行政官は「その人が喜ぶということはお金には換えられない。限界はあるがいくらお金がかかってもいいと考えている」というのです。
デンマークのその価値観にもびっくりしましたが、今回のノルウェー首相の言葉のように、憎悪に対して愛で示そうとか、そんな価値観が北欧にはあるのですね。連続テロは不幸でしたが、その不幸からも、栄光を示そうとするノルウェーに敬服します。
日本人、特に男性は弱い人間が多いですから、この域に達するのはいつの日か(遠い目)。
この首相の言葉は、聖書の言葉を連想させます。
ローマ12章17~21節
誰に対しても、悪に悪を返してはなりません。すべての人の前に良いものを備えなさい。できるなら、あなた方に関する限り、すべての人に対して平和を求めなさい。わたしの愛する者たち、自分で復讐をしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。「復讐はわたしのもの、わたしが返報する、とエホバは言われる。」そしてこうあるのです。「あなたの敵が飢えているなら、食べさせなさい。渇いているなら、飲む物を与えなさい。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになるのである。」 悪に征服されてはなりません。むしろ、善をもって悪を征服してゆきなさい。
私の好きな聖句です。が、言うは易し、行うは難しです。人間の単純な心情では、やり返したい!というのが、自然だからです。特に、今の世の中では、ハリウッド風と言いますか、目には目を、やられたらやり返せ、やられたら100倍にしてやり返すのが英雄、的な風潮があります。仕返し出来ないのは、弱虫と言うような。それは、結局、暴力と戦争の絶え間ない世の中なんですけれど。
だから、首相がこう言えるノルウェーと言う国は、国としても大人だなあ、成熟しているなあ、と感激します。個人としても、国としても、お手本にしたいと、私は思います。
「悪に征服されてはなりません。むしろ、善をもって悪を征服してゆきなさい」使徒パウロの言葉
「死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90」
死刑を考える集い「死刑廃止100年 ためしてガッテン! 北欧の体験」
死刑のない国を知っていますか? それはどんな社会でしょうか?
最後の死刑執行から100年以上を経た北欧諸国の姿を、森達也さんと共に学びます。
というイベントに行ったことがあります。http://trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-826.html
70年代くらいまでは厳罰化政策を行っていたのだけれど、やたら金はかかるし、犯罪は増えるし、社会は殺伐としてきて、逆効果が目立ち非常に耐え難くなってきた。そこで、犯罪学者のニルス・クリスティさんが現在の制度を提唱する。小さな国なので、官僚も政治家も彼の教え子で、師が熱心に説くとやってみようということになり、はじめるとなかなか調子が良いし、気持ちいいので、このように発展したということらしいです。で、犯罪率が下がり、財政・社会的コストが下がり、社会的・個人的リスクが下がり、政治や人々に対しての信頼が上がり、不安が減って、自信・寛容・思いやりといったものが増えていったと。その辺のアパートに出所した方が住んでいるのだけれど、森さんが通りがかりの人に敢えて「怖くないんですか?」と聞くと「刑期が終わっているのだから、問題ないわ」と、何わけわかんないこと言うの?という顔をされたそうです。
いくつか、森さんお記事をあげます。
http://ameblo.jp/kirimarukun/entry-10355679996.html
http://trakl.blog121.fc2.com/blog-entry-826.html
http://blogs.yahoo.co.jp/koinosuisei_lovecomet/6558248.html
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-749.html
http://diamond.jp/articles/-/5804
また、浜井浩一さんの講演で伺ったことですが、厳罰化は小選挙区2大政党制と関係があるそうです。ポピュリズムが駆動してより過激なことを言う方が受けるから、ということだそうです。比例代表多党制だと論議交渉妥協ですからとんでもない案ではまとまりませんし、いくらかはまともな人も議員になって意見を出し政策決定に関われます。
常連様、いつもいつも感謝です。
また、Kさんのように偉人のことを紹介してくださる方。
澪さんのように、人類の遺産から説き起こしてくださる方。
さらに、Lさんのように、人間的であることこそ現実的、ということまで教えてくださる方。
ブロガー冥利に尽きます。
日本だって、前進してます。
悪いことばかりじゃありません。
いつの日か、必ず、必ず、ノルウェー人もびっくり!の国にしましょうね!!!!