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今日は関学ロースクールの「現代人権論」という講義を、模擬法廷での公開講義にして、藤原精吾近畿原爆症訴訟弁護団長に、この訴訟について90分語っていただきました。
人権論としても、行政救済法の勉強としても、最高のご講演でした。
藤原先生の作られたレジュメの最後に、懐かしい、近畿訴訟第一回の藤原団長意見陳述が掲載されていました。
とても大切なことが書いてあると思いますので、掲載させていただきます。
原爆症認定集団訴訟・近畿原告団 第1回期日
大阪地裁 2003年8月8日 午前10時30分
原告弁護団意見陳述
〔総論〕
原告らは何故この裁判を起こしたか
原告らが裁判所に望むもの
1、本件訴訟は原告らが被告厚生労働大臣になした、「原子爆弾被爆者の援護に関する法律」に基づく、いわゆる原爆症認定申請を被告が却下した処分の取り消しを求め、かかる違法な処分をなしたことに対する損害賠償を求める裁判である。
2、一昨日広島は58回目の原爆忌を迎え、明9日には長崎が原爆忌を迎える。今日、原爆症認定訴訟の第1回期日が開かれることは、深い意味をもつと考える。
3、「昭和20年8月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。」
これは「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の前文である。
前文はさらに、
「我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに、国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する。」と述べる。
4、原告らになされた却下処分を見ると、政府は、厚生労働大臣は、この誓いを早くも忘れたのであろうかと思われる。
「あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
・・・・・・・
くずれた脳漿を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
(峠 三吉『八月六日』より)
政府は、放射能に起因する被害が特別の被害であることを認めたのではなかったのか。
国として原子爆弾による尊い犠牲を銘記することを通じて、高齢化の進行している被爆者に、国の責任において保健・医療・福祉の総合的な援護対策をなすことを誓ったのではなかったのか。
実際は、これらの誓いに反することが行われている。
国は今もって、被爆者に対する法的、社会的責任を果たしていない。
5、 アメリカが投下した原子爆弾は、国際法に違反する違法な戦闘行為であった。東京地裁昭和38年12月7日判決(判時355号28頁)は明言している。
原子爆弾は、人々の身体に被爆の刻印を残し、放射能の影響は被爆者の臓器に医学では治せない傷害を与え、一生涯その悪化、病変に怯えながら時を過ごすことになった。それは被爆の瞬間から、58年を経た今日まで、やむことなく続いてきたのである。
6、原子爆弾の投下に関し、国の責任による賠償ないし補償が行われて当然である。然るに国は当初から、被害の大きさ、深刻さを隠蔽し、なすべき補償を怠ってきた。
7、大阪地裁に提訴した原告5名は、全国8箇所の地裁に提訴した75名の原告とともに、被爆者援護法の正しい適用を求めるものである。
(ア)この裁判は国に対し、原爆症を正当に認定し、医療の給付を行うべきことを求め、
(イ)この裁判によって国すなわち厚生労働大臣の原爆症認定行政がでたらめ、かつ誤っていることを明らかにし、
(ウ)原告らが身をもって被爆の実態を示すことにより、人類は絶対に核兵器を持つべきでないことを訴えるために、
この訴訟を提起したのである。
8、多くの者は、被爆の事実を歴史上の出来事とし、他人の問題として受け止めてきたのではなかろうか。私とて例外ではない。裁判所、裁判官はこれまで、被爆の現実についてどれ程のことを知っているか。原爆の投下が人間にもたらした惨禍を直視したことがあるか。この裁判に関わることは、原子爆弾の惨禍を直視し、自らの問題としてその解決を求められることなのである。
審理が始まるにあたって、裁判所に、特に次のことを求めて、意見の締めくくりとしたい。
(ア) 原子爆弾の投下がもたらした惨状と被害の現実を直視してもらいたい。
(イ) 何の責任もない無数の市民が、一瞬にして生命と健康と人生を失い、人間を失ったことの深刻な意味を考え、この惨禍をもたらした国が、犠牲者に対し、如何なる責任を果たすべきか、日本国憲法の立場に立って、真正面から取り組んでもらいたい。
(ウ) 青春のさなか被爆した原告らの年齢も、平均70歳を越え、残された時間は僅かしかない。原告らの声に、人間として耳を傾け、歴史の審判に耐えうる充実した審理と判決を望む次第である。
以 上