ノーベル平和賞受賞を喜ぶ日本被団協の田中熙巳代表委員と事務局と市民の皆さん。
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外ではロシアの侵略戦争やイスラエルのジェノサイド、内ではろくに国会で議論もしないうちに大悪獣ギロンこと石破茂首相が解散総選挙をしてしまうという嫌な世の中で、2服の清涼剤だったのが袴田巖さんの無罪判決確定と、日本被団協へのノーベル平和賞授与でした。
その長期の身柄拘束による拘禁反応などがあってなかなか人前に出られなくなってしまったという袴田巖さんが、完全無罪判決が確定したという報告集会に出席されたニュースを見て、わたくし、感涙してしまいまして。
なんとあの映画「ロッキー」のテーマが会場中に響き渡っていたんですよ!!!!!
【袴田巌さん“無罪確定後”初の公の場】
— 報道ステーション+サタステ (@hst_tvasahi) October 14, 2024
静岡市で“無罪判決報告会”に登場
袴田巌さん(88)
「長い闘いでございました。私もやっと無罪の、完全な無罪が実りまして。念願です」
姉・ひで子さん(91)
「“無罪になって勝ったんだよ”と言ってるんですが、まだ半信半疑でいるようなところがあるんです」… pic.twitter.com/3obdss3tDM
不朽の名作「ロッキー」が好きすぎて何回見たかわからないんですが、物凄い昔の映画のように感じますが、袴田事件より10年あとの映画で、主演・脚本でボクサーのロッキー役をやったシルベスター・スタローンは袴田さんより10歳若いですからね。
30歳だった巖さんが逮捕されて58年、88歳になってやっと「真の自由」を手に入れるって、「パピヨン」のスティーブ・マックイーンもびっくり。
あまりにも酷すぎます。
実は袴田さんって元プロボクサーで、なんと1年間に19回も試合をしたという今も生きてる日本記録の保持者なんですってね。
3週間に1回以上のペースでプロボクシングの試合をするなんて、力石徹へのテンプルの一撃で死なせてしまって後に失意のどん底で試合しまくった「あしたのジョー」こと矢吹丈でも考えられない、100巻以上続いていて「こち亀」を抜かしそうな「はじめの一歩」の幕ノ内一歩でも絶対無理な記録。
漫画を超えているという意味で、大谷翔平選手以上ですよ。
まさに「不屈の男」袴田巖さんなわけですが、その袴田さんに対する予断を持った不当逮捕の背景に、ボクサーへの偏見もあったというのですから、ほんまに警察・検察のアホさ加減には呆れます。
ボクシングが殴り合うスポーツだから、ボクサーは人殺しもしかねない?!
究極の馬鹿ですよ、警察と検察は。
【#検察は控訴するな】世界で最も長く拘置された死刑囚袴田巌さんに再審で無罪判決。静岡地裁が捜査機関による3つの証拠捏造を断定認定。事件から58年、姉弟は91歳と88歳。検察庁は絶対に控訴するな。
その袴田さんの事件がどうして最後には勝てたのか。
その象徴として、巖さんの不屈の魂とともに、袴田さんのお姉さんであるひで子さんの存在が絶大に大きいことは誰もが認めるところだと思うんです。
今年齢91歳とは思えない奇跡の人ひで子さんがいた、その笑顔があったからこそ、この裁判は勝てた。
もし、袴田さんをめぐる世論が盛り上がらなければ、理屈で勝っていても法廷という密室の中で裁判は負けてしまうわけです。
「主戦場は法廷外にあり」
という有名な言葉は、これも有名なえん罪事件である松川事件で弁護団の岡林辰雄先生がおっしゃった言葉として知られていますが、巖さんの無罪判決を勝ち取ったのは巖さんであり、弁護団であるように見えて、実はその周りで支えたひで子さんと支援する市民の力が大きいのです。
ここで私がこの袴田事件で巖さんが無罪を勝ち取れた理由について、ひで子さんがいたから勝てた、というのは巖さんとひで子さんという象徴がいてくれたから、良心的な市民が結集できた、という意味です。
裁判所が舞台であるけれども、この裁判の本質は大衆闘争であり、権力の横暴に勝てるのは大衆の地道な運動しかないことを今回も痛感させてくれたのが袴田事件なのです。
【#検察は控訴するな】世界で最も長く拘置された死刑囚袴田巌さんに再審で無罪判決。静岡地裁が捜査機関による3つの証拠捏造を断定認定。事件から58年、姉弟は91歳と88歳。検察庁は絶対に控訴するな。
今日の記事のテーマは見返りを求めず与えるという話なのですが、ひで子さんが何度もおっしゃる
「巖だけが助かればいいとは思っていない。大いに協力してまいりたい」
という再審法改正への思い。
この自分だけが良ければいいのではないという姿が、多くの市民に感動をもたらし、行動を呼び起こし、今回の再審開始と無罪判決と検察の控訴断念を産んだんだと感じます。
人が見返りを求めず与える無私の姿ほど世の中に違いを生み出すものはありません。
【祝】袴田事件で検察庁が再審無罪判決に対する控訴断念で袴田巌さんの無罪確定へ!検察庁は58年も無罪確定に時間がかかったことのみならず、証拠の捏造でえん罪事件を起こしたのはなぜか検証せよ。
それに引き換え、この私利私欲の政治家は。。。
捜査機関の証拠捏造を認定し再審無罪判決が確定した袴田事件について、石破茂首相が「袴田さんの事件が証拠のねつ造であったのかどうかはいろいろな議論があり、判断する材料は持っていない」と裁判所軽視の暴言。
さて話は変わって、私も少しだけお手伝いさせていただいた日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の被爆者の皆さんと、それを支える市民の方々にも共通して言えることは、やはり、
「見返りを求めず与える」
姿でした。
被爆者だって生身の人間ですからね、それは自分の生活が大事だし、神様じゃないから、神様のような肥田舜太郎先生に言わせると自分の利益になる運動の方が力が入るということもあるそうですよ^_^。
でも、基本的にこの地球上から核兵器がなくなっても、被爆者の誰も一文の得にもならないんです。
被爆者の方々がアメリカの原爆投下で受けた被害がなくなるわけでもないし、体が良くなるわけでもないし、お金が入るわけでもないし、誰かに褒められるわけでもない。
ちなみに、被爆者の方々はノーベル平和賞が欲しいから、核兵器廃絶運動みたいな地道な運動をやってきたわけではないですからね(笑)。
むしろ受賞が意外過ぎて、高校生たちとこんなに驚いていた代表委員(笑)。
祝!日本被団協のノーベル平和賞受賞!!日本が核兵器廃絶を目指して核兵器禁止条約に参加するのを良しとするなら、衆院選では自国維公(地獄逝こう)に投票するのは厳禁。まともな野党4党に投票するしかない。
それでも被爆後79年間、日本被団協結成以来68年間も核兵器廃絶一筋に頑張ってこられたわけですよ。
そして被爆者を支える一般市民にも、ホリエモンみたいなお金持ちはただの一人もおらず、みんな自分の生活も大変な一般庶民が何千万人もの核兵器廃絶署名を集めてこられるわけです。
国際司法裁判所に核兵器による威嚇と使用は国際法違反であるという勧告定見を出させた「世界法廷運動」では、被団協と市民団体が半年間で367万人の署名をあつめてきて、スリランカのウィラマントリー判事の補足意見にもそのことが驚きをもって触れられたくらいなんです。
また、段ボール箱に入れて航空便でオランダハーグまで運んだ367万人分の署名用紙(たぶんA4で30万枚以上あったはず)を全部受け取った国際司法裁判所の謙虚で真摯な姿に、こちらも驚きました。
被爆者が10万人、平均年齢が85歳以上。とうとうお会いしたことがない被爆者が代表委員になられるようになりました。。。。
【ノーモアヒバクシャ!】日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)にノーベル平和賞授与!「核兵器のない世界の実現に向けた努力」「核兵器の使用がもたらす人道的惨事に対する認識を高めるために尽力してきた」
今の自公政治の悪いところは何と言っても利益誘導でしょう?
政治献金や有形無形の利益を与えてくれる大企業などに利権を与えて有利な政治をしてしまう自公政権。
裏金自民党の政治家だけではなく、長年国土交通大臣を独占する公明党も多数の汚職事件を起こしています。
利権誘導政治の政策決定の基準は持ちつ持たれつ。
統一教会との癒着も全く同じですが、国家権力と財界など圧力団体がお互いに利益を与え合ってそれぞれの既得権益を保持し合うことが基本です。
だから、自公政権の政治は、最大多数の最大幸福から見たら不合理な決定だらけなわけですよ。
それで、世の中が良くならない。
一方で、核兵器廃絶は絶対無理だと言い切る橋下徹氏や辺野古の座り込みを馬鹿にするひろゆきのような冷笑的な態度は、地の塩のような無名の人々の努力を台無しにして、やる気をなくさせるためにやっているから大罪なのです。
橋下大阪市長は、2012年11月10日、よりによって広島で
「(日本に拠点を置く)米海軍第7艦隊が核兵器を持っていないことはあり得ない。日本が米国の核の傘に守られている以上、持ち込ませる必要があるなら国民に理解を求めたい」
と語り、さらに、被爆者の方々や広島市などが訴えている核兵器廃絶については、
「理想としては(廃絶)。でも、現実的には無理ですよ、今の国際政治で。日本は平和ぼけしすぎている」
と言い切った。
池田信夫氏と珍問答 核武装論者の橋下市長は、核廃絶は無理も何も、そもそも核廃絶などする気がない
他方、わたしたち世の中の多くの人は多かれ少なかれ、利他的な行動、自分のためにはちっともならないけれども他の人を幸福にするような行動を取ることができますし、取りたいとどこかで思っています。
自分のうちにある「見返りを求めず与える」部分を発揮していくこと。
利権誘導を排し、大多数の市民にとって利益になる政治をする政権にしていくこと。
そのために悪意ある「有力者」=インフルエンサーのシニカルな意見を批判し、見返りだけを求めて一部の人間に与える政治を止めさせていくことが(政治家を辞めさせていくことが)、結果として誰もが仲良く幸せに暮らせる社会を作るのだと思います。
村野瀬玲奈さんや古寺多見さんなどの反権力の良心的なブロガーや、うちを含めてそれらの記事にコメントをくださる方々やランキングをクリックしてくださる方々も、この写真に集まった市民の方々と同様に、まっっっったく、得することないじゃないですか(笑)。
そういう方々こそが地の塩であり、一粒の麦ですよ。
ほんとに頭が下がりますm(__)m
【祝】核兵器禁止条約の発効確定!批准国が50国に達する!!その批准国に圧迫を加えるトランプ米大統領と、絶対批准しないという菅総理と、オブザーバー参加しようと誤魔化しにかかる山口公明党代表(呆)。
【#維新は日本一の悪党】日本維新の会が岸田政権に「核共有」の議論を求める提言。防衛費をGDP2%に倍増することも要求。無能な維新は余計な事は考えずコロナ死者最多の大阪の問題に取り組め。
ロシアのメドベージェフ前大統領がウクライナの反転攻勢に「1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをしたら戦争はすぐに終わらせられる」と威嚇したことは国際法違反で絶対に許されない【改】
編集後記
昨日、顧問先の社長と打ち合わせでお話ししていたら、
「先生、日本政府が核兵器を禁止する条約に参加していないって本当なんですか?」
と聞かれて、思わず熱くなって、核兵器禁止条約に参加しないどころか毎回国連総会で「唯一の被爆国」である日本が核兵器廃絶は「究極的な目標」という決議案をあげては、核兵器廃絶の足を引っ張ってきたことを思いっきり語ってしまいました。
これもまた核兵器があることで利益を得ている国々の利益誘導の国際政治なわけですよ。
世界中のほどんどの人々にとって核兵器の存在なんて害悪でしかないじゃないですか。
我々大多数派の民衆のための政治を素直に行なう政権を勝ち取っていくこと。
これこそが世の中を良くする秘訣だと思います。
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逮捕から58年、元死刑囚の袴田巌さんの無罪が確定しました。えん罪を訴える袴田さんは再審を求めてきましたが、再審開始まで40年以上かかりました。”開かずの扉”といわれる再審制度の問題点を手作りフリップで解説します。
■戦後5例目 死刑から無罪のえん罪事件
死刑判決が確定したあとに、再審で無罪となった人はこれまでに4人います。免田栄さん(当時23歳・無罪判決まで34年)、谷口繁義さん(当時19歳・無罪判決まで34年)、斎藤幸夫さん(当時24歳・無罪判決まで29年)、赤堀政夫さん(当時25歳・無罪判決まで35年)です。
いずれも20年から30年以上、死刑の恐怖におびえながら拘置所で過ごしました。
そこに今回、袴田巌さん(当時30歳)が加わりました。
■ボクサーとして日本記録を持つ袴田巌さん
袴田さんは20代の頃、プロボクサーとして活躍。1年間で19試合という日本最多記録をいまも持っています。
逮捕されたのは30歳の時。それから58年。88歳になってようやく無罪を勝ち取りました。
国際人権団体のアムネスティー・インターナショナルは「世界で最も長く拘束された死刑囚」としています。
■捜査機関が“捏造した”重要証拠
静岡地裁は、死刑判決のカギとなった重要な証拠を、捜査機関による捏造と認定しました。
事件発生から1年2か月後に、現場近くのみそタンクから「5点の衣類」が見つかったとされていました。
注目は、付着した血痕に残る赤み。判決では「1年以上、みそに漬けられた場合、赤みは残らない」と判断。
「捜査機関によって血痕をつけるなど加工され、タンク内に隠されたもの」としたのです。
衣類の中にあったズボンですが、警察はすそ直しをした残りの切れ端が、袴田さんの実家から見つかったと主張。これを根拠に、衣類は袴田さんのものだとしましたが、この切れ端も「捜査機関によって持ち込まれた」と判断しました。
■“開かずの扉” 再審制度の問題点とは
今回の事件で改めて問われているのが、“開かずの扉”といわれる「再審制度」のあり方です。
袴田さんは再審請求から再審開始まで、実に42年間もかかりました。その主な理由が「証拠開示の制度がない」ことです。
いまの制度では、検察は「有罪」に有利となる証拠だけを裁判所に提出すればよく、「無罪」につながる不利な証拠を出す必要はありません。
袴田事件でも再審請求の際、弁護団は”裁判所に提出されなかった証拠”の開示を求めてきましたが、検察は「開示する法的根拠がない」として拒否していました。
2回目の再審請求で裁判長が提出を強く勧告したことを受け、2010年になってようやく開示されたのです。
そのなかに、今回の無罪判決の決め手となった「5点の衣類」の鮮明なカラー写真が含まれていて、再審の扉が開かれたのです。
日本弁護士連合会は、再審法を改正し、“証拠開示のルールづくり”などを求めています。
袴田さんの姉・ひで子さん(91)は10月8日、「私は巌だけ助かれば良いと思っておりません。再審法改正には大いに協力してまいりたい」と語りました。
えん罪被害を少しでも減らす取り組みが求められています。
静岡地裁が袴田巌さん(88)の再審無罪判決を言い渡し、9日に確定するまで、姉・ひで子さん(91)は58年にわたり弟を支え続けた。暗闇の中で闘い続けた半生を、支援者たちの記憶を通じて振り返る。(中島和哉)
眠れない夜
1966年6月30日、清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害される事件が発生し、袴田さんは8月18日に逮捕された。ひで子さんは、弟の無実を信じていたが、報道や世間の風潮は袴田さんを犯人視。息を潜めて暮らした。
当時は、袴田さんの兄・茂治さん(故人)が集会を開き、袴田さんの無実を訴えていた。袴田さんの同級生、渥美邦夫さん(89)は集会で事件を知り、支援団体を設立し、署名活動やビラ配りを始めた。
眠れない夜が続き、ウイスキーに溺れるひで子さんだったが、渥美さんらの活動が始まると、「自分が巌より先にまいってはダメだ」と断酒して活動に加わった。渥美さんは「前を向くきっかけになれたかもしれない」と振り返る。
途絶えた面会
ひで子さんは面会のため、東京拘置所に足しげく通ったが、袴田さんは身柄拘束で心を病み「拘禁症」を発症。支離滅裂な発言や面会拒否が増え、95年に面会が途絶えた。当時、支援活動をしていた豊島学さん(79)は、面会結果を無表情で語るひで子さんについて、「先の見えない闘いに不安や無力感があったように見えた」と語る。
静岡大教授の笹原恵さん(61)は、弟の様子を案じて落胆するひで子さんを支えた。
99年2月10日、3年7か月ぶりの面会が実現した。わずか1分の再会だったが、「会えた!」と興奮気味に語ったひで子さんが忘れられないという。2003年には30分の面会ができた。袴田さんは症状が悪化し、ひで子さんに「あんたの顔は知らない」「メキシコのばばあ」などと言ったが、ひで子さんは、弟に会えた喜びから、思わず笑ってしまったという。
「おいしい物を食べても、きれいな景色を見ても、心ここにあらずだった」。04年から姉と弟を追い続けるドキュメンタリー監督の笠井千晶さん(49)は、不定期な面会が続く日々を送るひで子さんについて話す。「巌が獄中にいるのに、自分だけ楽しむ気分になれない」と度々こぼしていたという。
釈放後の10年間
14年3月27日、袴田さんが約48年ぶりに釈放されると、ひで子さんは英気を取り戻した。迎えに行った拘置所の応接室で弟の手を握りしめたひで子さん。「巌が出てきた時点で勝ち」と周囲に語ったという。
「『巌は無実だと我慢せずに言える』と喜んでいた。釈放後は、現在のような心からの笑顔と明るさになった」と笠井さんは変化を語る。
釈放から10年が過ぎた今年、静岡地裁は再審公判で袴田さんに無罪を言い渡した。ひで子さんは釈放後の10年間について、「動きがなく、時間だけが過ぎていった48年より長く感じた」と振り返り、笑顔で58年間の闘いに決着をつけた。
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当初傍聴には3人ほどだったが、判決の日には大勢の傍聴を得た。その傍聴は、法廷外で多くの人が問題を共有した結果。勝訴した原告の妻は「とても心強かった」と感謝を述べたが、苦悩する原告を孤独にしてはいけないと感じた。
橋下やひろゆきのような不届き者は、陰謀論系の反米拗らせ自称護憲派にもいて、「芸能界自体は堅気ではない人たちの集まり」という呆言を放ち(ジャニーズ性加害事件に関し)、ウクライナ報道が少なくなったことを冷笑する。上から目線の差別感情がにじみ出ており、苦悩の原因はその人自身に問題があると言わんばかりだ。わたしは心底腹が立つ。
世間にそんな連中がいたとしても、「えん罪は許せない」という多くの方の良心を司法が支持をした。再審法改正へのひで子さんたちの思いは、今後も多くの人につないでいかねばと思う。
その隣に袴田さんの姉弟像を建てて欲しい!建てなければ!という気持ちです(絶対に無理ですが…)。
でも、イーグルスはQBが嫌いです
一方、昨シーズンで引退された、イーグルスの C だった、テイラー・スイフトの彼氏のお兄さん、選手としても、人間としても素晴らしい方だと思います
ボックス席で、弟とそのチームを、お母様と弟の彼女とともに応援してた姿は素晴らしいです!
またまたくだらない・わけのわからないことを…
すみませんです…m(_ _)m
日本人に限らず、平和を希求する私たち後継世代が、全身で核廃絶・平和を訴え続けてこられたことをどう受け継ぎ、実現していくのかを問われたことでもあるのだと肝に銘じています。
また、後継世代として、その核廃絶・平和の実現がいまだなされていないことに、本当に申し訳ない思いでいっぱいです…
当事者の方々への「言葉」が見つけられなくて苦しいです…
でも、だからこそ、あらゆることを・から「学」び、そして「学ぶ」ことを続け、継承していかなければなりませんね。
>日本人に限らず
日本被団協はじめ、多くの団体や個人の反核運動はナショナルな運動ではないのに、ついつい「日本人」という語を使ってしまいました。
この語句を撤回し、謝罪いたします。
申し訳ありませんでした。