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うちの新事務所の近所はこんなになりました。
私は阪神淡路大震災のとき東京にいたので、どうしても震災に関して他人事になりがちなんですが、被爆者の問題について(断続的にですが 汗)30年関わってきて、「語り継ぐ」ことの難しさはひしひしと感じますね。。。
去年まで所属していた弁護士法人の同僚弁護士津久井進さんは弁護士になって以来、ずっと一貫して震災問題に取り組みつづけていますが、ほんとうにこういう人には頭が下がります。今、グーグル検索したら、僕の10倍もヒット!当然とは言え素晴らしいことです。
すさまじい数のの命が失われ、たくさんの夢が潰えて、とてつもない悲しみが今も残っている。
そのうちの、予想以上の多くが、実は防ぐことができたと言われている。
僕も改めて忘れないようにします。
阪神大震災16年 人入れ替わり、神戸市は新住民4割(朝日新聞) - goo ニュース
阪神大震災16年 人入れ替わり、神戸市は新住民4割
2011年1月17日 朝日新聞
6434人の命が奪われた阪神大震災から、17日でまる16年となる。10万棟を超える建物が全壊した被災地は、震災復興土地区画整理事業が近く完了する見通しとなり、街づくりにひとつの区切りを迎えた。ただ、復興公営住宅の独居の高齢者が全世帯の4割を占めるなど、新たな課題も生じている。
神戸市では震災後に転入・出生した新住民が37.7%(昨年11月時点)を占め、震災の体験や教訓を、どう語り継ぐかも問われる。
兵庫県宝塚市を流れる武庫川の中州では16日夜、震災からの街と心の再生を願ってつくられた石積みのオブジェ「生(せい)」が、市内で亡くなった人の数と同じ118本の懐中電灯でライトアップされた。(井石栄司、山崎聡)
♪ヤサホーヤ 唄がきこえる
ほんの少しだけ,どきどき。
今年は周りがあまり震災のこと話さないので,どうしたのかな?と感じていましたが,rayさんもこうして記事を書かれていて,なんとなく安心。
あの日も,今日のようにお天気がよくて,とても寒い日だったな。
朝6時ごろはまだ電話が通じた。
実家に電話しても,母は私が死ぬ思いをするような地震に見舞われたことも分からず,大げさなことを言っているという感じだった。
やけにその時間の空気や天気や人が言ったことなんかを克明に覚えている。
つぶれた隣の一軒家の下敷きになったおばあちゃんの助けを求める声も鮮明に思いだせる。
私が住んでいたのは会社の借り上げマンション。電話がつながらなくなっては困るということで,常に電話を大阪総務と東京本部につなぎっぱなしにしていたな。その後,爆発的に携帯電話の時代になったな。
仕事中,三宮の飲み屋街の悪臭がすごかったな。
仕事で外を回る時は必ず男性と一緒でないといけなかったけど,雑居ビルのトイレに入るのはとても怖かったな。ビルが倒れるからではなくて,襲われる可能性があったから。
でも,クライアントのためならなんでもしたかったな。私の営業成績にはまったく関係ないことばかりだったけど,それでも自分は生きてるって感じたな。
♪ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが躍る
解き放て いのちで笑え 満月の夕
震災は色んなものを見せてくれました。
人の嫌らしさや穢らしさが剥き出しになった面もあります。
それでも、人間の尊厳・生存権・命の大切さがあらためて問われた意味は大きいと思います。
正義の弁護士さん達も健在ですし。
人災の部分をいかに少なくするかというのが、遺された者の課題です。
♪あまの川に 舟を浮かべて
♪よろこびもかなしみも 涙に
♪流して返す 宵まつり
rayさんの記事にもある、武庫川の「生」オブジェですが、今春公開される映画「阪急電車」で話題になって復活したそうですね。
原作小説も読みましたが、こういう形でも震災が語り継がれるのは、いい事だと思います。