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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領による「非常戒厳」の宣布について、韓国の合同捜査本部が内乱罪容疑で逮捕状を請求。韓国に学ぶ緊急事態条項の恐ろしさと法の支配の大切さ。【#自国維公は地獄逝こう】

2024年12月30日 | 緊急事態条項の恐怖

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 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が出した非常戒厳令宣布を巡り、内乱などの容疑で捜査している高位公職者犯罪捜査庁(公捜庁)や警察などの合同捜査本部は2024年12月30日に、内乱罪容疑で尹氏の逮捕状を請求したと発表しました。

 韓国大統領は憲法で不訴追特権が保障されていますが、内乱罪は例外となっています。

 韓国の現職大統領が身柄を拘束されれば、史上初めてのことですが、合同捜査本部は12月18、25、29日に3度も尹氏に出頭を求めていたの、尹大統領はいずれも応じなかったということですから、これは捜査機関は手順を尽くしており、逮捕状請求をしても仕方ないと言えるでしょう。

 これこそが法の支配です。

むしろ日本のように安倍晋三元首相と安倍派の重鎮などがことごとく逮捕されないほうが法の支配に反する。

韓国の尹大統領が非常戒厳令を宣布。軍の戒厳司令官が集会やデモなど一切の政治活動などを禁じる布告令を発布して全メディアと出版を統制。これこそが国民民主党が自民・維新ともくろむ緊急事態条項の創設の恐怖だ。

 

 

 日本でも法の支配や立憲主義という言葉はよく聞かれるようになりましたが、まとめると、すべての人々が個人として尊重されるために、憲法が最高法規として国家権力を制限し、基本的人権を保障するのが法の支配であり立憲主義であるということになります。

 王や貴族などが恣意的な専横政治をするのではなく(人の支配)、

「正しい法(人権保障の体系)である憲法に従ってすべての法制度が制定・解釈・適用され、政治の隅々まで基本的人権を保障する政治がいきわたっていること」

ということです。

「人の支配」から「法の支配」へが近代市民革命の歴史。

私たち一人ひとりのための国際人権法入門

申 惠丰  | 2024/9/27
 

 

 日本国憲法でその具体的な規定を見ると

1 憲法13条の前段に最高価値として「個人の尊重」(個人の尊厳)を規定

2 第3章に詳細な基本的人権の保障を規定し、しかも大日本国憲法のような法律の留保(法律の範囲内でのみ人権が保障される規定)がない

3 憲法11条と97条に基本的人権の永久性・不可侵性を規定

4 憲法98条1項に憲法の最高法規性(憲法に違反するすべての法律など下位規範は無効)を規定

5 憲法81条で最高裁とすべての裁判所に違憲立法・行政審査権を付与

 このように徹頭徹尾、憲法が基本的人権の保障の体系になっているのが法の支配であり立憲主義ということになります。

 このように法の支配といったとき、その法の中身までが人権保障の体系である憲法に沿ったものでなければならず、そうでなければ無効であり、その判断は立法・行政権から独立した司法権が行なう、というのが肝心要の内容なわけです。

 悪法も法なり、ということは法の支配や立憲主義に基づく憲法では成り立たないのです。

アゼルバイジャンの民間航空機を「誤射」して「撃墜」?したロシアのプーチン大統領がやっと謝罪。ロシアに援軍として送られた北朝鮮軍兵士が捕虜になるまいと自決。ウクライナ侵略戦争に見る法の支配の重要性。

 

立憲主義は憲法に基づく政治を意味するので国内法だけに適用されるが、法の支配は国際法を含むすべての法秩序について使われる言葉。
ICCによるプーチン大統領やネタニヤフ首相らへの逮捕状発布を非難するような人間に法の支配を語る資格はない。
【祝!】ロシアのプーチン大統領に続いて、イスラエルのネタニヤフ首相らにも国際刑事裁判所(ICC)がガザでのジェノサイド容疑で逮捕状を発令!世界の市民から法の支配に対する信頼を勝ち取る歴史的な快挙だ。
 

国際社会における法の支配を目指して (学術選書)

松井 芳郎  | 2021/12/27
 
 
 

 ところで、日本でも国民保護法や災害救助法など、実は非常事態の時に市民の人権を制限することができる法律はあります。

 そもそもなぜ、憲法が基本的人権保障の体系であり、すべての法がそれに違反してはならないのに、法律で市民の権利を抑制できるのか。

 それは、国会議員が選挙で選ばれた国民の代表者であり、選挙が平等・公正などの憲法上の原則に適合している限り、我々の代表者である国会議員と有権者である国民との間には質的な同一性がある、とされるからです。

 つまり、昔の王族貴族ではなく、選挙で選ばれた代表者である国会議員は国民と同質なのだから、国民の権利を抑制しすぎることはないだろうという信頼がおける、という議会制民主主義の制度を日本国憲法は採用しているということです。

 これを「治者と被治者の自同性」と呼び、市民の人権を保障する自由主義の統治の手段として、憲法は民主主義を採用しているわけです。

 逆に言うと、一票の格差があって有権者の意思が国会の構成に正確に反映しないとか、政府与党だけがバカバカ選挙にお金を使えるとか、自民党だけが「地盤・カバン・看板」を最初から持っている昔の貴族のような世襲議員だらけだとか、統一教会や立花孝志・つばさの党みたいな連中が次々と現れて選挙の公正を害するとかいう事態は、民主主義=「治者と被治者の自同性」の原理を破壊する、基本的人権保障の危機だということはお分かりいただけると思います。

検証 政治とカネ (岩波新書 新赤版 2021)

上脇 博之  | 2024/7/22
 

 

 さて、話を元に戻すと、所得税など税金一つをとってもそれを法律で国に納めることが義務付けられることは財産権という市民の人権が制限されているわけです。

 考えてみると、ほとんどの法律がむしろ市民の権利を抑制する内容を持っています。

 例えば、刑法に窃盗罪とか殺人罪とかいう犯罪が規定されていることで、人のものを自由に盗むとか(笑)、国民の行動の自由は抑制されていますよね。

 しかしそれは窃盗罪により被害者となるかもしれない市民の財産を、殺人罪により市民の命という保護法益を守ることが目的で、つまりは市民の自由と人権を法で制限することが正当化されるのは、それは他の市民のより大きな人権保障につながるという「公共の福祉」が達成される時のみだということになります。

 所得税や消費税で血税が市民から取られることが正当化されるのも、その税金が大きな塊になって政府に集まって、社会保障や教育などなど市民の人権をより実質的に実現することに使われるからこそなのです。

憲法に緊急事態条項は必要か (岩波ブックレット)
永井 幸寿 (著)
岩波書店

【自民党改憲案の危険性】自民党のたたき台素案(2018)の緊急事態条項は、大日本帝国憲法の天皇大権の一つ「緊急勅令」そっくりだ。狙いは一つ、市民の基本的人権の抑圧!

憲法「改正」で緊急事態条項の導入、東日本大震災の被災自治体のうち97%が必要ないとのアンケート結果。


 

 

 というわけで、国民の代表者である国会議員が集まる国会だけが「唯一の立法機関」(41条)とされるのは、治者と被治者の自同性が期待され市民の権利を抑制できる法律を作ってもそれが最終的にはより大きな人権保障につながると期待されるからです。

 しかし、その民主主義的な機関のはずの国会が人権を過度に抑圧する憲法違反の法律を作ってしまったらどうするか。

 それこそが先ほど法の支配の具体的表れとして書いた、憲法の

4 憲法98条1項に憲法の最高法規性(憲法に違反するすべての法律など下位規範は無効)を規定

5 憲法81条で最高裁とすべての裁判所に違憲立法・行政審査権を付与

の出番ということになります。

 つまり裁判所が憲法に従って違憲立法審査権を行使して(5)、その法律の無効を宣言する(4)という、法の支配達成・基本的人権保障のための最終手段が用意されているのです。

 自由主義達成のための第一の手段は民主主義ですが、それが機能しない場合のことも憲法はちゃんと用意していることになります。

 司法権を担う裁判所が「憲法擁護最後の砦」と言われるゆえんは、まずはちゃんと選挙で代表者を選んで市民の人権を侵害するような法律を作るような党や人間を国会議員にしたらダメだよという意味でもあるのです。

裏金自民党の憲法「改正」ワーキングチームが緊急事態条項改憲案に合意。8月7日、岸田文雄首相(党総裁)が出席して憲法改正実現本部の会合を開き、改憲を大義名分とした解散総選挙を宣言する可能性がある。

 

 

 さあ、やっと今回の記事の終わりが近づいてきたのですが、国民保護法や災害救助法や感染症法など、今言われている緊急事態に対応して市民の自由と権利を制限する法律は既にあります。

 だから憲法に緊急事態条項は不要なのです。

 しかも、これらの法制度はすべて憲法の下位規範である法律に規定されていますから、もしその内容や解釈適用や運用がやりすぎ、つまり憲法に照らして人権侵害であり違憲であると判断された場合には、事後的に裁判所によって無効が宣言されて法律自体が無効となったり、ある特定の行政行為(例えば自衛隊による民家の接収という財産権侵害)が取り消されたりします。

 また、損害を受けた市民からの国家賠償請求が認められることもあり得るわけです。

 ところが、憲法に緊急事態条項が規定され、それに基づいて政府が緊急政令を発布して、市民の人権を侵害した場合はどうでしょうか。

 この場合、緊急事態条項も基本的人権を保障する憲法第3章も同格で、憲法を根拠にするものとなります。

 つまり、緊急事態条項をもとにして出された緊急政令は、市民が憲法違反だと争えないのです。

 そうなると、「人権擁護最後の砦」であるはずの司法権の出番もなくなります。

 この、人権侵害の救済が不可能になることこそ、緊急事態条項を憲法自体に規定してしまうことの最大の恐怖であり、だからこそ自国維公ら権力側の人間はオールマイティなジョーカーである緊急事態条項にこだわっているということになるのです。

 

参考記事 村野瀬玲奈の秘書課広報室さんより

2024年12月28日、ユン・ソンニョルの大統領職からの退陣を街頭で求め続ける韓国民。美しい。

 

韓国で非常戒厳令を発布し民主主義を破壊しようとした尹大統領に関して、その日韓関係改善のための努力というものを損なうようなことがあってはならないと言い出す石破茂首相の自由と人権に関する無理解は超危険だ。

 

 

 今回の韓国大統領による非常戒厳令は市民と野党の力で押し戻し、議会で解除宣言をすることができました。

 しかし、それは薄氷の勝利です。

 大統領がデモや集会など表現の自由をすべて制限するという内容の非常戒厳令に警察と軍隊が完全に従っていたら、国会に終結した市民が光州事件の時のように銃撃され、殺され、一蹴されていた危険性も十分あったのです。

 一歩間違えたら韓国内はまさに内乱、市民と市民、軍隊と市民が血を血で洗うシビルウォーの状態になったかもしれません。

韓国大統領が非常戒厳を宣言 国会は解除決議を可決 - 日本経済新聞

【#滅べ自民党】極右政治家石破茂の真実の記録。「憲法9条2項削除」「国防軍創設」「軍法会議創設」「徴兵拒否には死刑か懲役300年」「核武装のために原発推進」【#自民党の無い平和な社会】

 

 

 今回はたまたま韓国の市民がその草の根の民主主義の強さを見せつけましたが、そもそも憲法上に非常戒厳令などという大統領の巨大な権限が規定されていることが間違いのもと、危険の根本原因なのです。

 日本に暮らす民衆が同じ日本の警察や自衛隊と対峙するというような不幸な事態が絶対に起きないようにするために、憲法に緊急事態条項を入れさせないこと。

 そして、長年改憲を党是にしてきた自民党とその補完勢力である公明党はもちろんのこと、手取りを増やすだの高校教育無償化だのの甘い言葉をささやいて、その実、権力を握ったら緊急事態条項を導入する気満々というような国民民主党や日本維新の会に絶対に投票したら駄目だってことなんです。

【#憲法記念日】自国維公=地獄逝こうの緊急事態条項は人権弾圧と国会議員の居座りの危険性が高い。また災害救助法や国民保護法など法整備はされており改憲は不要、百害あって一利なし【#緊急事態条項反対】

 

裏金自民党が違法行為の反省もなく憲法「改正」に執着。しかも市民の人権を制限する緊急政令を含む緊急事態条項と自衛隊明記にも固執。岸田首相は兵器爆買いで貢いだ「盟友」のバイデン大統領とともに引退せよ。

 

【#憲法記念日】自国維公=地獄逝こうの緊急事態条項は人権弾圧と国会議員の居座りの危険性が高い。また災害救助法や国民保護法など法整備はされており改憲は不要、百害あって一利なし【#緊急事態条項反対】

 

 

 

編集後記

【#国民民主党に騙されるな】「社会保障の保険料を下げるため尊厳死の法制化も含めて踏み込む」という玉木雄一郎代表が、自党の元立候補予定者自死に「一般人の自殺をことさら報じる意義があるのか」と言い放つ非情

 

国民民主党の玉木雄一郎代表による、人を人と思わぬ非情な言動は枚挙にいとまがないです。

「手取りを増やす」という言葉の背景にある人権軽視のその基本思想を見抜くことこそが、いま日本の市民にとって一番必要な闘いです。

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韓国捜査当局、尹大統領の逮捕状を請求 内乱容疑 不訴追特権も例外

韓国の尹錫悦大統領=韓国・京畿道城南市で2024年10月、ロイター

 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領による「非常戒厳」の宣布を巡り、高官犯罪捜査庁(高捜庁)は30日未明、尹氏の逮捕状を裁判所に請求した。内乱容疑とみられる。大統領は憲法で不訴追特権が保障されているが、内乱罪は例外となっている。韓国の現職大統領が身柄を拘束されれば、史上初めて。

 高捜庁は尹氏による戒厳令の宣布について「職権を乱用し、憲法秩序を乱す目的で暴動を起こした」疑いがあるとし、尹氏を「内乱の首謀者」とみている。法務省は尹氏を出国禁止にしている。高捜庁はこれまでに3度、出頭を要請したが、尹氏が拒否し続けたため、逮捕状の請求に踏み切った。

 戒厳令を尹氏に進言した金龍顕(キム・ヨンヒョン)前国防相の逮捕状を捜査当局が申請した際、当局は尹氏と金氏が「共謀した」と記した。裁判所はこれを認め、金氏は10日に逮捕された。このため裁判所が尹氏の逮捕についても認める可能性があるとみられている。

 国会は14日、戒厳令の宣布は違憲だとして尹氏に対する弾劾訴追案を可決。尹氏は職務停止に追い込まれたが、警護などの特権は維持。ソウル市内の高台にある大統領官邸で生活している。高捜庁は、大統領警護庁などが逮捕を阻止しようとすれば公務執行妨害罪に当たる可能性があるとけん制している。

 尹氏は12日の談話で、「弾劾しようが捜査しようが、私はこれに堂々と立ち向かう」と徹底抗戦する意思を表明。「野党の議会独裁に対抗し、韓国の自由民主主義と憲政秩序を守ろうとした」と述べ、戒厳令宣布を正当化していた。

 尹氏は3日夜、政府提出の予算案の一部を減額したり、検察官らを繰り返し弾劾したりする野党の行為を「内乱を企てる反国家行為だ」と非難し、戒厳令を出した。特殊部隊の一部が国会議事堂に乱入したが、国会は混乱の中で戒厳令の解除を要求する決議案を可決。憲法に基づき大統領は従わねばならず、尹氏は4日未明に戒厳令を解除した。

 この際、兵士が国会に突入するのを現場で指揮した陸軍の特殊戦司令官は、尹氏から電話で「議員を本会議場から引っ張り出せ」と直接指示を受けたと明らかにしている。戒厳令の解除要求決議を阻止する狙いがあったとみられている。

 弾劾訴追を巡っては、憲法裁判所が国会での弾劾案可決から180日以内にその是非を判断する。憲法裁が妥当だと判断すれば、尹氏は失職。60日以内に後任を決める大統領選が実施される。【ソウル日下部元美】

 

 

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2 コメント

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訂正 (みらい)
2024-12-31 00:41:41
先に投稿した文章の、最後の部分がきちんと書けていなかったので訂正します。

生存は、誰もが守られるべき対応をもつ概念ですが、 → 生存は、誰もが守られるべき対応をもちうる概念ですが(≒生存権)、

失礼しました。
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立憲主義的な発想に対応する人間観について (みらい)
2024-12-31 00:18:33
はじめまして。いつもブログの方拝見させてもらっています、みらいと申します。

今日のブログの内容は、とてもオーソドックスなものだと思うのですが(緊急事態条項は不要という考えに全く賛同します)、かねてから自分なりに気になっていることとぶつかる上、これから書く点は、昨今の政治情勢から立憲主義的な発想を擁護する上で、かなりしっかり考えないといけない部分なんじゃないかと思えるので、ぜひ宮武さんに読んでもらいたくなり、投稿することにしました。

私が気になるのは、「さて、話を元に戻すと、所得税など税金一つをとってもそれを法律で国に納めることが義務付けられることは財産権という市民の人権が制限されているわけです。」以下の、いくつかの文が前提する人間観・人間像や、そうした前提に立って日本国憲法(立憲主義的な発想)を論じることの当否です。

上の箇所は、(1)財産権の制限を相対的に大きく被りがちな人(ひらたく言えばお金持ち)、(2)「人のものを自由に盗む…自由」は、強健な人(特に成人男性)、(3)殺人罪に至っては明らかに単に強健である以上に特殊な境遇とか人格とかを想定しないと説明がつかないような人を連想させがちな議論だと思います。全般的な傾向として、自分の思うがままにしたいのが人だ、という人間観を暗黙のうちに前提するか、そうした前提が合理的だと受け入れる解釈上の傾きをもった議論になっていると思います。

もちろん、オーソドックスな議論は、上のような傾きの正当化・合理化をもっぱら意図しているわけではなく、あくまで「人権保障の体系」としての憲法を説明するうえで、制限される権利(自由)を例示しているにすぎないと思うし、財産権について言えば、憲法29条1項の文面だけ意識するならば、素直な解釈とも言えるかもしれないのですが、私は上のような議論に違和感を覚えます。以下に書くような隠れた論点が、問題含みのように思うからです。(1)財産上の自由はむしろ憲法的な価値が全般的に維持されている社会状況において実際上の意義を持つはずで、そうした社会状況を維持するための資源を(理念的に言えば「原初的に」)維持することは「財産権の制限」とは異なる性質のことがらとして理解されるべきであるように思えるし、(2)人のものも自由にしたいという願望と強健な人の放恣を区別しないのは一面的でむやみに暴力的な理解のようにも思えるし、(3)殺人に至っては、そういう自由があると言われても、もっぱら周りの人から受ける危害の可能性を言われているだけにしか受け取れないからです((3)については、私は「人のものを自由に盗むとか(笑)」という書き方に留める宮武さんのような方を含む少なくない平均人の無意識はそういうものであるはずなのに、ある種の哲学的・法学的な議論のせいで、むやみに露悪的な方向に仕向けられているきらいがあるのではないかと疑っています)。

私は、立憲主義的な発想は、(1)財産上の自由は、平和・平穏な社会状況が維持されてこそ保たれるという理解、(2)・(3)窃盗・暴力の制限は、むしろそういうルール違反がない社会状況が平均的な人々の自由を広げる、という理解から擁護されるものだと考えます。オーソドックスな議論が前提とする人間像にあてはまるような「人」は、そもそも立憲主義を合理的に擁護するような人ではないし、立憲主義的な社会における多数派でもないように思います。私は、平均的な人は、もっと「自由」について孤立的ではない、相互協力的な理解を潜在的に知っているはずだと思うし(だから誰もが「民主主義」という建前になかなか反対できない・しないし(実質的に多数決主義しか合理化していない人でも、表向きは「民主主義」が正当化されていることにしたがる、それに対応する無意識は、「誰もが尊重されていなければならない」であるように見える)、「戦争は誰も望んでいない」(≒誰も死にたがってはいない)と言いはするのではないかと思っています)、「公共の福祉」概念を暗黙裡に・遂行的に支えている論理も、そういう性質のもののように思います。

宮武さんの「所得税や消費税で血税が市民から取られることが正当化されるのも、その税金が大きな塊になって政府に集まって、社会保障や教育などなど市民の人権をより実質的に実現することに使われるから」という記述に対応する考え方は、「財産権(私には国民民主党が言う生存権は、財産権概念に関連づく概念に見える)の制限の正当化」をしがちな人々ではなく、端的に「(平和的)生存権の保障」への人々の期待だと思うのです。

また、「財産権の制限の正当化」という発想は、「…自衛隊による民家の接収という財産権侵害」を合理化する発想にも親和的になってしまう議論のように感じます。「生存(×生存権)」の合理化を考えるなら、むしろ防衛も市民の人権をより実質的に実現することに繋がり、そのための財産権の制限は合理化される、という話になりかねないように見えるからです。そもそも「財産権」はそれ単独では「平穏に維持される」ことを適切に理解できない概念なんじゃないかと思います。生存は、誰もが守られるべき対応をもつ概念ですが、財産は、現に持っている人と持っていない人、ある場所にいる人といない人、などの間で具体的に守られる度合いに差が出る概念だからです。

いきなりの長文投稿、大変失礼しました。今後の更新も楽しみにしています。
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