③ 洋上生活<6>(5/27~6/1)
南太平洋の巨大な三角形のポリネシア、その中央近くに位置するタヒチ目指すピースボートの船上企画は少しネタ切れの感じで、講座にもあまり出ず、ゆっくりとし始めました。
その中で二つ報告したい。船の操舵室見学ツアーがあった。当然希望者は殺到するので、並んで予約申し込みしたかいあって5/30 9時からの部で10人が案内してもらう。普段乗客の立ち入り禁止地区を見せてもらうのだ。救命ボートとクルーの救命いかだ、まさかの時の救難信号、操舵室の内部の計器、海図・・興味深いものが多かったが、コンピューターの発達で、昔ながらの海難事故の起こる可能性が圧倒的に低いことが分かる。モールス信号などは今は使われていないし、通信士などはいない。国際基準として英語が使われているが、電話による連絡に当たって混同を防ぐため、アルファベットでも共通の言い方が決まっているのがおもしろい(アルファのa、 のb、チャーリーのcといった具合)
しかしながら、イタリア客船や最近の韓国の事故が生起していることについての質問が相次いだ。案内役の事務局長は二つとも「人災」と言い切る。要は定められたことをやっていない、常識的に考えられないような行動をとるからだそうだ。イタリアの例では、そもそも海図から見て進入すれば座礁が確実な場所にまで進んでおり、信じられない行動だとのことだ。
もう一つは5/30 洋上歌合戦があった。紅白でなく、出場者の部屋番号を左舷=偶数、右舷=奇数に分けて競うというものだが、下手にエントリーせずに良かった。というのは、歌合戦兼仮装大会というべき盛り上がりを見せた。若者は、数日の間に、グループを組織し、振り付け・衣装をしたてるのだからすごい。シニアでも、女装、踊りの振り付けなど爆笑に次ぐ爆笑・・僕が仮に出場したと想定するなら、「群青」をパナマ帽をかぶって、という想定だったが、完全にカブルことになってしまうところだった。つまり、「昴」をパナマ帽をかぶって熱唱したのが、体育大会の団長さんだったわけで、完全に二番煎じになるところだった。やはり、浮かれすぎなくてヨカッタ、これ教訓。
④ タヒチ ?の楽園 (6/2~3)
2日はタヒチ島(パペーテという港に)、3日は同じくボラボラ島(大型船は入れないので、港すぐに投錨しテンダー船で港に)で遊ぶ。私は行けなかったけれど、OPで「バリハイ」の清澄な歌声の主題歌「南太平洋」(映画の題名がこれだったかどうか?)の舞台となったモアーレ島に行った者もいる。地上最後の楽園といううたい文句もあるように、垂涎の観光地である。(もっとも交通手段と目を剥く宿泊料が問題で、通常では行くのは困難)
物価は(相対的に)高い。店は商売熱心であってもある線以上は負けない、村中を走っても、いかにも村ではあるが、目にする限りは貧民街はない。南米訪問国に比すれば、総じて豊かなのである。なぜとなれば、フランス自治領であるからだ。どういうことか。フランスの核実験地としてムロルア環礁が汚染され、被爆者が出た過去を持つ。だから、反核と独立を目指す裸足のGさんがピースボートの水先案内人として3回ほど講演と+αの交流を行った。しかし、フランスはいまだ手放していない。過去・および現在の代償としての一定の豊かさがあるのだろう、そして、今後も踏まえると、最後の楽園を死守しなければ立ちいかなくなるおそれがある。環境(観光)資源保護は必須のことなのだ。
物価の目安はとしては、私は食べ物を判断基準にしている(それしかないが・・・)し、店を選ぶにはローカルがバンバン買いに行くような店かどうかをまず観察する。昼の軽食として、マクドのような店で、フランスパンを使ったホットドッグ(確かにパンがうまい)とコーラで500フランだった。現地通貨はフレンチ・パシフィック・フランというが長いのでフラン。1フラン大体1.2~1.3円。だから600円強となる。道に出したベンチに座れないほど客が多い。ジェラートの店では2カップならやはり500フラン、これも学校帰りの高校生でも普通に入ってくる。スーパーで買うローカル・ブランドのヒナノ・缶ビールが230フラン(発泡酒なんか探しても無いもんね、日本での僕よりリッチや)
ゴーギャンの「タヒチの女」はあまりにも有名だが、ポリネシアンだが、経緯からフランス人らしき白人も結構見かける。ただし我々含め、観光客が多いので見分けがつきにくい。公用語はイースター島と通底するポリネシアの言葉とフランス語だそうだが、観光業者でも英語が話せるとリーダー格。日本人観光客も多いせいか、それどころか町?村ですれ違うと「ありがとう」「こんにちは」、翌日のガイドなどは「上を向いて歩こう」なども歌うし、どこで「日本語ならったの」と聞かれて、「にほんにおよめさんいる。ウエトアヤという」。会った限りでのタヒチ人は陽気。
両日ともOPでなく、自分らで自由行動した。タヒチの港は一歩出れば中心街。自動両替器で現地フランを手に入れ、郵便局へ。ジブラルタルでの教訓から切手はその国の通貨で。特にタヒチの切手は原色を使った華やかな色彩で、収集家の間では人気があるとも聞いていたので、絵葉書を書き溜めていた。しかし、記念切手は大きすぎる。一番小さな通常のモノを求めるものの、それでも既に書いた宛先にかぶり、持っていた鉛筆で修正や書き足しという不細工なものになってしまった(ゴメン)。
次にマルシェという庶民の市場へ、2階が各店舗になっており、色鮮やかなパレオという手織りの布が代表的土産として吊り下げられている。妻のお買いものの付属亭主として見て歩く。ガイドブックに掲載している布地屋にも行く。さらには、上にあげたビール会社がそのブランド名を活かしパレオやアロハシャツ・バッグなどの土産物をやっている店にも行く。キリンやサントリーのTシャツというわけです。それに黒真珠が特産品らしく、その博物館を覗くと、西太后やエリザベス女王の人形に数えきれないほどの黒真珠が飾られているのが印象的だった。
タヒチに来て泳がないのはご先祖様に申し訳ないというほどたいそうなことではないが、やはり癪だ。ところで、どこにいけばいいのか。ここらが無計画な習性ゆえの効率の悪さで、とにかくiインフォーメーション・センターで聞いたバスに乗り込み、リゾートホテルの前の駅で降りる。やはり無計画な若者10人ほどはそのまま、もっと先まで乗っていく。ホテル内を少し行くとプ-ル、その先にたった4人だけがたわむれているビーチが広がっていた。スタスタとそこまで下りて行けば一組のアベックは日本人。「プライベートビーチかどうか知らない」という。さすがに妻は遠慮したが、私は意地で海に浸かった。波がきついうえに、3mも足を踏み入れればいきなりの深み。どうする?いままで行っていたジムはプールが無いので当然今年は当然初泳ぎ、老化の表れか明け方に足がつる、等々の総合判断から、「危険」マークが点滅する。ビーチに入るときに読んだ看板では「プライベートビーチだから入るな」ではなく、「ホテルは事故には一切責任を持たない」だったことも思い出す。頭をよぎったのは、確か吉本隆明は鎌倉の海で溺れかけたという記事をよんだことがあったなあ、ということ。有名人ではないが、「タヒチの海で日本人観光客溺死」なんど格好悪いではないか。それでも、未練たらしく波打ち際に平行に30mほど2往復して早々に着替える。帰りのバスもあまり待つことなく港に帰り着いた。帰船までの時間が生じたので、妻は「カードがあれば買える」病にかかり大満足でした。私はといえば、タヒチの海に瞬間的に浸かった、ジェラートを食べた、スーパーで買ったヒナノ・ビールを公園で空けた、ということで、ちょっぴり不満なタヒチの思い出でした。そうそう、この港の公園はジョガーであふれており、そこまでは生きていたい東京オリンピックでタヒチの選手を見られたらイイナと思いました。そして、公園の一画には核実験で犠牲になった200人ほどの慰霊碑にピースボートからの花束が献じられておりました。その日の5時には出港し翌朝、ボラボラ島に。ここのヴァイタペという港も小さいので、目と鼻の先ながら投錨し、テンダー船で港へ。ただし、イースター島のような救命具などつけずに普通の観光船の感じで数分で着く。ここも自由行動で、まずは昨日の不完全海水浴の挽回とばかりに、ホテルのシャトル?・ジープ?荷台に9人で乗る(一人5$or500フラン)。村道をぶっ飛ばし、先に上陸して歩いているorレンタサイクルのピースボートの諸君を追い抜いて、着いた先には、環礁で囲われたそれはそれは美しい海がまっていました。環礁のあたりだけが外からの波を受けるせいか波頭の白線で、薄い水色が続き、すぐ近くは透明のためお魚が群れているのが見えます(ただし水の色と一体化し極彩色のものではありません)。
自然ってこれだけ美しいのかと思ったのは、NZとこの海が双璧でしょう。
本当に遠浅で、環礁で囲まれた巨大なプールと言えるでしょう。どこまで行っても、遠浅かどうか?そこまでの勇気はありません。でも白く波頭の見える線の半分くらいまでは行きました。ピ-スボートの若者グループも、そのあたりから引き返してくるのを見ると、そこまでで充分です。妻も喜んで遊泳していました。
今後は望めないだろう生涯最高の海水浴場で二泳ぎして、ホテルのシャトルで港へ戻る。というのは、朝、港に先着した妻(テンダーボートに乗る順番がわずか一人の差でばらばら)が、港のiで尋ねた「ラグナリウムに行きたければ12時半に来い」と言われていたためだ。無計画だと誤算が二つある。港周辺の食堂は1ケ所で満員、i には誰もいない?!
客ひろいのために集まる車・船の業者等に尋ねる。一つは行くがピースボートのOP用だって、それでも、車で○○まで行けばそこから船が出るとのこと、やはり行先を探していたピースボートの女性乗客3人とその計画に乗った。おかげで昼は昨日タヒチで買ったおいしいフランスパンを分けてしがんだだけ。午前中の道をもう一度走り、美しいビーチのホテルからさらに客を乗せ、さらに道を進め、小さな船泊まりに着く。小ボートで、波を蹴立てて美しい海上を行く。見えてくるではありませんか、誰でも一度はTV等で見たことがあると思われる海上のコテッジの連なりが。インターコンチネンタルのものらしいのですが、1泊の最低が8万~10万ですって。ゲゲゲーー。そして、欧米以外では中国人と日本人がよく泊まるんだって、新婚さんとか、ソウナノ、オホホホ・・
そこを行きすぎ着いた島で、水着に着替えるよう言われ、水中メガネ・シュノーケルを渡される。我々も同行の女性客も自然水族館くらいの知識で、グラスボートみたいなものを想像していたのだが、違った。女性客の中では娘時代が一番昔にあった人だけがこれに挑戦した。まず、海亀の生息している自然の生け簀を見てから、鮫とエイもいる生け簀に連れて行かれ、自由に遊泳しエイに触り、鮫を身近に泳げ、ということらしい。エエ!!
海亀の所でもかつては一緒に泳いでいたのだが、噛みつくことが分かったので、今は見るだけという。それなら鮫は?? この鮫はレモン鮫といい、人を襲わない、と言われてもネ。心理的抵抗をなくすため、最初のカメは見るだけ、次にエイは水に入って触るだけという手順を踏む。触りましたよ、もちろん僕のことだから「エイ」という気合とともに、なーんてネ。皮膚はぬめっとしてるが固い、長い尾は節が連なっているようでザラザラして痛い。もちろんエイさんも泳いでいるのだから、わずかな間だけ、結構愚直なやつのようで、遊泳中おしりに当たったので海中をみるとエイさんだったりして。他の皆さんは道具を使って、海中を楽しんでいるが、僕はそうはいかない。あちこち悪いが、右耳も鼓膜が破れており、水中に顔をつけると水が遠慮なく入っていく。仕方なく、ただ平泳ぎをしているだけなのです。それでも体長2~3mのレモン鮫が側を通ると、緊張する。
かなりの時間泳いで、帰る段になって、「皆集まれ」ということになった。どうせCMだと思ったがパレオの結び方講習。3種類の結び方をそれぞれ客をモデルにして行われる。皆、ということは妻も含めて感心する。私の内部の声「何や、結び方も知らんと買いまわってたんかいな」。ところが僕も指名される。結局パレオの褌でした。
ピースボートのOPで来た連中と交替で帰ることになり、また10万円コテッジを横目に見ながら、帰船したのでした。行けて良かった。(タヒチ了)
あとはハワイだけだ。
南太平洋の巨大な三角形のポリネシア、その中央近くに位置するタヒチ目指すピースボートの船上企画は少しネタ切れの感じで、講座にもあまり出ず、ゆっくりとし始めました。
その中で二つ報告したい。船の操舵室見学ツアーがあった。当然希望者は殺到するので、並んで予約申し込みしたかいあって5/30 9時からの部で10人が案内してもらう。普段乗客の立ち入り禁止地区を見せてもらうのだ。救命ボートとクルーの救命いかだ、まさかの時の救難信号、操舵室の内部の計器、海図・・興味深いものが多かったが、コンピューターの発達で、昔ながらの海難事故の起こる可能性が圧倒的に低いことが分かる。モールス信号などは今は使われていないし、通信士などはいない。国際基準として英語が使われているが、電話による連絡に当たって混同を防ぐため、アルファベットでも共通の言い方が決まっているのがおもしろい(アルファのa、 のb、チャーリーのcといった具合)
しかしながら、イタリア客船や最近の韓国の事故が生起していることについての質問が相次いだ。案内役の事務局長は二つとも「人災」と言い切る。要は定められたことをやっていない、常識的に考えられないような行動をとるからだそうだ。イタリアの例では、そもそも海図から見て進入すれば座礁が確実な場所にまで進んでおり、信じられない行動だとのことだ。
もう一つは5/30 洋上歌合戦があった。紅白でなく、出場者の部屋番号を左舷=偶数、右舷=奇数に分けて競うというものだが、下手にエントリーせずに良かった。というのは、歌合戦兼仮装大会というべき盛り上がりを見せた。若者は、数日の間に、グループを組織し、振り付け・衣装をしたてるのだからすごい。シニアでも、女装、踊りの振り付けなど爆笑に次ぐ爆笑・・僕が仮に出場したと想定するなら、「群青」をパナマ帽をかぶって、という想定だったが、完全にカブルことになってしまうところだった。つまり、「昴」をパナマ帽をかぶって熱唱したのが、体育大会の団長さんだったわけで、完全に二番煎じになるところだった。やはり、浮かれすぎなくてヨカッタ、これ教訓。
④ タヒチ ?の楽園 (6/2~3)
2日はタヒチ島(パペーテという港に)、3日は同じくボラボラ島(大型船は入れないので、港すぐに投錨しテンダー船で港に)で遊ぶ。私は行けなかったけれど、OPで「バリハイ」の清澄な歌声の主題歌「南太平洋」(映画の題名がこれだったかどうか?)の舞台となったモアーレ島に行った者もいる。地上最後の楽園といううたい文句もあるように、垂涎の観光地である。(もっとも交通手段と目を剥く宿泊料が問題で、通常では行くのは困難)
物価は(相対的に)高い。店は商売熱心であってもある線以上は負けない、村中を走っても、いかにも村ではあるが、目にする限りは貧民街はない。南米訪問国に比すれば、総じて豊かなのである。なぜとなれば、フランス自治領であるからだ。どういうことか。フランスの核実験地としてムロルア環礁が汚染され、被爆者が出た過去を持つ。だから、反核と独立を目指す裸足のGさんがピースボートの水先案内人として3回ほど講演と+αの交流を行った。しかし、フランスはいまだ手放していない。過去・および現在の代償としての一定の豊かさがあるのだろう、そして、今後も踏まえると、最後の楽園を死守しなければ立ちいかなくなるおそれがある。環境(観光)資源保護は必須のことなのだ。
物価の目安はとしては、私は食べ物を判断基準にしている(それしかないが・・・)し、店を選ぶにはローカルがバンバン買いに行くような店かどうかをまず観察する。昼の軽食として、マクドのような店で、フランスパンを使ったホットドッグ(確かにパンがうまい)とコーラで500フランだった。現地通貨はフレンチ・パシフィック・フランというが長いのでフラン。1フラン大体1.2~1.3円。だから600円強となる。道に出したベンチに座れないほど客が多い。ジェラートの店では2カップならやはり500フラン、これも学校帰りの高校生でも普通に入ってくる。スーパーで買うローカル・ブランドのヒナノ・缶ビールが230フラン(発泡酒なんか探しても無いもんね、日本での僕よりリッチや)
ゴーギャンの「タヒチの女」はあまりにも有名だが、ポリネシアンだが、経緯からフランス人らしき白人も結構見かける。ただし我々含め、観光客が多いので見分けがつきにくい。公用語はイースター島と通底するポリネシアの言葉とフランス語だそうだが、観光業者でも英語が話せるとリーダー格。日本人観光客も多いせいか、それどころか町?村ですれ違うと「ありがとう」「こんにちは」、翌日のガイドなどは「上を向いて歩こう」なども歌うし、どこで「日本語ならったの」と聞かれて、「にほんにおよめさんいる。ウエトアヤという」。会った限りでのタヒチ人は陽気。
両日ともOPでなく、自分らで自由行動した。タヒチの港は一歩出れば中心街。自動両替器で現地フランを手に入れ、郵便局へ。ジブラルタルでの教訓から切手はその国の通貨で。特にタヒチの切手は原色を使った華やかな色彩で、収集家の間では人気があるとも聞いていたので、絵葉書を書き溜めていた。しかし、記念切手は大きすぎる。一番小さな通常のモノを求めるものの、それでも既に書いた宛先にかぶり、持っていた鉛筆で修正や書き足しという不細工なものになってしまった(ゴメン)。
次にマルシェという庶民の市場へ、2階が各店舗になっており、色鮮やかなパレオという手織りの布が代表的土産として吊り下げられている。妻のお買いものの付属亭主として見て歩く。ガイドブックに掲載している布地屋にも行く。さらには、上にあげたビール会社がそのブランド名を活かしパレオやアロハシャツ・バッグなどの土産物をやっている店にも行く。キリンやサントリーのTシャツというわけです。それに黒真珠が特産品らしく、その博物館を覗くと、西太后やエリザベス女王の人形に数えきれないほどの黒真珠が飾られているのが印象的だった。
タヒチに来て泳がないのはご先祖様に申し訳ないというほどたいそうなことではないが、やはり癪だ。ところで、どこにいけばいいのか。ここらが無計画な習性ゆえの効率の悪さで、とにかくiインフォーメーション・センターで聞いたバスに乗り込み、リゾートホテルの前の駅で降りる。やはり無計画な若者10人ほどはそのまま、もっと先まで乗っていく。ホテル内を少し行くとプ-ル、その先にたった4人だけがたわむれているビーチが広がっていた。スタスタとそこまで下りて行けば一組のアベックは日本人。「プライベートビーチかどうか知らない」という。さすがに妻は遠慮したが、私は意地で海に浸かった。波がきついうえに、3mも足を踏み入れればいきなりの深み。どうする?いままで行っていたジムはプールが無いので当然今年は当然初泳ぎ、老化の表れか明け方に足がつる、等々の総合判断から、「危険」マークが点滅する。ビーチに入るときに読んだ看板では「プライベートビーチだから入るな」ではなく、「ホテルは事故には一切責任を持たない」だったことも思い出す。頭をよぎったのは、確か吉本隆明は鎌倉の海で溺れかけたという記事をよんだことがあったなあ、ということ。有名人ではないが、「タヒチの海で日本人観光客溺死」なんど格好悪いではないか。それでも、未練たらしく波打ち際に平行に30mほど2往復して早々に着替える。帰りのバスもあまり待つことなく港に帰り着いた。帰船までの時間が生じたので、妻は「カードがあれば買える」病にかかり大満足でした。私はといえば、タヒチの海に瞬間的に浸かった、ジェラートを食べた、スーパーで買ったヒナノ・ビールを公園で空けた、ということで、ちょっぴり不満なタヒチの思い出でした。そうそう、この港の公園はジョガーであふれており、そこまでは生きていたい東京オリンピックでタヒチの選手を見られたらイイナと思いました。そして、公園の一画には核実験で犠牲になった200人ほどの慰霊碑にピースボートからの花束が献じられておりました。その日の5時には出港し翌朝、ボラボラ島に。ここのヴァイタペという港も小さいので、目と鼻の先ながら投錨し、テンダー船で港へ。ただし、イースター島のような救命具などつけずに普通の観光船の感じで数分で着く。ここも自由行動で、まずは昨日の不完全海水浴の挽回とばかりに、ホテルのシャトル?・ジープ?荷台に9人で乗る(一人5$or500フラン)。村道をぶっ飛ばし、先に上陸して歩いているorレンタサイクルのピースボートの諸君を追い抜いて、着いた先には、環礁で囲われたそれはそれは美しい海がまっていました。環礁のあたりだけが外からの波を受けるせいか波頭の白線で、薄い水色が続き、すぐ近くは透明のためお魚が群れているのが見えます(ただし水の色と一体化し極彩色のものではありません)。
自然ってこれだけ美しいのかと思ったのは、NZとこの海が双璧でしょう。
本当に遠浅で、環礁で囲まれた巨大なプールと言えるでしょう。どこまで行っても、遠浅かどうか?そこまでの勇気はありません。でも白く波頭の見える線の半分くらいまでは行きました。ピ-スボートの若者グループも、そのあたりから引き返してくるのを見ると、そこまでで充分です。妻も喜んで遊泳していました。
今後は望めないだろう生涯最高の海水浴場で二泳ぎして、ホテルのシャトルで港へ戻る。というのは、朝、港に先着した妻(テンダーボートに乗る順番がわずか一人の差でばらばら)が、港のiで尋ねた「ラグナリウムに行きたければ12時半に来い」と言われていたためだ。無計画だと誤算が二つある。港周辺の食堂は1ケ所で満員、i には誰もいない?!
客ひろいのために集まる車・船の業者等に尋ねる。一つは行くがピースボートのOP用だって、それでも、車で○○まで行けばそこから船が出るとのこと、やはり行先を探していたピースボートの女性乗客3人とその計画に乗った。おかげで昼は昨日タヒチで買ったおいしいフランスパンを分けてしがんだだけ。午前中の道をもう一度走り、美しいビーチのホテルからさらに客を乗せ、さらに道を進め、小さな船泊まりに着く。小ボートで、波を蹴立てて美しい海上を行く。見えてくるではありませんか、誰でも一度はTV等で見たことがあると思われる海上のコテッジの連なりが。インターコンチネンタルのものらしいのですが、1泊の最低が8万~10万ですって。ゲゲゲーー。そして、欧米以外では中国人と日本人がよく泊まるんだって、新婚さんとか、ソウナノ、オホホホ・・
そこを行きすぎ着いた島で、水着に着替えるよう言われ、水中メガネ・シュノーケルを渡される。我々も同行の女性客も自然水族館くらいの知識で、グラスボートみたいなものを想像していたのだが、違った。女性客の中では娘時代が一番昔にあった人だけがこれに挑戦した。まず、海亀の生息している自然の生け簀を見てから、鮫とエイもいる生け簀に連れて行かれ、自由に遊泳しエイに触り、鮫を身近に泳げ、ということらしい。エエ!!
海亀の所でもかつては一緒に泳いでいたのだが、噛みつくことが分かったので、今は見るだけという。それなら鮫は?? この鮫はレモン鮫といい、人を襲わない、と言われてもネ。心理的抵抗をなくすため、最初のカメは見るだけ、次にエイは水に入って触るだけという手順を踏む。触りましたよ、もちろん僕のことだから「エイ」という気合とともに、なーんてネ。皮膚はぬめっとしてるが固い、長い尾は節が連なっているようでザラザラして痛い。もちろんエイさんも泳いでいるのだから、わずかな間だけ、結構愚直なやつのようで、遊泳中おしりに当たったので海中をみるとエイさんだったりして。他の皆さんは道具を使って、海中を楽しんでいるが、僕はそうはいかない。あちこち悪いが、右耳も鼓膜が破れており、水中に顔をつけると水が遠慮なく入っていく。仕方なく、ただ平泳ぎをしているだけなのです。それでも体長2~3mのレモン鮫が側を通ると、緊張する。
かなりの時間泳いで、帰る段になって、「皆集まれ」ということになった。どうせCMだと思ったがパレオの結び方講習。3種類の結び方をそれぞれ客をモデルにして行われる。皆、ということは妻も含めて感心する。私の内部の声「何や、結び方も知らんと買いまわってたんかいな」。ところが僕も指名される。結局パレオの褌でした。
ピースボートのOPで来た連中と交替で帰ることになり、また10万円コテッジを横目に見ながら、帰船したのでした。行けて良かった。(タヒチ了)
あとはハワイだけだ。
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