山王アニマルクリニック

日々の診療、いろんな本や音楽などについて思い巡らしながら、潤いと温もりのバランスを取ってゆこうと思います。

古井戸に落ちたロバ

2014-11-22 18:36:42 | 瑞々しき モヤモヤ?
インディアンのティーチングストーリー 古井戸に落ちたロバ
北山耕平,oba
じゃこめてい出版

 今回紹介するのは、子供向けかと思いきや、大人向けとも言える不思議な絵本です。

 ウチの子に読んでも、反応が少なかったような気がするので、あまり小さい子向きではないかもしれません(それでも気に入った人はきっと読み聞かせしたくなる本です)。

 それなりの理解力がついた小学校高学年から中高校生くらいの年頃の子が読むとどう感じるのだろう?と思います。

 図書館の絵本コーナーで借りる本を選んでいた時、目立たない下の方にあったのですが、「インディアンのティーチングストーリー」という見出しが気になって中身も確認せずにボヤーっと借りてみた…というのがこの本との出会いでした。

 借りたその日、私が子供にその他の借りた本を読んであげていると、普段は子供に読む前にあまり読んだりしない妻が、この本の何かが気になったようで別室へ持っていったのです。

 この本はすぐに読める本なので…しばらくすると、「この本すごい!この物語の意味を全部理解できたわけではないんだけど、何か…すごくいい本!」と驚きの表情で戻ってきたのです。

 私は「へ~そうなんだ…」と正直あまり期待していませんでした……が、読んでみてびっくりしました!

 こんなに短いのに、何だかものすごく考えさせられ、その余韻が心に続いてゆくような物語なのです。

 また男には描けない感じのやさしく、シンプルなタッチの絵と色使いがとても魅力的で、それだけでも手に取ってしまう人がいるでしょう。

 そして、この本を読んだ次の日、朝刊の一面の下の方に小さくカラーでこの本の広告が出ていた…というシンクロが起きたことにも驚きました。

 そんなの単なる偶然でたいしたことではなく、だから何?っていう話ですけどね。

 ついでに、この本を企画した?北山耕平さんの著書「自然のレッスン」という本が家にあったのです(私は未読)…ということで、我が家とは何か縁があるようです。

 まあ?こういう話は、スピリチュアルなどと言いつつあやしいだけの商売と地続きなので難しい所なのですが……生きていると、このような不思議な導きとつながりに胸を暖められることがあるのも確かだと思います。

 でも?20代前半のスタッフに読ませてみると…全員「何だか?さっぱりわかりません…」というような反応で、驚きも感動もほぼゼロという感じでした…何でだろう?

 行間を読むというような類の想像力の問題か?それとも?ある種の浮き沈みや自発的なもがきみたいなものを体験していないと響かないとかあるんでしょうか?

 ……というわけで、響かない人には全く響かないようなのですが、複雑過ぎる現代で何らかの落ち込みの中にいる人や何とかしようともがき苦しんでいる人よ!

 心の奥に何かが引っかかったならば、あまり期待しないでこのシンプルな物語を読んでみて下さい。

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数字のモノサシ3/糖尿病について

2014-11-05 20:05:41 | 医療の波打ち際

前回は、血液生化学検査などの医学的検査をたくさんやっても健康になるわけではない…という当たり前の話をしました。

検査をたくさんやれば病院は儲かっちゃうので、なかなか悩ましい話なのですが、時々いらっしゃるんですよね。喜んで食べるからといってジャーキーなどのジャンクなおやつや高カロリーで塩分の多い人の食べ物を日常的に与えているからメタボ体型になったりしているのに、「心配なので…検査お願いします…」と何度も検査だけを要求するような傾向の飼い主さん。

それで食生活を改善してくれるならいいんですけど…検査結果の数値などだけに一喜一憂し、かなり症状が出てどうしようもなくなるまでは、一切食生活が改善されないというケースですね(本人は改善の努力を最大限にしている的な物言いながら、何故か?ほとんど結果が伴っていないミステリー系もあります)。

まあ?人間って結局の所、切羽詰まらないと動かないことが多いんでしょう。私も何らかの意味でそういう所があるので人のことを言えた義理ではないです。そして、そんな人の不完全さが社会を動かしてゆく…と考えれば、良いことばかりじゃないけど~悪いことばかりでもない~(ブルーハーツのパクリです)ということでしょうか。

ある食堂で定食を食べていたら、少し離れた所に顔を真っ赤にした中年男性がいたんです。その方が大きな声で言っていました…

「医者には酒飲むなって言われてんだよ~ガハハハ~!」と言いながらお酒を飲んでいます。

「で、どうなの調子の方は…あんまり無理しない方がいいんじゃない?」と食堂のご主人は後ろめたさの入り交じる声色で聞いていました。

「大丈夫だって~医者はスゲ~こえ~顔で聞いてくるけど、”ぜんぜん飲んでません”ってバッチリ言うから、俺そういうの得意なんだよ~アッハッハ~」と、ちょっとお調子者そうな中年男性は、とっても楽しそうに高カロリーな揚げ物をつまみにしてお酒を飲んでいました。みなさん、この実話どう思います?

「医者のスゲ~こえ~顔」ということですが、どうして医師そして我々獣医師も、時に?そうなってしまうのでしょう?この謎を解くために、かなり前に新聞に載っていた糖尿病の人の話をからめて書いてみます。

糖尿病になってしまうと血糖値を下げるインスリンを自分で注射しなければならなくなってしまう人がいます。が、とても忙しい現代人は日々の生活に追われています。

その人は自分の家で何かのお店をやっています…みなさんも何らか働いた経験があるでしょうから言うまでもないと思いますが、お客さんは規則正しく予想通りに来店してくれません。動物病院でもそうですが「今日はヒマだな~」と思っていると、突然みんなで申し合わせたかのように一気に混雑したりすることがあります。

どうせ来るなら、どうして順番に来てくれないんだろう…と思ったことのない人いませんよね?

医師はインスリンを規則正しく注射することを求めるでしょう…が、特に働いたりしていれば、忙しさに追われ規則正しく注射することができなかったり、注射するのを忘れてしまったりすることもあるのです(働いてなかったとしても、人間ですから機械のように規則正しく完璧なんてありえません)。

きちんと指示通り注射できてなければ、血液検査の結果が悪くなってしまうのは当たり前です。

そこで命のことを真剣に考えている真面目な医師ほど「スゲ~こえ~顔」できちんと規則正しくインスリンを注射したのか聞いてしまったりするのです。

何せ自分の判断が人の生死を左右するのですから…このプレッシャーは実際に体験した人でないと想像以上に想像しにくいであろうと強く念を押しておきます。

 ここですれ違いが起こってしまいます。「スゲ~こえ~顔」の医師を見ると患者さんは「指示通りきちんと注射できてなかったことを言うと先生に怒られる」と思い違いをしてしまうのです。そして目を泳がせながら――時には逆ギレモードで――「ちゃんとやってます」と言ってしまうのです。

(新聞に載っていた人も、ちゃんと注射できていないのに、できていると悪気なく言ってしまったという話でした)

でも実際はきちんと注射できていないのだったら、「商売やってるから、忙しくてできなかったんですよ~」と素直に言った方がいいのです。

そうでないと、インスリンの注射量が増やされ、低血糖で死に至ってしまうことだってありうるのです(ワンちゃんやネコちゃんも一緒です)。私は怪しい感じがした時は、このようなエピソードをそのまま話し、ぶっちゃけやすい雰囲気を作ったりしています。

これはなかなか難しい問題で、患者さんの「きちんとやった」という自己申告そして科学的な数値通りに従っていれば、それで亡くなって裁判ということになっても負けない!みたいな?何かズレた方向に強気な思考回路へとつながってしまうのです。

この難しいすれ違いとも関係するかもしれないACCORDという論文が、人の方で出ています。それによると、血糖値の目標を理想に向けて低くしようと頑張る強化療法群(目標のヘモグロビンA1c値>6.0%)の方が、もうちょっとアバウトな標準療法群(目標のヘモグロビンA1c7.07.9%)よりも死亡率が高くなってしまうという結果が出たのです(N.Engl.J.Med.2011Mar3;364(9):818-28)。

獣医界でも、インスリンを注射している場合の血糖やフルクトースアミン、ヘモグロビンA1cの目標数値があるのですが、そこを目指し過ぎると低血糖発作を起こしやすくなるため、頻回に検査が必要だったり、本末転倒な結果になることもあると思います。

動物では人用のインスリンを転用することもあって、特にネコや小さなイヌでの用量調節が難しく、ほんの少しの調節で大きく血糖値が下がってしまったりします。

私の経験では、血糖測定器を購入して頻繁に血糖値を検査し、表までも作成してきた飼い主さんのネコちゃん(9歳)が、10ヶ月足らずで亡くなってしまったことが思い出されます(個人特定を避けるため、細部を変更しています)。

当院の飼い主さんで血糖測定器を購入された方は、現時点ではあまりいないので、それがいけないと言いたいのではありません。測定器を購入してうまくコントロールしている方もいるでしょう。が、インスリンが多過ぎることによる低血糖後、体を守るための偽りの高血糖(ソモギー効果)があったりするので、血糖値だけに振り回されて悪循環になってしまうことが我々でもあるのです。

 ネコちゃんに対する愛情という意味で信頼できる飼い主さんであったこと。そして自ら血糖測定器を購入し、ネットで色々調べて勉強されているようだったので、当然そうではなかった今までの子たちより大丈夫であろうと私も勝手に思い込んでいたような所があったように思います。

便利でわかりやすく正しそうなものだけにとらわれていると、このような気の緩みが生じやすいので注意が必要です。

糖尿病に関して、そんなに経験豊富なわけではありませんが、振り返ってみると、当院で長期維持できている子は、例外なく理想とされている血糖値よりも高めでした(ACCORDの存在を知って、その理由が腑に落ちました)。

食欲や体重、多飲多尿や低血糖の無気力発作などの症状だけを観察し、血糖値も目標値よりは明らかに高めだったのですが、13歳で発症してから4年近く生きたネコちゃんもいるのです(この子はフルクトースアミンも一回しかチェックしてません)。

以上のように私が経験した臨床的な手応えからも、人のデータとはいえ上述の論文からも、やはり理想の数値だけを目指し過ぎて、その子の活力やストレス状況など――数値化しにくく、実際に時を共にしていないと感知できないもの――を見失ってはいけないのだろう…と感じるのです。

また長くなってしまいそうなので、次回はこの数値化しにくいストレスというものをテーマに書いてみようと思います。

コメント (2)
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