ボブ・ディランは、USEN(有線)でもビートルズやストーンズなどと並んで専門チャンネルがあるくらい根強いファンがいるアーティストです。
一方、人によっては「さっぱり良さがわからない」と思われてしまったりもします。
ちょっと前に会った知り合いもそう言っていましたし、私自身もそうでした。
多くの人が、ガラの悪いオヤジ俳優という印象を持っている?…が、実は熱く真摯なミュージシャンである泉谷しげるさんも「何度聴いても、慢性鼻炎野郎にしか思えなかった…」と何かで書いていた記憶があります。
確かにディランの声は、曲によっては慢性鼻炎っぽく、また時にSMAP中居くんっぽくも聴こえる?(USENでウチのスタッフに聞かせた感想)ので、歌がストレートにうまい!とは言えません。
同じくヘタウマ系(ウマいのか?ヘタなのか?白黒はっきりしないこの表現)であるミック・ジャガーつまりストーンズは大好きだったのですが…ディランを初めて聞いた学生時代、私は高音から低音域までビブラートを効かせたカッコイイ声で歌うダニー・ハサウェイなどにどっぷりハマっていたのでした。
あまりに最高!とか頂点!みたいなものに出会ってしまうと、その後の視野を狭めてしまう…というデメリットもあるのです。
泉谷さんは、先輩ミュージシャンの岡林信康さんにディランを徹夜で全曲聴かされ、余計嫌いになってしまった…とも書いています。
しかしある時、岡林さんに誘われディランのライブにいやいやながら行ってみたら……とてつもなく感動し、ヴォーカル・テクニックとは違った声の深みに圧倒され、ディランが大好きになったそうです。
ライブで「これほど感動したのは、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ以来だ!」という風にも書いていました。
ネット上にあった関連インタビューhttp://musicshelf.jp/mode=static&html=special51/page2
私は、泉谷さんのライブに行ったことがあるのですが、吉田健さんのベースが効いていてカッコ良かったですよ!
とはいえ、ライブなども最高レベルを期待し過ぎると肩透かしをくらうことがあるので、あまり期待しないで行った方がいいんでしょうね。
私は、泉谷さんがディラン好きになった先ほどのエピソードを何かの雑誌で読んだのですが、それでも全くと言っていいほどディランの良さが理解できませんでした。
しばらく時を経て、音楽に詳しい知人にそんな話をすると……
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血の轍 |
ボブ・ディラン |
Sony Music Direct |
このアルバム『Blood On The Tracks』を薦められました。その頃、少しは本などを読むようになっていたので、Tangled Up In Blue(ブルーにこんがらがって)とIdiot Wind(愚かな風)の歌詞って深いかも?と感じた記憶があります。
でも、やっぱり声が生理的に受け入れらない感じで…また歌詞もものすごく長いので、気安くは読み込めず…またかなりの時を要することに……。
「ディランは歌詞がすごい!」とよく言われますが、文系ではないし英語も得意とは言えないので、翻訳に善し悪しがあることさえ全く意識していなかったと思います。
シンプルな言葉ほど訳すのが難しく、原文も読まないとその奥行きが理解できないとも言えますね──だからディランの日本版CDでは比較できるように英文と訳文を並べてあるのでしょう。
ディランに限らず「今流行しているから…」とか「有名なミュージシャンや評論家の誰々が絶賛しているから…」とか言われても、自分の心に響かないことだってありますよね(商売上のリップサービスなどのこともありますが…)?
そんな時、私はしばらく時間をおきます。その後、何かが引っかかって気になったり、本などで誰かがそのアーティストについて語っていたりしたことなどをキッカケにして、何度でも聴いてみるのです(この話につながります 天才 柳沢教授の生活 16 )。
その作品が生まれた時代背景を知ったり、同時代の曲を聴いたりして、その時代にいるかのように耳をチューニングすると(USENでその時代のヒットチャート・チャンネルを聴いたり…)、やっとその革新性などに気付けることもあると思います。
まあ、無理に好きになろうとしなくてもいいのですが、興味を持つことは大切なのかも?
『Blood On The Tracks』は、ディランが10年ほど連れ添った妻、サラ・ラウンズとのすれ違いの中で作られた作品です。
離婚となると、ただでさえ大量の精神的エネルギーを消耗すると聞きます…2人の間には4人もの子どもがいたので……
別れたくない気持ち(子どもたちへの思いを含む)⇔別れたい気持ち(自分の正直な気持ち)
お互いの良い所から思い出される感謝 ⇔ お互いの悪い所から思い出される憤り
などが複雑に絡み合い、より一層白黒ごちゃまぜになってしまったのでしょう。
「ブルーにこんがらがって」と訳されたTangled Up In Blueは、そんな感情のもつれをとてもうまく象徴しているように思います。
離婚のみならず、生きている限りどうしたらよいのかわからない混乱期が誰にだってきます。ディランは自身の混乱を抽象化し、いろんな状況の詩として表現することで、多くの混乱した心に響く曲を作りあげたのだと思います。
「運命のひとひねり」(Simple Twist Of Fate)は、男女の別れについての曲です。別れ…というと、浮気したとか、性格が悪かったとか、相手の方に原因があるケースもあれば、どちらかが圧倒的に悪いわけでもなく、なんとなくタイミングの悪いことが積み重なって……というケースもあります。
別れに限らず、ちょっとしたタイミングの悪さといった意味合いの「運命のひとひねり」によって人生が狂ってしまったり、交通事故にあってしまったりすることだってあるでしょう。
この曲は、そんな「自分が全く悪くないわけではないけれど、それほど悪いことをしたのかなぁ?でも、もうちょっと~していれば…」という感じの悲しみを、自己正当化のみで終わらない絶妙なバランスで表現しているのではないか?と思います。
「愚かな風」と訳されたIdiot Windは、別れの際に起こった感情と感情の衝突…つまり大ゲンカの罵り合いの時、口から歯のすき間から出る風とも言えるのでしょう。
そんな時は互いに意地を張って自分の非を認めず、相手の非を強調することで自己正当化…つまり屁理屈の言い合いになってしまいます。
よくよく省みれば、そんな流れが世にはびこる偽りなどにつながっていくことを、でも生きることは多かれ少なかれ愚かな風を吹くことであろう…と含みを持たせているようにも感じます。 またディランは別れた奥さんに対するイヤミも言いつつ?お互いにバカであったと自己反省もしています。
そして、そんなおバカな風を口から吹く2人…だけでなく我々すべてが「まだ息のしかたを知っているなんて不思議だね!」とユーモアも忘れないのだから、脱帽するしかありません。
ディランは、どのようにしてこの絶妙なバランス感覚を身につけることができたのでしょう?
(つづく)