山王アニマルクリニック

日々の診療、いろんな本や音楽などについて思い巡らしながら、潤いと温もりのバランスを取ってゆこうと思います。

あん

2017-05-01 19:29:37 | 瑞々しき モヤモヤ?
あん DVD スタンダード・エディション
 
ポニーキャニオン

映画をほとんど見ないし、全然くわしくない私ですが、ちょっとずつでも見たいな~という気持ちはあるのです。

この作品については全く知らず、人の名前かいな?というレベルでの鑑賞でした――時々耳にする河瀬直美さんの作品がなんとなく気になったものですから。

原作は、ドリアン助川(明川哲也)さんの小説なのですね(未読)。

([と]1-2)あん (ポプラ文庫)
ドリアン助川
ポプラ社

ドリアンさんのことは、何をされている方なのか知りませんでしたが、なぜか聞いたことがある名前!

どうやら一言で表現できないユニークな方のようですが、様々な活動の中で人々の悩みに寄り添う姿勢が感じられます。

ドリアンさんは、転職サイトで悩み相談もやっていたのですね。悩みや大変なことのない仕事なんて仕事と言えるのか?と心の成長にしたがって自覚するものです……が、いつも現実はそんな自覚をも飛び越えながら進んでいます。

悩みの渦中にいると、とにかくその苦しさで頭がいっぱいになってしまいます。だから、現時点では成功し、苦難を乗り越えているように見える人(上記のごとく見えるだけなんですけどね)の悩み相談など、全く響かなかったりします。

でも、同じように悩み、もがき苦しんできた人ほど、「人の話をよく聞いて、もっと早く気づいておけばよかった…」という後戻りできない悔いがあったり、「どう伝えれば、かつての自分でも理解できただろう?」と頭を悩ませていたりするのかもしれません→ttps://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/tetsuya/309

 

 

さて映画『あん』についてですが、アンコのことだったんですね。

感染力がとても弱いにもかかわらず、見た目の変貌が激しいため差別されてきたハンセン病患者がからんだ物語です。

四季の移り変わりを感じさせる映像の中、樹木希林さんがとてもいい味を出してます。

偶然ながら、やはり『あん』でいい味を出していた永瀬正敏さんと再び映画を撮っていたんですね!――5月27日から公開のようで、これもすごく楽しみです→http://hikari-movie.com/

まあ、くわしい内容は見ていただくとして(以下はネタばれ感ありなので、見てない人は見てからの方がいいかも?)……

この作品を見て思い出したのが、巣鴨みずのの塩大福(http://www.shiodaifuku.co.jp/)!!

私は、こしあんの方が好きなのですが、ここのあんは、こしあんとつぶあんの中間くらいな感じで、とにかく塩味と甘味のバランスが絶妙なのです!!

いろんな意味で白でもなく黒でもない、一個130円ほどで買える、高級菓子では決して得られない幸せですよ!!

お取り寄せもできるようですが、この店に行ったらタンメンと塩大福を味わうのがオススメ(タイミングにもよるのかもしれませんが、店頭で買った方が餅部分が柔らかく美味)!!

そごう千葉店にて土曜日だけ販売しています――なぜ私がほぼ行けない土曜日なんだ?)

無病息災を祈るとげぬき地蔵への参拝ついでに、ぜひどうぞ!!

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ノラガミ舞台化!

2017-02-10 20:00:33 | 瑞々しき モヤモヤ?

ノラガミの舞台化もうすぐですね!→舞台「ノラガミ―神と絆―」

見えない人には見えないようですが、前回の公演が好評で再公演が決定!

さりげなく熱い存在感で世の闇を照らしているようです。

私は、舞台的なものって高校生の時に課外授業で見たのが一回だけ…なので全然わかっていません。当時は、言葉にできない何かを受け止めつつ、どちらかと言えば「ようやるな~この人たち…」と冷めた目で見ていたかもしれません。

でも、おそらく無名だった当時の劇団の人たちから放たれた熱い思い…その人たちが舞台にかけていた情熱は、時を経るほどに、様々な浮き沈みを味わうほどに、強く感じられるようになった気がします。

ノラガミ前回公演の映像は、そんな記憶を思い出させ、効率では計り知れぬものの存在を再認識させてくれました――若き心は何も感じていないように見えても感じているし、また反発したりするからこそ、変化もしてゆくのでしょう。

 

兆麻(かずま)役の和田さんは、そっくりで、毘沙門役の安藤さんはとってもいい声してますね!

今回のオリジナルキャラの人たちは濃~い感じで、『天才柳沢教授の生活』に出てくるヒロミツみたいなパンクな人も出るんですね。

今回もすごく楽しみです!演じられる方々だけでなく、陰で支えている方々も応援してますよ!!

 

ノラガミ最新刊はもうすぐ出るみたいですが、この17巻もすごくいいですね~!

ノラガミ(17) (講談社コミックス月刊マガジン)
あだちとか
講談社

勝ち組と負け組から生まれる心の動き…今まさにネット上でせめぎ合う二極の心に、この17巻はどう響くのか?

「何のこっちゃ?」とモヤモヤした方などは、ぜひ読んで公演にも行ってみて下さい!!

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ブルーにこんがらがって / ボブ・ディラン 前編

2016-04-09 20:16:11 | 瑞々しき モヤモヤ?

ボブ・ディランは、USEN(有線)でもビートルズやストーンズなどと並んで専門チャンネルがあるくらい根強いファンがいるアーティストです。

一方、人によっては「さっぱり良さがわからない」と思われてしまったりもします。

ちょっと前に会った知り合いもそう言っていましたし、私自身もそうでした。

多くの人が、ガラの悪いオヤジ俳優という印象を持っている?…が、実は熱く真摯なミュージシャンである泉谷しげるさんも「何度聴いても、慢性鼻炎野郎にしか思えなかった…」と何かで書いていた記憶があります。

確かにディランの声は、曲によっては慢性鼻炎っぽく、また時にSMAP中居くんっぽくも聴こえる?(USENでウチのスタッフに聞かせた感想)ので、歌がストレートにうまい!とは言えません。

同じくヘタウマ系(ウマいのか?ヘタなのか?白黒はっきりしないこの表現)であるミック・ジャガーつまりストーンズは大好きだったのですが…ディランを初めて聞いた学生時代、私は高音から低音域までビブラートを効かせたカッコイイ声で歌うダニー・ハサウェイなどにどっぷりハマっていたのでした。

 

あまりに最高!とか頂点!みたいなものに出会ってしまうと、その後の視野を狭めてしまう…というデメリットもあるのです。

 

泉谷さんは、先輩ミュージシャンの岡林信康さんにディランを徹夜で全曲聴かされ、余計嫌いになってしまった…とも書いています。

しかしある時、岡林さんに誘われディランのライブにいやいやながら行ってみたら……とてつもなく感動し、ヴォーカル・テクニックとは違った声の深みに圧倒され、ディランが大好きになったそうです。

ライブで「これほど感動したのは、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ以来だ!」という風にも書いていました。

ネット上にあった関連インタビューhttp://musicshelf.jp/mode=static&html=special51/page2

私は、泉谷さんのライブに行ったことがあるのですが、吉田健さんのベースが効いていてカッコ良かったですよ!

 

とはいえ、ライブなども最高レベルを期待し過ぎると肩透かしをくらうことがあるので、あまり期待しないで行った方がいいんでしょうね。

私は、泉谷さんがディラン好きになった先ほどのエピソードを何かの雑誌で読んだのですが、それでも全くと言っていいほどディランの良さが理解できませんでした。

 

しばらく時を経て、音楽に詳しい知人にそんな話をすると……

 

血の轍
ボブ・ディラン
Sony Music Direct

  

このアルバムBlood On The Tracksを薦められました。その頃、少しは本などを読むようになっていたので、Tangled Up In Blue(ブルーにこんがらがって)Idiot Wind(愚かな風)の歌詞って深いかも?と感じた記憶があります。

でも、やっぱり声が生理的に受け入れらない感じで…また歌詞もものすごく長いので、気安くは読み込めず…またかなりの時を要することに……。

「ディランは歌詞がすごい!」とよく言われますが、文系ではないし英語も得意とは言えないので、翻訳に善し悪しがあることさえ全く意識していなかったと思います。

シンプルな言葉ほど訳すのが難しく、原文も読まないとその奥行きが理解できないとも言えますね──だからディランの日本版CDでは比較できるように英文と訳文を並べてあるのでしょう。

 

ディランに限らず「今流行しているから…」とか「有名なミュージシャンや評論家の誰々が絶賛しているから…」とか言われても、自分の心に響かないことだってありますよね(商売上のリップサービスなどのこともありますが…)?

そんな時、私はしばらく時間をおきます。その後、何かが引っかかって気になったり、本などで誰かがそのアーティストについて語っていたりしたことなどをキッカケにして、何度でも聴いてみるのです(この話につながります 天才 柳沢教授の生活 16 )

 その作品が生まれた時代背景を知ったり、同時代の曲を聴いたりして、その時代にいるかのように耳をチューニングすると(USENでその時代のヒットチャート・チャンネルを聴いたり…)、やっとその革新性などに気付けることもあると思います。

まあ、無理に好きになろうとしなくてもいいのですが、興味を持つことは大切なのかも?

 

Blood On The Tracks』は、ディランが10年ほど連れ添った妻、サラ・ラウンズとのすれ違いの中で作られた作品です。

離婚となると、ただでさえ大量の精神的エネルギーを消耗すると聞きます…2人の間には4人もの子どもがいたので……

 

別れたくない気持ち(子どもたちへの思いを含む)⇔別れたい気持ち(自分の正直な気持ち)

お互いの良い所から思い出される感謝 ⇔ お互いの悪い所から思い出される憤り                 

 

などが複雑に絡み合い、より一層白黒ごちゃまぜになってしまったのでしょう。

 

「ブルーにこんがらがって」と訳されたTangled Up In Blueは、そんな感情のもつれをとてもうまく象徴しているように思います。

離婚のみならず、生きている限りどうしたらよいのかわからない混乱期が誰にだってきます。ディランは自身の混乱を抽象化し、いろんな状況の詩として表現することで、多くの混乱した心に響く曲を作りあげたのだと思います。

 

「運命のひとひねり」(Simple Twist Of Fate)は、男女の別れについての曲です。別れ…というと、浮気したとか、性格が悪かったとか、相手の方に原因があるケースもあれば、どちらかが圧倒的に悪いわけでもなく、なんとなくタイミングの悪いことが積み重なって……というケースもあります。

別れに限らず、ちょっとしたタイミングの悪さといった意味合いの「運命のひとひねり」によって人生が狂ってしまったり、交通事故にあってしまったりすることだってあるでしょう。

この曲は、そんな「自分が全く悪くないわけではないけれど、それほど悪いことをしたのかなぁ?でも、もうちょっと~していれば…」という感じの悲しみを、自己正当化のみで終わらない絶妙なバランスで表現しているのではないか?と思います。 

 

「愚かな風」と訳されたIdiot Windは、別れの際に起こった感情と感情の衝突…つまり大ゲンカの罵り合いの時、口から歯のすき間から出る風とも言えるのでしょう。

そんな時は互いに意地を張って自分の非を認めず、相手の非を強調することで自己正当化…つまり屁理屈の言い合いになってしまいます。 

よくよく省みれば、そんな流れが世にはびこる偽りなどにつながっていくことを、でも生きることは多かれ少なかれ愚かな風を吹くことであろう…と含みを持たせているようにも感じます。 またディランは別れた奥さんに対するイヤミも言いつつ?お互いにバカであったと自己反省もしています。

そして、そんなおバカな風を口から吹く2人…だけでなく我々すべてが「まだ息のしかたを知っているなんて不思議だね!」とユーモアも忘れないのだから、脱帽するしかありません。

 

ディランは、どのようにしてこの絶妙なバランス感覚を身につけることができたのでしょう?       

                    (つづく)

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ノラガミ & アライブ

2015-12-11 10:10:55 | 瑞々しき モヤモヤ?

 

ノラガミ(1) (講談社コミックス月刊マガジン)
あだちとか
講談社

  ITの進歩によって情報伝達がどんどん高速化していく中で育っているにもかかわらず、そんな効率優先の後ろめたさから生まれた「ゆとり」というレッテルをはられることになってしまった世代──考えてみると、かなり矛盾しているように思いませんか?

この少年マンガは、その世代の人に教えてもらいました。

でも、耳心地のよい優しさや正しさみたいものを一面的に追究すると…それが善意から生まれたものであっても、いや一面的には優しく、正しいように思えるものこそ、なんだか本末転倒になりがちなのです。

想像してみると、「ゆとりもってゆっくりと…」と言いながらも、「できるだけ効率よく勉強しろ!」という無言のプレッシャーを社会全体からかけられている、としたら? 

教わる側はどうしたらいいのか?わからなくなるでしょう? 教える側だってかなり混乱するのでは?

このような傾向は、近年噴出している様々な問題のマグマかもしれず、実は「ゆとり世代」だけの問題ではないのです。そして歴史をかえりみれば、違うようで同じことを私たちは繰り返しているようなのです。

優しさや正しさが理想だとしても、本当の優しさや正しさが感じられる人は、ものすごく少ないでしょう?

そうでない人の方が圧倒的に多いのに、無理してみんなで良い人ぶろうとすると……どうなってしまうのか!? 

特にネット上ではググッて物知りぶったり、邪な動機を持つ人ほどブログなどでやけにリアぶったり(逆パターンも?)など、いくらでも良い人やすごい人ぶれます(私も少々?)。

「ゆとり世代」に関しては、マスコミがものすごく極端な人をテレビなどで取り上げてあおり過ぎですよね──でも、そういう偏見をバネにすることで、ものすごく優秀な人が出てくるのだと思います(バランスは自然に取れるものです)。

団塊世代、バブリー世代、ロスジェネ世代?などいつの時代もいい人もいれば悪い人もいます。優秀な人もいればそうでない人もいます(いい人や優秀な人が少ないのはどの時代も同じ)。

各世代なんとなくの傾向はあるにしろ、特別優れている世代など存在しないと私は思います。自分の世代だけ優れていると信じたい人はけっこういるのかも?……まあ、そうでありたい気持ちもわかりますけど…自分の世代ですごい活躍をしている人がいれば誇らしいですしね(若い世代に軽い口調で理解を示すようなことを言っている人ほど、裏では陰口をたたいていたりするので気を付けて!…まあ世代間には少々緊張感があった方がよいのでしょう)。

なぜ、こんな長い前振りになったかと言うと、『ノラガミ』はもしかしたら?その世代を中心にして人気があるのかなぁ?と感じたからなのです。

このマンガの主人公は「神」なのですが、正直言って私、このような妖怪(この物語では妖【あやかし】と表現)とか幽霊的なもの?が出てくる物語は、どちらかと言えば好みではありませんでした……が、この物語にはかなり引き込まれました。特に一巻の第一話は、現実的とは言えない妖などを、イメージとしてとても現実的に表現しているように思います。

よく読めば、けっこう難しいストーリーにもかかわらず、若い世代の読者を獲得し(読者層はけっこう幅広いのかも?)、アニメ化されたものが目立ち過ぎない深夜に放送中であり、来年、舞台化もされる(2016128日~31http://noragami-stage.net/)のですからたいしたものです。

「神」が主人公といっても、グローバルなキリスト教などの一神教ではなく、多神教?八百万(やおよろず)の神の一人が主人公という、まさに日本ならではのおもしろい発想で、神だけど最下層の野良猫ならぬ野良神なんてよく思いついたものです。

試し読みできるサイトはこちら→http://kc.kodansha.co.jp

 

アライブ 最終進化的少年(1) (月刊少年マガジンコミックス)
原作/河島正  作画/あだちとか
講談社

 ★こちらは最近出たばかりの新装版です!

新装版 アライブ 最終進化的少年(1) (講談社コミックス月刊マガジン)
 
講談社

前作『アライブ』は、原作者が河島正さんだった時の作品ですが、河島さんは連載中、肝臓ガンであることが判明。闘病しながらこの作品の原作を書き、連載終了後、わずか41歳の若さで亡くなってしまったのです。

『ノラガミ』第一巻のおまけマンガでは、生と死の狭間で身を軋ませながら、まさにそれがテーマと言えるこの作品を書き上げた河島さんへの尊敬と感謝がつづられ、また作者あだちとかさんの並々ならぬ決意が過激かつユーモラスに描かれています。

『アライブ』もおもしろくもけっこう複雑なストーリーなのですが、まずは第一巻の巻尾にある原作者の河島さんの言葉から……

「…とは言っても『アライブ』はそう簡単な料理ではありません。いろんな人間が動きますし、ストーリーは謎だらけ。それに、テーマと言っていいような味付けもしてあります。

 『生き続けること』と『死』──。

なんの目的もなく、ただ生き続けることは果たして『生』と言えるのか?それもまた『死』と言えるのではないか?…とまぁ、そんな感じのことも盛り込みながら、作っていかなくてはなりません。」

なかなか難しい世の中なので、生きていても目が死んでしまってるような人もいます……よく読むと、いろんな人の胸につき刺さりそうな、とても考えさせられる言葉だと思います。

全21巻を読んでみると、「父なるもの」の支配によって生まれる思考停止したロボット人間(「ブレない」「迷わない」人間?)、また「母なるもの」の重み(16巻はママ必見!→http://akm.md-dc.jp/book)…など、人によってそれぞれでしょうが身体に強く響くストーリーが描かれていると思います。

 

様々な悩みを抱えつつも、それをどのような言葉で表現してゆけばよいのかもわからず、モヤモヤしたまま沈黙し、眼の輝きも失われがちな若き日々……

モヤモヤとは、白でも黒でも、生でも死でもない狭間……上述のごとく「ゆとり教育」など表面的な良心や正しさからもたらされる矛盾に満ちた混乱とも言えます。

でも元々人間には、白い部分も黒い部分もあります(きれいごと…白い部分しか語らぬ人の裏は真っ黒け)。

それなのにある意味での進歩とは、白か黒かわけられない問題、わけても仕方のない問題にまで白か黒か?のみを強要するのです。

「ゆとり」か「効率」か?などについても、どちらがより重要なのか白黒わけようとし過ぎるから、このような混乱が起こるのでしょう。

本当はどちらも重要というか必要であり、白か黒かに切り裂こうとする社会の中で、変幻自在にそのバランスを取ることが求められるのですから…いやはや現代人って大変ですね。

『ノラガミ』は、一人の死を乗り越えて『アライブ』の魂を受け継ぎ、そんな狭間で戸惑う人たちのために描かれている物語のように感じます。

 

この長い文を最後まで読んだあなた!あなた今お困りでしょう!?わかりますぅ~私の文は困っている方でないと最後まで読めないんです。

あなたには今『ノラガミ』と『アライブ』が必要です!ぜひ読んでみて下さい!(主人公、夜卜のマネです)

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Atoms For Peace/「ブレない」「迷わない」について 後編

2015-01-09 19:19:49 | 瑞々しき モヤモヤ?

 明けましておめでとうございます。前回は、「ブレない」「迷わない」という理想で硬直化しがちな言葉よりも、柔らかさと硬さがバランス良く融合した「しなやかさ」という言葉の方が予測不能の現実に即しているのではないか?という話をしてみました。

 前回の文章を書いた後、新聞を見ていたら、やはり教育の世界では既にそういう方向になっているようで「レジリエンス」(弾力性、回復力などの意味)という言葉をテーマにした本も発売されているようです(未読)。

 そのすぐ後、少ししか見られなかったのですが、尾木ママが出ている教育番組でも「レジリエンス」について解説していました。年末に本屋を物色してみると、「ブレない」ではなく「折れない心」みたいな本もいくつかあり、ざっと見た感じ、やはり同じような方向のようです。

 考えてみると、うどんなどの麺類だって――柔らか過ぎず、硬過ぎずの絶妙なバランスである――コシがあるのが好まれますし、パスタのアルデンテだって同じような意味ですよね。

 年末に患者さんからいただいた手作り餅も、柔らかいのにもっちりと弾力性があり、効率良く生産された市販の餅がいかにカチカチボソボソで粘りが少ないかを実感しました……このように白と黒の両極端に偏らないバランスが大切!というヒントは日常生活の中でも生きています。

 

 機械…例えばエンジンで考えてみると、まず回転する軸がブレてしまってはダメなので、ブレない強さが必要です。

 でも?ピストンは上と下という矛盾する運動をしてブレまくっていますね……そして、それをしなやかにつなぐためには、ブレない軸と言ってもWみたいな形にデコボコしたクランク軸(まっすぐ直線の軸ではない所がポイントな気がします)やコンロッド、バランスウェイトなど様々な要素が必要となってきます。

 それらの要素が互いに協力することで、上下のブレが回転運動に変わり、前進する力となります。モーターも電気の+極と-極、磁石のN極とS極という矛盾がないと、動きは生まれませんよね。

 前進という動きはとても魅力的ですが、機械であっても人生であっても前進するだけでなく、時に立ち止まったりしないと無理がたたります。そして前進するにしても、何をガソリンとして前進(または後退)するのか?が重要なのでしょう。

 

 それから、地震という大地のブレに対応する住宅の免震構造や制震構造などを考えてみて下さい。軽くしか調べていませんが…

①耐震構造:主に壁の強度を上げる方法(これはブレないようにする方法ですよね)ですが、やはり、これだと家の中の家具は倒れやすく、家自体も損壊しやすいみたいです。これだけだと安かったりするのかな?

②免震構造:家の土台を逆にブレさせて力を逃がすので、家具が倒れたり、家自体が損壊したりすることは少ないとのこと(たて揺れや311のような長周期地震では?の可能性も?)。

③制震構造:ゴムとかオイルダンパーなどのブレるけどしなやかな素材を使うので(+強固な素材?)、家具は倒れてしまうけど、家自体は損壊しにくいということです。

 以上の具体例から考えると、どれも一長一短で、どれか一つが絶対的に正しいとは言えず、各メーカーは自分の得意な方法のメリットを強調する言い方になってしまうのでしょう。

 いずれにしても、大地のブレに負けないためには、逆にブレることも必要で、ブレる要素とブレない要素…相反するもの同士が協力するのが、一番良さそうです。

 上記3つを全部合わせたら最強なのかもしれませんが…コストも考えなければいけません。機械なら、感情がないのでこうやって実用化されているのに、人間同士だとなかなか難しいですね?

 

 ずっと前に読んだので見つからなかったのですが…心臓外科医の南渕明宏先生の書いた「ブラックジャックはどこにいる」(PHP研究所)という本に、狭心症(心臓自体に血液を送る血管が細くなってしまう病気)の治療において、内科医は外科的アプローチ(バイパス手術)でうまくいかなかった例が目に付き、外科医は内科的アプローチ(バルーンやステント、薬)でうまくいかなかった例が目に付くというような葛藤について書いてあったのです。

 この本が書かれた何年か後、テレビを見ていたら、南渕先生は、自分の得意な外科的アプローチだけを強調する道を突き進むのではなく、内科的アプローチが得意な細川丈志先生と協力して、どちらのアプローチも選択できる東京ハートセンターという病院を開業したようなのです。

 実際の評判は知りませんが、私は本を読み、南渕先生の葛藤が強く印象に残っていたので、自分の得意なアプローチと相反するアプローチと協力するなんて――それは目的のために自分のアプローチのデメリットにも向き合い自己を越えようとする行為ですから――なかなかできることではないと尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。

 

 最後に音楽ネタを…以前、レディオヘッドのトム・ヨークとプロデューサーのナイジェル・ゴドリッチが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのライブを見に行ったことについて語っている記事を何かの雑誌で読んだ記憶があったのですが……

 まさか!トム・ヨークとレッチリのフリー、ゴドリッチでアトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)という意味深な名前のバンドを組むとは!――これには世界中が驚かされたと思います。

 大卒のエリートぞろいで色々と持っている感じのレディオヘッドと、学歴?何それ?で持たざるものな感じのレッチリ(白人系ながらマイノリティーの影も背負っていますよね――レディオヘッドの出身であるイギリス系の人種問題は、またとても複雑なのでしょうが…)って、オルタナ系ロックという共通項もありますが、けっこう対照的ですよね。

 エリート系は、知的に洗練されている分、スタイリッシュな方向やテクニカルな方法論などにとらわれ、理屈を超えたワイルドなものが不足しがちです。

 アートとは――理屈も絡んでくるのでしょうが――理屈と正反対な所が大切なのだと私は思います。

 トム・ヨークみたいに本当に頭のいい人は、自分の足場が揺らぐようなことにも真剣に向き合うのでしょう(趣味が「悩むこと」とWikiにあり)。

 感情では自分に足りなかったり、持ち得なかったりすることなんて考えたくもないでしょうが、理屈で考えれば、自分に足りないものを持つ人と協力すればいいということになりますから……こういうのが本当のインテリジェンスなのかもしれませんね

 フリーの方も近年、音楽大学にいって学んでいるようですから、互いに逆方向から足りないものを探して出会い、同じ所で協力することにしたということでしょうか? 

 口で言ったり、書いたりするのは簡単ですが、こういうことってプライドが邪魔してしまって、なかなかできることではありませんよね?――相反する傾向を持つものが葛藤を伴いつつ協力しないと…ただのなれ合い(静止状態)になってしまうので継続してゆくのはより難しいのですが……

 個人的には、いかにも現代を表す感じのDefault、戸惑ってよろけつまずきバラバラになってしまうDroppedから、このコラボを象徴する曲であるStuck Together Piecesへの流れ、発想の転換に良さそうなReverse Running、マレー語がルーツで、「荒れ狂う、自制心を失う、見境をなくす」というような意味のAmok…とフリーのベースが効いている曲が好きですね。

 新しそうな?機械系の音もたくさん使われていて、電子系の音が苦手な人はダメかもしれません。が、トム・ヨークの世相を映し込んだ悩みから生まれる歌詞、フリーのベース、マウロ・レフォスコのリズム楽器など肉感的なものもしっかりしているので……一人でじっくり聴く向きながらも、一人では生きてゆけないことを再認識させてくれる素晴らしいアルバムだと思います。

アモック
Atoms For Peace
ホステス

 

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