かたつむりのように

のんびり、ゆっくり、ゆっくり、・・・歩いていこう
時には アンテナをたてて・・・

「帯状疱疹闘病記」⑨ キャンセルした大分旅行

2017年06月20日 14時29分13秒 | 日記

帯状疱疹を発症した5/3日 

休日診療の先生に

「5/11から5/13日に旅行があるのですが どうでしょう」

と たづねました。

先生は

「痛くてそれどころではないでしょう」

と 半ばあきれた顔で 私を見ました。

まだその時は 帯状疱疹の入り口で 

私は先生の言葉があまりピンとこず、1週間や10日では治らないのか~

ぐらいの感覚でした。

 

5/11日から 私は、40年前 4年間を過ごした懐かしい大分へ、

だいじな友に会いに行く予定でした。

 

夫の転勤で大分に住むことになった時

ご近所さんだった彼女と出会い、同い年で すぐ意気投合し 

知らない土地での生活は 常に彼女が心の支えであり、生涯の友となりました。

 

彼女のお義母さんも なにかと心に懸けてくださり

彼女とお揃いで ろうけつ染めの日傘を作ってくださったり 

ワンピースを作るようにと

私のために 彼女と二人でろうけつ染めをして下さったりしました。

 

いつもお嫁さんの友人である私まで かわいがってくださるのでした。

たくさんの思い出をいっぱい下さったお義母さんも ご主人も亡くなり、

今 一人暮らしとなってしまった友人です。

 

遠く離れていても いつも心は近いとお互いに認めつつも

  この大分への2泊3日は 

顔と顔を合わせ 長い空白を埋める特別な時間になるはずでした。

彼女をちょっとでも支えてあげられたら・・・

と 思い続けた念願の旅でもありました。

 

 航空券をとり ホテルを予約し お土産を準備しました。

 

あの頃小学生だった子供たちも 今は家族持ちです。

その家族を紹介する写真も プリントしました。

 

当時小2だった息子が描いた町の絵地図も カラーコピーし

40年前と どんなに町並みも変わったか 確かめるのも楽しみでした。

何を着ていこうか 、鏡の前に立って

年とってしまったことも忘れて、ウキウキの日が続いていました。

 

でも すべてが消えてしまいました。

5/11日 床の中で 痛みに耐えながら 今頃 空を飛んでいたはずなのに・・・

大分空港から エアライナーで 懐かしの町におりた頃なのに・・・

 

どこにもぶつけられない悔しさと 

待ち続けてくれていた友へ申し訳なさで いっぱいでした。

 

 


「帯状疱疹闘病記」⑧ 夫の朝食作り

2017年06月20日 09時13分10秒 | 日記

体調がよくなって 台所に立っている夫に申し訳なく 手を出そうとすると

「いいから いいから・・・」

と手を押し返されます。

朝食は 自分の担当とばかりに 張り切って

冷蔵庫の中をあちこちのぞきながら 作っています。

夫には 今まで

「老夫婦2人の生活では、何がおきても困らないように、

食事ぐらい作れるようになるといいね。 お昼はお父さんの担当にしようか」

と 何度となく 提案していました。

「今時 コンビニもあるし、その時はその時さっ」

いつも 却下です

でも 今回の変身ぶりは 息子たちに見せたくて

時々シャッターを切りました。

「やめてくれ~ こんなの料理じゃない・・・って笑われるわっ」

そうかもしれません。

息子たちは、結構 料理にうるさい料理王子ならぬ 料理中年おじさんなのですから。

 

私は夫の料理熱がさめないうちに 料理じぃじになって欲しい!

一人でも生きていけるように 家事じぃじになってほしい!

と 密かに期待しています