11月18日(日)。
この日は、東京で今年最初の木枯らしが吹いた日でした。
ちょっと風がありましたが、資料館の寺院調査は元気に
「決行」です!
さて、この日は江戸崎・門前の管天寺の調査です。
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管天寺は、江戸崎城を居城としていた土岐原氏が菩提寺として
開いたという曹洞宗のお寺です。
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ですから、境内には江戸崎・土岐氏の墓所という一角があります。
この日も墓石の前には生花が献花されており、遠く天正の
頃にこの地域一帯に勢力をもっていた土岐氏の菩提が
守られていることに心がほっとするのを覚えます。
江戸崎・土岐氏は、当初土岐原氏と名乗っていたのですが、
後に美濃国の本家より惣領の地位を引き継いで
土岐氏を名乗ります。
この江戸崎・土岐氏の勢力拡大に伴い、管天寺も室町時代
後半くらいから寺院として大きく発展していったものと
考えられています。
しかし、天正18年(1590)に江戸崎城が芦名盛重の配下の武将・
神野覚助に攻められて落城した際、管天寺も焼失したと
伝えられています。
天正頃の管天寺は、現在の江戸崎・鹿島神社の辺りに寺門
を構えていたそうですから、戦火から逃れることはできな
かったようです。
また、その後も文化6年(1809)に江戸崎村中の600軒を焼失
した大火事、通称「大仏火事」において管天寺は再度焼失して
しまったそうです。
このように幾度かの火災に遭いながらも、その度に再建され、
現在まで法灯を守り通すには、様々な人々の努力と
地域の人々の気持ちが一つに集約された結果なのでは…
と思われます。
管天寺は稲敷地域の曹洞宗のお寺の中で、「別格寺」の扱いを
受けている特別なお寺となっています。
けれども天正頃の江戸崎城落城と管天寺焼失、
その後の再建までの経緯など…
江戸崎・土岐氏滅亡と芦名盛重の江戸崎入部と、その後の
江戸崎城下再建についてなど、大変興味深いことがらについて、
まだ分からないことも多いのです…。
この日は、古文書の調査と土岐氏の墓石の調査を行いました。
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木枯らし1号の吹く寒い中、調査された郷土資料調査委員の方々
お疲れ様でした!
江戸崎地区に関しては、発見されている地方文書が少ないという
ことが、歴史の調査を難しくしているという側面もあります。
もし、古文書等の所在をご存じの方がおられましたら
是非、資料館までご一報願います!