7月17・18日。
この両日、東中学校1年生の皆さんが、
資料館に見学に来られました。
縄文時代から奈良時代までの地域の歴史について
実物の資料を見ながら学習しようということでした。
教科書の歴史は、かなりメジャーなものばかりですから、
それと同じ時代の郷土の歴史がどのようなものなのか?
あまり知ることなく通り過ぎてしまいがちかもしれませんね?
東地区ですと
縄文時代では人面装飾付注口土器で有名な福田貝塚、
古墳時代では福田古墳群などの大規模な遺跡があります。
古代ですと茨城県で一番古い白鳳時代(飛鳥時代後半)の金銅仏が
阿波崎にあったりします。
奈良時代の資料では、文字を書くための道具や仏教の道具を展示しています。
この時代では「律令」と「租庸調」という言葉がでてきますが、
当時は(当時も?)田舎だった稲敷地域でも、ちゃんと「租庸調」の
管理をする必要があり、文字を書くことのできる人が増えていったのでしょう。
下の様な資料も知られています。
「白布鍾乳床裏墨書銘(正倉院御物)」
(表)常陸国信太郡大野郷の戸主生部(みぶべ)衣麻呂の調壱端
専当国主は正八位上志貴連秋嶋
郡司は擬主政無位物部大川 天平勝宝四年(七五二)十月一日
(裏)大野郷の生部金万呂
これは、正倉院に納められた宝物にある墨書の文字ですが、
現在の大野郷の戸主である生部金麻呂と言う人物が、
天平勝宝四年(七五二)十月一日に、「調」として白布
を治めたことがわかる資料です。
大野郷は、現在の美浦村大谷・受領・宮地・茂呂・谷中
・山王・山内・本橋・木および稲敷市鳩崎一帯にあたる
と考えられています。
この資料からは、この地域の人々が1261年前にもちゃんと
「税」を治めていたことが、わかりますね!