逸品✨展示 ”みっけ!”の続き 館の絵図で「山」を探す

2020-12-10 10:25:29 | 紹介
現在、当館の特別展示室にて展示中の、信玄公の館の絵図。
記されている文言を頼りに、お館さまを捜索中!

けれど、なかなか見つかりません。
それもそのはず。
戦国武将、いつ何時命を狙われるかわかりません。
だから館にはさまざまな工夫があったに違いなく・・・

入浴中や用を足す時だって油断できなかったのでしょう。
忍んできた者を惑わすためにも、信玄公はトイレを「山」と呼んだとか。
しかもこの「山」、狭いところで襲われるとひとたまりもない、という理由で、
広めのお部屋、ちょっとした居間も兼ねていたとか!?
お風呂に併設されたトイレはなんと水洗だった😉 というのも有名な話。
風呂水を使って流すなんて、なかなかな斬新なアイディア✨

現在の館跡見取り図と「信玄公屋形之絵図」一部
「山」はどのあたりでしょう?

この「隠語」、使いだしたきっかけは、ご嫡男との事件※以降とも伝わります。
絵図には、通常の「雪隠」(トイレ)も記されておりますが、
館の隠れトイレ、「草木」の絶えぬ「山」という言葉遊びの影に潜んでいたのは、
信玄公のやむにやまれぬ人間不信だったのかもしれません。
いかに戦国の世とはいえ、いかに実の父を追放した人とはいえ、
わが子に命を狙われたショックはどれほどだったか。

そんな武田家の秘密の物語を、どうぞ探しにいらしてください😊

帰りは西曲輪南の通用門から、明るいうちに

手前の南の枡形虎口から、水堀にかかる引き橋を渡ってお帰りください。
※現在、皆さまがご利用する武田神社参道は、戦国時代にはありませんでした。
神社は今から101年前の創建ですので。

※義信事件
永禄7年(1564)、義信の守役などが信玄の暗殺を計画したとされ、
首謀者とされた者たちは処刑、義信は甲府の東光寺に幽閉され、
永禄10年(1567)、死去した。「甲陽軍鑑」より。


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