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パリ五輪、女子卓球メダリスト・早田ひな選手(24)が
「特攻資料館に行きたい」と発言したことが話題になっている。
「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、
そして、卓球が当たり前にできていることが、
当たり前ではないというのを感じたいなと思い、行ってみたい」と
述べたのだそうだ。
(「産経新聞」より)
オリンピックでは、戦争・紛争地域からやってきた選手もいる。
さまざまな国籍の人がそれぞれの事情を抱え、
なおもスポーツに打ち込む姿に感じるところも大きかったのだろう。
わたしもこの春、鹿屋・知覧ほか鹿児島の戦跡めぐりをしている。
知覧特攻平和会館(南九州市)は、とりわけ大盛況だった。
20年ほど前に訪ねたときも、なかなかだったが、
日本人は性別・世代を問わず多く、海外からの見学者も増えたようだ。
戦争について考え、平和を願う・・・
大事なことだ。
だが、実は怖いこともある。
近年では、知覧特攻平和会館の見学が
「企業の社員教育やスポーツの選手育成の場などの『活入れ』」として
利用されていると聞く。
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遠藤美幸『悼む人』(生きのびるブックス)では、
これについて以下のように言う。
まず、孫引きになるが、この事実を調査した、
社会学者・井上義和の見解。
ーー(今後)戦場体験の継承の方法として
「記憶の継承」(「負の感情」)が
困難になり、特攻隊の遺書を活入れと見なすような
「意思の継承」(「正の感情)」の存在感が増してくるーー
だが、遠藤は元特攻兵・岩井忠正さんから
「遺書には本心が書かれていない。本心は書けなかった」と
聞かされ、また、こうした証言は、岩井さんだけでなく
戦友会などでも、たびたび話題になったという。
この事実を知ったら「活入れに感動し、感謝の念をもった若い世代にも
『負の感情』が過るに違いない」と指摘したうえで、
遠藤は続ける。
「特攻隊の遺書に『正の感情』だけを持ち続けた先に、
命を賭けて国や組織に身を投じることが良しとされる社会が
待っている」可能性を挙げ、
「意思の継承者(遺書に「正の感情」を持った人」)筆者注)が
次なる戦争の有力な当事者候補にシフトする土壌を持ってしまう」
ことを遠藤は危惧する。(230頁)
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遠藤の危惧は、わかる。
怖い話である。
大事なのは、「遺書」のその先。
遺書に書けなかった、特攻兵の「声」に耳を傾け、
平和について考え続けることだろう。
岩井忠正さの弟・忠熊さんは、やはり学徒出陣後
特攻兵として終戦を迎えた。
復員後、苦学の末、歴史学者となった忠熊さんは、
繰り返し、「歴史を知ること」をおしゃっていたという。
とりわけ若い世代に対して、だ。
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さて、冒頭の早田ひな選手は
北九州市出身だという。
おそらく、彼女も、平和教育の一環として、
小中学校時代に市内の大刀洗記念館に出かけているはずだ。
ここは、かつて東洋一といわれた、
旧日本陸軍の大刀洗飛行場の跡地に造られた、
見応えのある記念館と聞いている。
わたしも、1度訪ねてみたい場所だ。
ーー子どものときにはわからなかったことが、今ならわかる、
だから・・・今、特攻隊の若者について、もっと知りたいーー
もしかしたら、早田さんは、そう感じているのかも知れない。
「歴史を知ること」は、やはり大事。
子どもの時の出会いは、きっかけとなって、
歴史を知り、平和を考えることにつながると、
信じたい。
📷 本日の画像は春の鹿児島旅行で撮影。
冒頭画像は開聞岳、以下、知覧特攻平和会館に遺る「三角兵舎」です。
書影は版元ドットコムよりお借りしました。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
勘違いや間違いはあるかと存じますが、
素人のこととお許しください。