歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

きっかけは

2024-08-16 08:00:57 | 鹿児島県
パリ五輪、女子卓球メダリスト・早田ひな選手(24)が
「特攻資料館に行きたい」と発言したことが話題になっている。

「鹿児島の特攻資料館に行き、生きていること、
そして、卓球が当たり前にできていることが、
当たり前ではないというのを感じたいなと思い、行ってみたい」と
述べたのだそうだ。
(「産経新聞」より)

オリンピックでは、戦争・紛争地域からやってきた選手もいる。
さまざまな国籍の人がそれぞれの事情を抱え、
なおもスポーツに打ち込む姿に感じるところも大きかったのだろう。


わたしもこの春、鹿屋・知覧ほか鹿児島の戦跡めぐりをしている。

知覧特攻平和会館(南九州市)は、とりわけ大盛況だった。
20年ほど前に訪ねたときも、なかなかだったが、
日本人は性別・世代を問わず多く、海外からの見学者も増えたようだ。

戦争について考え、平和を願う・・・
大事なことだ。

だが、実は怖いこともある。

近年では、知覧特攻平和会館の見学が
企業の社員教育やスポーツの選手育成の場などの『活入れ』」として
利用されていると聞く。



遠藤美幸『悼む人』(生きのびるブックス)では、
これについて以下のように言う。

まず、孫引きになるが、この事実を調査した、
社会学者・井上義和の見解。

ーー(今後)戦場体験の継承の方法として
「記憶の継承」(「負の感情」)が
困難になり、特攻隊の遺書を活入れと見なすような
「意思の継承」(「正の感情)」の存在感が増してくるー


だが、遠藤は元特攻兵・岩井忠正さんから
「遺書には本心が書かれていない。本心は書けなかった」
聞かされ、また、こうした証言は、岩井さんだけでなく
戦友会などでも、たびたび話題になったという。

この事実を知ったら「活入れに感動し、感謝の念をもった若い世代にも
『負の感情』が過るに違いない」と指摘したうえで、
遠藤は続ける。

「特攻隊の遺書に『正の感情』だけを持ち続けた先に、
命を賭けて国や組織に身を投じることが良しとされる社会が
待っている」可能性を挙げ、

「意思の継承者(遺書に「正の感情」を持った人」)筆者注)が
次なる戦争の有力な当事者候補にシフトする土壌を持ってしまう」
ことを遠藤は危惧する。(230頁)



遠藤の危惧は、わかる。
怖い話である。

大事なのは、「遺書」のその先。
遺書に書けなかった、特攻兵の「声」に耳を傾け、
平和について考え続けることだろう。

岩井忠正さの弟・忠熊さんは、やはり学徒出陣後
特攻兵として終戦を迎えた。
復員後、苦学の末、歴史学者となった忠熊さんは、
繰り返し、「歴史を知ること」をおしゃっていたという。
とりわけ若い世代に対して、だ。



さて、冒頭の早田ひな選手
北九州市出身だという。

おそらく、彼女も、平和教育の一環として、
小中学校時代に市内の大刀洗記念館に出かけているはずだ。

ここは、かつて東洋一といわれた、
旧日本陸軍の大刀洗飛行場の跡地に造られた、
見応えのある記念館と聞いている。
わたしも、1度訪ねてみたい場所だ。

ーー子どものときにはわからなかったことが、今ならわかる、
だから・・・今、特攻隊の若者について、もっと知りたいーー
もしかしたら、早田さんは、そう感じているのかも知れない。

「歴史を知ること」は、やはり大事。
子どもの時の出会いは、きっかけとなって、
歴史を知り、平和を考えることにつながると、
信じたい。


📷 本日の画像は春の鹿児島旅行で撮影。
冒頭画像は開聞岳、以下、知覧特攻平和会館に遺る「三角兵舎」です。
書影は版元ドットコムよりお借りしました。

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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
勘違いや間違いはあるかと存じますが、
素人のこととお許しください。
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