歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

蓮花寺は「血の川」に~「太平記」の時代

2022-06-09 09:36:39 | 滋賀県

滋賀県米原市。

目的は「続日本100名城」の鎌刃城のスタンプ・・・

登城は、かなり厳しいと早々にあきらめ、中山道の番場宿へ。

 

途中、北条仲時ゆかりの地という寺を見かけました。

・・・スタンプを入手後、その蓮花寺へ寄り、案内板を読むと・・・

 

驚愕。

 

 

↑番場資料館にいらした、地元スタッフの皆さんが、

鎌刃城や番場宿の話題では盛り上がるのに、

蓮花寺については、口が重い気がしたのは、気のせいではなかったんだな。

 

 

寺前の案内板によると、おおよそ以下の通りでした。

 

元弘3(1333)年5月、六波羅探題・北条仲時公は、京都での戦いに敗れ、

北朝の天子・光厳天皇、後伏見・花園二上皇を奉じ、中山道を下ってきたものの

ついに、番場の宿で南朝軍に囲まれます。

 

玉輦を蓮花寺に移し、奮戦するも、敗退。

寺の前にて、仲時公以下従者430余名は、ことごとく自刃。

 

時の住職・三代同阿上人は、これを哀れみ、

全員の姓名、年齢、法名を一巻の過去帳にまとめ、

さらに、それぞれの遺体を丁寧に埋葬したそうです。

 

その過去帳は「陸波羅南北過去帳(蓮花寺過去帳)」として

今、重要文化財になっているのだとか。

 

 

(お寺を背にして、番場宿方面を眺める。上は高速道路が通っている)

 

自刃の、したたり落ちた血は川のように流れ、

「血の川」といわれたほどだったそうです。

 

全く知らない話だったので、「太平記」でこのくだりを読んでみました。

太平記巻九「越後守仲時已下自害事(エチゴノカミ ナカトキ イゲ ジガイノコト)」です。

 

圧巻は、仲時公に続き、「佐々木隠岐前司・子息次郎右衛門・同(おなじき)三郎兵衛。。。」

と人名が並んでいること。

 

そのうえで、「都合432人が、同時に腹を切った。

血はその身を浸して、まるで黄河の流れのよう。

死骸は庭に充満し、家畜を処理する屠所の肉と同じ匂いがした」と続きます。

 

なんて、生々しい。

 

これをご覧になった、3人のやんごとなき方々は、

「ただただ、途方に暮れ、座り込まれるばかりだった」そうです。

 

 

さて、肝心の拝観。

この日は、月曜日だったので、お寺はお休み・・・

残念ながら、お参りすることはできませんでした。

 

 

「血の川」のくだりを知り、腰の退けていた夫は、明らかにホッとした様子。

 

かくいうわたしも、このとき午後3時頃。

普段、午後2時をまわってからの寺社仏閣の参拝は慎んでおりますので・・・

お寺の前で、「般若心経」を唱えて、失礼いたしました。

 

なお、寺の案内板によると、毎月6月第1日曜日に、

自刃した人々の末裔や関係者で作られた「菊華会」が

総会と追悼法要を行っているそうです。

 

***************************

「太平記」の引用は、以下を利用させていただきました。

どうもありがとうございます。

菊池眞一研究室

www.kikuchi2.com/taihei/thkm.html太平記(国民文庫)を引用しました。

こちらをもとに、わたしが現代語訳をしています。


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2 コメント

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Unknown (fuhchan2399)
2023-06-15 14:31:56
番場宿までスタンプ求めて米原からタクシーで往復しましたが、ここまで行きませんでした。初めて知ることばかりで、勉強になりました。
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fuhchan2399さま (ぴあ野)
2023-06-15 15:56:35
fuhchan2399さん、コメントをどうもありがとうございます。
たまたま、なんですよ。
スタンプの前に、「北条仲時ゆかりの地」という
案内を見かけたので、足を延ばしてみました。
こういう偶然の出会いが旅の醍醐味ですね。
返信する

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