歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

北条の姫君、糸・早川殿のこと

2023-06-30 17:11:52 | 神奈川県
昨日、近所で買い物をしていたら、
大好きな小田原の老舗・蒲鉾店↓の「イワシはんぺん」を発見!
うわぁ、ここでも買えるんだ、気づかなかったと、小躍りした。



それでというわけでもないけれどw
本日は、敬愛してやまない、小田原・北条氏、早川殿のお話。

大河ドラマ「どうする家康」、先週第24回の「築山へ集え!」で
久しぶりに今川氏真(溝端淳平)、糸(志田未来)夫妻が登場。
瀬名・築山殿(有村架純)の「謀」に賛同する。

夫・氏真が「今川の名が役に立つだろう」と言えば、
妻・糸も「北条もきっと立ち上がります。
必ず、この糸が北条と結びつけましょうぞ」と続ける。




糸さんは、小田原の三代目当主・北条氏康の娘なのだ。
この方が、早川殿。
三代・氏康と正室・瑞渓院の娘さん。

瑞渓院は今川家出身。
氏真からみれば、祖父母にあたる先々代当主・氏親と正室・寿桂尼の娘。
ということは、氏真と早川殿の二人は、いとこ同士になる。
しかも、早川殿が8才の頃、氏真と結婚したそうだから、
幼なじみのようなものかも・・・

長い長い、おつきあい。



ドラマでは、糸さんの足が不自由なところを
当初、氏真が嫌い、夫婦仲はよろしくなかったけれど・・・

小田原・北条家研究の第一人者・黒田基樹先生は、
なんともおっしゃっていないので、
たぶん、フィクション。

本当は、妻が幼すぎて、夫は、つまらなかったのではないかな、
結婚の頃、妻・8才ほどにたいし、夫・16才くらいだもの。
これで夫婦の仲睦まじくとは、いかないだろう・・・

ついでにいうと、氏真の父、今川義元(野村萬斎)は、
今川を継承しているけれど、どうやら庶出だったらしいとは、
黒田先生のご指摘。

もしかしたら、義元は正室の子である姉・瑞渓院に
頭が上がらなかったかも知れない。



氏真と早川殿は、↑掛川城落城後、今川の没落に伴い、
妻の実家・北条家に身を寄せる・・・
初めは、いずれ駿河で今川家の再興を、と考えていたらしい。

それだけに、夫・氏真は、仇敵・武田信玄(阿部寛)死去を
好機とみたのだろう。
北条を出て、徳川家康の庇護下に入る。

今川家の駿河復帰を夢見たのだろうな、氏真。
たしかに、殿潤・家康なら、今川に駿河を戻してくれそうに見える。

またも、早川殿は実家・北条を去り、
夫と共に、駿河、浜松↓へと転々とする。



結局、夢破れ・・・

今川の↓駿河・復帰はならない。
かつての駿河の領主は、今や、徳川の庇護を受けるだけ・・・

やがて北条家が滅びると、家康は、その後を継ぐべく関東へ転封となる。
これを機に、夫妻は、徳川家から離れ、
京都へ向かい、隠遁生活に入る。

といっても、その暮らしを支えていたのは、
徳川家と、今や各大名に仕える旧臣たちからの援助だったそうだ。
おそらく、かつての主君への忠義だけではなく、
二人への個人的な親しみの情があったのかもしれない。

(ドラマで築山を訪れた二人の雰囲気が、そう思わせる!?)





二人の嫡男は家康の家臣となるも、夫妻に先立つ。
跡を継いだ孫が、2代将軍・秀忠の幕臣となり、
関東へ移り住むのを機に、
夫妻は関東へと向かう・・・

こうして早川殿は、江戸で67才の生涯を終える。
(慶長18/1613年2月)

今川の没落から40年以上、
2度目に小田原↓、北条家を去ってからも40年・・・
隠遁生活を送っていたという。


(冒頭画像も小田原城)


黒田先生がおっしゃるには、
最後の20年ほどは、京都で安穏とした生活を送り、
江戸幕府家臣ながらも、今川家の再興を見届けられたとのこと・・・
当時としては長命でもあり、お幸せだったのだろう。

何より、このあと2年足らずのうちに、
夫・氏真も77才で亡くなる。(慶長19/1614年12月)。
黒田先生も「長年連れ添った早川殿の死去を受けて
気落ちしたのかもしれない」と書かれている。

考えてみれば、戦国の世にあって、
8才からとはいえ、60年も連れ添える夫婦なんて、
そうそうあるものではない。
絶対にお幸せだったはずだ・・・

先週の「どうする家康」での
溝端/氏真の志田/糸への優しいいたわりは、
そんな夫婦の穏やかな行く末を見せてくれるかのようだった。


・・・とね、ここまでで、徳川がどれだけ関わってきた?

北条家と徳川家の関わりは深いっ!
今の大河ドラマでは、北条の扱いが軽すぎるよなあ~~~
志田/糸から、なんとか北条に光を当ててもらえないだろうか・・・

やっぱり、北条5代を大河ドラマにしていただくしかない!!
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

*************************

おつきあいいただき、どうもありがとうございます。

以下を参考にまとめましたが、
勘違いや思い違いもあるかと存じます。
歴史の素人ゆえ、どうぞ、お許し下さいませ。

📖参考:
黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院ーー政略結婚からみる戦国大名』平凡社


コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 復員船のこと~『終わらない... | トップ | 田中城へ~家康公「天ぷら」の城 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
fuhchan2399さま (ぴあ野)
2023-07-04 17:20:00
fuhchan2399さん、情報をどうもありがとうございます。
杉並に今川という地名が残っていることまでは
知っていたのですが、こんなに詳しい情報は
うれしいです。
近くの学校にいらしたとのこと、それはお詳しいですね!
ぜひ歩いてみたいな♫♫
返信する
Unknown (fuhchan2399です。氏真についての情報です。今川町の近くの学校に務めていました。)
2023-07-04 15:57:02
https://www.suginamigaku.org/2022/02/imagawa-place-name.html
返信する

神奈川県」カテゴリの最新記事