前記事、土崎空襲展示ホールを見学したあと、
展示で知った空襲の跡をさがしにいくことにした。
土崎空襲とは、
昭和20(1945)年8月14日夜10時半頃から約4時間にわたる空襲で、
太平洋戦争最後のアメリカ軍による攻撃といわれている。
土崎は、もともと北前船の寄港地として栄えていた街。
福島から青森へと秋田を縦断する羽州街道も通っている。
かつての羽州街道と推定される道に面した、
飯島穀丁の雲祥院(冒頭画像)が目的地だ。
「臨済宗妙心寺派 瑞龍山雲祥院」
秋田県内の寺院で、唯一罹災している。
お寺の境内に残る宝篋印塔 は、南北朝時代からの由緒があり
本来は、成人男性の1.5倍ほどの高さがあったという。
現在は、チビのわたしのおそらく胸くらいの高さだろう。
(近寄れないので、正確には、わからないが)
これは上の部分は土崎空襲で喪われてしまったからだ。
般若心経と合掌。
有名な「首なしのお地蔵様」を見つけるのには苦労した。
寺の境内と聞いていたが見つからず、霊園にも出かけたが・・・
結局、墓地と穀丁神明社の境当たりで見つかった。
(↓)神社側から入れば「空しゅう被弾地域」の
石柱に気づくかも知れない。
4人のお地蔵様は、爆撃の破片で首が削ぎ取られている。
地域の子ども達は、お地蔵様から戦争について学習しているそうだ。
こちらは、写真撮影は控え、「般若心経」を唱え、
合掌するにとどめた。
今も、土崎は、大きな製油所がある。
わたしがモタモタしているうちに、車は製油所を通り過ぎてしまい
撮影できなかった・・・
遠くマリアナ諸島から、飛んできたB29。
土崎空襲展示ホールで知ったのだが・・・
マリアナ諸島のひとつグアム、B29は、この島からも飛んできた。
今も島の北部にはモニュメントがあるという。
グアム在住の方から提供された情報とのことだが・・・
「『北西部隊 グアム第315爆撃飛行隊本拠地 最後の任務』
1945年8月14日...143機のBー29sが秘密任務として
秋田の日本石油を破壊するために北西基地を飛び立ちました...
マリアナ諸島から平均17時間かかった最長の飛行任務でした。
ハリートルーマン大統領はBー29sが帰還したときに
第二次世界大戦が正式に終了したと発表しました」
碑文には、英語で、このように刻まれているそうだ。
(一部省略)
「アメリカ軍最後の攻撃」といわれる所以なのだろうが・・・
「Bー29s」にしてみれば任務を遂行しただけ、
「国を守るための正義の闘いだと胸をはるだろう・・・
最近読んだ中沢晶子『いつものところで』
(「ワタシゴト 14歳のひろしま3」 汐文社)で
「国を守るための正義の闘い」について14歳の中学生が悩む。
すると92歳の被爆女性が言った。
「ひとが死んでもいい正義なんて、それ正義じゃないでしょ」
そうだよね、と本を読みながらうなずいた。
「ひとが死んでもいい正義」なんて正義のはずがない。
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
現地の案内、雲祥院のHP、
秋田市パンフレット「あきた羽州街道 時を超えた散歩道」を
参考に記事をまとめましたが、まちがいや勘違いもあることと存じます。
素人のこととお許し下さいませ。
書影は汐文社からお借りしました。