歴タビ日記~風に吹かれて~

歴タビ、歴史をめぐる旅。旅先で知った、気になる歴史のエピソードを備忘録も兼ね、まとめています。

母の昔語り~童謡の記憶

2022-12-02 07:50:54 | 神奈川県
直江津捕虜収容所から始まった、敗戦後の歴史。
今、一周して、地元・横浜の歴史を知ることになりました。

指南役は、
清水聡『戦犯を救え BC級「横浜裁判」秘録』 (新潮新書)です。

そこで、磯子にあった料亭・偕楽園が大きな役割をしていたことを
知りました。

ちょうど今、母も泊りに来ています。
戦前生まれのハマッ子ですから
「偕楽園」を知っているか、尋ねたところ・・・

「わたしは市電に乗って、幼稚園に通っていたから、
知っているわよ。
でも、わたしの記憶では、雨月楼っていう名前だった」との答え。

・・・ネットで調べてみたら、偕楽園と雨月楼とは、別の料亭。
どちらも、磯子の花街にあった、海軍御用達の大店だったようです。

そのことを踏まえ、もう一度、母に尋ねましたが、
偕楽園は記憶にないとのこと。

で、突然、歌い出したのが・・・
「南京さんの言葉は 南京言葉
パーピヤパーパー パーチクパ  ピーピヤピーピー ピーチクパ・・・♪ 」

雨月楼は高い塀に囲まれ、中をうかがいしることはできないものの
門前に中国服を着た女の子の等身大の人形が置かれ、
その子が歌うかのように、その曲が流れていたそうです。

母は、妹と幼稚園に通う市電の中で、
いつも、その歌を大きな声で歌っていた・・・と
懐かしそうに繰り返しました。


・・・料亭が自前の歌を作っていたとは思えないので、
またも検索すると、「南京言葉」という童謡でした。

しかも、野口雨情&中山晋平の名コンビ!
「シャボン玉」「雨降りお月」などの童謡は、
わたしの世代くらいまでなら、よく知っている曲でしょう。

apple musicで流してみると、
母は感激の面持ちで聴き入っていました。

昭和の敗戦直後の横浜で、
幼稚園児が姉妹二人きりで、市電で通園していた!?
というのも、わたしには驚きでした。


政治や経済の大きな出来事は、
史実として刻まれていきますが、
庶民の肌感覚は、なかなか残すのが難しく・・・

「オーラルヒストリー」と言うほどではありませんが、
母の知る、戦後すぐ、あるいは高度成長期の入り口なども、
書き残して行けたらなぁと思います。

母の話は、もっと長いのですが・・・
そろそろ時間切れ。

おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

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1 コメント

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Unknown (fuhchan2399)
2023-06-15 15:52:55
童謡南京言葉、初めて聞きました。
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