![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/25/509cf6325e5f5d4bc8587b9282494150.jpg)
あいにくの雨模様ながら、小田原城三の丸ホールへ行く。
目的は、「小田原北条氏誕生500年記念シンポジウム
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/46/3d07b4c61c74235fef8d0f169f17f2c7.jpg)
事前申込のみでオッケ~の無料。
それなのに、講師陣がすばらしい!
黒田基樹・駿河台大学教授、柴裕之・東洋大学非常勤講師、
後藤宏樹・早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員、
諏訪間順・小田原城天守閣館長の先生方。
柴先生は、今放送中の大河ドラマ「どうする家康」の時代考証者、
黒田先生は、同じく「真田丸」の時代考証をなさり、
後藤先生は、「ブラタモリ」に何度もご出演。
どなたも、NHKに愛されていらっしゃるw
そして、小田原と言えば、もはや名物館長の諏訪間さん!!
各先生のお話も面白かったけれど、
寛いだ雰囲気のパネルディスカッションでの話題を
いくつか書き残しておく
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/9f/4724359ed8638004b383f2dd2279c75b.jpg)
(三の丸ホール)
小田原は戦国時代の北条氏の城・・・
といっても、昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で出てきた
北条氏ではない。
便宜上、「後北条」と呼ばれるのが、小田原の北条氏。
「後北条」氏は、備中出身で、
室町幕府に仕えていた北条早雲こと伊勢宗瑞に始まる五代のこと。
ざっくりいうと、「北条」の姓は、
二代目の北条氏綱が、鎌倉時代に執権を代々務めた「北条」氏に
あやかって、勝手に名乗り始めたのだw。
この改名に対し、足利氏の末裔である上杉家あたりは、
ケッって感じだったらしいけれど、
「北条」の名乗りは、なかなかの効果があったらしい。
今年は、その「北条」への改名から、500年なのだそうだ。
諏訪間館長がおっしゃる。
昨年、小田原城の見学者から
「(北条)義時さんは、いつ、この城を造るんですか?」と問われ、
「ずっとずっと、先だと思いますよ」とおこたえになったとか。
「氏綱の改名は、ものすごい効果。今でも続いているんですから」ww
もちろん、去年、主役の小栗旬さんが演じた北条義時と、
小田原の北条家とは、時代が全く違い、
義時さんは小田原・北条家の先祖でもない。
念のため。
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ディスカッションでの黒田先生によると・・・
小田原合戦で、責任をとって切腹した、4代・北条氏政の首が
都に送られてきたとき、京都人は「ウソウソ」と信じなかったと
僧侶の日記に書かれているそうだ。
つまり、小田原の北条家は東国に一大文化圏を築いた名門と
都でも認知されていたという証だと、おっしゃる。
なるほど~
でも、もしかしたら、京雀も、鎌倉幕府の執権・北条家と
小田原の北条家は同じ一族と見なしていたのかもね、
つまりは氏綱の戦略に乗せられて・・・と、思ったのは私w
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/81/8953fec635cb0b97f97058837413970e.jpg)
さらに、この日の実質的な進行役、諏訪間館長いわく・・・
「今日のシンポジウムは、完全に大河ドラマ『どうする家康』に
乗っかった企画です」。
そうはおっしゃるが、
徳川家康と小田原・北条家の関わりは、実は深い。
「小田原合戦」、いわゆる「小田原征伐」を、
小田原では「小田原合戦」と呼んでいる。
北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされた。
北条氏が何か悪いことをしたわけではないのだから、
滅ぼされた上に、小田原自らが「征伐」を言う必要はない。
今回の大河ドラマでは、今日あたりに放送される
今川氏真の掛川城・籠城で、正室・早河殿が出てくるだろう。
早河殿は、3代北条氏康の娘なのだ。
でもそれ以外は、現段階での北条氏はスルーかい?と、
先生方も客席も興味は、そこ。
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これは、歴史にイフはないと知りつつ・・・
書き残すメモ。
もしも、5代・北条氏直が生き残っていたら?と言う話。
氏直の正室は、家康の次女・督姫。
先週の「どうする家康」で、お葉(西郡の局)に生まれた女の子だ。
家康の娘聟であることから、
氏直は、父・氏政らが責任をとって切腹し、命を助けられる。
その後、高野山へ謹慎させられるが、家康は援助を惜しまなかった。
ところが、数年も経たず、氏直は、若くして疱瘡で亡くなってしまった。
疱瘡で死ぬことがなければ、確実に一国を任されることになっていたと、
信頼できる史料にあるそうだ。
毒殺などではなく、疱瘡で亡くなったのもまちがいないとのこと。
さらに、関ヶ原の合戦では、氏直は娘聟なのだから、
当然、家康の東軍に参じたはず。
となれば、終戦後は、娘聟の立場を大いに発揮し、
数カ国を有する大・大名となっただろう・・・と。
ああ・・・無念。
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諏訪間館長は、重ね重ねおっしゃっていた。
「大河ドラマで取り上げてもらわないとね~~」
北条5代を大河ドラマには小田原の悲願。
静岡の歴史学者、あの小和田哲男先生も、
20年も前からおっしゃっているそうな。
「大河ドラマ」に取り上げられ認知度が上がらないと、
観光面が、やっぱり今ひとつ、盛り上がらない。
この日も、署名をよびかけられ、皆が協力していた。
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おまけに「皆さん、(登壇者)四人の写真、じゃんじゃん撮って、
SNSにあげて宣伝して下さい」とのこと。
じゃんじゃん撮って、アップしたのが、こちらの記事w
ぜひ「北条5代を大河ドラマに!」
皆さま、よろしくお願い申し上げます!
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おつきあいいただき、どうもありがとうございます。
当日の資料や、メモなどをもとに、記事をまとめましたが、
思い違いや勘違いは、あるかと存じます。
素人のことと、どうぞお許し下さいませ。
伊東潤氏の小説は「城をひとつ」くらいしか、実は読んでいませんで・・・
読んでみたいのですが、なかなか。
北条の善政を受け継いだのが家康、と
知ったのは、思い出しました!
5.6年前に聞いた、小田原城の諏訪間館長や黒田基樹先生のレクチャーが最初でした。
冨樫氏の小説は、そのあと読んでいますね、訂正です。