韓国中央日報によると、日本植民地時代にミャンマーとシンガポールで2年5カ月にわたり
日本軍の管理者として働いた朝鮮人が書いた「日本軍慰安所管理人の日記」が韓国のテレビ番組に登場した。
ノートには1943年1月1日から44年12月31日までの日本軍慰安所に関する記録がつづられていたという。
内容は日本軍慰安所の経営実態や日本軍慰安婦の生活ぶりについてで、
「43年1月12日火曜日、晴れ。医務室に寄って連帯本部事務室に行き、慰安婦の収入報告書を提出した」
などの文章が登場。
43年3月10日には「カナガワさんの慰安所を第55師団からマンダレー近くのイエウという場所に移転せよ
という命令が下ったが、某所部隊長が慰安婦一同は絶対反対するから行かれないだろうと言っていた」
と書かれていた。
記事は「当時の慰安所管理人らが自身の状況を日本軍に定期的に報告し、
日本軍が直接命令を下していたことを示す内容であり、日本軍と日本政府が慰安所の運営に直接的に介入、
関与していたことを立証する決定的な証拠になる」と説明している。
44年4月6日には「鮮魚組合へ行ったら、一昨年の慰安隊が釜山から出発する際に
第4回慰安団の団長として来たツムラさんが鮮魚組合員になっていた」との内容が書かれているといい、
これについては「日本が少なくとも4回以上は慰安団を募集したという意味」と主張している。
記事は、「日本軍部は慰安所政策を運営しつつも、事実を隠すため初めから資料の作成や公開を極端に制限。
慰安所の運営に関与した人たちも関連の記録を残すことはできなかった」とし、
「そのため韓国は慰安婦に関して客観的資料である1次資料を提示することができず、
元慰安婦女性の証言や新聞などに掲載された2次資料頼みだったため、
日本の極右勢力は『物的証拠がない』との理由で朝鮮人慰安婦に対する責任を回避してきた」とした。
性奴隷で世界最悪の人権蹂躙を受けていたはずなのに、
慰安婦が反対するから、国が指示する場所には行けません。
と、現地のお偉いさんが報告を上げるという矛盾。
日本軍の管理者として働いた朝鮮人が書いた「日本軍慰安所管理人の日記」が韓国のテレビ番組に登場した。
ノートには1943年1月1日から44年12月31日までの日本軍慰安所に関する記録がつづられていたという。
内容は日本軍慰安所の経営実態や日本軍慰安婦の生活ぶりについてで、
「43年1月12日火曜日、晴れ。医務室に寄って連帯本部事務室に行き、慰安婦の収入報告書を提出した」
などの文章が登場。
43年3月10日には「カナガワさんの慰安所を第55師団からマンダレー近くのイエウという場所に移転せよ
という命令が下ったが、某所部隊長が慰安婦一同は絶対反対するから行かれないだろうと言っていた」
と書かれていた。
記事は「当時の慰安所管理人らが自身の状況を日本軍に定期的に報告し、
日本軍が直接命令を下していたことを示す内容であり、日本軍と日本政府が慰安所の運営に直接的に介入、
関与していたことを立証する決定的な証拠になる」と説明している。
44年4月6日には「鮮魚組合へ行ったら、一昨年の慰安隊が釜山から出発する際に
第4回慰安団の団長として来たツムラさんが鮮魚組合員になっていた」との内容が書かれているといい、
これについては「日本が少なくとも4回以上は慰安団を募集したという意味」と主張している。
記事は、「日本軍部は慰安所政策を運営しつつも、事実を隠すため初めから資料の作成や公開を極端に制限。
慰安所の運営に関与した人たちも関連の記録を残すことはできなかった」とし、
「そのため韓国は慰安婦に関して客観的資料である1次資料を提示することができず、
元慰安婦女性の証言や新聞などに掲載された2次資料頼みだったため、
日本の極右勢力は『物的証拠がない』との理由で朝鮮人慰安婦に対する責任を回避してきた」とした。
性奴隷で世界最悪の人権蹂躙を受けていたはずなのに、
慰安婦が反対するから、国が指示する場所には行けません。
と、現地のお偉いさんが報告を上げるという矛盾。
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