リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

371. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(6)曹源寺と秋葉三尺坊奥の院

2024年12月05日 | 旅行

▶石川雲蝶の旅3日目、最終編です。 



曹源寺の黄葉と紅葉のコントラスト

 

▶曹源寺の欄間には雲蝶の彫刻が2点、小林源太郎と言われる彫刻が8点あるそうです。

 貴渡神社を出たのは11時前でしたが、その後少し栃堀区事務所で区長の武士俣さんとお話をし、曹源寺についたのは11時35分頃。さほど遠くないところに曹源寺はありました。

 こちらにも大きな庭があり、美しい紅葉が楽しめました。広間も大変大きかったのが印象的なお寺でした。
 その大広間の廊下には合計8枚の欄間彫刻があります。内部も見せていただきましたが、この欄間彫刻に関心が向いていてあまり他の印象が残っていません。その中にきっともう2点の源太郎作品があったのではないかと思います。
 
住職のお連れ合いが東京の方で色々と話に花が咲き、奥の地蔵尊までご案内いただいたのはよく覚えています。「今度写真展をするときには連絡してください」と言われて大変嬉しく思いました。

 以下に豪華な2人の欄間彫刻を載せておきます。個人のお名前が写っていたり、余白に壁が大きく写る写真はその分を切り取りましたので、大きさはまちまちです。



三国志(唐人馬上の図) 雲蝶作


新田義貞公 雲蝶作



鶴に松の図 源太郎作


山鳥に松の図(雄雌) 源太郎作




新田義貞公 源太郎作








波に亀二匹の図 源太郎作


日本武尊命 源太郎作
 

  
延命地蔵菩薩



▶秋葉三尺坊奥の院

 曹源寺を出て秋葉三尺坊奥の院に午後1時頃到着。秋葉公園内ということで大きな駐車場があり、安心して車を停められました。奥の院もすぐそばに見えるのですが、人づてに聞いていたように周りを鉄の網でがっちり囲まれているため、撮影は大変難しい場所です。とくに私のように身長の低い人間には腕を精一杯伸ばして背中を反らせての大変な作業でした。辛うじて網の目からカメラを覗き、何とか写せたのが以下の写真です。ここは雲蝶と源太郎の共同制作だったとのことですが、看板の文章を頼りにご覧ください。



こちらが鉄の網に囲まれた秋葉三尺坊奥の院です。こぢんまりした建物でした。



















▶石川雲蝶の旅は終わりました。

 この日も曇り空で結構冷えていたので、すぐそばの食事処に入って鍋焼きうどんとラーメンを頼み、身体を暖めました。あとは帰路につくのみ。関越自動車道の途中で見えたこの山並みは何という名前なのか、ご存じの方は教えてください。湯沢インターの少し手前です。

 大変疲れましたが、見どころ満載の良い旅となりました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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370. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(5)貴渡神社 その2

2024年12月04日 | 旅行

▶石川雲蝶の旅3日目 貴渡(たかのり)神社の続きです。

 


貴渡神社の十二支の一つ まるで仲良くお喋りをしているような猿と蛇ですね。

 

▶今回も貴渡神社です。蟇股(かえるまた)に彫られた十二支の写真を紹介します。

 十二支がバラバラに組み合わされているようで、現地で見ただけでは十二支とはわかりませんでしたが、家に戻って拡大してようやくわかってきました。どんな考えでこの組み合わせにしたのか興味が湧きますね。人物像では激しく闘う場面も多く彫っている雲蝶ですが、動物には優しい眼差しを感じてしまいます。私の思い込みかもしれませんが。



貴渡神社の蟇股 


貴渡神社の蟇股 酉(とり)と未(ひつじ)
 


貴渡神社の蟇股 亥(いのしし)と戌(いぬ)
 


貴渡神社の蟇股 側面 


貴渡神社の蟇股 申(さる)と巳(み)


貴渡神社の蟇股 残っているのは辰(たつ)なのですが、それは前号に載せた大きな彫刻でしょう。これは何でしょうね?


貴渡神社の蟇股 寅(とら)と午(うま)
 


貴渡神社の蟇股 丑(うし)と卯(うさぎ)と子(ねずみ) 最後の2枚は左右連続の写真がありませんでした。 

 

▶以上で貴渡神社は終わり、次回は曹源寺と秋葉三尺坊奥の院に移ります。

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369. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(4)貴渡神社 その1

2024年12月03日 | 旅行

▶石川雲蝶の旅3日目は貴渡(たかのり)神社から

 


この日のメインは貴渡神社でした。中でも気に入った1枚がこの繭を煮る女性像です。


貴渡神社ー私たちのために門が開けられています。感謝!

 

▶心配だったのは、貴渡神社がナビに入れられなかったことでした。

 貴渡神社を訪ねるには連絡が必要とのことで、ホテルルートイン見附を出るときにまず栃堀区にあるという事務所に電話をかけました。すると拝観許可を快くいただくことができました。Googleマップにもナビにも貴渡神社は出てきません。ただ、ナビに住所を入れたところ、およその目的地が出たので、大体の方角はわかりました。近くに道の駅R290とちおがあることがわかったので、まずはそこを目的地としました。

 ちょうど9時過ぎにホテルを出発。道の駅R290とちおには10時前に着いたと思います。入口にインフォメーションがあったので地域の細かな地図をいただき、貴渡神社のそばに郵便局があると聞いて更に南下すること10分ぐらいだったでしょうか。その郵便局の表示が見えてきました。ここで車を停めて郵便局員さんに貴渡神社の場所を聞いたところ、歩いてすぐだとのこと。それなら車はここに置いて見に行けると胸をなで下ろしました。さらに、郵便局のすぐ隣に今朝電話をした事務所があったのです。ここが本に書かれている駐車場だったのでした。

 いよいよ貴渡神社の彫刻を見にいきます。神社らしき建物が見えてきましたが、ドアが開いていません。よく見たら名前が違うのです。変だなぁと探しながら郵便局方向に戻ると、何やら物置のような建物が見えてきました。近づくと門が開いていて、中がその貴渡神社だったのです。裏から通ったために全然気が付きませんでした。

 

▶写真を選ぶのに困りました。

 ようやくたどり着いた貴渡神社。既に『越後の名匠 石川雲蝶』(木原尚、新潟日報事業社)で素晴らしい彫刻が見られることはわかっていたのですが、いざ中に入ると本当に圧倒されました。今まで何度も見てきた獅子の彫刻も、ここではより一層躍動感にあふれていました。そのため、ここに載せる写真を選ぶのには大変苦労しました。結局ほとんどの彫刻を載せることになりそうです。


上2枚:正面向拝左右の獅子と獏 中:向拝中央の龍のアップ 下:正面全体


▶貴渡神社の彫刻の内容を簡単に説明しておきます。

 この内容は『越後の名匠 石川雲蝶』からいただいた知識です。拝観当時、まだこの本を読んでいなかった私は全体の繋がりはよくわかりませんでしたが、一つ一つの人物がとても穏やかで気持ちがなごみました。
 本によると、栃尾区で養蚕を推奨し、絹織物を始めた庄屋植村角左衛門貴渡を栃尾郷織物の祖神として霊を祀ったのがこの貴渡神社なのだそうです。知識のない私でも棚に並べられたのが繭だとはわかりましたが、最初に載せた女性像は繭玉を煮ているとはわかりませんでした。
 後から訪ねた栃尾区事務所では栃尾区長の武士俣幸村さんとお話を交わすことができました。
 武士俣さんのお話しによると、この貴渡神社の彫刻を、雲蝶は中国の人物像で彫ったので服装も日本人と違うこと、日本では繭玉は四角い籠に入れていたけれど、敢えて中国の丸い籠を彫ったことなどを伺い、更に理解が深まりました。

 このあと載せていく写真は羽目板の彫刻「蚕の飼育」と「機織り」の場面、脇障子の「繭煮」と「山桑摘み」の場面、そして最後が「戯れる十二支」となります。まずこの地域で盛んになったという栃尾郷の絹織物にまつわる場面を載せておきます。機織りの童子の後ろにある部屋の奥行きを感じさせる1枚は、雲蝶の力量に感銘を受けて載せました。十二支は次回に。

 

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368. 雲蝶を訪ねて2泊3日の旅(3)本成寺と塔頭、そして五十嵐神社

2024年12月01日 | 旅行

▶石川雲蝶の旅2日目 本成寺と塔頭、五十嵐神社




この日のメインは本成寺とその塔頭でした。写真上:本成寺 下:その中庭の紅葉

 

▶石川雲蝶の旅2日目はガッカリしたり感動したり…。

 まずは民宿の萬代から十日町市博物館へ。ここには国宝の火炎形土器が無傷のまま展示されていて、全部で14点あるとか。5000年前にこの地に住んだ人々が遺した土器などがザクザク出たというのですから、十日町は当時大きな文化都市だったと言えるのかもしれません。

 三条市まで移動して本成寺に着いたときに困ったのは、細い道路をくねくねと曲がりながら進まなければならなかったことです。ようやく駐車場にたどり着いたときはホッとしました。そして庭の紅葉と黄葉の見事なこと。ご高齢の方々が手入れをしているようでした。
 ところが、事務所に入ろうとすると、この日は行事のために雲蝶は見られませんと書かれているのです。雲蝶の赤牛は火災の難を免れた本成寺唯一の彫刻だというのですが、三津夫はもっとたくさんあったはずだとガッカリしていました。年上のライバルでもある小林源太郎の白牛もあるようですが、いずれにせよ堂内に入ることはできませんでした。
 仕方なく、庭や墓地を回って最後に雲蝶のお墓を見つけ、ようやく溜飲を下げることができたのでした。

▶本成寺の塔頭を回って、なかなかの収穫を得ることができました。

 その後は周りを囲んでいる塔頭へ。最初の蓮如院で、中に入るには許可がいるため電話をしました。「今どこですか?」と聞かれ、「実は門の前まできているのですが…」というと笑い出し、「はい、わかりました。」との返事。ホッとしました。しばらくしてガラス戸を開けてくださった住職さんは、簡単に説明をしてから廊下で作業を続けていらっしゃいました。私たちは火災の際に信徒さんたちが持ち出して難を免れたという雲蝶の猿の彫刻と、位牌をゆっくり拝観しました。雲蝶の位牌が蓮如院にあることは、よく読むと本に書かれていたのですが、そのときは頭に入っていなかったため、望外の喜びでした。これだけでも手応え十分です。

 その後は外回りの彫刻がほとんどで、一軒だけ要住院は彫刻が出品中で拝観は叶いませんでした。

 以下にお寺の名前と作品写真を載せておきます。


蓮如院:雲蝶の猿の彫刻と位牌

 


静明院:魚と波が今にも動き出しそうですね。

 


久成院:ここでは亀が何匹か彫刻されていました。

 

▶本成寺から五十嵐神社に回りました。

 本成寺の塔頭で見られる作品は全部見て回り、五十嵐神社に向けて出発しました。途中少し休憩を入れて約1時間後に到着。
 ただ、ここの駐車場の位置がよくわからず、裏手の保育園らしき駐車場に車を留めさせていただき、裏山から細いつづら折りの坂道を登りました。石があるものの滑りやすく、行きは三津夫が、帰りは私が足を滑らせてヒヤッとする場面がありました。ぐるっと回ると結構歩くようにも見えたのですが、皆さまもここを登るときにはお気を付けください。
 


五十嵐神社:下から鳳凰、獅子、一番上はわかりませんでした。

 

▶最後はホテルルートイン見附まで一気に走りました。

 この日は大変寒く、朝、民宿を出た時にはみぞれが降っていましたので、上衣もしっかり着込んでの旅でした。

 ホテルルートイン見附に着くと、女性も男性も1階に人工ラドンの温泉がありました。女性はキーカードを渡され、その番号がないと中には入れないというので、安全面にも配慮されているようです。私は体が冷えていたため、温めたくて温泉に行ってみると、他には誰もいません。本当にゆっくり入浴することができました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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