リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

154. 15回目のドイツ旅行(2) ヘールへの往復、油断しました

2018年10月26日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(2) ヘールへの往復、油断しました


ヘール、シント・ディムプナまでの小道で


ヘールはきれいな町でした。

  到着翌日の9月8日。時差の関係で最初の何日かは大変早く目が覚めます。おかげで朝6:58発の列車には十分間に合いました。ケルン、リエージュ、リールと3回乗り換えて、ヘール到着はほぼ正午。約5時間の長旅です。乗り換えも知らない駅では緊張するもので、帰りにこの通り戻っても良いのならその方が安心です。行きのリールまでの列車の車掌さんに、このまま帰りも乗れるのかどうか尋ねたら大丈夫とのこと。でもドイツ鉄道で検索したところでは、乗り換えはアントワープまで行き、北側をぐるっと回って戻るルートだったのです。

 ヘールに着くと駅前にレストランがありましたが、他に食事ができそうなところが無く、中に入ってハンバーグとコーヒーで昼食。私には大きく、半分残して持ち帰りましたが、二人で10€と格安でした。ここからは地図を見ながら約1.5km歩きます。途中のローゼンタール・シュトラーセは大きくて素敵な家が並び、あじさいが咲き乱れていました。日本とは花期が違うのでしょうか。

 気分良くシント・ディムプナに到着すると、何と教会の扉は閉まっています。オランダ語でわかりにくいのですが、表示には午後2時から開いていると書かれていたのが読み取れました。良かった! それまでの間、教会の外観を写してまわったのですが、大きすぎてなかなか1枚の写真には入りきらず、以下のようになりました。


 


 墓地のベンチでしばし休み、午後2時少し前に門の前に戻ると、既に教会は開いていました。中にはオランダ語しか話せない老婦人が二人、しきりに鍵が無くて側室にあるこの祭壇が見られなくて申し訳ないとジェスチャーで訴えていました。しばらく見て回るうちに、「鍵が開きましたよ」とさっきの婦人が教えてくださったので入ってみると、三津夫が見たかったのはこの「受難の祭壇(Passion-Altar)」だったとわかりました。ただ、ガラスで囲まれているため、窓からの日差しが反射して、あまりよく見ることも写すこともできません。内容的にも今ひとつと感じて、「何でこれが見たかったの?」と三津夫に聞くと、岡部由紀子さんが『世界美術大全集 北方ルネサンス』(小学館 1995年)の中で紹介していた祭壇の一つなのだと言います。今回の旅で回る予定の祭壇が全部見られたら、「この全集に紹介されていた祭壇を全部見たい」という彼の希望が叶う第1番目の祭壇だったのです。ガラス越しでは色合いもくすんでしまってその素晴らしさが伝わりにくかったのかもしれません。ちょっと残念でしたが、これで第一目的は達成したので良しとします。


ケルン行きの列車が来ない!

 さて、帰り道。ヘール駅まで歩いて15:49の列車があることがわかり、検索した北回りのルートではなく、今朝のルートを辿って戻ることにしました。駅の様子がわかっているので安心してリエージュまで来ると、時刻表にケルンへ行く列車があまり見当たりません。ケルンはドイツ北西部でも大な駅ですから特急列車は朝と同様にここにも何本も来て停まると思っていました。しかし見慣れぬ町の名前ばかりで方向の検討がつきません。ここで、もしスマホが使えていたらもう少し落ち着いて検索できたと思うのですが、私のスマホはWiFiの無いところでは使えません。列車の中でもICEなら使えますが他の列車ではWiFiが無かったのです。やはり携帯用のWiFiを借りてくるべきだったと痛感しました。結構レンタル料金が高いので、朝晩ホテルで見られれば大丈夫と思って借りてくるのを諦めたのでしたが。

 でも、どうやら18:14にはケルンに行く列車THAが来ることがわかってホッとし、それまでリエージュ駅の様子を写したりしていました。ここはとてもモダンな近未来のようなデザインの駅で、大きな蜘蛛の巣を張ったようで面白い姿だったのです。

 

 さてTHAを待っているうちに赤いボディのかっこいい列車がやってきました。その姿を見てハッとしました。THA というのはタリスのことだったのです。以前にも予約していないのに乗ってしまって怒られたことのある列車です。私たちはドイツ+ルクセンブルク3国のユーレイルパスこそ持っていましたが座席予約はしていません。中に乗ってから予約券を買えないのかと車掌さんに聞いてみたけれどダメでした。ガックリ。だからこの列車は赤文字で書かれていたのだとわかりました。急ぎ階下の時刻表を見に行くと、次にケルンに停まるICE(19:14発)も赤い文字で書かれています。これも何か意味あっての赤文字? 頭が真っ白になりました。その後にケルンに行くと分かる列車が無かったからです。どうしよう。ここで宿を取って明日早朝にデュッセルドルフに戻る?? 明朝は7:32の出発ですからそれもとてもきつい。とにかく確かめてみようと「みどりの窓口」のような案内所に行きました。多くの人が並んでいます。ようやく番が来てデュッセルドルフと口にした途端「ドイツ関係はあっちの窓口で」とさっさと切り捨てられ、隣りに回ると前のおじさまの用事が長い時間かかってドキドキ。ようやく19時近くになって番が回ってきました。担当の親切そうな女性に「デュッセルドルフまで帰るルートを教えてください」と聞くと、次のICEで大丈夫と、乗り換えのインフォも印刷してくれたのでした。「このICEは赤い文字になっていたけど、ユーレイルパスで乗れるんですね?」と再確認して「大丈夫ですよ」とOKをもらい、本当にホッとしました。これで今日のうちに帰ることができます。途端にお腹が空いてきて、そろそろ閉まりそうなスタバでパンとコーヒーを買い、お腹に入れましたが、考えてみたら途中の列車でトイレが使えなかったので、もう6時間もトイレに行っていなかったのです。コーヒーを飲んだら段々トイレに行きたくなって困りました。ようやくICEが来て、トイレに入り、何とか座る席も見付けて日記を書いたのでした。ケルンで乗り換えてからホテルに戻ったのは9時半頃。まだ開いていたスーパーでリンゴとトマトを買ってホテルに戻りました。長~~い一日でした。

 それにしてもなんでこれらの列車は赤文字で書かれていたのでしょう? 要注意という意味でしょうか? 

 今日の教訓:検索結果は尊重すること。地元での列車のつなぎには癖があるので勝手にルートを変えると痛い目に遭う。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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153. 15回目のドイツ旅行(1) デュッセルドルフへ

2018年10月14日 | 旅行

▶︎15回目のドイツ旅行(1) デュッセルドルフへ


飛行機から見下ろしたロシア


バスは貸し切り状態でした。

 9月7日は順調に成田空港に着き、前もって送っておいた大型トランク2個を引き取りました。家から空港までは一眼レフカメラや望遠レンズ、タブレットなどを入れた小さなコロコロトランクだけ持ち、背中には貴重品、パスポートや書類を背負っていきました。トランクを引き取ってチェックイン。トランクの重さは1個23kgまで。私の方は少しゆとりがありましたが、夫のトランクは25kgを越えていました。二人合わせて46kgを越えるのは確実だったので、夫の超過した分だけ手荷物に入れるしかないと思っていたのですが、私の方に詰め直せば大丈夫と言われてカウンター横で入れ直しました。どうやら小数点以下は切り捨てか四捨五入のようで、食料品を少しリュックに詰め直し、重い本を少し私のトランクに移して、二人とも23kgをややオーバーしたもののパスしました。

 フライトは順調でスーッと静かにフランクフルトに着陸。ここからは国内移動のJAL専用バスでデュッセルドルフまで歩みを進めておきます。この大型バスは無料なのがありがたい上に、この日は何と乗客は私たちだけの貸し切り状態。何だか申し訳ないような気分でした。少々クーラーが涼しすぎましたが運転手さんは半袖で運転しているのでこちらががまん。

 バスの終点、JALホテルから10分近く歩いたでしょうか。予定していたホテルを見付け、「古いけど駅からすぐ近くでこの値段ならしょうがないね」という宿でようやく荷を解いたのは夜の8時半を過ぎていました。急いで駅まで出て夕食をとり、翌朝のサンドイッチを買って戻りました。いつもながら費用節約のために、基本的に朝食無しで旅をします(朝食料金込みのホテルではいただきますが)。リーメンシュナイダー・ツアーをやって欲しいという要望もいただいているのですけれど、安いレストランかフードコート、あるいはテイクアウトで食事を済ませられる人でないと、私たちと一緒の旅は難しいかもしれませんね。


デュッセルドルフに来た理由。

 さて、初日にデュッセルドルフまで来たのは、夫がベルギーのGeel(ヘール) にある教会 Sint-Dimphna の祭壇を見たいと希望していたからです。ヘールまでは往復とも乗り換え3回、片道約5時間という鉄道の旅。ドイツは時間に厳しい国というイメージはとうの昔に崩れていて、ICやICEなどの長距離列車になればなるほど10~30分の遅れはザラです。ベルギー国内で一本でも予定していた電車に乗れなかったら、次はどの方向に向かえばいいのか予想が難しいのです。しかも帰りのルートは来た道とは違ってアントワープまで遠回りをして帰ってくるというのがドイツ鉄道の検索結果でした。無事に戻ってこられるのかどうかと、とても不安な日程でした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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