▶今回はペーター・シュミットの思い出の写真集となります。
❤マインフランケン - ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館(撮影当時はマインフランケン博物館)にて
初めて出会った1999年8月11日に「悲しむマリア」像の前で。三津夫撮影
※写真の日付は8月10日となっていますが、旅の記録で日時を確かめてあります。
▶ペーターの訃報
2020年10月25日の朝、1通のメールが届きました。ヴュルツブルクに住むペーター・シュミットの息子さん(彼もまたペーターさんです)からで、お父さんのペーターが10月3日に脳内出血でヴュルツブルク大学病院に運ばれ、治療の甲斐なく22日の夜中から23日の朝の間に亡くなったというのです。ショックでした。昨年、足の手術をした病院にお見舞いに行き、「痛みが取れたよ」と満面の笑みを見せたペーターと別れてから1年2か月。コロナでしばらくドイツには行けそうもないとは思っていましたが、ペーターに会えないとわかったときには心にぽっかりと穴があいたような気持ちでした。
唯一の救いは、恐らく痛みや哀しみに強く煩わされることなく静かに逝けたのではないかと思えることです。私の母も7年前に脳梗塞で入院し、1か月ちょっと意識が戻らないまま静かに病院で過ごし、眠るように逝きました。人によっては最後まで痛みに苦しんで亡くなることもあるそうです。周りで見守る家族は大変辛かったとその方から伺いました。息子のペーターには、今度ヴュルツブルクに行けるようになったらお墓参りをさせてくださいねとお悔やみの返事を書きました。4巻目の写真集ができあがったら、今まで写してきたシュミット家の写真をもう一度まとめて、マンションに一人残されたイングリッドにお礼と共に送るつもりです。
❤2014年9月17日のペーターとイングリッド
上はペーター宅にて 下はお寿司屋さんにて
▶ペーターとの出会い
ペーターとの出会いは、1999年にミュンヘンでリーメンシュナイダーの作品と初めて出あって「リーメンシュナイダーの追いかけ人(びと)」になると決意した日から6日後の8月11日のことでした。ミュンヘンからヴュルツブルクに回り、世界で一番たくさんリーメンシュナイダーの作品を展示しているマインフランケン博物館を訪ねたときのことです。初めて入ったリーメンシュナイダーの部屋には他に参観者もなく、私たち二人だけの貸し切り状態でした。どの作品もじっくり見ていたのですが、私は木に縛り付けられ、矢で打たれているにもかかわらず遠い目をしている聖セバスチアンの像の前で佇んでしまいました。以前にも書きましたが、縄で縛られたセバスチアンの手の血管が浮き上がり、まるで生きているかのように見えたからでした。すると背の高い監視員のおじさまがドイツ語で私に話しかけてきて、何やら「矢で撃たれた跡がここにもここにもあるんですよ」と説明してくれているようです。当時私はNOVAのドイツ語コースでドイツ語会話を学び始めて4ヶ月しか経っていなかったので、簡単なドイツ語しかわかりませんでしたが、私たちの熱心に鑑賞している様子が彼を動かして話しかけてくれたのではないかと感じました。まだドイツ人に私から話しかける勇気はなかった頃のことです。それでもリーメンシュナイダーの作品を大切に思う気持ちが通じ合って、親しみを覚えました。そのとき、三津夫が写してくれた写真がトップの写真です。「悲しむマリア」の前でにこやかなペーターと私…。21年前の写真ですから若かったなぁとしみじみ思います。この日は名前を伺う勇気もないまま失礼したのでした。
翌年、今度は娘の奈々子も一緒にドイツを回り、そのおりにもう一度マインフランケン博物館を訪ねたときに、また前の年に写真を一緒に撮ったおじさまが歩いているのを見かけました。ほんの少しドイツ語も上達していたのか、度胸がついたのか、私は思わず彼に話しかけ、この前写した写真があるのでお送りしたいからお名前とご住所を教えていただけないかと言ったのです。それからしばらくの間は博物館の住所でペーターに手紙を送りました。その次に行ったときに確かご自宅の住所も書いてくれるようになって、友人としてのやりとりや、お宅に伺ってのおしゃべりを交わすようになったのです。お連れ合いのイングリッドとも会って話をするようになりました。その後はドイツに行けばほぼヴュルツブルクを訪ねてはペーターとも会ってあちこち車で連れて行ってくださるようになりました。バスや電車を乗り継いでの教会巡りは結構大変なので、とても助かりましたし、本を作るとマインフランケン博物館に来る日本人に彼の方から私の写真集を見せて話しかけたりするようになったのです。ペーターから紹介されたと、見知らぬ方からお手紙も来るようになりました。でも私のことを「大学で教えているんだよ」と勘違いして宣伝してくれたりしたのにはちょっと困りましたが。多分数え切れないぐらい一緒に会ったり、あちらこちらを案内していただいたり、食事に行ったりしています。私のドイツの友だちの中では3番目に長い付き合いでした。大切な友人、ペーター・シュミットに心からの感謝を送ります。今まで本当にありがとうございました。
これからは軽くなった足で、またどこかリーメンシュナイダーと出会える場所に案内してくださいね。
❤2019年7月17日のペーターとイングリッド
一緒に旅した京子さんが写してくれたこの写真が最後となりました。
※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2020 Midori FUKUDA