昨日は一日中雨でした。
午前中はかなり降りましたがべったくから帰る頃は止んでいました・
網戸にして寝ましたが夜中に窓を半分閉めるくらい肌寒かったです。
今朝はすっかり木々も洗われ青空が綺麗です。
でももう少し経つと34度くらいになるそうです。
つかの間の涼しさでもうれしいです。
朝から蝉の大合唱ですがこれももう少しの間でしょう。
明野のヒマワリのアルバムを作りました。
お暇な時にでも見てください。
昨日は一日中雨でした。
午前中はかなり降りましたがべったくから帰る頃は止んでいました・
網戸にして寝ましたが夜中に窓を半分閉めるくらい肌寒かったです。
今朝はすっかり木々も洗われ青空が綺麗です。
でももう少し経つと34度くらいになるそうです。
つかの間の涼しさでもうれしいです。
朝から蝉の大合唱ですがこれももう少しの間でしょう。
明野のヒマワリのアルバムを作りました。
お暇な時にでも見てください。
昨日 はお友達と泉鏡花『婦系図』の舞台 湯島天満宮に行ってきました。
目的は宝物殿で行われている特 別 展【 茶人 -古田織部- 】を見てきました。
千利休亡き後“天下一”の茶人と呼ばれた古田織部にまつわる展覧会で貴重な品々を沢山見ることが出来ました。
入館料が65歳以上は300円と言うのもラッキーでした。
帰りに湯島聖堂に寄ったのですがお盆休みでした。
お食事してお茶してとても有意義な一日でした。
サイトからです。
日時 平成27年8月8日〔土〕~ 9月20日〔日〕会場 湯島天満宮宝物殿 千利休没後の25年間、茶の湯界に君臨し、独自の美の世界を築いた武将茶人古田織部。本展では、「織部形」といわれる織部本人がデザインした茶道具のほか、傾いた織部自筆書状、主君の織田信長・豊臣秀吉・秀頼・徳川家康・秀忠の書状、門下の伊達政宗が織部に宛てた書状など、新出の織部宛利休書状を含めた220点を展示します。
また、初のまとまった一般公開となる相国寺派管長有馬底猊下コレクション25点や、数寄者の選りすぐりの逸品を出展します。さらに、茶会記に基づいて、年代別に織部の茶会を再現。織部の茶の湯の世界を体感していただきます。
連歌や王朝文学にも傾倒した、知られざる織部の一面も窺える展覧会です。
月曜日に絵里子がやってきて水曜日は約束の川越へ行ってきました。
いつも乗っている電車で小一時間で行かれます。
朝曇っていたのでラッキーと思いましたが着いたらかんかんの日照りです。
【神様始めました】というアニメの舞台が川越でそれぞれ実際の場所が出てくるのだそうです。
前の日に行くところをピックUPしました
早速着いたらそのアニメの柄の自動販売機がそのアニメの柄なんですね。
そこに30近くの目つきのおかしい男が買っていたのですがそのアニメが好きらしく絵里子のぶら下げているストラップと同じものをバッグにつけていました。
なんだか気持ち悪いです。アニメ大会なんて男が多いそうでこれまたびっくり世も末だわと思いました、
まず熊野神社に行きましたそこの絵馬がキャラクター者だと1500円めちゃ高いんです。
二枚入っていて1枚をぶら下げてアニメの柄は家に持って帰るように出来ていました。
絵里子は学業が伸びますように、私は認知症にならないようにと蛇の神様の頭や体をなでてきました。
そこから時の鐘を通りアニメの舞台に出てくる甘味やさん、絵里子はクリーム白玉芋あんみつ、私はジンジャーエールを頂き休憩そこまでたどり着く間に色々なお店に入りTシャツ、箸を買わされました。
火事で老舗のお店ほか2軒が焼けちゃったのでなんとも寂れていました。
菓子屋横丁から戻りうなぎの林屋へ
生憎お休みで隣のお店に入りました。
お店を出たら雨が降ったらしく少し道路がぬれています。
又和の色々在るお店に入りシュシュほか色々買わされお店のからくりおみくじをしたいと言うのでしたが丁度小銭が無くてラッキー、
朝から3時過ぎまで炎天下の町を一杯歩いてくたびれて帰る事にしました。
帰りの電車で二人で寝ていました。
コンデジだけ持っていて大正解、大分歩いたので1デジだったらもっと疲れていたかもです。
日曜日の東京はさほど暑くなかったのですが山梨県北杜市の明野はとっても暑かったです。
何しろ日陰はないし埃は舞うしで先生は絶対レンズ交換はしないで下さいとおっしゃいました。
そんな中あちこちヒマワリを写して楽しみました。
先生が面白いサングラスを沢山持っていらっしゃって少し駄目になったヒマワリにかけて遊びのカメラ写しもしました。
こういう遊びもあって3時間炎天下にいましたが皆さん元気で帰れました。
同じものをホワイトバランスを変更して楽しみました。
黄色い写真用の紙を下さってそれでぼかしを出しました。
色々なサングラスで遊びました。
添乗員さんも前回と同じ方でこういうことって初めてでした。
昨日NHKの夜7時半から見た特集番組です。
衝撃を受けました。忘れてはいけない事実です。
コピペです。
1945年8月6日、広島で人類史上初めて使用された核兵器。
その年の末までに14万人以上の命を奪ったという数字は残されているが、原爆による熱線、爆風、放射線にさらされた人々がどう逃げまどい、
命つき、あるいは、生き延びたのか、その全体像は実際の映像が残されていないために、70年の間正確に把握されてこなかった。
巨大なきのこ雲が上空を覆う中、その下の惨状を記録した写真が、わずか2枚だけ残っている。
原爆投下の3時間後、爆心地から2キロのところにある「御幸橋」の上で撮影されたものだ。
被爆70年の今年、NHKは最新の映像技術、最新の科学的知見、生き残った被爆者の証言をもとに、初めて詳細にこの写真に映っているものを分析し、
鮮明な立体映像化するプロジェクトを立ち上げた。きのこ雲の下の真実に迫り、映像記録として残すためである。
平均年齢が78歳を超えた被爆者たちは、人生の残り時間を見つめながら、「いまだ “原爆死”の凄惨を伝えきれていない」という思いを強めている。
白黒の写真に映る50人あまりの人々の姿―――取材を進めると2名が健在であることが判明。さらに、その場に居合わせた30名以上の被爆者が見つかった。
彼らの証言をもとに写真を最新技術で映像処理していくと、これまでわからなかった多くの事実が浮かび上がってきた。
火傷で皮膚を剥がされた痛みに耐える人たち、うずくまる瀕死の人たち---
皆、爆心地で被爆し、命からがらこの橋にたどり着いていた。写真に映る御幸橋は、まさに「生と死の境界線」。
多くの人がこの橋を目指しながら、その途中で命尽きていたのだ。
きのこ雲の下にあった“地獄”。
残された写真が、70年の時を経て語りはじめる。
※フランス公共放送F5との国際共同制作。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20150806
再放送が
午前2時45分~※8日深夜 総合テレビ
ぜひ録画してみてください。