早朝は曇っていましたがお日様三日続いてます。
しばらく来なかったカワウさん日光浴にやって来ました。
深くもぐれるように羽が水をはじかないようになっているのだそうです。
水をはじくと、体が浮きやすくなってしまうから。
カワウさんもこの長雨で大変だったことでしょう。
早朝は曇っていましたがお日様三日続いてます。
しばらく来なかったカワウさん日光浴にやって来ました。
深くもぐれるように羽が水をはじかないようになっているのだそうです。
水をはじくと、体が浮きやすくなってしまうから。
カワウさんもこの長雨で大変だったことでしょう。
昨日孫が来ました。
私が怪我をして以来ですから1年8カ月
電車で4つ目近いのにコロナ自粛やリモート授業で伸び伸びになっ
てしまいました。
孫はまだワクチン一回接種なので身内でも当然家の中でマスクです。
孫の家でもお互いにマスクです。
春に私のパソコンをワイドに替えたので大きな画面でYouTubeを
見たいのだそうです。
かなり暑かったので外には一歩も出ませんでした。
涼しくなったら一緒に公園へ行こうねと約束しました。
久しぶりなので夫が5等級のステーキを買ってきてくれて食べました。
おいしい~って言ってくれたからそれで満足ですね。
お庭の錦鯉を楽しそうになつかしい~って見ていました。
夕方富士山が見えて久しぶりだ~って喜んでいました。
次は私のお赤飯が食べたいそうなので頑張りましょう。
昨日の午後から時々にわか雨が降るけれど晴れました。
夕方富士山は雲の中でしたが夕焼けは8日ぶりです
今日はかなり暑くなりましたがお日様に感謝です
公園にも8日ぶりの散歩が出来ました。
庭から聞こえてくる蝉の声がやかましくないのです。
コサギもアオサギも相変わらず淡々と生活しているのに人間ってわ
がままですね。
アオサギさん若鳥のようです。
終戦記念日になるといつも母が教えてくれたことを思いだします。
父と母は工場が多い蒲田近いところに住んでいました。
いよいよ危ないということで祖父母が住んでいる山の手に住み替え
て一緒に暮らしました。
父は国の無線の仕事で徴兵は免除でした。
それはずるいということで回覧板もわざと回さなかったり配給も教
えてくれなかったそうです。
所謂いじめです。
昭和20年の5月の大空襲の時
どんどん家屋が焼かれる中、風向きが一瞬変わり我が家を含めて
四件だけ焼け残りました。
その時に住民の方に井戸を開放しました。
急に住民の態度が変わりペコペコしだしたそうです。
そしてあの玉音放送、
母は悔しいという感情はなく今日からぐっすり眠れることが嬉し
かったそうです。
その後バラック小屋が立ち並び祖父は国立横浜病院の病院長をして
いたので帰ると無料往診をしていました。
食糧難の時代は千葉の農家に着物を持って頭を下げて食料に替え
てもらう時もかなり高飛車な態度で何度も涙を流したそうです。
だから私たち三姉妹には「どんな時も上から目線で人を見るな、差
別は絶対にするな」と言われました。
その母も終戦後学校の復旧のために学校の庭で行う映画開催のため
に奔走しました。
校舎立替のためです。
今のコロナ禍でも感染者たちはかなり差別を受けているそうです。
どんな理由があっても感染者が当然罹っても仕方ない状況でもさぞ
つらいだろうと思います。
もう母が亡くなって20数年になります。
写真は公園のミソハギです。
今日も一日雨なので録画を見ていました
「ILOVEみんなの動物園、」
東京都昭島市のカルガモ親子の引っ越しに密着。カルガモ親子は、人間が歩いても30分はかかる約2.5km離れた多摩川に向かっている様子です。
線路も渡ったり民家も通してもらったり警察官や住人の助けを借りながら引っ越し
開始から9時間10分、1羽も欠けることなく多摩川に到着しました。
ハラハラドキドキしながら見ていました。
ちゃんと9羽がそろうまで母親は待っているのです。
感動しました。
お写真はすべてお借りしました。