飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

重言

2017年09月23日 08時58分00秒 | 授業論
仕事柄、文章を読みことが多い。
点検もするのだが、そのとき読んでいて少しひっかかるときがある。
その多くは、一見するとあっているようだが、読み直してみると言葉の誤用があるときである。

例えば、後で後悔する、連日暑い日が続く、〜だけに限定する。
これらは、同じ意味の語を重ねた重言である。
これが何故いけないかと言えば、自分の知識不足を露見してようなものだからである。
少なくとも、知識を売り物にしている職業の人は許されない。
これは何故起こるかと言えば、言葉の意味を正確に理解していないことが要因である。

よくある重言。

価格を値下げする
予め予定する
未だ未完成
加工を加える
被害を被る
思いがけないハプニング
元旦の朝に
最後の追い込みに入る
辞意の意向を表明する
第1番目
製造メーカー
従来から
余分な贅肉
わだちの跡
次の後継者
捺印を押す

saitani
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具体と抽象の連携

2017年09月23日 08時22分48秒 | 授業論
人の話を聞いていて、ときどき意味不明であったり、具体的でありながら趣旨がよく理解できなかったりすることがある。
要するに何がいいたいのかがわからないのである。
経験や数値を出してくれて、具体的でありながら、主張がぼんやりしている。
その要因の一つは、話す側に具体と抽象との行き来が話をよりわかりやすくしているという感覚がないからだ。

具体例やデータを出して話すので具体レベルである。
事実をいくら並べても、話は深まらないし、聞いている側も何を言いたいのかがわからない。
具体の羅列は横には広がりをみせるが、深まり、高さの点で観点が不足している。

概念の抽象レベルと言う考え方がある。
これはすべての言語や考え方には、レベルがあるということだ。
これをまちがえるとカテゴリー間違いを起こす。
事実を話すことはそのエビデンスを示すという点は、重要である。
抽象論に終始しても、主張はぼんやりしたものになってしまう。
話の節々で、解釈をしたり、分析してまとめる作業が必要になってくる。
これが抽象化や一般化と言われるものである。
これを無意識のうちにやりながら話せると聞きやすく、主張も明確になる。

saitani
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