飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

大人の仲間入り

2024年09月30日 18時25分26秒 | 人生論
大人になると言うことはどう言うことだろう。
若い頃はよく考えた。
若い頃も楽しかったが、なんでも自由にできるように見えた大人も憧れの存在だった。
しかし、こうして大人を何年もやっているとふと大人になると言うことは、鈍感になっていくことでもあると思える。

大人の仲間入り

簡単に人を好きにならなくなり
友達ができづらくなり
会うにしても年数回
街中にいる学生が
キラキラしていように見え
「おつかれさま」が口癖になり
会社と家の往復の毎日
親の言ってたことが
何となくわかるようになり
いつのまにかお酒を楽しみ
好きなものを大人買いして
ストレスを発散していればもう大人

saitani



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生涯で子供と過ごせる時間

2024年09月29日 05時00分00秒 | 教育論
我が子が独り立ちをして家庭をもつようになる。
それは、親にとってもとても嬉しいことであり、ここまで、よく頑張って成長してくれたと感慨もひとしおだ。
この子育てを振り返ってみると、後悔はないが、反省することは多くある。
それは、一日の時間のほとんどを仕事に費やし、深夜まで教材研究や授業の準備、休日もほとんど実践記録の執筆にあけくれていた。
家庭を顧みる余裕はまったくなかった。

自分は子育て時代の忙しい中、ほとんど育児に貢献していなかった。
もちろん自分ではできるだけ子供との時間を大切にして、ともに過ごしてきたつもりだ。
実態はほんとうに「つもり」だけの時間だった。
しかし、それは子育てのほんの一部分であり、子供との生活の本質とは程遠いものだと今実感する。
唯一幸いだったのは、二人の子どもたちも学生時代に私と同じようにバスケットボールに打ち込んでいたので、ミニバスから社会人になるまでずっとバスケットボールを通じて、コミュニケーションをとることができた。
これがなかったら、まったく子どもたちとの思い出は限定的なものになっていただろう。

このblogを訪れてくれている先生方の中にも子育て真っ最中も方もいらっしゃることと思う。
だからこそ、このblogを見にきてくれているのかもしれない。
今は子育てで、自分の時間なんてまったくとれない。
トイレにさえいけないくらい子育ては忙しい。
30秒目を話せば、死んでしまうかもしれないような生き物が赤ちゃんだ。
その赤ちゃんの世話をするのだから、両親の生活が激変して、考え方や生活様式が変わるのは当然のことだ。

毎日一緒にいると永遠のように感じる「子どもと過ごす時間」。
しかし実際には、長い人生のなかで子どもと一緒に過ごせる時間はとても短い。
今自分も考える、子どもが小さいうちにもっといっぱい遊んであげればよかった、もっといろいろな場所に連れて行ってあげればよかった」と。

子育てをしていると、たまには自分一人の時間がほしいと思う。
当然のことだ。
子供はいくつになってもかわいい。
子供がまだ小さかった頃、先輩の先生に尋ねたことがある。
その先輩のお子さんはすでに成人して社会人となっていた。
「我が子というものは大人になってもかわいいものですか?」
するとその先輩先生は、
「それはあたりまえだよ。
 子供は大人になろうと家庭をもとうと年をとったってかわいいものだよ。」
「そうなんですね。」
と実感が伴わない返事をした記憶がある。
今、その先輩と同じ年代を迎えて子どもたちも30歳を過ぎた。
その言葉を事実として受け止めることができるようになった。

では、永遠にも思える子供と過ごす時間はどれくらいあるのだろうか。
生まれたばかりの赤ちゃんが大学進学のタイミングで実家を出て行くと仮定すると、約18年間、親子は一緒に過ごすことになる。
しかし実際には、小学校、中学校、高校と成長するほどに家にいる時間は減る。
休日には、家族で過ごしていたが、友人と過ごすことも多くなる。
部活も毎週ある。

こんな衝撃的な数字がある。
わが子と生涯で一緒に過ごす時間はこれだけである。

母親:約7年6ヶ月
父親:約3年4ヶ月

しかも、この時間の半分は小学校卒業時点で終わっているという。
さらに詳しく数字をみていく。
我が子と一緒に過ごせる時間の全体を100%とする。
子どもの成長に沿って見ていくと、幼稚園入園時には18%が過ぎ、幼稚園卒園時には32%、小学校卒業時は55%……と経過する。
高校卒業で親元を離れるころには、なんと73%も過ぎ去ってしまう。

こうやって数字で時間を見ていくと一緒にいるわが子との時間は、決して永遠ではないことがわかる。
子供と過ごす時間をもつポイントは1日3時間であるという。
子どもとしっかり接する時間を1日に3時間も持てれば、母親が専業主婦だという家庭と比較してもなんら変わらず子どもはしっかり育っていくという。

特に子育ては3歳までが大変なことが多い。
しかし、この3歳までの子供は特別なのだと思い知る。
あるエピソードを思い出す。

非行少年のお話である。
その少年は母子家庭であった。
小さい頃から非行にはしり、触法行為を頻繁に繰り返す。
そのたびに母親は警察に引き取りにいったり、迷惑をかけた人たちに頭を下げていた。
それでも心満たされないその少年はやがて少年院に入ることになった。
そして、その少年が少年院に入っている時に、母親は過労から亡くなる。
そのことを聞いた少年は号泣して、自分のしてきたことを後悔し、母親に本当にもう分けないと心から反省する。
そして、保護司に次のように言う。
「自分は小さい時から母親に迷惑や心配ばかりかけてきた。
 そして、母は死んだ。
 俺は母親に何一つ、恩返しも親孝行もできないまま、もう二度と母親にあうことはできなくなった。
 自分は後悔してもしきれない。
 これからどうしたらいいんだ。」
その言葉を聞いて保護司は少年に語りかける。
「そんなに自分を責める必要なないよ。
 君は十分に親孝行をしたよ。
 子供は生まれて3歳までに親孝行のすべてを終えているんだ。
 君は覚えていないけど、小さかった頃の君の笑顔を見て、お母さんも幸せな気持ちにたくさんなったはず。
 親はそれで十分なんだよ。」

saitani

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

組織のおける特別ルールの必要性

2024年09月28日 05時08分01秒 | 教育論
岡田斗司夫氏がこんなふうに言っている。

「例えば学校だったら、先生と生徒っていう役割を演じさせなきゃいけないじゃないですか。
 じゃ35歳の先生と12歳の子供は、本来平等なはずというか、まあまあ同じような人間のはずなのに、そこで学習という、先生がこれを覚えなさい、子供が「はい」って言うためには、何が必要なのかって言うと先生は偉いとか、年上は偉いっていう、無根拠で全く意味がない、ルールみたいなものがないと、学校という場が成立しないんですね。」

原則、先生と子どもは平等である。
このことに異論はない。
法の下の平等が憲法で決まっている以上、人権や権利においては平等と言っていいだろう。
子供に暴力を振るったりや暴言を吐いたりすることは問題外である。
しかし、学校という場を成立させるためには、つまり、「先生が、「これを覚えなさい」と子どもに言い、子どもは「はい」と素直に応じる」という場を成立させるためには、無根拠で意味のないルールだが、「先生は偉い、年上は偉い」というルールが必要なのだ。

先生が「これを覚えなさい」と言った時に、子どもたちが「なぜ、それを覚えなければいけないのですか。」「それは、僕たちに強制しているのですか。」「僕たちがそれに従わなければならない法的根拠はなんですか」「先生と子供が平等と言うなら、従う義務はないはずです。」こんな風に子どもたちがある意味の正論を言い始めたら、授業は成立しないし、学校という組織も成り立たない。

しかし、学校という場を成立させるためには、つまり、教える立場の人間がいて、その人の指示で学ぶ立場の人間がいて、「教える」「学ぶ」という行為、現象がある程度効率的に成立するためには、教員の指示を子どもが素直に聞くことが必要で、それを支えるルールとして「先生は偉い(から敬意を払い、指示には遵う)」ということが必要だということ。

つまり、原則は否定されず尊重されるべきだが、その上で、ある場面、ある組織、ある場では、表面上は原則に反するような役割やルールが必要となることがある。
このような場面は、世の中いたるところにある。

遊園地の伸長制限だってそうだ。
ジェットコースターに乗るには身長制限がある。
それは乗り物に乗る人の安全確保のためだ。
もし、この制限を設けずに事故が起きたら、どんな理由があろうと施設側の責任が問われる。
そんな時に、大人は乗れるのに、子供だけのせないのは不公平だ、差別だ。
乗せるのが当然だと言って、そのことが通るだろうか。

会社には、様々な社内ルールがある。
それは世間から見れば、厳しい、不公平なことかもしれないが、利益追求や社会貢献といった企業における社会理念を実現するためには必要なルールなのだ。
にも関わらず、社内のルールは問題にされずに、学校のルールだけがおかしいとやりだまにあがる。

子どもたちを安全に管理し、どの子にもきちんと初等教育を受けさせ、義務教育における学力を身に着けさせることが学校の使命であり、役割なのだ。
そのためには、個人の自由は制限されるし、家では許される自由も学校では許されないこともたくさんある。
意味のある統一もあるし、余計なことに気をとられないようにする細かい決まりもある。
なぜなら、その学校独自のルールが守られなければ、学校教育の目的が達成されないからだ。

なのに、なぜか学校だけは、このことが容易に許容されない。
もう少し冷静に世の中の平和は何によって保たれているのかを考えてほしいと願うのは自分だけだろうか。
今学校が抱えている問題の根本原因はこんなところにもある。

saitani


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風向きは変えること出来ないけれど…

2024年09月27日 05時08分29秒 | 人生論
あのね長い人生、上手く行かない事の方が多いし、
立ち直れないほど打ちのめされる事も何度もある。
けどね、こんな素敵な言葉があるの。

「風向きを変えることは出来ないけど、帆を自分で調整する事は出来る」

いつどんなことが起きても常に、起こった出来事がその人の人生を分けるんじゃなくて、
起こった出来事を「どう解釈するか」がその人の人生を分けるのよ。

だから、忘れないでほしい事はね、
怒られた時は「教えてくれた」と受け取り、
ストレスを感じた時は「成長のチャンス」と思い、
悩みが続く時は「転機が近い」と考え、
出口が見つからない時は「さっさと寝る」、
最終的に「命まで取られない」、
と開き直ればいいの。

だから、吹いてきた風に逆らわず、帆を調整できる心を持ちなさい。
それができれば、世界は美しいものになり、人生はきっと、あなた自身のものになるはずだから。

saitani

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年生 国語科 「うみのかくれんぼ」 全発問・全指示

2024年09月26日 05時59分43秒 | 国語科
1年生 国語科 「うみのかくれんぼ」

1 通読する。
 「先生が一度読みます。
  かくれんぼしている生き物は何かを考えながら聞きます。」

2 音読する。
 「追い読みをします。
  先生に続いて同じ所を読みます。」
 「全員起立。
 一度読んだら、座って黙読します。」

3 指示
  文に番号をふらせる。
 「まる読みをしながら文に番号をふります。
  最初の部分だけを先生が読むのでみんなは番号を書きます。
  では、鉛筆をもって始めます。」
  ・「うみには、いきものが……①
  ・なにが、どのように……②
  ・はまぐりが……③
  ・はまぐりは、大きくて……④
 ※⑪まで文頭に番号をふらせる。」

4 発問
 「説明文には、読み手に聞いている『問いの文』があります。
  何番が『問いの文』ですか?」
 ・②番「なにが、どのようにかくれているのでしょうか。」

5 発問 
 「なぜ②番が問いの文だと分かりますか?」
 ・「いるのでしょうか」と読み手に聞いているから。
 ・疑問の助詞「か」があるから。

6 説明
 「そうですね。
  問いの文には、疑問の助詞『か』がついています。
  でもかならずついているとは限りません。
  『〜でしょう。』と聞いている場合もあります。
  『か』も『〜でしょう。』もついていなくても、内容が読み手に問いかけている文は『問いの文』です。
  その場合は、自分で『〜でしょうか』という言い方に直してみることもすごく勉強になります。」
 
7-1 発問・指示
 「②の問いの文を読みます。
  『なにが、どのようにくれているでしょうか。』
  そうですね。
この文ではいくつのことを聞いていますか?

  ・二つのことです。

※ここで意見が分かれたときには、数が多い立場の子から発表させる。
 三つの立場がいたら、三つを板書する。
 ①なにが
 ②どのように
 ③かくれているのでしょうか。

修正発問①
「かくれているのでしょうか。」の言葉について、どんな質問をしていますか。
と聞いた方が、「なにが」「どのように」に着目できるかもしれない。

修正発問②
例を出す。

例文 たろうさんは、とうきょうへ いきました。

この例文が答えになるような質問を考えてみましょう。
①「だれが」、とうきょうへいきましたか。
②たろうさんは、「どこへ」いきましたか。

二つの質問ができました。
ということはこの文では二つの質問ができました。
これは、一度で聞くとどうなりますか。
「だれが、どこへ、いきましたか?」
となります。

この練習をした後に上記の発問をした方が理解がしやすいかもしれない。

7-2  発問・指示
 「そうですね。
  この文では2つのことを聞いています。
  その2つの言葉をまるで囲みなさい。
  どの言葉を囲みましたか。
  発表します。」
  ・なにが…まるで囲む
  ・どのように…まるで囲む
 
8 説明・発問
 「この問いの文では、『なにが』『どのように』隠れているのかを聞いています。
  ということは、答えの文には、この2つのことが書かれているはずです。
  答えの文はどれですか。
  一つ見つかったら発表します。」
 ・③「はまぐりが、すなのなかにかくれています。」です。

9 発問
 「『はまぐりが、すなのなかにかくれています。』
  この文は、さっきの『なにが』『どのように』という2つの問いに答えていますか。
  ちゃんと2つのことに答えているという人はパー、いや、答えていないと考えるひとはグーをあげます。
  さんはい。」
 ・パー…少数
 ・グー…多数

10 指示
 「グー、ちゃんと答えていないと考えた人は起立。
  なぜ、答えていないと考えたのか、理由を発表します。」
 ・「はまぐりが」でなにが隠れているかは答えているけど、「どのように」が書かれていない。

11 発問
 「『はまぐりが、すなのなかにかくれています。』という③の文には「なにが」ということと、あとひとつどんなことが書かれていますか。」
 ・はまぐりが隠れている「場所」が書かれている。

12 発問
 「では、問の文の2つ目の質問、はまぐりがどのように隠れるのかが書いてある文は何番ですか。」
 ・⑤です。
 ・④です。←これは、どのようにではなく、はまぐりの体の特徴なので違う。

13 指示
 「ノートを開きます。
  ノートに次のように書きます」
 ※ノートがない場合は、プリントを用意する。

 🔶1 なにが       2 ばしょ      3 からだのとくちょう   🔶4 どのように          
                            とくいなこと

    はまぐり        すなのなか       大きくてつよいあし    すなのなかにあしをのばして、すばやくもぐってかくれます

※ ここから下はあとの指示発問のあとに書かせる。

    たこ          うみのそこ       からだのいろをかえる まわりとおなじいろになって、じぶんのからだをかくします

    かに(もくずしょい)  いわのちかく      はさみでかいそうなどを  かいそうなどをからだにつけて、かいそうにへんしんするのです
                            小さくきる

14 発問 
 「この文章の題は『うみのかくれんぼ』です。
  この文章には何種類の海の生き物でてきますか。」
 ・3種類

15-1 発問
 「3種類とは、詳しく言うと何ですか。」
 ・はまぐり たこ かに(もくずしょい) です。

15-2 発問
 「かには、『かに』と書いた方がいいですか。
  『もくずしょい』と書いた方がいいですか。」
 ・詳しいからもくずしょいの方がいい。
 ・「かにのなかまの」と書いてあるのでかに方がよい。

15-3 発問
「かにのなかまのもくずしょい」と書かれていますね。
では、あと「はまぐり」と「たこ」も同じ形に直してみます。
「〇〇のなかまの〇〇」と書き直します。

 ・かにのなかまのもくずしょい
 ・〇〇のなかまのはまぐり……〇〇には何が入る
  →かいのなかまのはまぐり
 ・たこのなかまの〇〇〇〇……〇〇〇には何が入る
  →たこのなかまのわもんだこ
  ※めんだこ・まだこ・みずだこ・いいだこ

15-4 説明
 このように言葉には、まとめる言葉とくわしくする言葉があります。
 これをきちんと分けて考えると正確に言葉を使えるようになります。
 ということは「はまぐり」は詳しくする言葉で「たこ」は、まとめる言葉なので、まざっているので、かにでももくずしょいでもいいということになります。

16 指示 
 「表のはまぐりのとなりに、たこ、かに(もくずしょい)と書きます。
  それぞれの、いきものの、『ばしょ・体のとくちょう(とくいなこと)・どのようにかくれるのか』を表に書きます。
  できたら、先生に見せに来なさい。」
  ※できたらもってこさせて、早く出来た子に黒板に分担して書かせる。
   わからない子は写させる。

17 指示
 「となりどうし、きちんと書けていることを確認しなさい。」

18 発問 
 「この説明文の題は「うみのかくれんぼ」です。
   出てくる、はまぐり、たこ、かに(もくずしょい)の3つの生きの物の中で一番かくれんぼが上手な生き物はどれだと思いますか。
   また、そう思った理由は何ですか。」

   ①はまぐり派
    ・砂の中に隠れるので、まったく外からは見えなくなるから。
    ・たこやかには、まわりにまぎれてはいるけど、みえるところにいるから。
    ・かには海藻をつかうけど、はまぐりとたこは、自分の力で隠れることができるから。
    ・砂の中に隠れるはまぐりが、隠れるスピードが一番速いから。

   ②たこ派
    ・まわりがどんなふうでも、その場にあわせてからだの色をかえて隠れるから。
    ・はまぐりは砂浜でないと隠れられないし、かには海藻がある場所じゃないと隠れられないから。
    ・たこは海のどんな場所でもかくれんぼができるから。

   ③かに(もくずしょい)派
    ・かには海藻を使うので、海の中にあるものをうまく利用しているのはもくずしょいだけだから。
    ・

19 発問 
 「自分が考えた海の生き物のほうがかくれんぼが上手だと言いたい人はいますか。」

   ・私は、はまぐりだと思う。なぜなら、自分の得意なことをうまくつかって、砂にもぐるなんてはまぐりにしかできないから。
   ・ぼくは絶対、たこだと思う。だって、自分の体の色を変えられるのはたこだけだから。
   ・私は、かにだと思う。海藻を小さくきって、身につけるなんてすごいおしゃれだと思うから。
    こんなおしゃれな隠れ方をするのはもくずしょいだけ。

   ※ここはどの生き物が一番隠れ方が上手かは、読み手がどの点に注目するかによって違ってくる。
    主観が大きく影響するので、それぞれの考えが根拠をもって主張できればよい。
   
20 説明 
 「ふつうは、問いの文に対する答えの文は一つにまとめられています。
  でもこの『うみのかくれんぼ』は問いの文に答えが2つの文に別れています。
  例えば、『なにが、どのようにかくれているのでしょうか。』に対する答えの文は次のようになります。
  
   はまぐり…③+⑤
   たこ  …⑥+⑧
   かに  …⑨+⑪
 
  こんなふうになっています。」

21 発問
 「問いの文にきちんと答えている一文をみんなでつくります。
  『なにが』にあたることばなににしますか。」
 ・「うみのいきもので」まとめる。
 ・それでもいいけど、ここは3種類だから、こまかく、はまぐり・たこ・かに(もくずしょい)にする。

22 説明
 「ここは具体的に言ったほうが、わかりやすいので具体的に三種類をいうことにします。」

23 発問
 「『どのように』はどのようにまとめますか。
  表の3と4をまとめることになります。」
 ・3は「からだのとくちょうととくいなこと」でいい。
 ・4はすごく長いので難しい。
 ・とても上手に隠れているので「上手に隠れています」でまとめてもいいと思う。

24 発問
 「では、『はまぐり・たこ・かに(もくずしょい)』と『からだのとくちょうやとくいなこと』と『じょうずにかくれています』の3つをつかって、
  一つの文にまとめます。
  ノートにかけたら先生に見せます。」
 ※出来た子は、黒板に書かせる。
  書けない子は写す。
 
 ・はまぐり、たこ、かに(もくずしょい)は、からだのとくちょうやとくいなことをいかして、うみの中で上手にかくれているのです。

25 説明
 「このような説明文では、ほんとうはこのように答えの一文が文章の最後に来る必要があります。
  しっかし覚えておきます。」

26 説明・指示
 「みなさんはかくれんぼは好きですよね。
  では、みなさんが、海の生き物のように見つからないように上手にかくれんぼをするとしたらどんなふうにしますか。
  勉強したことをもとに考えてみます。

  ①わたしは(ぼくは)、(◯◯◯◯)にかくれています。
  ②わたしは(ぼくは)、(◯◯〇〇)がとくい(とくちょう)です。
  ③だから、(◯◯◯◯)に(◯◯◯◯)してかくれます。

  この形をもとにしてつくってみましょう。」

27 指示
 「できたら先生に見せます。
  ◯をもらった子は、黒板に書きます。(発表します)」
 
 (1)ぼくは、森の中にかくれています。
    ぼくは、落ち葉がすきでよく遊んでいます。
    だから、落ち葉をたくさんあつめて、森の中で落ち葉のなかにうずもれて隠れます。

 (2)私は、海の中にかくれています。
    私は、泳ぎがとくいなので、遠くまでおよぐことができます。
    だから、沖にある岩場のほうまで泳いでみつからないように隠れます。

 (3)ぼくは、校庭にかくれています。
    ぼくは、木登りがとくいなので高いところまでいけます。
    だから、高い木の上に上り、みつからないように隠れます。

 (4)私は、花畑にかくれています。
    私は、花の模様についた服が大好きでたくさんもっています。
    だから、ひまわりの花模様の服をきてひまわり畑に隠れます。

 (5)ぼくは、家の中にかくれています。
    ぼくは、ドラえもんが好きでよく押入れの中でのんびりしています。
    だから、押し入れのふとんの中でのんびり、みつからないように隠れます。
    

   ※具体的に他の生物をインターネットや本で調べさせることもできる。
    その実践にも意味はある。
    時数の関係や言語の学習である国語の本来の目的からすると調べ学習ができないことも考えられる。
    また、このような正確な読み取りをもとに型を理解して、準備のいらない活動をさせることがふさわしいのかもしれない。
    ユニークな子供の発想で笑いがおきることを期待する。

saitani





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間の本質

2024年09月25日 05時17分27秒 | 人生論
人の本質は言葉ではなく、行動で理解できる。
言葉でどんなに繕っても、行動で綻びをみせる。

1 何も言うかで知性がわかり
  何も言わないかで品格がわかり
  何を与えたかで人となりがわかる。

2 何を考えるかで未来がわかり
  何を信じるかで道が決まる

3 どんなときに笑うかで
  その人の幸せがわかり、
  どんなときに怒るかで
  その人の価値観がわかる

4 誰と過ごすかで
  その人の未来がわかり
  誰に感謝するかで
  その人の心がわかる

5 何を学ぶかで
  その人の成長がわかり、
  何を教えるかで
  その人の影響力がわかる

6 何に耐えるかで
  その人の強さがわかり
  何を許すかで
  その人の大きさがわかる

7 何に時間をつかうかで
  その人の優先順位がわかり
  何を諦めないかで
  その人の覚悟がわかる

8 何を守るかで
  その人の信念がわかり
  何を手放すかで
  その人の成長がわかる

9 何に感動するかで
  その人の感性がわかり
  何を大切にするかで
  その人の価値観がわかる

10 誰を信頼するかで
  その人の人間関係がわかり
  誰に頼るかで
  その人の謙虚がわかる

11 何をおそれるかで
  その人の弱さがわかり
  何を挑戦するかで
  その人の勇気がわかる

12 どんな夢を持つかで
  その人の希望がわかり
  どんな行動をするかで
  その人の真実がわかる

saitani


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1学期 83日間のできごと 討論

2024年09月24日 05時31分39秒 | 国語科
1993年7月21日 6年1組学級通信より。

昨日の朝、朝の打ち合わせが終わり、印刷物があったので少し教室へ遅れて行った。
いつならざわざわしているところだが、そのときは違っていた。
子どもたちは討論をしていた。
私が教室に入ってきたことも気づかないくらい集中していた。
まあ、無視をされていたということも言えるが。
私は教室の隅で、黙ってしばらく子どもたちの討論に耳を傾けていた。

それは国語の教科書教材である「ロシアパン」に関する討論だった。
挿絵が、本文と合致するかしないかということが論点になっていた。
「果物を子どもたちにあげた」と本文ではなっているのに、挿絵では母親同士が手渡している。
これが矛盾しているのではないかという主張である。
両派の言い分は、それなりに妥当性があり、決着がつかない。
でも、はっきりしたいと主張する子もいた。

私は素晴らしいと思った。
見方によっては屁理屈つけていると考える人もいるかもしれない。
しかし、この疑問は国語教育の根幹に関わる重要なことだと思ったからだ。
国語は言葉の教育である。
したがって言葉から離れてしまったら国語教育の目標から逸脱する。
しかし、彼らは本文を詳細に検討して、読解した。
全体の脈略もきちんと踏まえて読むこともできていた。
何より、誰に指示されることもなく、チャイムと同時に子どもたちだけで学習を進めていた。
子どもたちには確認しなかった、学習部が中心となってテーマを決めたのだと推測した。

また、昨年の3年生の担任をしたときにも同様のことがあった。
ある子が突然、「百羽のつる」の挿絵が間違っているというのである。
私が意識的に投げかけたわけでもないのに突然である。
本文中には、「空の彼方へ消えていきました。」とあるのに、つるたちのすぐ下に目指す湖が描かれている。
この場面では、湖は見えない位置になければおかしいとその子は言った。
他の子どもたちも、その子の意見はもっともだと感心した。

前回同様、今回も非常に嬉しかった。
こだわりをもってくれたからだ。
勉強にこだわりをもつことは成長にとっては大切な要素になる。
こだわりをもつからこそ疑問も生まれる。
そして、そのこだわりをクラスの子供たちに広げてくれた。
一部の子どもたちだけかもしれないが。
そのことが私にとっては、この上なく嬉しかった。
こんなところにも意味のある83日間を過ごした1組の子どもたちの成長が見られる。

saitani



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一寸法師の秘密 その2

2024年09月23日 05時15分26秒 | 社会科
一寸法師が都へ行く絵を示しながら次のようにきいた。

「一寸法師はどんな願いをもって都へ上ったのですか?」

・金儲けができる(経済力)
・何かができる
・大きくなる
・強くなりたい(武力)
・高い地位(地位)

一寸法師のお話も絵本によって、また、地方によってもストーリーが微妙に違っている。
しかし、多くの本に共通しているのは「川を行く」「川を下る」とは書いておらず、「川をのぼっていく」と書かれていることである。
だから、絵ではわざと川の流れがわからないようにしてある。

三番目の絵「鬼退治」を示しながら、
「都へいった法師は、鬼退治をしました。
 これは何を表しているでしょうか。」

・勇気があればなんでもできる
・宝をとる
・強いものを倒す
・世の中を平和にする
・悪人をやっつける

このあたりから織田信長や豊臣秀吉の名前が出てきた。
似ているというのだ。
そして、下剋上といった、言葉も知識としては知っているので黒板に書いた。

「最後に、姫を嫁にしました。
 これはどんなことを表しているでしょうか。」

・大名を倒して土地をとる
・貧乏か幸せになる
・大金持ちになる
・みんなが幸せになる
・身分が高くなる
・夢の実現
・天下統一

最後に次のように尋ねた。

「この一寸法師の願いは、どんな人達のねがいだろうか。」

・身分の低い人の願い
・農民
・争いを終わらせたい人
・悪い人

この授業を戦国時代のきっかけとして学習を展開していった。
子どもたちは象徴的に一寸法師のストーリーを捉えて興味関心を持続しながら追求を行ったいった。
やはり有田実践は飛び抜けて優れている。
このレベルの授業をその後もあまりみることはなかった。

saitani

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一寸法師の秘密 1

2024年09月22日 05時28分24秒 | 社会科
授業の名人と言われる先生がいらしゃる。
その先生の授業を目の当たりにして衝撃を受ける。
授業をつくる教材研究の仕方から、子どもたちの鍛え方、それは自分の想像以上の現実だった。
その一人が有田和正先生だった。
新採の頃、筑波大学附属小学校の研究発表会に参加させていただいた。
事前に有田先生の著書は何冊も読んでいたので、多少の知識やイメージはあったが、実際の授業はどうなのだろうと胸躍る気持ちで茗荷谷に駅におりた。
筑波の研究発表会には全国から先生方が参観に訪れる。
したがって通常の教室では参観者が入りきれない。
その日も、体育館のステージの上に机と椅子を並べて授業を行った。
付属の子たちなのだから当たり前なのかもしれないが、まったく普段と異なる環境においても臆することなく授業に集中する姿はすごいと思った。

そんな有田先生の有名な実践に「一寸法師」の授業がある。
その追試の記録である。

以下、学級通信より。

1学期の社会科は歴史を学習した。
内容は天下統一である。
戦国時代に入るところで「一寸法師」の授業をした。
なで、ここで一寸法師なのか。
象像できるだろうか。
この授業を発端として、追求が始まってほしいと願って行ったものである。

まず始めに、「一寸法師」の歌を聞かせた。
突然、小さな子どもたちが聞くような曲がかかったので子どもたちはびっくりしていた。
曲が終わり、次のように言った。

「今日は、一寸法師の勉強をします。
 あらすじを話しなさい。」

知っている子が半分。
知らないという子もいた。
全員に簡単なストーリーはおさえてほしいので、絵本の読み聞かせをした。

「今の話を大きく分けると4つの場面になります。
 どんな順序に並べたらよいでしょう。」

私が3日がかりで描いたへたな絵4枚を黒板に貼った。
いつも思うのだが、「もうちょっと上手に絵が書けるようになりたい」。
子どもたちの意見を聞きながら、4枚の絵の順序をそろえて並び替えた。

①小さな体
②都へ行く
③鬼退治
④姫をめとる

「一寸というのは約3cmです。
 こんな小さな人間がいるでしょう。
 いませんね。
 すると「小さい」ということは、どんなことを表しているのでしょう。」

ノートに考えを書かせ、発表させた。
私としては、「貧しい」「身分が低い」「力が弱い」というイメージをいだくだろうと予想した。
しかし、子どもたちは、どちらかというと「かわいい」「すばしっこい」といった、人形的、また、小動物的なイメージをもった。
私の質問が悪かった。
もう少し、戦国の世を意識させないと最初のような考えはなかなか出てこない。
修正するとすると、セオリー的には、制限か限定になる。
例えば、次のように問う。

「小さいの対義語は何ですか。」
・大きい
・偉大
・巨大

「小さい⇔大きいのイメージで聞きます。
 力に関して、このイメージだとどうなりますか。」
・力がない⇔力が大きい
・弱虫⇔強い力

「権力に関してはどうですか。」
・権力をもっていない⇔大きな権力をもつ

「身分についてはどうですか。」
・身分が低い⇔身分が高い

「経済的にはどうですか。」
・貧乏⇔お金持ち

こんな風に出てきたかも知れない。

saitani

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

君子の交わりは淡きこと水のごとし

2024年09月21日 05時13分05秒 | 人生論
「君子の交わりは淡き水のごとし」莊子
これには次のような言葉が続く。
「小人の交わりは甘きこと醴(れい)の如し」

年ともに人との付き合い方も変化する。
若い頃は多くの人と付き合う必要があった。
それは仕事上であったり、人間的な付き合いの関係であったり、それは必要であると感じていた。
仕事柄、多くの子供達を担任し、その数は減ることはなく、増える一方だった。
もちろんそれは嬉しいことでもあるし、今でも連絡をくれる子どもたちもいる。

多くの人と付き合うことは、それは多くのストレスや悩みを抱えることでもあった。
どうも性格的にあわなったり、いわれのないことで言いがかりをつけてくる人もいる。
そんな人とも立場上、付き合う必要があったし、それも喧嘩することなく、上手に対応することも求められた。
そこでは自分を殺し、相手のあわせ、したくもないこともたくさんしてきた。
しかし、仕事上の一線を退き、比較的時間も人間関係も自分の自由に使える年代になった。
だからといって、悠々自適に好きなことだけをして生きていこうとも思わない。
人間多少の忙しさや社会とのつながりをもって生きていくほうが健康的だと考えているからだ。
まったく隠居生活みたいのことも生き方としてはつまらない。

人間関係はあまり深煎りせず、水のようにあっさりと付き合うことがお互いのためにはよいと最近はしみじみ思う。
この箴言にある「醴」とは、甘酒のように甘くてべたべたしていることを言う。
つまらない人間関係はべたべたしていて一時的に深い交流のように見えても、長続きしない。
発展性や創造性がないからだ。
長く続く交わりにはある種の余韻がある。
なんとも微妙な言い回しだが、心地よい軽快さがある。

淡い交わりのことを淡交というらしい。
淡交とは、何事にも執着せず、感情に流されず、平常心の交わりを意味する。
こんな生き方が理想だ。

幕末の偉人に山岡鉄舟という人物がいる。
西郷隆盛や勝海舟ほど有名ではないが、素晴らしい人物である。
江戸城の無血開城も、西郷とこの山岡の事前調整があったから成立したことはあまり知られていないが。
この山岡鉄舟は多くの弟子を育てが、つねに淡交を保ったという。
人との付き合いは六割主義でいい。
裏切られたとか失望は相手に期待したり、見返りをもとめると湧いてくる感情だ。
だから、六割主義なら裏切っただの裏切られたという感情はわいてこない。

自分は、淡交を心がけたい。

saitani



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする