下町育ちのチャキチャキの江戸っ子。
その私を、ブログ仲間のZさんは、「下町のお嬢さん」と呼んでくださった。
嬉しいけれど、恐れ多き言葉だ。
ネットの良さでもあるのだろうが、実際にお会いしたら、どれだけ、がっかりなさるだろうに…。😢
昭和24年、戦後のモノのない時代に、小学校に入学した。
私の育った蔵前は、玩具の問屋街として有名なところ。
今、世界に名前が轟いている玩具メーカーの前身の会社のお嬢様(こちらは正真正銘のお嬢様)もクラスメイトだ。
ノート制作で有名なメーカーのお嬢様も仲良し仲間。
子供だったから、そんなこと知る由もなかったが、お金持ちのお嬢様は、その他にも、クラスに数人いた。
私の実家は、非鉄金属地金商。
昭和25年の朝鮮動乱の時期には、軍需景気とかで、信じられないほどのお金が舞ったそうだ。
零細企業だった父の店も、恩恵を被り、商売は順調に行ったそうな。
言われてみれば、私は、子供のころから今日まで、食べ物に困る…と言う生活は一度も無かった。
働き者の両親のおかげだと、いつも感謝している。
大勢のお店の人や、ねえやに囲まれ、呑気に暮らしていた。
今、子供の頃のツケが婆になって回ってきたのだろう…。
少ない年金で、毎月、ひーひー言ってるから。
三つ子の魂…と言われるが、この年になっても、まだ、子供の頃の癖が治らず、息子に叱られる。( ´艸`)
私の目には、両親は、働き者として映っていたが、息子たちの目には、私たち夫婦は、どう映っているだろう…。
怠惰な、どうしようもない親に映っているだろうな…と、ちょっぴり自己反省。
(⌒▽⌒)アハハ!🌞
翌日には忘れるけどね!😊