死んでまた新たな肉体に生まれ変わる-輪廻転生-という観念の起源は古く,少なく見積もっても2500年はさかのぼることができるということです。
輪廻転生 - 死んでまた新たな肉体に生まれ変わる - という観念の起源は古く,少なく見積もっても2500年はさかのぼることができます。古代より一度も途切れることなく、再生の観念はつねに人類とともにありました。(出典:輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語 (竹倉史人著・講談社現代新書)。
池口恵観氏の著書 『なぜ今、池口恵観なのか』でも,「輪廻」についてふれられています。輪廻については,池口氏は次のように記しています。
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┗■ 輪廻 (『なぜ今、池口恵観なのか』p190~p194)
仏教には輪廻という思想があります。生きとし生けるものは、時代を超越して生まれ変わり、死に変わる。生まれたからといって、無限に生きるわけではないが、死んだからといって永劫に死んだままでいることはない。過去・現在・未来と時間を超越して廻りめぐって生命は存在し続ける。これが輪廻の思想です。時間もなければ、距離もない、そういう世界を生命は廻りめぐっているのです。
現代科学は、これを遺伝子という日にも見えない微少な物質として説明しますが、実際には物質というのは偶然に存在するものではない、というのが密教の教えです。どんなに小さなモノであっても、存在する意味がある。それを説いているのが密教だといえます。
大日如来という仏様がおられます。このみ仏を中心に拝むのが真言密教です。この仏様は、この私たちの住んでいる世界、太陽や星や月の浮かんでいる宇宙、その宇宙が幾百、幾千、幾万もの世界をつくっていますけれども、そういう宇宙をつくられた創造主で、その宇宙そのものが大日如来という仏様です。神々しい、本当にご立派な仏様の中の仏様といったお姿をしておられますが、実際には無限の空間から無限の物質まで、すべて大日如来ご自身の分身ですから、あまねく大日如来のおわさぬところはないという仏様です。
私たちの肉体もこの大日如来のおつくりになられたものですが、同時に大日如来そのものでもあります。人間の姿を想像するとなかなか理解できませんが、あらゆるものが大日如来の体の一部を使ってつくられた、いわば私ども人間は分身とも言うべき存在です。
話は、少々ややこしくなりますが、簡単に申しますと、夫婦が夜の営みをすると子供ができます。いかに人間が賢くなったといっても、生命を化学物質でつくり出すことはできません。皆さん方はどなたでも、その肉体の中に分身をつくる能力をもって生まれておられます。男も女も、また虫やケモノも、みんなこうして分身が分身を生み出す。
これがすべての生命は大日如来の分身だという証拠なのです。大地は草木を育て、その草木の実を食べまして、私たちの生命が維持されます。そういう私たちも、死ねば大地に戻り、草木を育てる養分となります。動物も植物も石や岩も、そういう繰り返しの中に生きています。これを輪廻と呼ぶのです。 以下(略)
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東京大学医学部教授 矢作直樹氏は,著書 『人は死なない』 で日本人の死生観について,次のように記している。
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┗■ 日本人の死生観 『人は死なない』 p58~p59 矢作直樹著
東京大学医学部教授/ 同大学医学部附属病院救急部集中治療部長
ここで、日本人古来の死生観について、少し述べておきます。
敗色濃厚となった昭和二〇年春、戦死した多くの若者の霊の行方を想い、連日の空襲警報のさなかに執筆された柳田国男の『先祖の話』には、死後の世界を身近に捉えていた日本人の姿が描かれています。その中で柳田は、日本人が「他界」を身近に捉えていた四つの理由をあげています。
①霊は身近に留まって遠くにはいかないと思われていた。
②顕幽二界の交通が頻繁で、どちらかの意により招き招かれるのに困難はないと思われていた。
③他界するときの念願が,死後に達成されると思っていた。
④そのために転生して自分の願望を続けようと思った者が多かった。
この本の中の「帰る山」には、日本各地で、霊が生前の生活を営んだ故郷や子孫の生活を見守ことができる近くの見晴らしのよい山にとどまり、祭りのたびに里や川辺に迎えられた様子が述べられています。
また、いわゆる「生まれ替わり」信仰では、神として浄化される前の霊が別の肉体に宿りこの世に転生するとされ、日本人はこの「転生」を深く信じていたということが詳細に述べられています。
柳田と並ぶ著名な民族学者である五来重は、日本各地における古代からの伝習や葬儀を詳細に実地検分し、「古来、日本人は山や海の彼方に死後の世界を想定し、古代神話ではこれを常世(とこよ)と呼んでいた。そして仏教渡来以後、来世で地獄におちないために罪滅ぼしとして寺の建築や仏像の建立、巡礼や遍路、そして追善、供養など様々な社会奉仕を行った」と述べています。
また、「他界して間もない(四十九日くらいまで)新霊は、崇る性質があり、これを荒魂(あらみたま)といい、葬儀により鎮魂をすることで、罪と穢れが清まるにつれて慈しみが前面に出た和魂(にぎみたま)になっていくと考えられた。
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|||矢作直樹 東京大学医学部教授/ 同大学医学部附属病院救急部集中治療部長
◆人は,必ずこの世を去る。
人は,必ずこの世を去る。考えてみれば当たり前のことなのですが,医師がどんなに手を尽くしても,人の寿命を覆すことは絶対にできません。しかし,この厳然とした「真理」を我々はとかく忘れがちなのではないでしょうか。
肉体は消滅しても人の魂は存在する,大切な人との別れは一時的なもの,他界した人はどこかで自分を見守ってくれている。いつの日か再会できると考えれば,死別の意味も変わってくる。悲しみに向き合って生きて行くことができる。
そして,摂理,霊魂の永遠に思いを重ねつつ今に没頭すれば,肉体の死を恐れることなく,勇気を持って生きて行ける。と・・・・・。
||| 『人は死なない』 矢作直樹著
東京大学医学部教授/
同大学医学部附属病院救急部集中治療部長
臨床医として人の生と死に間近に接し,医学の常識では説明が付かない数多くの経験からの書。霊魂や神が存在するか否かではなく,著者の霊性体験を冷静に分析している。
肉体は消滅しても人の魂は存在する。大切な人との別れは一時的なもの,他界した人はどこかで自分を見守ってくれている。いつの日か再会できると考えれば,死別の意味も変わってくる。悲しみに向き合って生きて行くことができる。
そして,摂理,霊魂の永遠に思いを重ねつつ今に没頭すれば,肉体の死を恐れることなく,勇気を持って生きて行けると・・・・・。
人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索- | |
著者 矢作直樹:東京大学医学部教授/ |
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「神は在るか,魂魄は在るか・・・」 現役のER医師である著者が,生と死が行き 刊:バジリコ |
輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語 (講談社現代新書) | |
輪廻転生, それは生きる力を 与えてくれる観念 |
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講談社刊 760円(税別) ・竹倉史人著 |
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僕はそれでも生き抜いた | |
ジェットコースターのような半生と春山哲学 が綴られている。 |
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実業之日本社 |
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