「人生100年時代」の到来。人が100年も健康に生きる時代の到来で,これまでの80歳程度という平均寿命を前提に考えられてきた人生ステージ,ライフコースの概念が通じない時ともなりました。
文学の世界が正にそれを示しています。岸惠子さんが82歳の時,書き上げた長編小説,ラブストリーが「わりなき恋」。瀬戸内寂聴さんの「いのち」は,ガンの摘出手術,それに続く心臓手術と長い入院生活に耐え,95歳の時に書き上げた濃厚な長編私小説です。死を覚悟しての無我の境地,それには矛盾する「生」へのこだわりをいつわりなく綴っているところに,寂聴さんの心情(人間らしさ)がにじみ出ていると思うのです。
いのち 9ページ~10ページ 〝宇野千代さんが94歳の時に書いた短編傑作のこと"
凄い! と思ったその時の感動が突如、生々しくよみがえっていた。口うるさいマスコミにも気づかれず、ガンを退治したあと、宇野(千代)さんは九十八歳まで美しいまま生きのびておられた。ただ作品は、九十四歳の時、「或る小石の話」という短篇の傑作を書かれたのが最後で、あとはこれという作品はなかったのではないだろうか。
「或る小石の話」は、宇野さんらしき老女が子供のような年齢の男と気を許しあうつきあいになり、外国への旅行がちな仕事の男が、旅から帰る度、訪れて、旅の話をしてくれ、ささやかな旅先の土産を持ってくる。最近の土産は、カナダの何とか島の鯨が体をこすりつける海辺の小石のいくつかで、それは鯨にこすられてまろやかになり、味わいが出てきた。老女性作家は早速、朱色の朱珍という布の上に小石を大切そうに載せて、身辺近くに置き、愉しんでいる。小石は朱珍の上でいかにも気持よさそうに見えた。二人は当然プラトニックな間柄だった。
その男がある夜、老女の寝室に入ってくる。宇野さんのペンは、そこで二人が、裸のまま、「股を合わせた」 と書き、いつまでも股を合わせたままで、その短篇は終っていた。私は数多い宇野さんの傑作の中でも、その作品に最も感動した。男が「這入っても好いですか」と襖の外から挨拶して女の寝室に入って来るところからは、明らかに老女の夢である。もちろん夢という文字はどこにもなかった。
私は、これくらいの作品が書けるまでは、死にたくないなと思っていた。心底からそう思い、読後の興奮で胸がしばらく高鳴っていた。
私は今、すでに九十二歳になっている。数え年なら九十三歳だ。宇野さんの小説の老女はおそらく、数え年だっただろう。宇野さんも、数え年に馴染んでいた筈である。私は自分の年齢をつくづくふり返った。三十代の初めからペン一本で六十年以上も書きつづけてきて、まだ私は死ねないと思った。それを越す小説は書けていない。
いのち 252ページ~253ページ "最後のページでの独白"
この五月十五日で、私はついに満九十五歳になってしまった。九十一歳から、毎年のように、躰のどこかが悪くなるのは、長生(ながいき)の罰だと思っていた。長生など、私の願望のどこにもなかった。
二十代からずっと書くだけで食べてきたので、七十年も作家だけの生活がつづいている。親しくしてくれた作家たちも、殆んど死亡してしまった。今、人気を得ている女流作家たちは、私の娘か孫のような人が多い。
本は四百冊ばかり書いたものの、ベストセラーなど出たこともない。こつこつ書きつづけて、つい、三年ほど前までは、徹夜を二晩つづけても平気だった。人より早く歩くのが自慢だった健脚も、今はすっかりたどたどしくなり、車椅子を使っても当然と見られるようになってしまった。私には利雄さんはいない。これから、ひとり仲間から取り残されて、私はどんな晩年に臨むというのか。
マスコミの人がしらべてくれたら、二十年前、八十万枚書いていたという。今では二百万枚書いているかもしれない。背骨がまるくなり、目も片目しか見えなくなり、ペンを持つ指の骨も曲ってしまった。
この連載も入院が多く、はじめて何度も休載した。これまで七十年間に一度だって休載なんかしたことはなかったのに。
もう大きな恥をかかないように、自分から筆を断つのがかっこいいのではないかと思いながら、未練らしくまだ書いている自分がわからない。
この世で小説家仲間として最も親しかった河野多恵子と、大庭みな子が、私を残してあの世に去ってしまったことの悲痛さがひしひしと身に沁みる。
早く私もあちらへ行き、三人で一晩中喋り明かしたいものだ。
もしかしたら、この連載の最後の回は、書けずに未完に終るのではないかと、ひそかに案じていたのに、どうにか最後まで書きあげた。
七十年、小説一筋に生き通したわがいのちを、今更ながら、つくづくいとしいと思う。あの世から生れ変っても、私はまた小説家でありたい。それも女の。
女の小説家として生きる
よくセックスを書く女って言われましたけど,そうじゃない。私は人間を書いているんです。だから,私が書くものはみんなが持っていることで,特別なものじゃない。その特別なものじゃない人間が一人ひとり面白いんですよね。だからやっぱり小説は書くのが楽しい,面白い。
私の書いた小説は映画にも芝居にもとてもなりにくいんです。私は,物語を書いていないから。心情を書いているから。
ペンを握ったまま,原稿用紙 の上にうつ伏して,死にたいですね。
二〇一八年三月,寂庵にて
(せとうちじゃくちょう・小説家)
国際的なドキュメンタリー作家・伊奈笙子、六十九歳。大企業のトップマネジメント・九鬼兼太、五十八歳。偶然、隣り合わせたパリ行きのファーストクラスで、二人がふと交わした「プラハの春」の思い出話。それが身も心も焼き尽くす恋の始まりだった……。成熟した男女の愛と性を鮮烈に描き、大反響を巻き起こした衝撃の恋愛小説。待望の文庫化!
幻冬舎刊 岸惠子著 650円
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瀬戸内寂聴「世の中は無常」孤独を受け入れ人間らしく生きる方法<賢者の泉>