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熊本市 長崎次郎書店-鴎外,漱石そして八雲ゆかりの書店復活 レトロな外観,モダンな書棚

2014-07-24 21:12:49 | 九州経済(地域経済)

 ※phote googlemap

 1874(明治7)年に創業の老舗「長崎次郎書店」(熊本県熊本市中央区新町4-1-19)が,復活する

 文豪・森鴎外も訪れたという熊本市中央区の「長崎次郎書店」は7月31日、営業を再開する。れんが積みのレトロな外観はそのままにモダンな書棚を導入、新たに喫茶店を併設する。


 同書店には旧制第五高等学校(現・熊本大)で教えた夏目漱石や小泉八雲も訪れたといわれる。三菱の丸の内赤煉瓦オフィス街の設計を行った保岡勝也(1877年 - 1942年)の設計で,1924(大正13)年建築の木造2階建ての建物は、外装にれんがを使った独特のスタイルで、国の登録有形文化財でもある歴史的店舗である。

 前の経営者が体調不良のため昨年4月に店を閉めたが、親戚に当たる長崎書店(熊本市)が老舗の屋号を譲り受け1階(約130平方メートル)で書店を営業する。文芸・芸術・人文・郷土・児童書・ライフスタイルといった諸分野に力を入れるほか、雑誌やコミックも扱い、さらに木のおもちゃなども販売するという。

 住居などに使われていた2階には、喫茶店が入る。店先を行き交う路面電車を眺めながら、コーヒーを片手に買ったばかりの本を楽しめる。

 路面電車や古い街並みはまるで古き良き時代にタイムスリップしたかのような懐かしさに溢れている。


>>> 新町電停と長崎次郎書店[熊本]

 

 

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 夏目漱石 熊本 坪井町の旧宅
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  「どっしりと尻を据えたる南瓜かな」

 これは漱石が熊本時代にのこした句である。当時の熊本駅周辺は「おてもやん」で知られるように,ひょうたんに似た形をしたかぼちゃの一種「春日ぼうぶら」畑の中にあった。
 
 夏目漱石(29歳)は明治29年4月,松山中学校か。旧制五高の英語教師として熊本に赴任した。彼は英国に留学するまでの熊本在住の4年3ケ月の間に6 度の転居をしているが,ここは(坪井町)5度目の住宅である。漱石夫婦はこの家が気に入っていたようで後に「熊本ではこの5番目の家が一番いい家であっ た」と語っていたという。

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  --photo-熊本市役所HP

 1899年5月鏡子夫人はここで長女・華子を出産したが,庭には産湯に使った井戸がある。安産を喜んだ漱石は「安々と海鼠(なまこ)の如き子を生めり」という一句を詠んでいる。
 洋間には,漱石直筆の原稿やレプリカ原稿、五高時代の写真など,漱石に関する資料が展示されている。

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■住所:〒860-0077 熊本市内坪井町4-22
■電話番号:(096)325-9127
■料金:高校生以上200円、小・中学生100円 30人以上の団体2割引
■営業時間:9時30分~16時30分
■休日:月曜(祝日の場合は翌日)、12月29日~1月3日
■駐車場情報:6台駐車可能、大型バスは駐車できません 無料
■アクセス/市営バス「壷井橋」下車
      <市電沿線> 市役所前下車、坪井川沿いを北へ徒歩15分

 

 小泉八雲 熊本の旧居
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  「耳なし芳一」、「雪女」、「むじな」などの作者として知られる小泉八雲(こいずみやぐも・別名ラフカディオ・ハーン)。小泉八雲熊本旧居は、明治時代、 第五高等中学校(現在の熊本大学)の英語教師として熊本に赴任した際、最初の一年を過ごした住居です。八雲の作品の一つである「知られぬ日本の面影」はこ こで執筆されたといわれています。平成7年(1995年)に復元された住居内には、八雲の足跡を紹介したパネルや作品のほか、当時、八雲が毎朝礼拝したと いわれる神棚も残されています。
  熊本の後,神戸のクロニクル社、帝国大学(東大)、早稲田大学に勤務した。明治37年(1904)9月26日、狭心症で54歳で逝去した。法名「正覚院伝浄華八雲居士」。


東京の八雲 
  小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は外国人でありながら日本を愛し、日本人と結婚し、日本に住みました。晩年は新宿に住んでいました。八雲の終焉の地であ る新宿区と、生まれ故郷のギリシャのレフカダ町が、平成元年10月に友好都市提携をしたのを経緯に造られ、平成5年4月に開園されたのが「小泉八雲記念公園」です。

⇒東京都新宿区大久保1-7
JR新大久保駅徒歩7分(改札を出て右手方向へ直進、「大久保二丁目」バス停を過ぎて右折、しばらく道なりに進む)
・開園時間:4月から9月迄 午前8時から午後6時,10月から3月迄、午前8時から午後5時


小泉八雲 こいずみ・やくも
嘉永3年5月(1850年6月)~明治37年(1904年)9月


本名はラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)
ギリシャ生れのイギリス人。
明治23年(1890年)雑誌特派員として来日するが、同年、英語教師として松江中学に赴任。
小泉セツと結婚し、熊本の五高へ転任。
明治29年(1896年)帰化し、上京して東京帝国大学で英文学を講じる。
この間『日本瞥見記』『東の国から』などの随筆で、生活に密着した視点から日本を欧米に紹介した。
明治37年(1904年)アメリカで刊行された『怪談』は、日本の古典や民話などに取材した創作短編集です。




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