7月7日は七夕の日。そこで,七夕にちなんだ純愛物語の一節を書き写します・・・・・。
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あれは一九四五年五月、十七夜の月の美しい晩でした。書院の外縁に正座した私(ミホ)は、庭に咲き 盛る南島の花々の芳香の饗宴に与っていました。裏山で夜囁く鳥が二羽優しい声で囁き交わして います。表門の方から土を踏む湿った靴音が聞こえ、濃紺の戎衣の人がゆっくり近づいて来ました。その人(島尾)は私の近くに立ち止り、挙手の礼をしました。そして白い薄絹の風呂敷包みを私に手渡し、腰に吊り凧いた海軍士官の短剣をはずして「これは附録です」と添えました。私は両手で拝し受け、彼を表座敷へと招じました。灯火管制下の暗い火影で風呂敷包みを解くと、海軍罫紙に丁寧な鉛筆文字で、
はまべのうた
ー 乙女の床の辺に吾が置きし
つるぎの太刀 その太刀はや ー
と書かれてあり、紙縒り(こより)綴じたのを播(ひもと)くと二十五枚程の童話風な掌編小説でした。特攻隊長の軍務の合間に書かれた「はまべのうた」は彼の遺書のように思えて、胸がこみあげ涙が溢れました。
私は七月七日星祭の宵に七夕様へ捧げる短冊に歌をしたためて「はまべのうた」 へのお返しにしました。
月読みの蒼き光りも守りませ
加那(かな・吾背子)征き給ふ海原の果て
月読みの蒼き光りに守られて
征き征くかなやわだつみの果て
征きませば加郡が形見の短剣で
吾が命綱絶たんとぞ念ふ
大君の任のまにまに征き給ふ
加那ゆるしませ死出の御供
出典:『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ 』 p74~p75 梯 久美子 (著) 新潮社刊
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作家・島尾敏雄(1917〜86年)の妻ミホとのなれそめから結婚生活を綴った私小説『死の棘』(1977年)は,"夫婦の絆とは何か,愛とは何かを追求した凄絶な人間記録”として高く評価され,日本文学大賞,読売文学賞,芸術選奨を受賞するなど,戦後文学の傑作ともいわれてきました。1990(平成2)年には,松坂慶子,岸部一徳主演で映画化もされ,カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞しています。
○小説『死の棘』のあらすじ
太平洋戦争末期,加計呂麻島で海軍特攻隊の中尉トシオと島長の娘ミホが出会い,恋をした。トシオに出撃の時は訪れぬまま終戦を迎え,やがて2人は夫婦となったが,子どもが生まれて平凡な毎日を送っていた中,トシオの浮気が発覚する。トシオの情事を日記で知った妻が精神の均衡を崩し,精神病棟に入院するまでの夫婦の葛藤を描く。
▼ 仮面夫婦だった--衝撃的な内幕
小説『死の棘』は,純粋,稀有な夫婦愛を描いた作品として評価されてきました。そして妻ミホは,無垢で激しい愛ゆえに狂気に至った女性として,聖女ともたとえられるようになりました。
それが,一昨年秋,梯(かけはし)久美子著の,『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ』で,
・実は『死の棘』のストーリーは,”本を売るための夫婦間での作り事だった”
・実は作家の島尾敏雄は,精神に異常をきたしていた
・実は仮面夫婦であった
といった衝撃的な内幕が綿密な資料分析と当事者へのインタビューに基づき暴かれています。
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夏の終わりのある日,小説家の私(トシオ) が外泊から家に帰ってくると,木戸にも玄関にも鍵がかかっていた。
胸騒ぎがして,仕事部屋にしている四畳半のガラス窓の破れ目から中を見ると,机の上にインキ壷がひっくりかえっ
ている。
台所のガラス窓を叩き割り流しに食器が投げ出されているのを見た私は,遂にその日が来たのだと思う。仕事部屋
に入ると,机と畳と壁にインキが浴びせかけられ,その中に私の日記帳が捨てられていた。 ‥『群像』昭和三十五年四月号)
>>>夫婦とは,愛とは-『死の棘』島尾敏雄からの問いかけ 掲載記事一覧
・夫婦とは,愛とは何か-『死の棘』島尾敏雄からの問いかけ・2 (2017-5-12)
・夫婦とは,愛とは-『死の棘』島尾敏雄からの問いかけ・1 (2017-5-8)
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>>>尾敏雄没後30年,「幻の日記」初公開 かごしま近代文学館
2016年11月に没後30年を迎えた作家・島尾敏雄(1917〜86年)の“幻の日記”を紹介する企画展が,2016年11月14日まで鹿児島市のかごしま近代文学館で開かれました。2年かけて修復を終えた7冊を初公開。代表作「死の棘」で描いた,敏雄の女性問題など夫婦の葛藤へ至るまでの日々が記されています。
記録魔だった島尾は生涯日記をつけ,小説の題材にした。7冊は52(昭和27)〜54年,神戸から上京し執筆に励んでいた頃のもの。妻ミホさん(故人)が廃棄したとされていたが,2010年に奄美市の自宅で遺族らが見つけたということです。
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