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鹿児島城の御楼門(大手門)復元に向けて 起工式行われる

2018-09-06 17:45:16 | 鹿児島の見どころ

 明治初期に火災で焼失した薩摩藩鶴丸城(鹿児島城)の城門「御楼門(ごろうもん)」が,鹿児島市城山町の元の所在地に復元されます。事業費7億5千万円で2018年9月着工,20年3月の完成を目指します。

 

鶴丸城の御楼門(大手門)復元に向けて 起工式行われる

 



 

2020年の完成を目指す鶴丸城・御楼門の起工式が9月2日,鹿児島市で行われました。工事は2020年3月までの予定です。 「御楼門」(ごろうもん)は鶴丸城とも呼ばれた鹿児島城の正門で,1873年(明治6)年の火事で焼失し,今では周囲の石垣などが残るのみとなっています。御楼門の隣りにあった「御角櫓(おすみやぐら)」と呼ばれる見張り台と,御楼門と御角櫓を繋ぐ城壁も復元され,当時の城下町の雰囲気をよりリアルに再現します。
 御楼門と御角櫓は2020年3月の完成を予定しています。


<<<鹿児島城(鶴丸城)の大手門,2020年復元めざす>>>

2014-08shiro01

 


  「御楼門」は鶴丸城とも呼ばれた鹿児島城の正門で,1873年(明治6)年の火事で焼失し,今では周囲の石垣などが残るのみとなっています。その復元を目指し,鹿児島県内の経済団体で構成される実行委員会が募金活動を行い,既に目標の4億5000万円を上回る5億円の寄付を集めたということです。

 新たに発足した協議会は,実行委員会に県と鹿児島市が加わり,門の復元にかかる費用,およそ7億5000万円のうち,寄付金でまかなう分を除いた3億円を鹿児島県と鹿児島市が負担するということです。
 


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鶴丸城(つるまるじょう)-鹿児島城

 

 城壁には西南戦争の銃弾跡が残る鶴丸城。今も石垣や堀,石橋などが残る。島津氏は薩摩入部以来,居城を何度か移転し,島津家18代家久が築いた鶴丸城(鹿児島城,府城ともいう)に移ったのは慶長7(1602)年だといわれています。

  それ以前,まず島津氏の5代貞久までは北薩・山門院(やまどのいん)の木牟礼(きのむれ)城(現・出水市高尾野町)に居城があった(当主は在城せず)。  「人をもって城と成す」という精神に基づいてつくった天守閣のない質素な屋形であった。天然の要塞で,その地形から鶴丸城と呼ばれました。
 いま,鶴丸城城趾には,鹿児島県歴史資料センター黎明館,県立図書館が建ちます。

・アクセス:JR鹿児島中央駅から市電鹿児島駅前行き10分市役所前下車徒歩5分

 

 

 


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